テニスとランとデジカメと

私の趣味3点+その他の紹介です。
(縮小画像はクリックで拡大表示)
「リンクメニュー」(分類別目次)機能付。

江戸東京たてもの園(小金井公園)

2009年09月26日 | 散歩
 今日は両国の「江戸東京博物館」の分館である「江戸東京たてもの園」の見学である。
松戸9時30分集合。JR武蔵小金井駅からバスで小金井公園西口に着く10時40分。桜の花見で名高いこの小金井公園内の一角に「江戸東京たてもの園」がある。


公園入口から桜の古木が続く。                  「江戸東京たてもの園」入口
まず「西ゾーン」から


田園調布の家(大川邸)。大正14年。       


綱島家(農家)。多摩川を望む台地にあった家。江戸時代中期。茅葺きが美しい。


吉野家(農家)。三鷹市の名主であった家。江戸時代後期。式台付きの玄関は格式がある。

次は「センターゾーン」に行く。


旧自証院霊屋(おたまや)。新宿区にあった、1652年(慶安5)。
尾張藩主徳川光友の正室千代姫が、その母お振の方を供養するために建立した霊屋。細かい彫刻が日光東照宮をイメージさせる。


高橋是清邸。港区赤坂にあった。明治35年。
2階は是清の書斎や寝室として使われていた。高橋是清は1936年(昭和11)の2.26事件で決起した陸軍の青年将校らにより、寝室で銃弾を撃ち込まれ、83歳の波乱の一生を終えた。

ここからは「東ゾーン」になる。


「東ゾーン」の全景。


武居三省堂(文具店)(左)、花市生花店(右側)            丸ニ商店(荒物屋)
それぞれ昭和初期に建てられた看板建築。


村上清華堂(小間物屋=化粧品屋)、昭和初期。
イオニア式の柱をもち、当時としてはとてもモダンな造りであった。


川野商店(手前)(和傘問屋)、小寺醤油店(奥)             醤油店の内部



子宝湯。もと足立区千住元町にあったもの。1929年(昭和4)。
東京の銭湯を代表する建物。神社仏閣を思わせる大型の唐破風や、玄関上の七福神の彫刻、脱衣所の格(ごう)天井など贅をつくした造りになっている。
浴場内の富士山の絵がなかなか素晴らしい。


鍵屋(居酒屋)。台東区下谷にあったもの。1856年(安政3)。
震災・戦災をまぬがれて、今ここに残っている。


都電7500形。                            都営のボンネットバス。

たてもの園の見学を終え、既に12時半近く、教えてもらったそばやまで行くことにする。
公園を出て五日市街道をしばし歩く。街道沿いに多摩川上水が流れているようだ。


ようやく見つかった、おそばやさん「田吾作」。なかなか大きな店で客も多く賑わっていた。
生ビールで乾杯。散策後の一杯は実に旨い。
鴨南せいろ大(1100円)。フランス鴨とかで味も良し、量も申し分なかった。

武蔵小金井に戻り、帰路松戸へ。
まだ16時前、いつもの庄屋に入り、2次会。
来月は10月31日(土)目黒自然教育園から恵比寿ガーデンプレイスへ、に決まった。

秋晴れの森と広場

2009年09月25日 | 散歩
 しばらく涼しい秋が続いていたと思っていたら、
今日は真夏日を思わせるような暑い日指しが照りつけた。
残暑というより好天の秋晴れ、日陰に入ると一息つける感じなのである。
秋の草花、中でも彼岸花とコスモスが見事に咲いていた。

ススキ


コスモス


花壇


「水とこかげの広場」も黄ばんだ色が目立ち始めてきた。

ここからは、「野草園」を一巡り。


ツリフネソウ(細い花の柄の先に釣り下がって咲く花の姿を釣り舟にたとえた)


ツユクサ(道端にもはえる小さい花だが、良く見るとなかなか綺麗だ、帽子花ともいう)


ミゾソバ(タデ科・・葉の形がソバに似ているから。群生して咲いていると見ごたえもある)


