ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

鳥の恋

2017-02-05 04:22:39 | 






燕雀も 志持つ 鳥の恋     澄






*これは、わたしの作ではありません。かのじょが生きていたころに詠んだ、数少ない俳句の一つです。忘れてなくしてしまうのも惜しいと思い、ここで取り上げてみました。

こういうことわざがありますね。

燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや。

燕雀とは文字通り、ツバメやスズメのことで、鴻はヒシクイのこと、鵠はクグイで、白鳥のことです。

要するに、大人物の志は、小人物には理解できないということの譬えに使われます。

中国は秦代の末期、陳勝という男が農夫をしていた時に言った言葉だと言われています。陳勝は後に秦に反乱を起こし、一時は王になるほどの勢いを見ますが、すぐに討伐軍に打たれて敗死しました。

反乱は項羽や劉邦に受け継がれていき、やがて秦は滅ぶのですが、しかし、陳勝が大人物かと言われれば、わたしは疑問符を打ちますね。彼は農民の憤懣を膨らませていたにすぎない。大きな志というものは、もっと別のものだ。

本当の大人物なら、あんな妄言はしないものですよ。自分のことを鴻鵠にたとえたりなどしない。ツバメやスズメだとて、いなくてはこまるものだということを知っている。人間の運というものは、神の導きだということを、肌で知っている。馬鹿な大言を吐けばどういう反動が来るかということを知っている。

それはともかくとして、表題の句は、ツバメやスズメのような小さなものでも、恋には大きな志を持つという意味です。それはもう、できるだけ美しい異性を求める。

かのじょ自身はこれを、やさしい心で詠んでいました。小さなものでも贅沢をいうのが恋というものだなあ、かわいいなあという感じです。だが、わたしは違う感じで受け止めますね。

馬鹿な男ほど、一番の美人ばかり追いかけるものだ。それでいやなことばかりするものだ。

ツバメはツバメに恋していればいいのに、なぜか白鳥のような天使に恋をしてしまう。そんなものを追いかけたとて、いやなことになるだけなのに、何もわからなくて、馬鹿なことばかりする。それで大変なことになる。

鷦鷯が鷦鷯の家に住むように、燕は燕の妻を持つべきですよ。自分の分というものがわかっていないものほど、責任もとれないくせに、馬鹿な大言を吐くものなのです。







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そにどりよ

2017-01-26 04:38:33 | 







そにどりよ 何を頼りて 水を睨む     夢詩香






*昨日「鴗(そび)」という言葉が出てきたので、詠んでみました。「そび」または「そにどり」というのは、カワセミの古名です。

カワセミよ、おまえは何を信じて水を睨むのか。

「睨む」は「ねむ」と読んでください。

カワセミは、英名をキングフィッシャーというほど、魚を獲るのが上手です。一度水に飛びこめば、必ず小さな魚をくわえて戻ってくる。一体なぜ、カワセミにはそんなことができるのでしょう。

カワセミはもう、自分がそれをできることを知っている。信じて疑わない。だからやっている。だが、なぜできるのかということを、考えることはまだできない。

真実の姿を言えば、あれは本当はカワセミ自身がやっているのではなく、神がおやりになっているのです。だからあそこまで見事にやることができるのです。

カワセミはそんなことは知らない。ただ単純に、自分がやっているものと信じ切っている。

この世界には、自分がやれていると思っていることでも、本当は違うものが、まだできない自分の代わりにやってくれているということがあるのですよ。

自己存在というものは、そういう助け合いを、自然にやるものなのです。

なぜそんなことをやるのか。もちろん、愛しているからです。カワセミの霊魂の代わりに、その活動をやってやることによって、神はカワセミに生きることを深く教えている。カワセミは何もわからないうちに、神の教えを刷り込まれているのです。

麗しいでしょう。

カワセミが、知らないうちに信じている自分は、神なのです。カワセミが単純に信じている自分の中には、神の雫がある。だからこそカワセミは美しい。知らぬうちに、神の流れを自分の中に呼び込んでいる。

まるで宝石のようだ。

あなたがたの中にも、神の雫はあるのですよ。それは愛の響きだ。それを感じることができるようになれば、あなたがたは神を、むさぼるように信じるようになるでしょう。








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ころほひの

2016-12-22 04:22:43 | 






ころほひの かほをかぶりて わらふ雉     夢詩香







*「ころほひ」とは、「当代」とか「今のご時世」とかいう意味がある古語です。

要するに当節流行の顔をかぶって、雉のように派手な格好している人が笑っている、という意味です。

雉には失礼ですが、その姿が鶴に比べれば派手なので、使わせてもらいました。

テレビを見ると、似たような顔やスタイルをした美人が踊っていますね。流行ばかり追いかけていると、服も髪形もまた似たようなものになる。個性というものが全くないわけではないが、それが妙にしょぼいものになっている。

