テニスとランとデジカメと

私の趣味3点+その他の紹介です。
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旅のスケッチ:ブダペスト(ハンガリー)

2008年10月19日 | 旅のスケッチ(海外編)
 ハンガリーの首都ブダペスト。
王宮の丘の漁夫の砦から眺めた旧市街。国会議事堂が見える。
手前にドナウ川がゆったりと流れている。

ブダペストは町の中央を北から南へ流れるドナウ川で、東西に二分されている。
西側は王宮のあるブダ(右岸)、東側は旧市街があるペスト(左岸)と呼ばれている。
王宮の丘には巨大なゴシック建築のマーチャーシュ教会がそびえている。

ブダペストは19世紀オーストリア=ハンガリー二重帝国として、
ウィーンと競うようにして華麗な公共建築物を建てていった。

ハンガリーの民俗音楽がどこからともなく聞こえてくる街で、
かつて作曲家リストやコダーイが活躍していた。

ブダペストの夜景は素晴らしい。
両岸の歴史的建造物やくさり橋がライトアップされた夕刻に、
ドナウ川をクルーズで回る。
明りを抑えて決して派手でないのが逆に対象物をクローズアップさせる。
言葉にもならないくらいに印象に残るひとときを味わうことができた。

旅のスケッチ:ブラチスラバ(スロバキア)

2008年10月18日 | 旅のスケッチ(海外編)
 スロバキアの首都ブラチスラバ。
丘の上のブラチスラバ城は、11世紀から建設が始まり、
火災・増改築を経て17世紀に4本の塔が建てられ現在の姿になった。
テーブルをひっくり返した形がなかなかユーニークである。
16世紀以降はハンガリー王の居城となり、
パプスブルグ帝国の領域になり、マリアテレジアもここに居住した。

1993年(平成5年)に平和裡にチェコスロバキアが連邦を解消し、
ブラチスラバがスロバキアの首都となった。
隣国オーストリアの首都ウィーンに非常に近く、50km程しか離れていない。
その影響は強く、旧市街に下りてゆくとウィーンの街角のような空間が広がる。

1月にこの街を歩いたが、近くのドナウ川からの川風がとても冷たく感じたのを憶えている。
6歳のモーツァルトが演奏旅行でここに立ち寄り演奏したり、
リストが演奏会を開いた、というプレートがあった。
ウィーンに近く小粒ながら芸術の香りのする街である。


旅のスケッチ:チェスキー・クルムロフ(チェコ)

2008年10月12日 | 旅のスケッチ(海外編)
 チェコの南端に位置するチェスキー・クルムロフ。
世界遺産の町並みのどこからでも、チェスキー・クルムロフ城の塔が見える。
この塔は13世紀前半に建てられた円筒状の建物、
質素なゴシック様式からルネッサンス様式に変わり、
16世紀には壁画装飾に覆われ、美しさを増している。

この街は中世、ルネッサンスの町並みが完璧な状態で残り、
だまし絵装飾の壁や路角の馬車除け石が見られる。
中世の時代にタイムスリップしたかのようだ。

城の上から眼下に蛇行したヴルタヴァ川とオレンジの屋根の家並みが広がり、
見事で見飽きることがない。
近年城内のバロック劇場が修復され復元された。
華麗な中世のバロック・オペラがここで上演されるのは素晴らしいことだ。

旅のスケッチ:プラハ(チェコ)

2008年10月11日 | 旅のスケッチ(海外編)
 チェコの首都プラハ。百塔の街ともいわれる。
悠々と流れるヴルタヴァ川(モルダウ川ともいう)の左岸にそびえるプラハ城。
その東門から右岸を見下ろすと旧市街が広がっているのが見える。

プラハ城にはかつてパプスブルク帝国の宮廷があり繁栄した。
プラハ城には王宮の他に巨大な聖ヴィート大聖堂がそびえる。
ヴルタヴァ川からカレル橋を渡った旧市街は中世建築群のたたずまいが美しい。