彼岸花の群落、私は曼珠沙華(マンジュシャゲ)という呼び方のほうが好きだ




綺麗な蝶を発見! 調べたら、ツマグロヒョウモンという名前のようだ。


赤トンボの赤い色が目立つ、アキアカネだろう。

古き佳き青春の歌謡曲20:倖せさがして

2009年09月18日 | 歌謡曲
 五木ひろしは、1964年第15回コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、作曲家の上原げんとにスカウトされ、翌年“松山まさる”の芸名でデビューしたが、ヒット曲にめぐまれなかったが、1971年五木ひろしに改名し「よこはま・たそがれ」が大ヒットしやっと認められたのである。
 1979年の「おまえとふたり」に続いて1980年に「倖せさがして」がヒットし、TBSのザ・ベストテンで年間第1位を獲得している。



 私はこの歌を結婚式披露宴でたびたび歌っている。私の声に合っており、歌詞も結婚式にピッタリなのである。カラオケの場では、最後の18番として歌うことが多い。


五木ひろし シングルレコードの歌唱。
五木ひろし コンサートの歌唱映像。
カラオケバージョン




       倖せさがして

  たかたかし 作詞 木村好夫 作曲

 1 あなたのために 生まれてきたのと
   おまえははじらい 小指をからませる
   探していたんだよ 小さな倖せを
   俺のこころを ささえてくれる
   やさしいひとを 探していたんだよ

 2 からだのために わるいと叱って
   おまえはタバコを 笑ってとりあげる
   探していたんだよ 小さな倖せを
   俺に一生 ささげてくれる
   かわいいひとを 探していたんだよ

 3 きれいな花と いわれるよりも
   おまえのような 素直な花がいい
   探していたんだよ 小さな倖せを
   胸にほのぼの 灯りをともす
   おまえをひとり 探していたんだよ

玉花蘭

2009年09月16日 | ラン
玉花蘭(ギョクカラン)という華麗な名前が付いている東洋ラン。
東洋蘭の世界では中国南部や台湾産で一茎多花の仲間を「蘭(けいらん)」と呼んでおり(ただし、寒蘭、一茎九花、金稜辺などは含めない)、玉花蘭は葉姿が小さいので「細葉蘭」の一つとして扱われている。
これに対し葉姿が大きい「報歳蘭」などは「広葉蘭」に入る。

 玉花蘭の花弁は帯黄色に紅筋があり、舌は白地に紅点を置く。一茎多花性で、香りがある。葉姿はやや小さめで葉に覆輪が入るのが大きな特徴である。
大変香りが強く、非常に丈夫で育てやすい東洋蘭であるが、夏が終わるこの時期に咲くので、わりと花期は短いようだ。

古き佳き青春の歌謡曲19:舟唄

2009年09月15日 | 歌謡曲
 八代亜紀は1971年、テイチクより「愛は死んでも」でデビュー。オーディション番組YTV『全日本歌謡選手権』に出場、10週連続勝ち抜きでグランドチャンピオンに輝く。1973年の「なみだ恋」が120万枚の大ヒット。その後も「しのび恋」「愛ひとすじ」「おんなの夢」「もう一度逢いたい」「おんな港町」「愛の終着駅」など女心を歌った歌で次々とヒット曲を連発。また、1979年には新境地を開拓した初の男歌「舟唄」を発表し大ヒット、翌1980年に発表した「雨の慕情」でレコード大賞を受賞した。
 「舟唄」は、女性らしい艶っぽさと男性のような凄み、その両方を兼ね備えた彼女の歌声は男歌・女歌のどちらにも合い、男歌には色香を、女歌には強さを添えていた。
この『舟唄』は港町で暮らす男の歌で、彼女が歌うことによって男の色気でも女の色気でもない、少しの気だるさが漂う不可思議な色香に満ちた歌に仕上がっているようだ。



 私は阿久悠の詩にシビレるのだ。”肴はあぶった イカでいい ・・”なんて間近のささいな情景を経て女・灯りから想い出・涙へ移っていく。なんとも見事な日本語の詩なのだろうと思う。浜圭介の作曲も素晴らしく、私はこの「舟唄」を日本の演歌のナンバーワンだと推奨したいのである。



