日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

憲法が保障する宗教団体

2022年07月23日 09時08分28秒 | 日々雑感
 民主主義国では、多数派の意見を尊重して多数決により決めることが原則で、個人および少数派の権利も尊重しなくてはならない。しかし、両者が合意することはまず無いが、お互いに率直に意見をぶつけ合うことが重要である。

 安倍元首相が選挙の応援演説中に銃で撃たれ死亡したが、その原因は政治的な信条ではなく宗教的な背景が強いようだ。被告は母親が旧統一教会に入信し多額の寄付をしたため、家庭が崩壊し、恨みがあった、などと供述しているという。

 宗教団体は教祖を頂点としたピラミッド型組織であり、その組織内では民主主義はあり得ない。民主主義国家内でも宗教団体が存続しうるのは、その組織に加わるか否かは個人の自由意思で決めることが出来るからだ。しかし、そこで個人の意見を通すためには脱会しかない。

 しかし、これは建前上の話で、その組織からの脱会となると極めて困難との話をよく聞く。その昔統一教会の合同結婚式で桜田淳子、飯星景子や山崎浩子の各氏が有名になった。後者の2名はその後脱会したそうだが、脱会には随分苦労があったとマスコミを賑わした。 

 仏教用語に折破摧伏を略した折伏と言う言葉がある。悪人・悪法を打ち砕き、迷いを覚まさせることで、人を議論などによって破り、己の誤りを悟らせることとあるが、これが曲者である。

 善悪は絶対的なものではなく、見方によって悪になったり善になったりする。例えば大麻は、現在の日本では法で禁止される悪であるが、世界には善として法でも許容される国もある。教祖を信ずる人間にとって教祖の言葉は絶対的な善である。

 カルト集団と言うとオウム真理教を思い出し、反社会的な集団を指すイメージがほぼ定着している。集団の理念や教義が社会一般の倫理に反していたり、指導者あるいは教祖に盲目的に従う団体は世の中にたくさんあるが、すべてが反社会的と言う訳ではない。しかし指導者を熱狂的に信奉する点では両者一致している。そこで一度入った集団から抜け出すためには、折伏を乗り越えなくてはならない。折伏する方はよかれと思ってやっており、己の信念を貫くためのも、また信者を増やすことが組織内の成績にも繋がるとあって、簡単に脱会を認めない。

 普段の生活において己の信念を押し付けることは日常的にもよくある点で、両者の間には明確な区別が付けにくく、折伏行為を一方的に犯罪とする訳にもいかない。

 オウム真理教による1995年の地下鉄サリン事件、また、1980年台の統一教会をめぐる霊感商法事件等が社会を賑わした。その後これらの事件を教訓に社会が変革したかと言うと、オウム真理教は名前を変えて生き残っているし、統一教会等による霊感商法関連の被害件数は1987~2021年約3.5万件、被害金額は計約1237億円に上るという。

 これも憲法が信教の自由を保障しているためと思うと、何ともやるせない。2022.07.23(犬賀 大好ー833)


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