ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

かたつぶり

2024-04-24 03:19:31 | 短歌





かたつぶり 我よりのろき ものなくも しりぞくことは 知らずとぞいふ




*今回も、第3館から持ってきました。

これは書斎を整理していて、見つけた古いノートの中から発掘したものです。ほこりにまみれた大学ノートを開けてみると、乱雑な字で、何首かの短歌が書いてありました。

ノートの中の歌は、中の五が、「足はなく」になっていたのですが、それだと意味がすんなり通らないので、「ものなくも」に推敲しました。その方が、かのじょの言いたいことに近いと思ったのです。

どういう状況で書かれたのかはわからないが、推敲する暇もないほど焦った状況で、さらさらと書いて、そのまま忘れたのかもしれませんね。

カタツムリのように、のろい足でも、わたしは退くことはしない。
前に進み続ける。

そんなかのじょの麗しい決意が、この歌に込められているような気がします。

確かに、かのじょには、努力しても努力しても、一向に報われない時期がありました。人々に心を伝えようとして、がんばっても、誤解と無理解の風にみんな吹き飛ばされてしまい、何にも伝わらないという日々がありました。

そんな日々の中でも、努力することをかのじょはやめなかった。カタツムリのようなのろさでも、前に進み続けようと思っていた。

孤独の闇の中を、確かな自分の力を信じて、進み続けた。

カタツムリは、確かにゆっくりとしか進めないけれど、決して退くことはしないのだと。




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花の野を

2024-04-17 03:51:00 | 短歌





花の野を ゆきて君見し 夢をおひ すくひの種を この世にまかむ




*今日は第3館からもってきました。最近スピカがそこでよく詠ってくれるのでね。彼らしいかわいい歌です。

かのじょ、とわたしたちがここで呼んでいる天使の夢は、人類のすべてを救い、次の世界に導くことでした。あまりにやさしく、感性の深い人だったので、誰も切ることができなかったのです。

暴力的に冷たい、逆風の世界を、傷だらけになって生きながら、花の咲く野に魂の安らぎを見出していた。そのかのじょが見ていた夢を追いかけて、その救いの種を、この世に蒔いているいる人たちがいる。

暗い暴虐の夢に迷い、人類の滅亡の予言に絶望し、未来に希望を見出せなかった人類の心の世界に、大きな希望の灯をともした、かのじょの仕事の後を継ぎ、人類が動き始めている。

すばらしい自分自身の真実に気づいた人類が、全人類を救おうと動き始めているのです。

人類のすべてを完璧に救うことなど、できないかもしれない。だがその夢に大きく近づいていくことはできるのだ。

かのじょは途中で倒れてしまいましたが、その夢は人類の中に生きている。ただただ愛で人類のすべてを救おうとしていた、かわいい天使の夢が、人類を動かしているのです。

美しいですね。この世を変えていくのは、権力でも財力でもない。愛なのです。一粒のまことの愛が、世界を変えていく。人類の心を導いていく。

かのじょが残した救いの種は、何万倍にも増えて、この世界に広がりつつあります。






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若き日に

2024-04-10 04:09:14 | 短歌





若き日に 我慢のすべを 学ばざる 人は年経て あほうとならむ




*今週もいくつか詠めましたが、不調ですね。なかなかすっきりとした良いものが詠めません。わたしたちが絶好調だったころは、ほとんど考えなくてもすらすら面白いものが出てきたものですが。魂の感性の中枢をしばられていると、どこか言葉がぎこちない。表題の作なども、言いたいことはわかるのだが、最後の7がうまくきまっていませんね。ほかにもっとおもしろい言い方はないものと考えてみましたが、これ以外に思いつきませんでした。

若いころに我慢の仕方を覚えなかった人は、年をとってから、馬鹿な人になりますよ。

本当は、年とってもいやらしく子供じみた、自分のことばかり考えている馬鹿な人になりますよ、と、もっときつい意味をこめたかったのですがね、7文字でそこまで意味をこめることができませんでした。なかなか難しいですね。

でもまあ、これは真実です。我慢のできない人は、何をすることもできません。人間、何らかのことをなそうとすれば、忍耐力は必須のアイテムです。我慢のできない人は、壁にぶつかったら、すぐに投げて、逃げてしまう。そして人生を、何も努力せずにだらだらと過ごし、年を取ってきたら、若い者に嫉妬して馬鹿なことばかりする、嫌な人間になってしまうのです。

ですから、若い時には我慢の修業をするべきです。若さを失うことが怖くて、焦って早いうちから完成を焦ってはいけません。若いころは勉強し、自分のわがままを抑え、人に頭を下げていくことを学んでいきましょう。

10代は勉強の仕方を学び、20代は社会の勉強をし、30代は人生の勉強をする。そうすれば40代から、本式に自分の人生の目的が見つかります。何のために人生を使うのかが、わかってくる。そして50代で、すばらしい仕事ができる。

若さに奢って、勉強を怠ってきたら、50になっても子供のわがままを卒業できない、馬鹿な大人になってしまいますよ。そうはなりたくなかったら、真面目に勉強しましょう。我慢をして、人に頭を下げていき、いろんなことを教えてもらいましょう。

若いということは、すばらしいことですが、反面、まだ何も知らない、何もできない、無知と未熟さを抱えているものなのです。その無知を制覇していくために、若さという宝を、勉強に投資していきましょう。真面目にやっていけば、年をとってから、いろんなことがわかる、すばらしい賢者となることができますよ。




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みちとせの

2024-04-03 04:00:39 | 短歌





みちとせの 古き言葉を たよりつつ 無明の道を ゆきまどふ人




*今週は不調でしたね。前半は何とか詠めましたが、後半は頭痛がするほど活動を邪魔されて、歌の言葉が思い浮かびませんでした。まいりましたね。明るい兆しが見えてきたと思ったら、すぐにそれをふさがれてしまいますよ。馬鹿も相当に行き詰っていると見える。でもまあとにかく、今週も何とかやりましょう。

三千年の古い言葉をたよりながら、無明の道を迷う人がいる。

聖書やクルアーンなどの、古い書物には、ためになる言葉も書いてありますが、時に古い時代の無知や偏見にまみれた言葉や、嘘も書いてあります。それには気を付けた方がいいという歌です。

昔の人は、よく平気でうそをつきました。実際、処女懐胎などということはありませんでしたし、神が男が女より偉いと言ったことはありません。古い書物には、神話の時代を生きていた人々の、自分たちに都合のいい嘘がよく書いてあるのです。

世界の秘密について、何も知らなかった頃の人間の言葉には、当時の人間の心の闇が紛れているものなのです。ですから、古い書物に書いてある通りに生きると、今の時代ではとても困ることになることがある。

女性に対する偏見、異民族に対する偏見などが、古い書物には当然のように書いてある。それは多様性を重んじる今の時代の常識とは、相いれないものではないですか。

時代を経て、人間の心はどんどん新しい世界を知り、新しい時代の生き方を見つけてゆく。人間はいろんな経験の中で、様々な無知無明の闇を払い、人間としての真実の幸福な生き方を見つけていくのです。

狭い自分たちの社会のことしか知らなかった時代の、遠い昔の言葉には、新しい時代の人間の目を向けて、いろいろと考え直した方がいいでしょう。




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