晴遊雨読・暢呑夢酔の戯れごと

絶景かな!!浅間山、空気と水の美味しい町で余命人生エンジョイ中

浅間嶺に 桃のピンクと プルン(白)映え

2007-04-29 00:11:02 | Weblog
07年4月28日(土)
 朝小雨がポツリ、ポツリ、その内に太陽が覗く。2Fのベランダから見る、桃のピンクとプルンの白が満開。まもなく撤花されるので今が最高の見ごろである。
浅間山が春霞のように、花の間から覗いている。
 我が家の庭にも花海棠の赤、白いプルン、紫のモクレンに雪柳が、草花も咲き誇り周りは桃源郷で仙人になった気分だ。遊びに酒好きでは生臭仙人かも知れない。
 午後の天気が悪い予報なので、庭の周りにヒマワリと名も知らぬ綺麗な?花の種を蒔く。期待にこたえてくれるか?

 ウオーキングのスタンバイをしていたら、雷鳴と共に急に暗黒の世界になり、風と雨が降り出す。
仕方なくパソコンワードで、言いたい放題の原稿作りをする。
いま人気の新井満氏の『千の風になって」から、死と生についての考え方を書いてみる。
 この詩は死者が遺された人たちに向かって語りかけ、励ましているのだ。
「私は死んでなんかいません。千の風になってあの大きな空を吹き渡っています」
死ぬことは、それですべてが終わりになるのではなく、風や鳥に生まれ変わることなのだとそっと耳打ちしてくれている。アニミズム(霊魂)の考えかた)
 原詩が英語であるので、ネイテブ・アメリカン(インデアン)の手になるものという。私は死んだら、光になり畑やゴルフ場に光を当てたいと思う。

 神和会の定例会に出席。このたびの選挙で、町のため町民のためでなく、自分の保全や気分だけで動いているようで心配である。
 過去は恩讐の彼方に捨て、町長と町議が車の両輪となり、外に内にと活動を活発化していってほしい。人口増加も大きな課題である。

 人を信ずることが出来なくなっては、この世は闇である。
半月が冷え冷えと光っていた。明朝は霜がおりるそうだ。
住んでよかった町で、自立していくためにも12名は真剣に取り組んでほしい。