ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

2017-04-29 04:25:35 | 短歌






いたづらに 鶴をそしりて 恥づかしき 嫉みの出づる 鵜こそ痛けれ







*係り結びの作例です。係助詞「こそ」~已然形で結ぶ形です。
「嫉み」は「そねみ」と読みましょう。そのほうが「そしり」と音が重なっていてよい。こういうことはいちいち細かく言うのがわたしです。

「こそ」は文中にある場合、上につく語を強調します。係り結びを使用しない場合、最後の七は「鵜は痛きかな」とかなんとかにできますが、それだとすんなり通り過ぎていく感じですね。「こそ」で「鵜」を強調すると、より、鶴を妬む鵜の愚かさが強調されます。

いたずらに鶴の悪口を言って、恥ずかしい嫉みの心が外に出てしまった鵜というものほど、痛いものはないなあ。

こういう人間模様はよくありますね。それを動物や鳥にたとえて歌うのも、一つの技術です。鶴は美しいが、鵜だとてそれに劣るほど馬鹿なものではない。地味な羽色をして、働き者そのものと言った機能的な姿もまた美しいのだが、そんな自分の姿をいいものと思わず、ことさらに鶴の美しさを妬んでしまい、鶴の悪口を言う。悪口を言うときはたいてい、大層上手に言って、自分の心の中に暗闇は外に出さないようにしようとするものなのだが、馬鹿というのはいつも、ちょっとしたことからするりと自分の気持ちが出てしまう。それで他人に、妬んでいる心を見抜かれてしまい、気まずくなって恥ずかしくなってしまう。

そういうことばかりしている馬鹿者ほど、痛いものはないなあ。もういい加減に他人ばかり見ているのはやめて、自分らしいことをしていけばいいのに。そうすれば、人をうらやむ必要もないほど、自分がいいものになっていくのに。

まあこういうところでしょうか。

「痛し」という言葉は、よくわたしたちも多用しますが、いろいろな意味を含んでいます。古語辞典で調べると、痛みを感じるさまのほかに、苦しい、つらいとか、かわいそうだとか、すばらしいだとか、はなはだしいとかいう意味がある。要するに、感じる人が心や体にある種の強い衝撃を受けることを言うらしい。

この歌の場合の「痛し」は、「苦しい」という意味です。「かわいそう」でもいいですかね。自分のよさもわかることができず、他人を妬んでばかりいる人ほど、苦しいものはない。かわいそうなものはない。自分らしいよいことなど何もせずに、人を馬鹿にするようなことばかりするから。

人を妬む愚かさに気付いて、自分らしい自分をやっていくことに専念していけば、人よりもすばらしいものになれるかもしれないのに。そんなことすら、わからないのだ。

歌というのは、こういう心を言うと、実にいいことができますね。短いひとくさりの言葉の中に、深い意味をこめることができる。小さい詩句を覚えるだけで、難しい教えを心に取り入れることができます。







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