中丸美繪ブログ

「モーストリー・クラシック」で「鍵盤の血脈 井口基成」連載中。六年目。小澤征爾伝も脱稿間近。

お正月の葬送

2019年01月21日 18時04分11秒 | 日記
お正月からこんな話ですみません。

我が家では、猫をかつて二匹飼っていました。1998年生まれと、1999年生まれ。
震災の翌年春に、金太となづけたオス猫が、腎臓を悪くして逝きました。半年間、腎臓透析みたいなことをやって、首のところに透析液ためて、ぶらぶらさせて、なんだかとっても可哀想な感じでした。
本人?にとっても、それが辛いのか、腎臓が悪いのが辛いのか、長いあいだ昼は、自分の棚と決めたところに終日いるような生活になってしまいました。
最後は痙攣を起こして、逝きました。その日は、サントリーホールのコンサートにどうしてもいかなくてはいけなくて、帰宅した直後のことでした。

長いあいだ、金太くん、ありがとう・・・と夫とともに泣いてしまいました。
わたしたちも悪いのです。
キャットフードだけあげていればいいものを・・・・食事のときには、三匹のうちヒエラルキートップにあるものの特権として、隣の椅子に座り、なんともいい匂いのする魚とか、韓国のりが並ぶと、私や夫の手に招き猫よろしく、手を乗せるポーズが可愛らしく、ついついあげてしまったのでした。

人間が食べるものの塩分は、猫には毒だとわかっていながら・・・。

でも野良猫ちゃんだった金太を保護して、12年。野良猫ちゃんで終わるよりはよかったよね。

姉の花ちゃんもいっしょだったしね。

それから、13、14、15、16、17、18、19年がきて、このお正月、花ちゃんが逝きました。

二三年前から、譫妄というか、夜泣きですが、変な声で鳴き始め・・・それまで花ちゃんが泣くことは、本当にない子だったのに・・・・そのうえ、お漏らしをするようになり、わたしは老猫介護状態となりました。

年末に友人家族が遊びにきたとき、いつもはリビングで過ごす花ちゃんですが、シャイなので、さらにお漏らしをするといけないと思って、パーティーのあいだだけ別部屋に寝床にしていたカゴを移しました。そのとき、花ちゃんを抱き上げた。

その軽さに驚いたのです。えええええ!!!

でもそのときは、それを思っただけ。
食欲もなくなっていた。
いつもは、可愛くないて、パックや缶詰の餌を要求していたのに、そういえば、あまり食べなくなって・・・・。
実家では、それこそ介護状態の実母。
実家に帰るので、朝、目やにをふいてやったときも、ふつうなら顔をあげて、目を合わせるのに、そのまますやすやと眠っていた。

ペットシートにお漏らしをするのも日常となり、その始末にてんやわんやする日々だったのです。

なんとなく、静かな花ちゃんだな・・・と思っただけで、出発してしまいました。

そして、正月2日帰宅したとき、花ちゃんは冷たくなっていたのです。

玄関でただいま!といったとき、2匹の猫はミャーと答えてくれるのです。でも、その日は一匹の声だけ。

花ちゃんのベッドにいって、「花ちゃん」と呼びかけても、なにも答えず。頭を撫でたときの冷たさといったら・・・・・。

花ちゃん、逝ってしまった。

ペットシートも濡れていません。

目やにを拭いてやったままの姿勢で、眠るように逝ってしまいました。

でも19歳3ヶ月。

花ちゃん、いいお姉さんだったし、最後は腎臓悪くて、お漏らししたり、泣いたりして、苦しかっただろうけど、天国で、金太くんと楽しくやってね。

ありがとうね。花ちゃん。