飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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万葉アルバム(関西):和歌山、得生寺

2009年05月19日 | 万葉アルバム(関西)

足代(あて)過ぎて糸鹿(いとか)の山の桜花
散らずあらなむ還(かへ)り来るまで
   =巻7-1212 作者未詳=


足代を過ぎてやって来たこの糸我(いとが)山の桜の花よ、私が帰ってくるまで散らないでいてくれ。という意味。

 「足代」は、和歌山県有田市を流れる有田川河畔。
糸鹿の山は、有田市糸我町の糸我山。JRきのくに線「紀伊宮原(きいみやはら)駅」で下車して、有田川に架かる宮原橋を渡って東南方向へ少し行くと得生寺(とくしょうじ)がある。この得生寺から南東に見えるのが雲雀山(ひばりやま)、真正面奧に嶺を東西に連ねるのが糸我山。この糸我峠を越えて、湯浅へと向かう道が熊野古道になっている。

この歌は糸我山を越えて湯浅あるいは栖原(すはら)に向かう旅人が、峠道にあでやかに咲く桜の花(万葉の桜はヤマザクラ)に心をなごませ、帰途ももう一度見たいと歌っている。また「帰り来るまで」という言葉には、旅の無事を祈る気持ちも託されている。

得生寺は、中将姫伝説ゆかりのお寺で、聖武天皇の御世、右大臣藤原豊成の娘中将姫が、継母に疎んぜられて紀伊国に追われて、かろうじて生き延びたのがこの雲雀山であった。

散りゆく山桜と中将姫伝説が交錯し合って、この万葉歌に一段と彩り濃いものとしているように感じる。
(リンク)中将姫伝説 得生寺