あやかしの けものおらびて しらたまの 月くづほれて 闇あらはれぬ
*これは試練の天使の作ですが、かのじょの影響が強く表れています。こういう文学的に整った感じというのは、かのじょの作品に多い。彼が詠めば、スタイルなどあまり気にせず、政治家的に即物的で直截に詠みますね。
「くづほる(頽る)」とか「あらはる(現る)」とか、文字数の多い難易度の高い言葉を多用している。こなれた人でないと詠めません。「おらぶ」も簡単に使える言葉ではありません。
あやかしの獣が大声で叫んで、白珠のような月が衰え、この世界に闇が現れた。純真なかのじょが詠みそうな作品だ。痛いことは言えない人は、このようにうまい感じで、真実を微妙に隠そうとする。ですが彼は、もっと痛い真実を知っている。それを絶妙に苦しい感じで詠い、読むものに真実をつきつけるでしょう。
わたしたちはこの媒体を通して、互いに響きあっていますから、どうしても強く互いの影響を受けます。彼はこの歌を詠っている時、たぶんかのじょの感情と強く響きあっていたのでしょう。だからかのじょの表現力が流れてきたのです。こういう作品は、本館の歌集アンタレスの中に、散見します。
しかし、こういうのを彼の作品の中に入れておくには、少し苦しい感じもしまず。試練の天使の作品にしては、あまりに品が良すぎる。これと似たようなことを詠った歌で、彼らしい作品はないかと探してみました。
なよたけの 影にすがりて さまよへる ひとよおのれの 黒き影掘れ
ああ、こういう感じです。文学的にはかのじょの方が格調高いが、こういう荒々しくてわかりやすい感じが彼らしくていい。実に快い。
なよたけのかぐや姫と言われる美しい人の、影にすがりついていつまでもさまよっている愚か者よ。自分の黒い影を掘り、己のやったことを思い知れ。
何でもそうですが、歌というものも、詠むものがすぐれて高い自分であり、それを誇らかに愛していることが肝要だ。自分を愛している人の歌は、荒くても心地よい。
人の数ほど、歌の形はある。技術を進歩させることは大事だが、最も大事なのは、歌いたい自分の心を、自分が確かにつかんでいるということだ。
試練の天使は、こういう激しく歌いたい自分を愛している。こんな自分はものすごくかっこいい。たまらなくいい。
ほれぼれとしますね。