天然不純物の泉

自遊に生きる。
時悠に歌う。
地結に踊る。

水鏡不比人が思うこと

はすの花のように

2010年11月23日 00時38分41秒 | Weblog
僕らは、

知らなければならない。

世界は血みどろなんだって。

僕らは、綺麗な花畑の世界で、

豊富な養分と、水と光をもらって

自分の花を咲かせればいいのではない。


泥の中から、濁った光を浴びて、
それでも、

蓮の花を咲かせなければならない。



闇を見て。

不完全は、悲しいことではないから。


闇から無関心になって、
目を背けることになれてしまうことこそが、

絶望の扉をあけるのだから。


そして、

ちゃんと目を見開いた人の、

闇の中で放つ光の美しさは、

きっと芸術的だと思うから。


虚栄心という現代病?

2010年11月22日 20時55分27秒 | Weblog
虚栄心というものは、
とても大きな現代病ではないのだろうか。

もっとも大きな弊害は、
「自分が自分を偽っていることを、認識出来ない」
という弊害である。

そのために引き起こるのは、
マイナスの影響を自分自身に与える肉体的な病いではなく、
他者への責任転嫁である。

そして怖いことに集団感染する。

これは家族、組織、地域、国

さまざまな単位で集団感染する。

ナチスがその大きな例であるが、

もっとも問題なのは、
数値化による診断ではなく、

道徳による診断以外、判断のすべがなく、

そして道徳が、大衆や、文化によって
構築される以上、

集団感染した後になっては、
その病いの治療の必要性を
誰も指摘出来ないという意味で、
非常にやっかいである。



我々のもっとも困難な作業は、
すでに病んでしまっているこの
大衆文化、文明の中から、

自己認識のチカラによって、
この病いの治療をしなければならないことである。


なんと難しいテーマだろう。

唯一、この病いに立ち向かう
コンパスは、

「逆の立場にあるとき、自分はどうするか、どう感じるか」

という問いかけだけである。

置換しないでください

2010年11月21日 02時23分32秒 | Weblog
あなたに会いたい

から生まれた

寂しさだけが

一人歩きして
迷子になるよ


迷子になった寂しさが

悲しみの壁にぶち当たると

ホントは悲しさの心が
傷ついたはずなのに

寂しさまでが
もらい泣きしてしまうね


あなたに会いたいから生まれた
寂しさが

迷子になって

あなた以外の場所で

心を休めるなんて

おかしな話だよね。


寂しさを満たすための
あなたのマガイモノみたいな光を望むくらいなら

ちゃんとあなたの形をした
寂しさの影の隣に居るほうが

あなたのそばにいることでしょう。

恵まれている者のなすべきこと

2010年11月15日 23時09分32秒 | Weblog
少し、学びのメモです。

大地を守る会の藤田さんの本

大根一本からの社会的企業宣言を読んでいます。


内容の要約抜粋ですが
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パキスタンのカラチという街では
大きなゴミ捨て場があり、

そこに数万人の人が住んでいるそうです。

ゴミの中から金属を拾う子ども、
路上で花を売る子ども

そんな子どもたちに、教育が受けれるようにと
学校を支援しているそうです。

まず通わせることすら難しいという状態で
学校に来る子どもにはサンダルをあげることで、
きてもらいやすくしているとのこと。

汚水の滲み出るゴミ捨て場を
裸足で歩いている子供たちにとって、

サンダルは貴重な破傷風からの防具だそうです。

そんな環境の中、中学に金銭的にいけるかどうか
分からない女の子が、
(大学をでないと医者にはなれないという環境で)

医者になるための勉強をしていて
あまりに一生懸命だったために
そこの校長先生がきいたそうです。

「どうしてそんなに一生懸命勉強するの?
 勉強してもお医者様にはなれないかもしれないのに」

すると女の子が
「私がずっと大きくなったときに、神様が気まぐれで
 お医者さまにしてくれてもいいと思うかもしれないでしょ。
 そのとき私が勉強していなかったらお医者さまになれないでしょう?」

と答えたそうです。

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すごいなぁと。
これが全てではないにせよ、現場を見てないので
どれほどの真実が詰まった現象だったか分かりませんが、


せめて、自分の生まれを考えれば
こんなに恵まれた場所に産まれて、

為せることがたくさんある環境にいて


何かのせいで出来ることが少ないなどと、
愚痴をこぼすような人生は送りたくないと思いました。

恵まれた立場のものが、寄り添おうとする努力と、
苦しい立場のものが、階段を登る努力でいえば

明らかに前者の方が簡単なのだと思います。


生きるということを、悲しいものにしないために、
自分自身もまず幸せであることが大切ですが、


その幸福の形が、
小さな自己の欲望を満足させるためだけの幸せではなく、

もっと大きな夢や願いへの一歩を刻んでいる喜びに
彩られた人生でありたいと思います。



ショートショート:妖怪の街

2010年11月10日 21時52分00秒 | Weblog
静かな街の夜のバス停に

S氏はやっとたどり着いた

マンガの妖怪を商売の種に賑わうこの街を見るのも

今日が最後かと思うと少し寂しくもあった

生まれてから五十年ちょうどになるがずっとこの街で育ったのだから無理もない

しかしS氏はもうこの街に居続ける気にはなれなかった

S氏はこの妖怪ブームの恩恵をずっと受け続けてきた

彼は妖怪の絵を書くのがうまく看板を制作するとまるで生きているかのように描けるので

注文は増え続けるばかりであった

あまりにもたくさんの妖怪のイメージを
しかも生々しく描けるために近所からは本当に妖怪を見ているのではとからかわれることもあったが

「こんな妖怪に出会ったら
たちまち食べられていますよ」とS氏は笑って冗談を返していた。

しかし時々
S氏の仕事部屋から独り身のはずなのに話し声が聞こえると
噂は大きくなるばかりであった。

中には失踪事件や
人殺しのような犯罪が起きた時には妖怪とS氏が犯人ではとの噂まで立つ始末だった。

S氏はそれに耐えられなくなり
五十歳の誕生日にこの街をでることにしたのだ

22時22分
独りベンチに座るS氏のほうに
コツリコツリと近づいてくる足音がした

「やぁ 今日も会えたね」
S氏はもの音に向かって親し気に声をかけた

「行ってしまうのか」
白いぼやっとした影が返事をした。

そこにはS氏が最後に描いた
一目しかない緑色の肌をもった口裂けた妖怪がいた。

その姿を見たS氏は驚く様子もなく少し残念そうに言った。

「新しいものは間に合わなかったようだね」

「だって用意しても書いてくれないでしょ

 今日でもうお別れだもの」


そういって妖怪は仮面を取ると
中にいたのは
小さな座敷わらしの女の子だった。

S氏はその座敷わらしの頭をなでた。


「君と絵を描くのは本当に楽しかったよ」

「じゃあまた描いたらどう?」

「だめなんだ
 こんな優しい妖怪を知ってしまったから

 もうこれ以上妖怪が人に恐がられたり
 凶悪な犯罪を妖怪のせいだと噂されるのに耐えられないんだ。」

そう言い終えると最後のバスがS氏の前に着いた

座敷わらしはS氏がバスに乗り込むのを人に見られない場所に隠れて見送り
S氏が見えなくなるまで手を降った。


S氏がバスで街を出た五分後にさきほどのバス停にまたバスがきた。

「霧がひどくて遅れてしまったなぁ
まぁ今日も最終バスは誰も乗らないから問題ないか」

座敷わらしがそれを見届けてニヤリと笑った。

またこの街から1人
行方不明者が増えた。