彼らの希望はただ一つなのだ。「他人」という、自分とは全く違う、よいものになりたいという。

その他人というもののすがたが、あれなのです。何もかも、人まねで作るから、ああなるのです。派手にとんがっているが、妙に画一的だ。

彼らは、個性的だということを尊重しながらも、他人と同じことをしていることに、安心を感じるらしい。みんなと同じことをしていれば、馬鹿にならないですむと、思うらしい。

だがそれも、目が覚めてみれば、むなしいことだ。

流行の美人の正体がわかれば、もうそれは美人ではない。

テレビの中の人はまだやっていますが、もうとっくに古い時代のものになっていることを認めたくなくて、無理にそれがいいのだということにしてやっている。なぜなら彼らは、ああいう方法しか知らないのです。今まであったものを研ぎ澄ませるか、馬鹿に発展させて、ヴァージョンアップさせるという方法しか知らないのです。

それではどんなにがんばっても、新しいものは創れない。

新しいものはいつも、それまでにあったものの殻をやぶって、出てくるものだ。それまでの価値観を全く覆す形で、来るものだ。

それは時に、古い時代の中では鬼子のように見える時もあるのです。自分を滅ぼしてかかる悪魔のようにさえ見える時があるのです。

なぜなら、それは全く違うものだからです。

新しい時代を産む子は、古い時代の人々に、最も憎まれるのです。絶対に、売れる芸能人のようにもてはやされることはない。






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鶴女郎

2016-12-08 04:20:49 | 







きのふ来て あやめを折りし 鶴女郎     夢詩香







*短歌が続いたので、今日は俳句です。あやめの写真がないので、色が少し似たベニバナトケイソウで代用です。許してください。

鶴女郎は、「鶴の恩返し」の説話に出てくる、鶴の変化のことです。誰もが知っている話ですね。ある男が偶然助けた鶴が美しい女性に変化して、男の妻になり、男を助けるが、男は見てはならないところを見てしまい、鶴女郎は悲しんで空に去ってしまう。

こういう「見るなの蔵」のタイプの説話は、神話にもありますね。山幸彦の妻トヨタマヒメが産気づいた時、自分が子供を産むところを見ないでくれといって産屋に入ったが、山幸彦は好奇心を抑えきれずに覗いてしまった。すると産屋の中では、八尋もある大きな鰐が、産みの苦しみにあえいでいた。トヨタマヒメは子を産んだあと、正体を見られたことを悲しんで、海に帰っていった。ちなみにこのとき生まれた子供はウガヤフキアエズと言って、神話では神武天皇のおとうさんにあたります。

要するにですね、女性が覗かれたくないところは覗いてはいけないということですよ。詳しく言わなくてもわかると思いますから、これ以上は言いませんが。しかし昔から男というものは、やってはいけないという約束を破って、大切なものを失うということばかりやってきたのです。

鶴女郎が野のあやめを折りに行ったのはなぜだったのか。それはたぶん夫のためだろう。あやめはおくゆかしい花だ。目立たない色だが楚々としてやさしい。そっとそばにいてくれている。愛している人のために、そんな花を摘んで持って帰りたい。

だが男はそんな女の心も知らず、ただ好奇心のみで痛いことをしてしまい、女の心を傷つけて、失ってしまうのだ。

「見るな」の約束は、女性の心を傷つけるようなことをしてはいけないという、昔の教えです。だがそんなやわらかなことがわかる男は、いなかったようだ。

馬鹿なことばかりをして、とうとうすべてを失ってしまった。

正体を見ようとして、あの人の家を覗いたら、とんでもないものを見てしまったからです。






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鶴を飼ふ

2016-12-01 04:20:13 | 







夢を見る をみなは胸に 鶴を飼ふ     夢詩香







*先のアメリカ大統領選挙では、アメリカ国民はトランプを選びました。ほとんど、彼が男だという理由だけで。たぶん、それだけで。

愚かというほかはありません。なぜ人間は、ヒラリーの心を見抜けないのか。自分の力を国のために使いたいという真心が、彼女の中にあるのを見抜けないのか。

それはやはり、男性も女性も、見栄えのみで女性を見ているからです。

美しいか美しくないか。自分の好みか、好みでないか。

馬鹿な男は、女性を見るだけで、みだらな想像もする。そういう嫌なことを胸に抱えている人間は、どうしても女性を、歪んだ目で見てしまう。

所詮はセックスの相手に過ぎないのだと。

そういうバカげた低級なものの見方が、国を誤らせたのです。人間は、男も女も、女性に立派な美しい心があるのだと、信じたがらない。なぜならそれだと、困ることがたくさんあるからです。