八代亜紀 ステージ映像。
八代亜紀 ステージ映像。
八代亜紀 歌芝居収録映像。


       舟唄

  阿久悠 作詞 浜圭介 作曲

 1 お酒はぬるめの 燗がいい
   肴はあぶった イカでいい
   女は無口な ひとがいい
   灯りはぼんやり 灯りゃいい

   しみじみ飲めば しみじみと
   想い出だけが 行き過ぎる
   涙がポロリと こぼれたら
   歌い出すのさ 舟唄を

   沖の鴎に 深酒させてヨ
   いとしあの娘とヨ
   朝寝する ダンチョネ

 2 店には飾りが ないがいい
   窓から港が 見えりゃいい
   はやりの歌など なくていい
   時々霧笛が 鳴ればいい

   ほろほろ飲めば ほろほろと
   心がすすり 泣いている
   あの頃 あの娘を 思ったら
   歌い出すのさ 舟唄を

   ぽつぽつ飲めば ぽつぽつと
   未練が胸に 舞い戻る
   夜ふけてさびしく なったなら
   歌い出すのさ 舟唄を
   ルルル・・・・・・

古き佳き青春の歌謡曲18:さらば青春

2009年09月13日 | 歌謡曲
 1973年、小椋佳:作詞/作曲「さらば青春」が発表された。当時、小椋佳はテレビ・ラジオにはまったく登場しない幻の人だった。それもそのはず、ペンネームの小椋佳のもうひとつの顔は東大法学部卒のエリート銀行員だった。
 「僕は呼びかけはしない。遠く過ぎ去るものに」と始まる歌は、どこか冷めた目で世界を見ている青年の姿が描かれている。厭世的なのか、それとも現実否定を試みて打ちひしがれた当時の若者達を象徴しているようだ。

 私は、この歌のように、青春はあっと言う間に自然と遠くへ過ぎ去って行くものであるということを、シルバー世代になった今実感している。しかし青春時代に体験したしたことは今でも鮮明に脳裏に残っているようで、その時代を追体験することでシルバー世代を乗り越えるものと確信している。



小椋佳 シングルレコードの歌唱。
小椋佳 1976年10月NHKホール・コンサート映像。
カラオケバージョン




    さらば青春

  小椋佳作詞・作曲


 1 僕は呼びかけはしない
   遠くすぎ去るものに
   僕は呼びかけはしない
   かたわらを行くものさえ
   見るがいい
   黒い水が抱き込むように 流れてく
   少女よ 泣くのはお止め
   風も木も川も土も
   みんな みんな
   たわむれの口笛を吹く

 2 僕は呼びかけはしない
   遠くすぎ去るものに
   僕は呼びかけはしない
   かたわらを行くものさえ
   見るがいい
   黒い犬がえものさがして かけて行く
   少女よ 泣くのはお止め
   空も海も月も星も
   みんな みんな
   うつろな輝きだ

シンビジューム・オリエンタル

2009年09月11日 | ラン
 品名はシンビジューム・オリエンタル(Cym.Oriental)。
洋蘭のシンビジュームと東洋蘭のキンリョウヘンをかけ合わせた品種。
花は秋、芳香漂わし開花期間長く、葉状は垂れ気味で優雅である。
耐寒性は強くキンリョウヘンと同じ程度。

 葉姿はシンビジュームに似ているが小型であり、花は一茎多花でまさに東洋ランである。花弁は黄色で、舌の黄色に紅色の舌点がアクセントになっている。

 2004年5月にインターネット通販で購入したもので、購入後5年を経て、初めて開花した。写真の花茎の他に2つ花茎が伸びつつある。
 室内に取り込んでおくと、特に朝方に漂わしい芳香がたちこめる。
やさしい花色と垂れ気味の葉姿で、リラックスした雰囲気を醸し出している。

