天然不純物の泉

自遊に生きる。
時悠に歌う。
地結に踊る。

水鏡不比人が思うこと

六畳一間の部屋の窓から

2010年07月31日 01時24分57秒 | Weblog
集合アパートの301号室

六畳一間の小さな部屋で

私の365日は、毎日始まる。

鏡一つあれば、全部が覗けてしまうような
小さな部屋で、私は四六時中、私を見ている。

90cm×120cmの窓は、いつもちゃんと
外側と繋がっているから、
今日雨が降ったことも、昨日晴れたことも

私はちゃんと知っている。
私は、私の窓から、見えるだけの景色の全部
いつもこの胸に留めてる。


隣の部屋から、子どもの鳴き声が聴こえる。

見たことのない顔で、知らない名前の子が泣いている。

なぜ泣いているのか、私は知らない。
親がなだめているかも、私は知らない。



知らないのは、この部屋に
窓が一つしかないからだろうか

隣の人が挨拶にやってこないからだろうか


303号室の部屋が空いた音がして

隣のチャイムがなった。

「これ良かったらうちのお古ですけど」

そういう声がした。

がちゃがちゃと音がダンボールの中でした。


隣で赤ちゃんの鳴き声がやんだ。



代わりに私が泣き始めた。

カーナビ vs 寄り合う力

2010年07月29日 21時23分29秒 | Weblog


車で道をゆく
ナビを最初オフにして
地図と方角を頼りに


曲がりくねった道を行き過ぎ
道に迷い私は時間を幾ばくか所有していたにも関わらず
ナビのスイッチをいれた


その後やってくる安心

これはなんだろう

同じようにやってくる曲がり道や細い道

それでも正しく到着予想時間は減りゆき

私は進んでいることを安心している

まさに考えないことによって
まさに疑わなくてよいことによって
安心しているのである


なんと奴隷的な安心だろう

それに気づいて吐き気がした

本来の世界は不安で
現実は疑いだらけで
未来は不透明であると決まっているのだ

それを意思によって進むからこその人間であろうに


その現実の不安こそ正しくだからこそ人間は寄り添わなくては生きていけないのに

寄り添う力をなくして
我らは奴隷としての力はかり
伸ばしているのだ

足り他

2010年07月28日 01時31分21秒 | Weblog
足り他よ。

全部が、足りたんだ。


なんでだろう。


すごい静けさで僕が満たされている。



きっと、すごくきれいなものを見せてもらったから

僕は、それで十分なのだなぁ。


小さくなって、儚くなって

そうしたら全部が、優しく見えて


優しさを受け入れる魂の器だけが、

こつぜんと広がっていくのだろうか。


なんでかな、世界がきれいに見えるや。



旬春

2010年07月28日 01時29分19秒 | Weblog
たとえ束の間の春なれど

過ぎゆく春に微笑もう

喜び実りし春にこそ

産まれた心を愛でしかな。

そんな心を抱くなればこそ

夏の暑さで足掻けるし

秋の寂しさ耐えれるし

冬の寒さにあって
希望を忘ることなくなり


小さい春 ほのかな春よ

また来るときまで

ありがとう