つはものは 草の露とも いはれつつ 夢におのれを かけて死ぬべき
*これは、裏庭の投稿ポストで、いるかさんの四首に返歌した中の一首です。
いるかさんが誰かはわかっていますね。添島揺之という名で別ブログをやっています。一応この存在の別人格ということになりますが、やっていることも目的も、わたしたちとは違います。
彼はとにかく、短歌の世界に重い一石を投げたいらしい。今のあの世界が、たまらなくひどいことになっているからだそうです。
下手にもなれない馬鹿な歌を詠んでいる歌人が、大きな顔をして威張っている。歌屑というより、間違ったことを平気で歌っている嫌な作品が、踊りまくっている。そういう歌の世界を、どうにかして、古今集の昔のような、いい形に戻したいらしい。
今のこの世界には、彼のような優れた才能が活躍できることが全く不可能ですから、わたしたちもこういう形で、彼にチャンスを与えたのです。
ただしこういうことは、本当はやってはいけないことですから、これっきりにしたいですね。
つわものは、草の露のようにはかなく馬鹿なものだと言われても、夢におのれをかけて死ぬべきだ。それがつわものというものだ。
つわものどもが夢のあと、なんて句がありますがね、そういうのは戦ったことがほとんどない人だから言えることなのです。高いもののために戦い、露のように死んでいった人間たちが何を学び、何になっていったかなどということは、何も知らないのだ。
愛のために命を投げて犬死したものは、誰にも知ることができないひとつの真実を知ることができる。それをつかんだものでなければなれないものになることができる。
馬鹿はそんなこともしらないで、だから痛い感じで命をかけて戦うなんて、馬鹿なんだよということにしたいのです。自分は怖いからだ。戦うのが。
「べき」は推量の助動詞「べし」の連体形ですね。「~にちがいない」とか「~べきだ」とか強い感じの推量になります。連体形になっているのは係り結びの省略形ということだ。
こういうことも、数詠んでいけば自然にできるようになる。どう考えてもこれは、「べし」より「べき」がいい。
そのほうが、つわもののきつい感じが出る。あれほど情熱をかけて走りぬいた人生のすべてをなげても、甲斐がある何かがある。
それを信じて行く人間の、気概が強く出ます。