古き佳き青春の歌謡曲17:長崎は今日も雨だった

2009年09月10日 | 歌謡曲
 内山田洋とクール・ファイブは長崎市内のグランドキャバレー『銀馬車』の専属バンドで、ラテンやジャズなど幅広いレパートリーを有していた。1968年、佐世保のナイトクラブ歌手として頭角を現わした前川清をリードボーカルに迎えた。
 翌1969年『長崎は今日も雨だった』は、内山田洋とクール・ファイブのメジャーデビュー曲にして、最大のヒット曲となった。グループ脱退後、ソロ活動中の前川清の代表曲でもある。1969年(昭和44年)2月発売。
この曲名や長崎大水害などから「長崎は雨が多い」という誤解が定着したが、ヒットした1969年前後の長崎市は慢性的な水不足だった。また水害直後の一時期、この曲の歌唱を自粛していたことがあったという。




内山田洋とクール・ファイブ シングルレコードの歌唱。
内山田洋とクール・ファイブ コンサート映像。
テレサ・テン なかなか上手い、映像つき。



   長崎は今日も雨だった

  作詩 永田貴子 作曲 彩木雅夫
 
 1 あなたひとりに かけた恋
   愛の言葉を 信じたの
   さがし さがし求めて
   ひとり ひとりさまよえば
   行けど切ない 石だたみ
   ああ長崎は 今日も雨だった


 2 夜の丸山 たずねても
   冷たい風が 身にしみる
   いとし いとしのひとは
   どこに どこにいるのか
   教えて欲しい 街の灯よ
   ああ長崎は 今日も雨だった

 3 頬にこぼれる なみだの雨に
   命も恋も 捨てたのに
   こころ こころ乱れて
   飲んで 飲んで酔いしれる
   酒に恨みは ないものを
   ああ長崎は 今日も雨だった

モーツァルトの歌劇12:まとめ(歌劇の復権)

2009年09月08日 | モーツァルト
 戦後の翌年(1946)に発表された小林秀雄の評論『モオツアルト』により、モーツァルトといえば交響曲をはじめとする器楽作品(それも短調の)を上におき、歌劇をはじめとする声楽作品をその下におく風潮が定着するようになっていた。


 近年、映画「アマデウス」でモーツァルトの子供のように泣き・笑い・苦しみながらの多彩な人間関係を取り上げていた。歌劇を書き上げて演じる場面では、人間の美しさ・汚さ・怖さ・悲しさなどを全て受け入れて、皇帝・貴族そして民衆すべて同じ土俵で演じさせている。当時まだ支配階級が定着している中での反骨の精神を貫いていたのである。まさにモーツァルトにおける歌劇の復権であった。
 ただ、直接的に主張すると歌劇自体葬られかねないので、モーツァルトはストーリーは時代背景である支配階級を踏襲しつつ、場面展開の枝葉の部分やアリアの言葉の中で、支配階級を痛烈に皮肉るメッセージをこめているのである。
 この「アマデウス」に見られるように、モーツァルトの歌劇や宗教曲・歌曲を含めた声楽曲の復権は著しく、近年再評価が進められている。戦後の小林秀雄の評論『モオツアルト』に見られる当時の評価と隔世の感がある。
 

 モーツァルトの歌劇で多く見られる特徴として、

「フィガロの結婚」伯爵が謝るシーン
1.身分上の悪あがきを多く取り入れている。
 「偽りの女庭師」の市長
 「後宮からの誘拐」の大公
 「ドン・ジョバンニ」のドン・ジョバンニ
 「フィガロの結婚」の伯爵
 「魔笛」の夜の女王
 などにみられるように、支配階級が強欲で強がっているが弱体化している。

「ドン・ジョバンニ」仮面のドンナ・アンナたち
2.目隠し(あるいは覆面)からのどんでん返しの場面が多い。
 「偽りの女庭師」の庭師サンドリーナ
 「羊飼いの王様」のタミーリ
 「コシ・ファン・トォッテ」のフェランドとグリエルモ
 「ドン・ジョバンニ」のドンナ・アンナ、ドンナ・エルヴィラ、ドン・オッターヴィオ
 「フィガロの結婚」の伯爵夫人とスザンナ
 「魔笛」のパパゲーナ
 などにみられるように、目隠しをすることで、相手の人間性を見抜くとともに、改悛させている。

