イコンのもとに


在宅介護16年が終了後、やっと自分のために生きられる。イコンも描いてます。ブログは書いたり書かなかったり、気分で。

2024/03/11

2024年03月11日 | その他
光る君へ、でも、
ヒロインまひろのお父さんが、
身寄りのない女性を最後までみてやろうと介護されていましたね。
まひろは父に、
介護のことを知っていたなら、
お父さんが仕事に行っている間は私が介護したのに、と言います。

脚本家の大石静さんも、ご主人を自宅で介護して
介護の大変さをわかっているので、このシーンを書いたのだと思います。

私も両親の同時介護から始まり、2015年に父を家で看取り、母を昨年に見送りました。
16年間の、ほとんど私ひとり、ワンオペ介護でしたが、
私ができることは全てやりきり、
両親の死に全くの後悔はありません。
なぜなら、私が両親の死ぬところを私の目で見たからです。
介護の16年間は、この日のためにあったと思いました。

正教会では永遠の記憶と言われるんですが、
永遠の記憶の意味は、いろんな意味があるとは思うのですが、
ハリストスのなされた事や殉教された方々や
自分の家族のことを記憶に心に留めようと思う気持ちを
永遠の記憶と言うんだと私は理解したんですが、
詳しくは神父様に聞いてみてください。

永遠の記憶を持つ、持てた人はまだ幸せだと私は思っていて、
東日本大震災で2500人もの行方不明者がおられるそうで、
ご家族はいまだ探されていると思います。
亡くなったことはわかっているけど、見ていないんですから。
納得できるものではないと思います。

光る君への、まひろのお父さんは
介護している愛人でもある女性の最期を見てやりたいと言います。
愛する人が亡くなるのはつらいけど、最期を見られるなんて
幸せなんだと私は思っています。

東日本大震災から13年、
当時、デイケアから帰宅した父とお茶をしながら、
川を水が駆け上がるのを見て、大変なことになったと思いました。
我が家まわりの鳥の声が全くしなくなり、
車が通らなければ全くの無音となったので、
地震の規模大きさがわかりました。

今でも、地震のこと、災害のこと、
能登の地震も西日本豪雨も
考えるだけで胸が苦しくなります。
それでも、前進しないと、
生きていかなきゃならないつらさも感じます。

たくさんの方々のご冥福をお祈りします。


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