天然不純物の泉

自遊に生きる。
時悠に歌う。
地結に踊る。

水鏡不比人が思うこと

さよならの余白

2007年03月31日 01時00分43秒 | 短言集 うた
なぜ、大切だった人の
「こんな風に生きていきたい」が

僕と正反対で成立してるのか、
そんなことが不思議だった。



大切だから近づいた。


近づいたから違いが見えた。


違いが見えても大切だという思いは
消えなかったからこそ、

理解を、  
声 が届くことを、
「僕」の言葉が吐き出せる鍵を
望みやめれなかった。


見つめ合いたかったのは
今のお互いの違いではなくて、
未来の方向だったのに。


本当は、きっと、

僕の君にしたかった訳でも、
君の僕になりたかった訳でもなく

時間の所有なんかよりもずっと、
想いの共有でありたかったんだ。


時々ね

2007年03月24日 19時34分39秒 | お気に入り
時々ね、

本当に時々だけど、
感じてしまうことがある。

だいぶ、頻度は減ったよ。
激しさも、穏やかになった。

普段はちっとももう現れない。
顔を出されても別に笑顔で接せれる。


でもね、感情が昂ぶったときは、
そう、
例えばね、

満員電車の真ん中で
喧嘩の合図を聞いたときや

大都会に整列させられて立っている枯れ木に
一人うずくまって求愛している鳥を見たときや

どこまでも続く真っ直ぐな線路の横を
お日様に見守られながら歩いているときや

未来を、遠い地球の未来を想像して
どうしようもなく、人間という者について考える時や

漫画を読んで、その世界に
完全に侵食されてしまった瞬間や

そして、誰かと笑っているときにでも・・


感じるんだ。


時々ね、そう時々だけね。

頑張り方と声援と

2007年03月17日 23時26分23秒 | 問いかけ
昨日、ずっと友人と話していた。
その人は44歳なのだけど、
とても気持ちのいい方で

東京マラソンに出たらしく
その時の話をしてくれた。

マラソンはいいねって。

何がいいかって、
ただ自分のためだけに走ってるのに
声援をくれる人がいて

そんでもってその声援が
やたらと胸に染み込んでくるのが
たまらなかった   と。

本当にそうだと思った。
僕も前に24時間マラソンというのに出て、
すごくそれが理解できた。

そのとき、もうひとつの事を思った。

普段の頑張れについて。

仕事をしていてさ、
時々か、もしくは毎日のように
「頑張れ」と言われる気がする。

でもその頑張れって、
なかなか素直に胸に入ってこない。

頑張ってるよとか思ったり、
言うのなら手伝ってよと思ったり。。

ずっと長い時間、仕事の方が頑張ってる。
言ってくれる人もきっと、
思いを込めて言ってくれてる。


それでも何で、
こんなにも、
頑張れが入ってきにくい僕なのだろう。

きっと、違いは、相手ではなく、
僕なのだ。

ただ、何が違うのか、それはちょっと
言葉に落とし込めない。


何が違うのだろう・・・。
それがわかれば、
どう頑張ることが幸せな過程なのかが
分かる気がする。

どうかな?