「後宮からの誘拐」楽士登場
3.舞台上に楽器が登場するケースが多い。
 「後宮からの誘拐」-楽士たち
 「ドン・ジョバンニ」-ドン・ジョバンニのマンドリン
 「フィガロの結婚」-スザンナのギター
 「魔笛」-パパゲーノの手回しオルゴール
 などにみられるように、モーツァルトの歌劇は楽器が主役となる「協奏曲的歌劇」の色彩がある。通常のアリアが主役の場合でも、「協奏曲的歌劇」の色彩が強い。ワーグナーの歌劇が「楽劇」と呼ばれるように、モーツァルトの歌劇は「協奏劇」と呼んでもよいのではないかと思う。 

古き佳き青春の歌謡曲16:知りすぎたのね

2009年09月06日 | 歌謡曲
 ロス・インディオスは1962年に結成。棚橋静雄をリードボーカルに、ラテン音楽を中心に音楽活動を行う。またこれらの糧を生かし、ムード歌謡が全盛期のさなか、1968年に「コモエスタ赤坂」「知りすぎたのね」を発表。いずれもヒットソングになった。


 私はこの歌が大好きで、カラオケでも良く歌う機会が多い。歌詞はちょっとドギツイところがあるが、メロディが素晴らしいので、歌っていても気持ちが良くなる曲である。


ロス・インディオス シングルレコードの歌唱。
ロス・インディオス 演奏している映像。





      知りすぎたのね

  作詞 なかにし礼 作曲 なかにし礼


 1 知りすぎたのね あまりに私を
   知りすぎたのね 私のすべて
   恋は終わりね 秘密がないから
   話す言葉も うつろにひびく

   嫌われたくなくて 嫌われたくなくて
   みんな貴方に あげたバカな私
   捨てられたのね 私は貴方に
   いいのよ いいの 作り涙なんか。。。

 2 知りすぎたのね あまりに私を
   知りすぎたのね 私のすべて
   花から花へ 蝶々が舞うように
   ほかの誰かを 恋する貴方

   嫌われたくなくて 嫌われたくなくて
   みんな貴方に あげたバカな私
   捨てられたのね 私は貴方に
   しおれた花が 捨てられるように。。。

夏から秋へ 森と広場

2009年09月04日 | 散歩
                  千駄堀池と橋(クリックすると大きく表示します)


