どうにも、歴史小説などが好きなためか、
人の器とはなんだろうと、
よく考えることがある。
ふと、都市の中で生活し、仕事をしていると、
大きな予算をまわせることや、
世の中に対する影響力が大きいことへの
器っぽさを感じる事がある。
しかし、それはたぶんまやかしだろう。
まやかしとは言い過ぎだろうが、それらは
器の一部でしかないのだと思う。
子どもが使えるお金と、大人が使えるお金が違うように
こどもにとって1000円の借金が重たく
大人にとって1万円の借金が軽いからといって、
大人のほうが器が大きいわけではない。
たぶん、額よりも、
自らの経験を越えたところに、発生する
心の負荷を、どう乗り越えるのか
ということと、それを乗り越えて、何をなさんとしているのか
そんなことのほうが、器らしさを感じる。
そしていま、自分が惹かれる器の形には二種類あって、
ひとつは、ヤン・ウェンリーや、千利休のように、
相手がどれほど、影響力と火力の強き者であって、
明鏡止水として、波たたない心で相対できること。
それは逆に相手に力がない場合や、社会的弱者に対しても
同じ心で接せれる力であろうし、
人を一人のただの人間として、どこまで扱えるというのは
希有な器であると思う。
もう一方で、孟嘗君に出てくる白圭や、
島のあの人たちのように、
自分の大切にしたいものがそもそも大きく、
それを守ってくれる人への感謝によって
多くの人に、心の居場所を与えれるようなもの。
自らが大切で守りたいと思える範囲が、
恐ろしく広いという意味で、器をかんじさせてくれるもの。
バッシュ・ザ・スタンピードもそのモデルの一つだろう。
私は、この両方の目指したい北極星があるということ、
それだけを覚えておくために、一つの文節に心をこめて。
====================
縁さずかりし人々への感謝をもって
我が人生を彩らん。
すべてを愛するものにとって、
何かしらを大切にしてくれる人すべて、
同じ想いをわかちあう友なり。
人の器とはなんだろうと、
よく考えることがある。
ふと、都市の中で生活し、仕事をしていると、
大きな予算をまわせることや、
世の中に対する影響力が大きいことへの
器っぽさを感じる事がある。
しかし、それはたぶんまやかしだろう。
まやかしとは言い過ぎだろうが、それらは
器の一部でしかないのだと思う。
子どもが使えるお金と、大人が使えるお金が違うように
こどもにとって1000円の借金が重たく
大人にとって1万円の借金が軽いからといって、
大人のほうが器が大きいわけではない。
たぶん、額よりも、
自らの経験を越えたところに、発生する
心の負荷を、どう乗り越えるのか
ということと、それを乗り越えて、何をなさんとしているのか
そんなことのほうが、器らしさを感じる。
そしていま、自分が惹かれる器の形には二種類あって、
ひとつは、ヤン・ウェンリーや、千利休のように、
相手がどれほど、影響力と火力の強き者であって、
明鏡止水として、波たたない心で相対できること。
それは逆に相手に力がない場合や、社会的弱者に対しても
同じ心で接せれる力であろうし、
人を一人のただの人間として、どこまで扱えるというのは
希有な器であると思う。
もう一方で、孟嘗君に出てくる白圭や、
島のあの人たちのように、
自分の大切にしたいものがそもそも大きく、
それを守ってくれる人への感謝によって
多くの人に、心の居場所を与えれるようなもの。
自らが大切で守りたいと思える範囲が、
恐ろしく広いという意味で、器をかんじさせてくれるもの。
バッシュ・ザ・スタンピードもそのモデルの一つだろう。
私は、この両方の目指したい北極星があるということ、
それだけを覚えておくために、一つの文節に心をこめて。
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縁さずかりし人々への感謝をもって
我が人生を彩らん。
すべてを愛するものにとって、
何かしらを大切にしてくれる人すべて、
同じ想いをわかちあう友なり。