脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

赤塚不二夫先生を悼む

2008年08月06日 19時24分55秒 | 読書・鑑賞雑感
数日前に、赤塚不二夫さんが永眠された。
私は大の赤塚ファンなので、当ブログに早速追悼記事を綴ろうと思いつつ、
どうしても個人的な「こころ」事情から果たせないでいた。

赤塚マンガは、私の人生や人生観に大きな影響を与えた存在である。
少年時代、辛かったり苦しかったりしたとき、何とはなしに、
『天才バカボン』を読み直していると、笑いの波にさらわれて、
「アレ、さっきまで何が辛かったんだっけ?」と思ったものである。

赤塚作品には、そんな風に、何度も気持ちを支えられ、心を救われた。
同時に、人の人生において「笑い」がいかに大切かを学んだ気がする。

8/5の朝日新聞に鶴見俊輔先生が追悼文を寄せていたが、
鶴見先生ほどの方がご自身の人生とも比肩させて、あるいは、
科学史やら日本の社会学に絡める言説さえ散りばめつつ、
赤塚不二夫を追悼されていることには、一驚を喫した。

「馬が跳びはねる情景を「パカラン、パカラン、パカラン、パカラン」
 と三ページにわたって何十コマも描いて、読者を引きずりこむ、
 この作者の筆力は、ゼロ歳児にもどった生命力の裏づけによるものだ。
 その生命力の無法な羽ばたきが、今も私の耳にある。」
     (鶴見俊輔「朝日新聞 2008年8月5日」文化欄から引用)

赤塚不二夫の「生命力の無法な羽ばたき」が頂点に達するのは、
70年代初めに描かれた作品『レッツラゴン』だったと思う。
あれこそ、ギャグ・マンガ史上の極北である。

そこには、差別、いじめ、虐待、エロ、グロ、男色、ナンセンスなど、
そんな「無法」がひしめいていた。赤塚は「無法」の傍に立ちつつ、
「無法」を否定も肯定もせず、「笑い」で軽々と超えていく。
また赤塚作品は、何かと誤解を受け易い点もあるが、
やはり、人への思いやりや優しさが隠し味になっていたと思う。

どのような難局にあっても「笑え!」、「笑い」を忘れるな!
人生なんて、ギャグで蹴飛ばせるよ。
そんなメッセージを我が身を以って示し、送り続けた作家だった。

ここでいう「笑うこと」とは、攻撃よりも受容であり、
それは人を愚かな存在として<許す>ことであり、
この娑婆世界を肯定しつつ営むことと地続きである。

「笑い」には生命を賦活させる何か、
穴に落ちた人を這い上がらせるような、
何度でも人生をリセットさせていくような力が秘められている。

私は、そんな「笑い」の意義を赤塚不二夫さんの作品から学んだ。
赤塚先生、ありがとうございました。安らかにお休みください。
赤塚不二夫は死んでも、赤塚作品は永遠ですから!

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