 二十一世紀の森と広場は夏休みが終わり、静かな佇まいを見せている。
 夏から秋へ移りゆく季節を探しながら、遠くの風景や小さな草花にデジカメを構えた。


カツラの木
木立が早くも色づき初めていた、木々の中では最も早いようだ。


カツラの木の色づいた葉をアップしてみると、木では珍しいハート型をしている。


イネ科だろうか、調べたが名前不明?
固い真っ赤な実をたくさんつけて垂れていた。


ネムノキの実の入った平たいサヤがたくさんぶら下がっている。


黄金狸豆 (こがねたぬきまめ)(マメ科)
夏から秋にかけて、黄色の花が咲き、その後おもしろい形の実がなる。


真っ白なソバの花。


桃色のミソハギと稲穂。


花壇の彩り。


ボントクタデの花
葉にからみがないので、ボントク(ぼんくら)という名がついた。


マツカサススキ
球状の花序をたくさんつけている。


ノハラアザミ
葉のふちに鋭いトゲがある。


ミズヒキ
花を上から見ると赤く、下から見ると白く見えることから、紅白の水引にたとえられた。


キツネノマゴ
花は穂状でまばらにつける。良く見るとなかなか可愛らしい。


秋の代表的な花、萩(ハギ)。花期は短いようで盛りも過ぎつつある。


ヤブツルアズキ(マメ科)
花の中央がクルリとねじれている。アズキは本種を改良したものといわれている。


アレチ ヌスビトハギ(マメ科)
ヌスビトハギより花は大きく青みをおびる。


野草園奥の木道沿いの景色。


ゲンノショウコ(フウロソウ科)
薬草として、効果がすぐ現れることから「現の証拠」と名付けられた。
ここでは白花だが他に紅花もある。


ヌルデの木
広い細かい花が無数につく。花が終わると赤い実をつける。




稲穂と奥に桃色のミソハギ


自然観察舎で、カワセミがすぐそばの枝に止まっていた。
背中のルリ色が見事なほど色鮮やかだ。

古き佳き青春の歌謡曲15:初恋によろしく

2009年09月03日 | 歌謡曲
 元祖「御三家」の一人、西郷輝彦1966年のヒット曲「初恋によろしく」。
この曲はフォーク調の爽やかなメロディーを西郷輝彦が優しく穏やかに唄いヒットした。パンジョーをバックに当時よく使われた口笛とギターでメロディーを奏でた時代を感じさせるイントロが魅力的だった。

 この「初恋によろしく」の荒削りの歌い方と素朴さがとても気に入り、よく口ずさんだものだった。
 20歳の頃よく友達と山歩きをしたものだが、その際に手製の歌集を作り印刷してみんなに配り歌ったことがある。最近になって何十年ぶりかに当時の手製の歌集を開いてみたら、この「初恋によろしく」が載っていたのである。最近ではちょっと照れくさいが、この歌をカラオケで歌ってみると当時の気分に戻るようなのだ。




西郷輝彦 シングルレコードからの歌唱。
西郷輝彦 バンジョーを片手に歌うシーン。





      初恋によろしく

  作詞:星野哲郎 作曲:米山正夫

 1 想い出しておくれ 想い出しておくれ 
   野ばらよ野ばら 棘ある野ばら
   想い出しておくれ
   君と君と君と 歩いたこの小道
   あゝそよ風も ほらささやくよ
   初恋によろしく

 2 花は咲いたけれど 花は咲いたけれど
   ちくりと痛い野ばらの棘よ
   花は咲いたけれど
   だけどだけどだけど
   君は何処にいるの
   あゝそよ風も ほらささやくよ
   初恋によろしく

 3 いつか晴れるだろう いつか晴れるだろう
   ちくりと痛い僕のこの胸
   いつか晴れるだろう
   いまもいまもいまも
   忘れぬあのひとみ
   あゝそよ風も ほらささやくよ
   初恋によろしく
   初恋によろしく
   初恋によろしく

古き佳き青春の歌謡曲14:小樽のひとよ

2009年09月01日 | 歌謡曲
 「小樽のひとよ」は、ムード歌謡を代表する鶴岡雅義と東京ロマンチカが1967年9月に発売したデビュー・シングルである。レキント・ギターの新鮮な響きもあって90万枚近いセールスを記録した。
 レキント・ギターの<レキント>は<高音>を表す言葉だが、主としてトリオ・ロス・パンチョスなどのラテンアメリカン・タンゴのグループがこれを使用したことにより日本でも広がった。歌謡曲では、鶴岡雅義作曲の「二人の世界」(歌:石原裕次郎)の伴奏として使用され、鮮烈なイメージを与えた。その翌年の1966年、鶴岡雅義は<鶴岡雅義と東京ロマンチカ>を結成し,1968年に三条正人の歌でこの「小樽のひとよ」を大ヒットさせた。このあとの「君は心の妻だから」もヒットした。



 私はカラオケになると、かならずこの歌を歌いたくなる。私のカラオケ・ベスト3のひとつに入るだろう。


鶴岡雅義と東京ロマンチカ シングルレコードの歌唱。
鶴岡雅義と東京ロマンチカ ステージの映像。



      小樽のひとよ

  作詩 池田充男 作曲 鶴岡雅義

 1 逢いたい気持ちが ままならぬ
   北国の街は つめたく遠い
   粉雪まいちる 小樽の駅に
   ああ一人残して 来たけれど
   忘れはしない 愛する人よ

 2 二人で歩いた 塩谷の浜辺
   偲べば懐かし 古代の文字よ
   悲しい別れを 二人で泣いた
   ああ白い小指の つめたさが
   この手の中に いまでも残る

 3 小樽は寒かろ 東京も
   こんなにしばれる 星空だから
   語り明かした 吹雪の夜を
   ああ思い出してる 僕だから
   かならずいくよ
   待ってておくれ 待ってておくれ

ブログセンタ