ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

かあちゃんが

2023-04-26 07:47:31 | 短歌





かあちゃんが 生んでくれたと 思ったら 悪いことなど できるはずない




*これは弟子の作です。今週はわたしは調子が悪く、歌をひとつも詠めなかったので、これを取り上げました。最初は、こう言う感じだったのですがね、

生んでくれた かあちゃんがいると 思ったら 悪いことなんて できないと思う

口から出てきた言葉をそのまま出したような感じですね。これでも悪くないのですが、歌としてきれいに整えたくて、表題のように添削してみました。

作者は、テレビで、特殊詐欺で捕まった男たちの映像を見て、こういうのを思いついたらしいです。

警察にひかれて、うなだれたように歩いていく男たちも、みんなもとは、小さな赤ん坊だったに違いない。自分を生んでくれた母ちゃんがいるにちがいない。生まれたときは、両親の喜びだったことだろう。それなのにどこをどう間違ったのか、警察に捕まるような悪いことをしてしまった。

親の悲しみはどんなものだろう、などと想像したら、自分もつらくなってきた。

苦しみぬいてこの世に生んでくれた、母ちゃんのことを思ったら、悪いことなんてできない。どんなに自分のできが悪くっても、親を苦しめることなどしたくない。

真面目に正直に生きるのが一番だ。

なかなかによろしい。つたない言い回しの中にも、親を思う子供の真心が見える。

特殊詐欺で捕まった男たちの現実に、どういうものがあったかは知りませんが、愛する人を思う真摯な心があれば、悪いことなどできるはずがないと思います。




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浴びるほど

2023-04-19 07:30:09 | 短歌





浴びるほど 酒を飲んでは 忘れたい 自分を泣いて 夢に逃げ込む




*今週はわたしもいくつか詠めましたが、あまりいいのがないので、この大火の作をとりました。なんだかきつい歌ですね。これはわたしたちの活動を邪魔している、ある男の心を詠んでみたものです。

彼は自分がしていることが馬鹿らしくて、いつも浴びるほど酒を飲んでいるらしい。相当に自分がつらくて、自分を忘れたくて、いつも逃げるように夢に落ちていくらしい。

そんなことをしても、苦しみは終わらないのですがね。彼はやめられないのです。わたしたちの活動を、何とか馬鹿なものにしなくては、自分たちのしたこと、していることが、あまりにも馬鹿なことになるからだ。

性欲と嫉妬に溺れて、人類の救済の邪魔をした馬鹿に、自分たちがなってしまう。それがつらくてつらくて、彼はどうにかしてその事実をひっくり返したくて、いまだにわたしたちに張り付いて、様々な妨害をしているのです。

だが、真実がひっくり返るわけがない。実際彼は、美人とセックスがしたいだけの理由で、陰からあらゆる卑怯な手を使い、人類を救おうとしていた美女を、地獄に突き落とそうとしたのだ。

そんな自分から逃げたくて、馬鹿者は酒に逃げる。酔って忘れたいことが重すぎて、浴びるように飲む。それでよけいに自分が情けなくなる。

そのうち体を悪くしますよ。本当にその苦しみから救われたいなら、もう一切の真実を認めて、正しくみんなに償っていくよりない。馬鹿だった自分のすべてを受け入れて、自分をやり直していくしかない。

それが一番よいことなのですがね、馬鹿というものはなかなかそっちに行かないのだ。猛然とやってきたことが、あまりにも愚かすぎて、すべてを飲み込むことが、苦しすぎるのです。それでいつまでも、馬鹿ばかりやっている。どんどん忘れたい自分が重くなる。

そろそろやめませんか。いつまでもそればかりやっていると、最も愚かな馬鹿になりますよ。





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くはしめは

2023-04-12 07:51:26 | 短歌





くはしめは みのおこなひを ととのへて ことのはきよく よきことをせよ




*スランプは改善するどころか、却って深く進んでいます。感性のアンテナをふさがれて、言葉がどうしても浮かんできません。それでも今週はかろうじて一首詠めましたが、あまりよくないのでそれをとりあげるのはやめました。

