ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

すくはれぬ

2022-10-26 12:21:17 | 短歌





すくはれぬ 阿呆の闇を なげきつつ けふも諫めを くりかへす人




*今週は一首だけ詠めました。これは大火の作ですが、なんだか少し投げやりですね。苦しさがにじみ出ている。

ツイッターの方では、毎日大火が天使のまねをする馬鹿な人たちを諫めています。それをすると人類を落ちるんだぞ、大変なことになるんだぞと、それはもう口が酸っぱいをとおりこして、辛くなって火を吹くほどに言っている。それなのに馬鹿は、天使のまねをどうしてもやめない。

天使のまねをすれば、自分がきれいになれて、何でも思い通りになるように思うからです。そういうエゴに巻き付かれた欲望は、実に手ごわい。正しいことを何千度と言い聞かせても、馬鹿の心はどうしてもエゴに傾くのです。

きれいになって、いい思いをしたい。幸せになりたい。

馬鹿は本当の幸せというものがまるでわかっていない。きれいになればなるほど、神の心を背負い、みなの幸福のために働かなくてはならない。その美しさが本当の幸福を運んでくるものなのだと、教えても教えても、心に染み込まない。

ただ、きれいになれば、男が言うことを聞いて、何でも自分のためにしてくれるんだと。豊かな暮らしができて、好きなものを買ってもらえて、自分は何もつらいことをしなくていいんだと、そんなことばかり考えている。

それが馬鹿の心の闇というものだ。

それを嘆きつつも、彼は馬鹿を諫め続ける。繰り返し繰り返し、言い聞かせる。同じことを何度も何度も、そして何年も積み重ねていく。

徒労に等しいことかもしれない。だが、かけらでも可能性があると思えば、あきらめることはできない。

教育というものは、せつない苦行だ。人の心を良い方に変えていくということは、時に絶望的なほど難しい仕事だ。

それでもやるのが、天使というものです。




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勉強が

2022-10-19 08:00:30 | 短歌





勉強が 足らぬ馬鹿ほど 楽をする ための努力に 励むものかな




*今週は一つも歌が詠めませんでした。何とか詠もうとはするのですがね、感性を封鎖されて、言葉を捕まえることがどうしてもできないのです。苦しいですね。いつまでこのスランプが続くかわからないですが、耐えるよりしかたない。

なので表題の歌は、少し前に大火が詠んでくれたものです。

解説も不要なほど明らかな一すじですね。勉強をさぼっている人ほど、勉強をさぼるためにいらぬ努力をするものだ。例えば、顔回しなど、知っていますか。以前大火が教えてくれたことがあると思いますが。

美人になりたい馬鹿より、美人の顔の方が少ないので、盗んできた美人の顔を、複数の人間で使いまわすのです。本当ですよ。馬鹿は裏で、本当にこんなことをやっているのです。

その努力ときたら涙ぐましいほどだ。ものすごいスピードで、複数の馬鹿の間を顔が行き来するのです。早くしないと元の顔が出てくるものですから、何分かごとに顔をつけ外しせねばならない。馬鹿を美人にするために、裏で馬鹿は美人の顔を高速回転させている。

美人になるためには、本当はまじめな人間修業をせねばならないのですがね、馬鹿はそんなことを嫌がって、盗みだけで簡単に美人になりたがる。そして嘘で美人を作るために、馬鹿は裏で馬鹿な努力に励んでいるのです。

そのエネルギーを、もっと他に使えばいいものを。

ほかにもいろいろやってますよ。馬鹿は勉強から逃げるために、いろいろな霊的技術を発達させてます。理屈をこねくり回して、おもしろいほどゆがんだ努力を積み重ねています。

そしていらぬ苦労ばかりしているのです。




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われのみが

2022-10-12 07:55:21 | 短歌





われのみが ひとりえらきと いふものは 何なすことも できぬものかな




*これは大火が昨日詠んでくれたものです。今週わたしは不調で詠めませんでしたが、大火は何首か詠んでくれました。痛いスランプの時期でも、大火の詠み方では何とかなるようだ。細かい文法など吹き飛ばして、好きなように詠む勢いが、スランプを吹き飛ばしてくれるのかもしれません。

自分だけがひとり偉いというものは、何をなすこともできないものだなあ。と、これは真実ですね。なぜなら大きなことをなすには、人の協力が不可欠だからです。何をなすにも、自分の力だけではほとんど何もできない。多くの人の愛と協力があってこそ、大きなことはできる。

だから大きなことをなす人は、人に頭を下げることができねばなりません。人の力を尊び、敬うことができねばなりません。みんなが一つの愛の元協力し合うということの美しさと厳しさが、わかっていなければなりません。

自分だけが偉い、他は自分に従って当然だと思っている人は、常に人を馬鹿にしていますから、人が嫌って寄ってこない。だから何かをしようと思っても、誰も協力してくれない。だから何もできない。

自分には何もできないと思い込んでいる人は、ただ人に頭を下げることができないというだけのことが多いのです。幼児的プライドを抱え込んで、社会に心を閉じて、うじうじと自分の不遇と人の無理解をなじっていることが多い。それでは何もできません。

何かをなしたいと思うのなら、愚かなプライドは捨て、自分を下げて人に頭を下げることができねばならないのです。自分を滅するとは、要するに自分だけを偉いと思うエゴを滅するということです。そういう心の訓練ができている人でない限り、大きなことはなせない。

愛のためなら、犬にも頭を下げる。それくらいのことができないと、本当に良いことはできませんよ。




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馬鹿者の道

2022-10-05 07:53:22 | 短歌





ふたたびと せぬとちかひし あやまちを またくりかへす 馬鹿者の道





*今週も三つほど詠めました。なかなか感性の扉が開かず、なんだかぎくしゃくした歌ですが、それでもまるで詠めなかった頃よりはましでしょうか。

考えなくてもあふれるほど歌が詠めていたころが夢のようだ。あの頃は神の鉱脈をあてたかのように、次々と言葉が浮かんできたものでした。今はそのころの財産を大事にしつつ、かたく縮こまった感性を揉みこんで、わずかな乳をしぼりとるように、詠んでいます。

さて表題の歌ですが、最後の七がなんだか無理やりくっつけたようですが、これ以外の言葉を思いつかず、こうしめました。

よくいますね。口ではもうしないというが、同じ過ちを繰り返す人。他人の顔をかぶって、嘘の人生を生きている人など、よく、もうこんなことは二度としないと言います。自分のやっていることが、あまりにも馬鹿だからです。しかしかといってすぐに嘘の人生を捨てて、本当の自分に戻るかといえば、そうはしない。いつまでも嘘に安住して、同じことを繰り返す。

彼らは嘘の人生が惜しいのです。人から盗んだもので作った自分や、人生が、まことに良いものに見えるからです。でもそれは自分のものではない。嫌なことやずるいことをして作った、偽物の人生なのです。そんなものをいつまでも惜しんでいると、いつかとんでもない不幸が落ちてくるのだが。

馬鹿者はやめられない。やめればすべてを失うと思っている。そんなものは失ったほうがいいのだが、なかなか思い切ることができない。

そのままいけば、馬鹿者の道は、あきれるほどつらい地獄に通じてしまうのだが。それは、愛を馬鹿にしたものが行く、寒い虚無の地平なのだが。

馬鹿者は今の安楽を惜しんで、どうしてもその道に吸い込まれてゆくのです。








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