脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

私小説家 ・ 車谷長吉さんを惜しむ。

2015年05月23日 19時07分11秒 | 読書・鑑賞雑感
今月17日、作家の車谷長吉(くるまたに ちょうきつ)氏が亡くなった。
朝日新聞の訃報記事(5/19)に拠ると、誤嚥性の窒息死で自宅で他界。享
年69歳。最近、作品を見かけない気がしていたが、体調が悪かったのか。
稀有の人品と作品世界をもつ私小説家であり、とても惜しまれる。

車谷氏は慶大卒業後、サラリーマンとなるが都落ちで帰郷。地方の料亭
で下足番や板前となるなど人生を歩み直し、作家稼業に転じたヒトであ
る。僧に非ず人に非ずと、「生きる」は修行「書く」も修行の、信念と
気迫の持ち主であり、裸形で崖っぷちを渡る凄みのある人士であった。

とか何とか、知った風につい書いてしまったが、知り合いでも何でもな
い。車谷氏は根津・千駄木辺りの一軒家に、奥様と暮らしていたそうで、
私の家からもほど近いので、お宅を探してみようかと思ったこともある
が、探さなかった。実際、ご本人を目の前にしたら、怒られるか無視さ
れるか、どう声を掛けたらいいか分からない‥。

居宅がイワクつきの中古一軒家で、文学賞の懸賞金だかで買ったものだ
の、場所以外にも、そんな事情を私が知っているのは、本人が小説に書
くからである。私小説家とは、我が身やプライバシーを切売りにするの
が生業である。自分のことだけ告白暴露するならまだしも、時に知人・
他人の痴業にもチクリと毒が吹く。反撃の業火に焼かれる覚悟、肚が相
当に据わってないと出来ない稼業である。

作品を読めば、今本人がどんな暮らし向きか分かってしまうのは、身辺
雑記を記すブロガーも同じだが、名と顔と業績が世間に認知されている
身の上であること、それでメシを喰っている点等、両者は全く異なる。
て言うか、「文学者」という先生風情の肩書きで「自己暴露の悲哀」を
生き切る覚悟(私にはないけど)のヒトが、私小説家なのであろう。

近年の作品で知ったが、車谷氏は統合失調症に罹患し妄想に苦しんでい
たらしい。庭のアロエの葉が自分に毒を放っていたり、スリッパが部屋
の中を飛び回っていた、だとか。精神疾患と今度の突然死とは因果関係
があるのか分からないが、長吉というよりは、一徹に自分で自分の命を
削り過ぎた、やや短吉な人生であられたのではなかろうか。

風通しが好いからだか、いつも「社会の窓(ズボンの股間チャックのこ
と)」を開けて歩いているの、某大手出版社の玄関先で路糞を垂れた話
だのと、お笑い芸人顔負けの自虐ネタみたいだが、このヒトなり不器用
だが大真面目、捨て身で傷だらけになって渡世をされてきた姿である。

車谷氏は、処世の恥など掻き捨ての度量と矜持で、己を徹底して真っ直
ぐに生きられた方だと思う。氏の場合、己を厳しく突き放した自虐の身
振りに、笑いを取る他者への作為も媚びもなく、人の<道>に通じてい
た。微妙な事例もあろうが、そこがTV芸人と文学者の違いである。

昨今イジメやハラスメント等、心の傷やらトラウマがどうのプライドが
どうしたと、過剰に泣き騒ぎ恨み拗ねる輩だの、年収や出世でしか人生
を推し量れない方面の方々には、是非、車谷氏の生き様や彼の文学世界
に、少しの眼を向けて貰いたいとも思う。

今日のような心の脆弱な時代だからこそ、車谷氏の人柄や身奇麗で端正
な文体で書かれた作品は、薄っぺらい虚の溢れる社会には、必需のカウ
ンター・カルチャーであり、時代のバランサーになると思う。

‥と言う事で、いちファンとして、故人のご冥福、衷心からのお祈りを
させて頂きます。合掌。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏‥‥。





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