天然不純物の泉

自遊に生きる。
時悠に歌う。
地結に踊る。

水鏡不比人が思うこと

器のはなし

2014年11月16日 11時16分40秒 | Weblog
どうにも、歴史小説などが好きなためか、


人の器とはなんだろうと、
よく考えることがある。

ふと、都市の中で生活し、仕事をしていると、
大きな予算をまわせることや、
世の中に対する影響力が大きいことへの

器っぽさを感じる事がある。

しかし、それはたぶんまやかしだろう。

まやかしとは言い過ぎだろうが、それらは
器の一部でしかないのだと思う。

子どもが使えるお金と、大人が使えるお金が違うように
こどもにとって1000円の借金が重たく
大人にとって1万円の借金が軽いからといって、
大人のほうが器が大きいわけではない。

たぶん、額よりも、
自らの経験を越えたところに、発生する
心の負荷を、どう乗り越えるのか

ということと、それを乗り越えて、何をなさんとしているのか

そんなことのほうが、器らしさを感じる。


そしていま、自分が惹かれる器の形には二種類あって、

ひとつは、ヤン・ウェンリーや、千利休のように、
相手がどれほど、影響力と火力の強き者であって、
明鏡止水として、波たたない心で相対できること。
それは逆に相手に力がない場合や、社会的弱者に対しても
同じ心で接せれる力であろうし、

人を一人のただの人間として、どこまで扱えるというのは
希有な器であると思う。

もう一方で、孟嘗君に出てくる白圭や、
島のあの人たちのように、

自分の大切にしたいものがそもそも大きく、
それを守ってくれる人への感謝によって
多くの人に、心の居場所を与えれるようなもの。

自らが大切で守りたいと思える範囲が、
恐ろしく広いという意味で、器をかんじさせてくれるもの。

バッシュ・ザ・スタンピードもそのモデルの一つだろう。

私は、この両方の目指したい北極星があるということ、
それだけを覚えておくために、一つの文節に心をこめて。


====================

縁さずかりし人々への感謝をもって

我が人生を彩らん。

すべてを愛するものにとって、

何かしらを大切にしてくれる人すべて、

同じ想いをわかちあう友なり。






最悪と最良の比較

2014年11月14日 22時05分08秒 | Weblog
「私は、最悪の民主主義でも、
  最良の専制政治にまさると思っている」
 
 by ヤン・ウェンリー

====================

最近、自分の中でゆらいでいたものを

教わった気がする。

そうだ、僕のみてみたいものは、

誰かに保障された上での幸福ではないのだ。

もしそれによって、幸福をなし得ている場合、

幸福を失うに際し、誰かを非難する力が内在するのだから。


自らの心によって得た結論で、

自らが不幸になろうとも、

自らの人生を生きることのほうがよほど貴重だと思う。


それは逆説的には、

感謝を一人の専制君主にするのではなく、

感謝を関係するすべてに行うということだろう。


しかし、それでもなお、僕の心の中で

アウグストゥスの魅力は陰らないのか。
すごいな。


実際には、ブッタとアウグストゥスと
どちらのほうが、

現実の人を、
「個の裁量的人生」へと導いたのだろう。