女性の心には鶴のように美しくみずみずしい力がある。愛ですべてに尽くしたいと思っている。それは誰にも捕まえられない心です。神でさえ、触れたいと思う心を我慢して、見つめている。そんな美しくもかわいらしい心の真価を、なぜ認められないのか。

美しいものを支配したいと思う心は、弱さから発しています。卑怯な手でも使って自分の方が偉いことにし、支配下に置かないと、相手にしてもらえないという心があるのです。愚かなことだ。

自分も美しいことをして、美しくなればいいものを。美に支配されるのが怖くて、美を支配しようとする。だが、女性の心に住む鶴をつかまえることは、大勢でマンモスを倒すことよりもずっと難しい。

あれは何なのだと、見とれている間に、飛んで行ってしまう。もうどこにもいない。

一度逃した鶴は、二度と帰っては来ない。







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さろてくれぬか

2016-11-12 04:28:30 | 







燕飛ぶ さろてくれぬか 我が心     夢詩香







*哀調ですね。言葉を崩していうと、心がはみ出てくる感じです。

まあ、長いこと生きてると、つらいことというのは、何度か来るもので。

不思議にそういうときって、心が妙に平静だったりするんです。

激しく悲しいはずなのに、なんかてきぱきと事務を処理できていたりする。

心のこもらない言葉が、するすると口から出てきて、物事をなんとなく処理できていたりする。

なんでこんなことをしてるのかって思うとき、空を見る。

心が何かに吸い込まれていくような気がする。

あの頃のことは、あまり思い出したくないけれど、あれは、冬だった。燕なんて飛んでいるはずもないのに。なんだか燕のようなものが飛んでいたような気がする。

灰色の高い空を覚えている。

あれはもしかしたら、わたしの心だったのかもしれない。







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身を歌ひ

2016-11-07 04:25:51 | 







身を歌ひ 鶴のねたみを 買ふ雀     夢詩香







*わたしは小さいころから、けっこう変わり者と言われていました。

女の子同士でつるみあうのが苦手で、ひとりで本ばかり読んでた。つきあいが悪いのがわざわいしてか、いじめみたいのに会うこともありました。

大人になっても、そんなことがあって。まだ子供が幼稚園だったころ、同じ幼稚園に通っていた子のお母さんに、少し目をつけられてしまったことがあるんです。

ちょっと意外だったのは、そのお母さんというのが、わたしから見ればとても恵まれた人だったということ。いわゆるセレブという感じで、持ってるバッグはプラダだったし、服もおしゃれで素敵。かなりの美人。なんでも、旦那さんのお父さんが、小さな会社の社長さんなんだそうで。

なんでそんな人が、きつい目でわたしを見るのかな。まあわたしは、あの人に自分から近寄って行かないし。ひとりで写真を撮ったり俳句を詠んだりするのが好きで、そんなマイペースな姿が、目障りだったのかもしれない。

ちょっと危なかったんだけど、いじめには発展しませんでした。というのも、それから間もなく、その人のお子さんが病気になってしまって、看病しなくてはならなくなったからです。

重い病気だったみたいで、一年ほど入院した後、お子さんは亡くなってしまいました。その頃のその人は、別人みたいに痩せていました。いろんなことがあったみたい。

人の幸不幸なんてわからないな。今ではあの人とは滅多に会うこともないんだけど。

テレビでもよくセレブの話題なんかが流れますけどね。あの人たちは、本当に幸せなんだろうかと思う。幸せだったら、なんでそれをわざわざ見せつける必要があるだろう。

わたしは貧乏だし、夫にも子供にも結構苦労してるけど、不幸ではないな。それなりに何とかなってるし、自分なりの俳句を詠めるのは楽しい。








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のぶだうを

2016-11-01 04:29:05 | 







のぶだうを 食ひて悔いぬる 烏かな     夢詩香






*これも言葉遊びですね。「食ふ」と「悔ゆ」が似てるから使ってみたという。

現代語では似たような言葉でも、古語にすると違う言葉ってあるのが面白くて。

たとえば現代語では同じ「たえる」でも、「堪える」は「堪ふ」だけど、「絶える」は「絶ゆ」だとか、そういうのが面白い。「映える」は「映ゆ」で、「帰る」は「かへる」。「いる」は「入る」とか「射る」で、「ゐる」は「居る」。