百塔の街プラハはゴシックやルネッサンス、ロココ、さらにはアールヌーヴォーと
歴史の流れを見るような建築が多く存在し、1日ではとても見ることができない。

モーツァルトはプラハを4度も訪れ、「ドン・ジョヴァンニ」を作曲しここで初演している。
交響曲第38番「プラハ」もあり、プラハとの縁の深さが感じられる。
交響詩「モルダウ」を作曲したスメタナは国民的作曲家として称えられている。

旅のスケッチ:リンツ(オーストリア)

2008年10月06日 | 旅のスケッチ(海外編)
 リンツはウィーンとザルツブルクを結ぶ国道の中間に位置する。
旧市街の中央広場に大きな三位一体記念柱がそびえる。
橋の向こうの新市街とを結ぶ市電が広場の真ん中を走ってくる。

三位一体記念柱は18世紀初頭ペストの流行が終わったのを記念して建てられたもの。
ヨーロッパを旅すると、あちこちでこの三位一体記念柱を目にする。
それだけ当時ペストの被害が甚大だったことを物語る。

リンツは作曲家ブルックナーゆかりの町である。
またモーツァルトが1783年に妻と共に立ち寄り、
わずか4日間で交響曲「リンツ」を作曲し披露した。

リンツの新旧市街の間をとうとうとドナウ川が流れている。
ウィーン以上にドナウ川を間近に目の当たりにすることができる美しい町だ。


旅のスケッチ:ザルツブルク(オーストリア)

2008年10月05日 | 旅のスケッチ(海外編)
 ザルツブルクのゲトライデガッセ。
カフェーやレストラン、ショップが並ぶ旧市街のにぎやかな通り。
細長い通りに5・6階建ての館がぎっしりと立ち並ぶ。
通りに張り出した鉄製の看板が洒落ていておもしろい。

左側の黄色の館がモーツァルトの生家である。
今は博物館となって内部が公開されている。
磨り減った階段にモーツァルトの足跡が残っているような気がした。
国の文化財を示すオーストリア国旗の長い旗が印象的だ。

ザルツブルクは南側を山に、北側を川に挟まれた小都市である。
モーツァルトは25歳で狭いザルツブルクを飛び出しウィーン定住を決める。
モーツァルトのような天才には小さい町に居ることが耐えられなかったようだ。

小高い丘に城がそびえ旧市街には大聖堂や宮殿などの壮麗なバロック建築が見事に調和している。
近年ではモーツァルトと音楽祭で名声を高め、世界遺産に登録されている。
ザルツブルクが世界一美しい町と言われるが、行って見て本当にそう思った。

旅のスケッチ:ウィーン(オーストリア)

2008年10月04日 | 旅のスケッチ(海外編)
 ウィーンのリング通り。オペラ座の前の交差点。
トラム(路面電車)の停留所。トラムの62番の市電が停まっている。

ウィーンは19世紀後半にフランツ・ヨーゼフ皇帝のもとで
近代都市に生まれ変わり、
城壁が取り除かれて幅の広い環状道路のリングが造られた。
その両側に荘厳華麗な建物が次々と建設された。
リング通りの内側が旧市街になる。

トラムの1番はリングを時計回りに一周している。
一周30分足らずである。
リング通りは広く、車道と歩道が分かれているし、
車道の真ん中に停留所もあるほどだ。
トラムと自動車が仲良く同居して走っている。

ウィーンは作曲家モーツァルトやベートーヴェン、シューベルト、ヨハン・シュトラウスらが、
画家ではクリムト、エゴン・シーレらが活躍した芸術の都でもある。
リング通りには、あちらこちらに彼らの足跡が残っている。

リング通りの一部を駆け足で回って写真を撮ったが、
今度行く時はリングを一周ゆっくりと回ってみたい、
と写真を見ては懐かしんでいる。

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