祖谷渓挽歌(いやだに・ばんか)~藍 友紀(あい・みゆき)著

「2007年自費出版文化賞」大賞受賞作品の紹介およびその周辺事情など。

あい・みゆき著「祖谷渓挽歌~時の流れに」関連事項10年5月1日(土曜)

2010-05-01 01:52:26 | Weblog
 
 あい・みゆき著「祖谷渓挽歌~時の流れに」関連事項10年5月1日(土曜)

 *「消費税~累進性に逆行する」「貧乏人泣かせの介護保険制度」「裁判員制度」の3悪制を、一旦、廃止し、なお必要なものは基本から構築しなおすべきだと、 


 *「植草ブログの冒頭紹介」 

 2010年4月30日 (金)
腐敗マスゴミに徹底抗戦・真の独立獲得に向け
日本はいま、独立戦争のさなかにある。


 1945年、第二次世界大戦が終結した。日本はGHQの統治下に置かれた。GHQは当初、日本の民主化を推進し、日本に新しい民主主義国家を創設する壮大な実験を試みた。


日本国憲法が制定され、新憲法下での最初の総選挙が実施された。社会党が第一党の地位を確保し、片山哲社会党政権が発足した。


ところが、この1947年に対日占領政策は180度の転換を示す。


冷戦の激化に伴い、米国の外交政策が転換し、連動して対日占領政策が大転換したのだ。日本は独立した民主主義平和国家から米国に隷属する反共防波堤の植民地に位置付けを転換させられた。


戦後初めての総選挙で内閣総理大臣に就任するはずだったのは鳩山一郎氏だった。しかし、鳩山一郎氏は組閣の直前に公職追放処分を受けて、首相に就任することができなかった。


鳩山一郎氏の公職追放を受けて首相の座を手中に収めたのが吉田茂氏である。実は吉田茂氏も公職追放リストに掲載されていた。吉田氏はGHQ幹部に取り入ることにより公職追放処分を回避するとともに、鳩山一郎氏が公職追放リストに載ったにもかかわらず、処分回避にまったく動かなかった。


米国は対日占領政策大転換後の日本統治=植民地化を、吉田茂氏を通じて実行した。


米国の意に反する片山哲内閣、芦田均内閣はGHQの力によってつぶされた。その結果として創設されたのが二度目の吉田茂内閣だった。1948年から1954年にかけて日本政治を支配した吉田茂内閣が戦後日本の基本路線を敷いた。この吉田茂内閣こそ、元祖対米隷属政権である。


吉田茂内閣は米国、米軍の支配下に置かれる日本を生み出した。吉田茂内閣はCIAと通じる検察、内閣調査室等の組織を生み出すと同時に、政治権力に支配されるマスメディアの構造を生み出した。


対米隷属の系譜、米国による日本支配構造の淵源は吉田茂内閣にあると言ってよい。


昨年8月30日の総選挙を通じて実現した政権交代の最大の意義は、日本の真の独立実現にある。米国が日本を支配する構造を打破できるのかどうか。これが政権交代の最大の意味である。(以下略。直接、御覧ください)

  


 *「華やかに開会式=史上最大の上海万博開幕へ-胡主席「世界のチャンス」・中国
5月1日1時37分配信 時事通信

 【上海時事】上海市を舞台に中国で初めて開催される本格的な国際博覧会、上海万博の開会式が30日夜(日本時間同)、会場の万博文化センターで胡錦濤国家主席ら中国指導部メンバーや各国首脳が出席して開かれ、5月1日から10月31日まで184日間にわたる史上最大規模の万博が事実上スタートした。
 式に先立つ晩さん会で胡主席は「中国、そして世界にとってチャンスだ。世界との交流・協力の懸け橋を示すものだ」と万博開催の意義を強調。午後8時(同9時)すぎから始まった式典では、共産党最高指導部である政治局常務委員9人のうち6人が顔をそろえ、胡主席が開幕を宣言した。海外からはサルコジ仏大統領ら元首級20人のほか、日本の仙谷由人国家戦略担当相らが出席した。
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