指揮者 神尾昇の一言

日々の生活の中でちょっとした事などがあったら、ちょろっと書き留めて行く、そんなブログです。

前向きに、前向きに。

2011年03月19日 | Weblog

 

17日のブログに関しても、様々な方面の方からコメントやメールを頂きました。

あれから一週間が過ぎましたが、世の中も人の気持ちもすこしずつ変化して来ていると思います。

私も落ち込みはしましたが、もちろん私だけではない、もっと酷い人もたくさんいる、という事が現実に解って、じゃあ、元気でしかも本来、人にエネルギーを与えるべき仕事をしている自分は本当に頑張らないといけない!と改めて思いました。

いつもお世話になっている人から練習中止の連絡が来て「音楽家はこういうとき辛いですね」と返したら、その人はあるプロオケの責任者で、4月にやるはずだったコンサートの中止が濃厚で、その場合数百万円の赤字を被る事になるそう・・・

 

いつも一緒に演奏活動をしている鈴木美苗女史のブログにも心のうちが綴ってあります。

以下抜粋

つらい時に、自己防衛の手段として「何も感じないようにする」という方法がありますが、 

音楽をやる時には感覚、感情を開放しないといけないもんでして、 

さあどうすんのこの二律背反。 


それからできてからまだ間がない、と思っていたミューザ川崎がとんでもないことになっています。

 

 

コンサートをやっていなくて本当に良かったと思います。

これから9月までのコンサートは全部キャンセルだそうです。

だから、私の受けた損害なんかは本当に損害と呼べるか、と思うくらいチッポケなものでした。

 

心温まるニュースも数多く聞かれます。

しかしながら一方でこんな事もありました。

ニュースサイトでは削除されていますが、内容はこういうものです。

 

福島第一原発の半径20キロ圏内にあり、避難指示を受けた双葉病院(福島県大熊町)から運ばれた患者が相次いで死亡した問題で、病院関係者が搬送時に付き添っていなかったことがわかった。福島県が17日に発表した。

 県によると、同病院には338人が入院し、うち146人は寝たきりや病状が重い患者だった。14日午前11時すぎに同原発3号機が爆発したのに伴い、陸上自衛隊などは1415の両日に患者を3回に分けて救出した。

 陸自が14日に救出した時は、病院には病院長のほか職員が数人いた。しかし避難所までは付き添わず、15日の午前と午後に計55人を搬送した際も病院関係者の付き添いはなかったという。県によると、移動時に患者の病状が確認できない状態で、搬送中や搬送後に計21人が亡くなったという。

 県が15日深夜に病院長と連絡を取ったところ、「第一原発が爆発したので、川内村で自衛隊を待っていた」などと説明したという。県の担当者は「付き添うべきだった」と話している。

 

です。

しかもあまり報道されていませんが事実はこういうことらしいのですが・・・

 

高齢者残し医師ら避難か=原発圏内の病院-福島 

 

 事故が相次ぐ福島第1原発(福島県大熊町)の10キロ圏内にあり、避難指示が出た同町の双葉病院で、 患者を避難させるため自衛隊が到着した際、病院内は高齢の入院患者128人だけで、 医師や病院職員らがいなかったことが17日、分かった。県災害対策本部が明らかにした。 

 同病院の患者のうち14人は、避難途中や避難先の県立いわき光洋高校(いわき市)で死亡した。 

 対策本部によると、官邸危機管理センターは14日未明、原発の10キロ圏内に取り残された住民について 

「明け方までに避難させること。避難しない場合は責任を取れない」と県に指示したという。 

 県は自衛隊に救助を要請。自衛隊は14~16日にかけ、バス3台を使って双葉病院から128人を搬出した。 

しかし、隊員が病院に到着した時点では、300人を超える患者のうち、寝たきりの高齢者らだけが取り残され、 病院関係者はいなかったという。 

 自衛隊は患者の被ばく状況を調査した上で、避難所に移動させた。 

 県の担当者は「病院職員がいないことはあり得ない。放棄ととられても仕方がない」と批判。 

同病院を運営する医療法人「博文会」関係者は取材に対し、「理事長と連絡が取れず、 

事実関係は分からない」としている。

 

わたしはこれに関して何も言いません。どちらが本当なのかも解りません。

各国に逃げ帰っている外国人の皆さんに関しても何も言いません。

自分の立場だったらどうなのか解らないからです。

 

今日TVで阪神淡路大震災で被災された方の意見でこのようなのがありました。

必要なものはなんだったか、という質問で物資や避難所提供もだが、「生の音楽を聴かせて欲しかった」。

この言葉には本当に勇気をもらいました。

 

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4 コメント

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Unknown (ひろみ)
2011-03-19 16:25:04
先日の出勤前に見ていた被災地の様子で、
避難所にあった電子ピアノを弾いていて
周りには彼より小さい子が集って口ずさんでました。

その彼が「いつか合唱できたらいいな」と言うのをきいて胸がつまりたした。


病院のことは今はまだ真実はわかりません。
が、安全なところにいる我々が、けしからんなどとはとても簡単には責められない気がします。


再会を楽しみにしています。

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ひろみさん (Noboru)
2011-03-20 10:43:02
やはり音楽の力は凄いな、とおもいますね。
再会できる日を目指しましょう!
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ミューザ (H)
2011-03-23 12:19:58
ミューザ大変なことになりましたね。
自分も7月に演奏会を予定すていたのですが・・・・会場変更に。
会場を変更してでも演奏会を開催できるだけ恵まれていると思わなければなりませんね。

天野正道さんの「おほなゐ」阪神大震災の復興をテーマにした吹奏楽曲ですが機会があれば是非聴いてみてください。

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Hさん (Noboru)
2011-03-24 14:34:40
会場変更や日程変更で上演できることは今の現状ではこの上なく恵まれていますよ。
ミューザ川崎を本拠にしていた東京交響楽団は対応が大変のようです。
新国立劇場も公演は軒並み中止ですし、私が楽しみにしていたイアン・ボストリッジのリサイタルも来年まで延長されました(涙)
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