表題の作は、二年前のものです。「くはしめ」は「美し女」で、もちろん美しい女性のことですね。

美しい女性というものは、きれいな行いをして、言葉遣いも清らかにして、よいことをしなさい。まあ訳さなくてもわかるでしょうが、一応言い換えてみました。

わたしたちが、還暦の女性であるせいか、よくネットで、しわ取りクリームだとか、目のしたのしわを改善するためのシールのようなものだとかの、広告をよく見るようになりました。それを見るたびに、長い溜息が出ます。美しさというものはそういうものではないのですがね。

しわ取りクリームなどを使って、しわの少ない顔を作り、白髪染めで髪を黒くしても、顔にしみついた年月というものは消せない。女性の顔というものには、年をとってくると、今までの生き方が明らかに出てくるからです。

自分というものがわからずに、他人に嫉妬ばかりして、いやらしいことばかりしてきた人は、顔の雰囲気に汚いものが染みついている。それが、しわの少ない若やいだ顔を作ると、却って気色が悪いのです。ずるいことをして、自分をきれいにして、一体何をするつもりなのかと、いやな感じがする。

自分を若い娘のように装って、また男をだまそうとでもしているのかと、勘繰りたくなる。そんないやらしい生き方をしてきた自分が、顔に出ているからです。

本当の美人というものは、生き方が美しくなくてはいけません。若いころから勉強を怠らず、人のため、世間のためによいことをしてきた女性は、年をとってしわが出てきても、美しく見えるものなのですよ。また、年をとってくれば、年相応になってくるのがいいのです。自分はもう繁殖期を終えているのだというサインになるからです。

年をとった女性が、まだ繁殖期にある若い娘のふりをするのは、いやらしい詐欺と言っても過言ではありませんよ。気色が悪い。

年をとっても美しくいたいなら、若いころから勉強を積み、行いをきれいにして、美しく生きなさい。しわ取りクリームなんかで顔だけを若めにきれいにしても、染みついた自分の生き方は、消せません。






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ぴらかんさ

2023-04-05 08:24:40 | 





おほかたは 鳥のためかな ぴらかんさ     夢詩香





*久しぶりに俳句です。今週は歌が詠めなかったので、日ごろ温めていた一句を出しました。

うちの庭には小さなピラカンサの木が生えています。初夏のころには小さな白い花を咲かせ、秋にはたくさんの赤い実が生って、楽しませてくれる。その赤い実をついばみに、小鳥が庭を訪れてくれるのも、楽しみだ。

そんなピラカンサの木を眺めながら、表題のようなのが思い浮かびました。ピラカンサはたくさんの実をつくるけれど、それは大方鳥のためではないかと。もちろん、自分の子孫を残すという戦略もありますがね、あれは小さな鳥たちを養うためでもあるのだ。そう考えると、とてもあたたかな愛を感じる。

以前、テレビで、サンゴの産卵の風景を見たことがありますが、それは見事に美しかったですね。サンゴが、無数の薄紅の卵を海中に放出すると、それを大喜びで、小さな魚たちが食べていた。あれは愛なのだ。サンゴは、小さな魚たちに愛を送っているのだ。大切な卵を食べられるのは痛いだろう。でも、この世界を形作っている、大きな愛に資するために、サンゴは無数の卵を産むのだと考えれば、サンゴが実に美しいものに思える。

赤いピラカンサの実も、薄紅のサンゴの卵も、実に美しい。それは、自分のための戦略だけではないからだ。美しい愛のために、自分をささげているからこそ美しい。

海に生きるイワシの群れが、輝くばかりに美しいのは、それが愛のひとつの姿であるからではないか。イワシは食べられるのは痛いだろう。でもイワシを食べたら、鳥や大きな魚たちや、人間が、ひと時幸せになれる。そのために自分をささげている。それが、この世界の愛の一面ではないか。

弱肉強食などと言いますが、愛でこの世界を見れば、それは美しい真実が見えるような気がします。食べられるものは、最も尊い愛を行い、それで魂の富を積んでいるのではないかと。

この世界は、美しい愛に満ちている。




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