ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

青駒の角

2017-05-25 04:20:54 | 短歌






青駒の 角をな矯めそ ありもせぬ 神のすくひは たよるとも来ず






*「青駒」とか「青馬」というのは、青毛の馬のことです。青毛というのは、青みを帯びた黒い馬の毛色のことですが、日本語では、色の使い方にも微妙なものがありますね。「青駒」に対し「赤駒(あかごま)」という言葉もあるが、それは赤みがかった茶色の毛色のことだ。緑の野菜のことを「青物」などというときもあります。赤ん坊のことを「みどりご(嬰児)」ということがあるが、それは「緑」が草木の新芽を意味することと関係あるらしい。赤系統の色にも「紅(べに、くれない)」「茜(あかね)」「朱(しゅ)」「緋(ひ)」といろいろと言葉があり、それぞれに微妙に違いますが、いろいろ知っておくと、文字数に応じて使い分けることができます。

色の名前もたくさん集めておくとよろしい。鴇色、苺色、縹色、伽羅色に千草色、どんな色かと想像するだけでも楽しいでしょう。空の青を表すときも、青磁色とか、浅葱色とか、言葉によってイメージが変わって来る。

「な~そ」というのは、上代語で副詞「な」に終助詞「そ」を添えて、「~するな、してくれるな」という意味の言葉になります。「~」の部分に入るのは動詞の連用形です。禁止の終助詞「な」を使って「矯むるな」と詠むこともできますが、「な矯めそ」というほうがなんとなく柔らかいですね。覚えておけばおもしろい歌が詠めます。歌の気持ちによって、変えてみるとよろしい。

青毛の馬は黒くとも角はない。そんな角を矯めるようなことをしてくれるな。ありもしない神の救いを頼っても何も来はしない。

神の救いというものは、ありますが、ない神に救いを頼ってもしかたがないということです。人間は時に、おもしろいものを神と勘違いしてそれに頼ることがある。阿呆のような世間の常識を神と考えていることもあるし、恐ろしく物がわかっていない科学者の妄言を神と信じていることもある。馬鹿な人間が自分のエゴを実行するために、都合よく仮定した神を信じていることもあります。

本当の救いというものは、神の真実の子である自分の、本当の自分というものを忘れていては、来ることはありません。

自分を忘れて阿呆になっていては、どんな神に頼っても何の救いもありはしないのです。

馬に角などありません。だから角をことさらに矯めることなどできない。ここまでいうと、「青駒の角をな矯めそ」が、「ありもせぬ」を導く序詞であることがわかります。言いたいのは、ありもしない神を頼むなということだ。それをおもしろくいうために、青駒の角を矯めるな、などという言葉を作ったのです。馬にもいろいろあるが青毛の馬にしたのは、黒っぽい馬というのはいかにも悪いところがありそうですから、その欠点を探そうと角を探す人がいるなんてことをにおわせたのです。

こういう譬えで言いたい言葉を導いてくるのが、序詞という技術です。応用すれば、簡単にできますよ。おもしろい歌が詠める。意味も深まる。

いろいろと活用して、歌を詠んでみてください。






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