「香り」は「かをり」だけど、「顔」は「かほ」。「舞い」は、「まひ」で、「参る」は「まゐる」。「武道」は「ぶだう」だけど、「不動」はなぜか「ふどう」。

なんでも「あいうえお」を「はひふへほ」にすればいいんじゃない。「赤い」は「赤き」のイ音便だから、「赤ひ」じゃなくて、「赤い」。だから「小さい」は「ちひさひ」じゃなくて、「ちひさい」なんてね、こんなのが面白い。

古語辞典を繰ると面白い世界が広がります。

のぶどうはきれいな実だけど、食べることはできません。烏っていうのはずるがしこい鳥だそうだけど、それが見かけに騙されて食べてしまって、痛い思いをして後で後悔した、なんて句ができました。

自分は頭がいいって過信してると、馬鹿な失敗をするって感じに読めますね。自分のことも考えたりして。

けっこうおもしろいと、自分では思う。







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身代は

2016-10-15 04:31:00 | 






身代は ボタンインコと 月明かり     夢詩香






*学校を卒業してからしばらく、県外で働いていたことがありました。

見知らぬ土地で、一人で暮らすのが寂しくて、ペット屋さんに行って、小さなインコを買ったのです。初めてもらった給料で、一番先に買った自分のものがそれ。鳥かごと、餌といっしょに、1歳くらいのかわいいキエリクロボタンインコを買いました。

ほんとはセキセイにしようと思ってたんだけど、ペット屋さんであの小鳥を見た途端にほしくなって、予定より高くついたけど、買ってしまった。

若いころなんて、威勢がいいけど、ほんとは何も持っていない。自分の財産と言えるものなんて、ほんと、あのインコだけだった。

当時流行ってたアニメのキャラの名前をつけて、かわいがっていました。

県外で働くのは、予想以上につらくて、わたしはすぐに挫折して、故郷に帰りました。故郷に向かう新幹線に、鳥かごを持って乗った。田舎に戻って、子供のころから知ってる風景を見たとき、なんだか染みるほどうれしかったことを覚えている。

それからしばらくして、地元で働き口を見つけて、その時出会った夫と結婚して、お嫁に行くときも、インコを連れていきました。ずっといっしょだった。

でもある日、家の掃除をしようと、しばらく鳥かごを外に出して置いたら、そのすきに猫に襲われたらしくて。気づいたら、かごが下に落ちていて、もうインコはいなかった。食べられてしまったのか、それとも空に逃げてしまったのか。あれっきりわからない。

妙に突っ張ってて、友達が少なかったあの頃のわたしにとって、一番の暖かい友達だった。だから今でもはっきり覚えている。








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つかの間の

2016-10-12 04:30:05 | 






つかの間の 逢瀬をたのむ ひたきかな     夢詩香






*うちの近くには、毎冬、ジョウビタキがやってきます。センスのいい紋付を着ているきれいな小鳥。

昨日あたりから急に寒くなって来て、長そでを着ています。冬も近いから、もうすぐ今年も会えそうですね。

何年か前、しばらくとてもつらいことが続いた日々がありました。いろいろあって。あんまり言えないけど。人生、こんなことがあるんだなってことがいっぱいあった。

そんなある日、家の門柱に、一羽のオスのジョウビタキが来てくれたのです。それを見たとき、はっとするほど、うれしかった。

誰にも認めてもらえない努力を、必死に続けていた。周りの人には誰にもわかってもらえなくても、やらなくちゃならなかった。

そんな時に、印象的な小鳥がそばにきてくれると、まるで、神さまが自分をわかってくれたような気がして、ほとんど涙がこぼれそうになるほどうれしかった。

近づいて行ったら、ひたきはすぐに逃げてしまったけど。

あれが今でも忘れられない。

いいことはあれだけだったっていう、日々だったな。

写真はヤマトシジミです。この前のつつどりのときもそうだったけど、鳥の写真なんて今はまだとても撮れないので、ちょうちょの写真で代用です。

虫もだんだん少なくなってきますね。そろそろ冬着を出さないといけないな。





深まりて 空気の縮む 秋の朝     夢詩香







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