脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

デ・キリコ展、或いは未知と出現。

2014年12月14日 14時29分09秒 | 読書・鑑賞雑感
最近『進撃の巨人』を読んでみたが、つまらなかった。絵がヘタだし、
コマ展開がぎこちないし、へんに理屈っぽいような、全体的に興ざめで
稚拙な作品に、私には感じられた。世間ではかなり売れているマンガな
ので、このつまらなさはどうしてだろうと思う。

最もアニメの方は、筆力・迫力も加わって面白そうにも見える。この作
品の妙味のひとつは、50mの壁を超える「巨人」という未知なる存在の、
その不可思議な未知さと、それが「出現」する驚きの新鮮さにあると思
う。巨大な未知の出現感、例えは古いがゴジラのようなもの‥。

昨日は汐留のミュージアムで「デ・キリコ展」を観た。キリコを観るの
は久しぶりだ。中学生の頃、初めてキリコの絵画を美術の教科書で見て、
ひどく惹かれた。だが今改めて観ると、今の自分にはキリコに惹かれる
感性が大分薄れているようだった。

キリコの作品は、神秘・孤独・憂愁等と言われるが、私は印刷物で作品
を初めて目にしたとき、遠く懐かしい時間と空間が描かれていると感じ
た。それは、体も小さく知識も乏しい幼少期の自分が世界について感じ
ていたモノに等しい。世界は何もかもが大きくて不思議と未知、さらに
数々の驚きで溢れていた。そんな頃の遥かな記憶、失った想い出を描い
ているような作風に見えたのだ。

キリコの晩年の作品をあまり知らなかったが、被写体に付きまとう独特
の長い影が消えて、影は短くなり、奇妙な太陽が描かれたりしていた。
デ・キリコは、ニーチェの永劫回帰に影響を受けた画家とも言われるが、
彼は、人心の奥底の原初の闇を描くに巧みだったが、心の光の方は描く
ことが出来なかったと思う。(その代わりに、ギリシアやローマを憧憬
して描いたのだ。)

私が思いつきでキリコを語って、どれだけ的を得ているのか的外れだか
知らない。誰もがキリコのような画家には少し惹かれてつつ、やがて離
れていく、そんな宿命の画家のように思う。やがてヒトは光を求めて、
キリコから離れていく。私の場合、ドローネという画家が描く「光」と
出会い、気持ちが救われる思いがしたものだが。

しかし、こんな単純一筋縄で芸術を論じるべきではないのかもしれない。
鑑賞者=消費者とは、自分にとっての、芸術との出会いを個別体験すると
いうだけの話である。

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