ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

すたれゆく

2021-11-29 09:05:06 | 短歌





すたれゆく いつはりの世を をしみては けふもよそほふ にしきのころも




*ここのところ俳句づいていましたが、今日は短歌をやりましょう。これは昨日ツイッターで発表したものです。

ここのところ長いスランプが続き、なかなか上手に詠めなかったのですが、これはかなりよくできました。

廃れてゆく嘘偽りの世の中を惜しんでは、今日も馬鹿者は錦の衣で装っていますよ。

テレビなどを見ますと、上等の服やアクセサリーなどでそれはきれいに装った人がいますが、あれはもうそろそろ、人間が馬鹿だったころに見ていた夢のようなものになります。なぜなら人間はもう本当の自分に目覚めて、余計なものなど一切いらなくなるからです。

金銀を織り込めたような豪華な服も、宝石を閉じ込めたきれいなアクセサリーも、本当は自分を見失って何もないと思い込んでいた自分の飢えと寂しさを埋めるためのものだったのです。

しかし人間が本当の自分に目覚めれば、ただ自分であるだけですべてがあるということに気づく。自分を飾り、孤独を埋めるためのよけいなものなど一切いらなくなる。人間は神から与えられた瞳と微笑みだけで、十分美しくなるのです。

しかし馬鹿者というのは、まだ嘘の中に迷っていますから、いまだに余計なものを欲しがる。錦のような豪華な着物を着こんで、嘘の美貌をてらいたがるのです。嘘でなければ自分には何もないと思い込んでいる。それは哀れな馬鹿に迷い込んでいる。

世の中は変わらないようでいて、奥底では激変しています。わたしたちが解脱の仕方を教えたときから、この世に解脱者がどんどん増えてきている。次の段階に心が飛び立った人間が増えてきている。霊魂というのはどうしようもなく上昇を目指して成長していくものなのだ。

それを無理に見ないようにして、古い時代の中に埋もれこんで、糞のような幻の幸福にいつまでも浸っていると、いずれ馬鹿なことになりますよ。

そろそろ古い時代の殻は捨て、本当の自分に目覚めていきませんか。

そうすればすばらしい永遠の幸福を手に入れることができるのです。






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さくらぎの

2021-11-27 09:13:44 | 





さくらぎの とほきそなへや 冬来たる     夢詩香




*写真は近くの公園の桜です。もうすっかり葉を落とし、寒そうな枝を空に伸ばしている。

しかしその枝にはもうしっかりと冬芽ができていて、冬が来る前にもう春の備えがしてあるのでした。

桜は冬の次に必ず春が来るのを信じている。遠い遠い昔から果たされてきた季節の約束がまた繰り返されることを、信頼している。

それが妙に愛おしく、表題のようなのを詠んでみました。

だんだんと寒くなってきましたね。今年の冬は寒いという予報がなされていますが、どうでしょう。ここは南国なので、それほど雪は厳しくないでしょうが。

堅く守られた桜の冬芽を眺めながら、わたしも遠い春の約束を信じつつ、冬を乗り越えていきましょう。




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ほとけのざ

2021-11-12 09:56:04 | 




野の隅に 細き紅おく ほとけのざ     夢詩香




*秋も深まり、だんだん寒くなってきましたが、ほとけのざは咲いています。

野原の隅っこで、小さく遠慮深げに、でもはっきりと紅を主張して咲いている。

寒い季節に、小さくとも紅い色を見つけると、寄っていきたくなりますね。そこにあたたかなものがあるような気がする。

咲いても、明日には消えてしまうかもしれない小さな花。でも花は決して消えていかない。季節が廻ればまた咲いてくれる。永遠の約束のように。

春も夏も秋も冬も、めぐる季節の約束を守るために、だれかが見えないところでたゆまぬ努力をしてくれている。その大きな愛があるからこそ、わたしたちは季節ごとに出会える。

美しいですね。

冬に傾く季節の中で、見つけた野の隅の小さな紅の花。しばし心を温めてくれる。

すばらしいこの世界で、たびたびと結ばれ、生きることをうれしくしてくれる出会い。

だれかのためによいことをしたくなるような、幸せな気分になれる。





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枯れ松

2021-11-06 09:31:39 | 




くづれゆく 枯れ松ありて 秋さびし     夢詩香





*松の写真がないので、エノコログサで代用です。

この近くに小さな空き家があって、その荒れ放題の庭の隅に、枯れた松の木が立っているのです。

誰も世話をしませんから、その松の木は枯れたままだんだん崩れてゆく。そのさまが寂しく悲しく、表題のようなのを詠んでみました。

松という木は、人間に秩序感覚を呼び覚まします。見ているだけで人間の心に作用し、美しいことをしようという心を刺激するのです。

松の木があるだけで、人間はかなり整ってくる。そういう木なのですが。

それが今、見る影もなく枯れてしまっている。それはこの世界で、秩序というものが崩れてきている表現ではないかと探ります。

世の中には偽物ばかりが繁栄し、本当の自分で働くよい人間がめったにいない。そういう世の中になってしまっては、松の木も青々と茂ることが難しいのではないか。

田舎の隅の小さな空き家の庭で、だれに振り向かれることもなく、枯れて崩れてゆく松の木を見ながら、この世を嘆いてみました。





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