かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

眠られぬ夜

2018-06-25 17:50:23 | わがうちなるつれづれの記

梅雨に入ってから、かれこれ20日ばかり、夜3時過ぎまで眠れない。

5時ごろまでというときもある。

ある日、足の小指からふくらはぎにかけて、ピクピクと痙攣が

起きた。両足でおきる。

起きると、寝ていられない。坐る、痙攣は止まる。

ベットに坐って、ふくらはぎをマッサージをする。それでも止まらない。

3時過ぎると、坐っていても、睡魔に襲われ、そのままベットに横に

なるが、またヒクヒクとふくらはぎのあたりが痙攣して、眠れない。

寝たり起きたりを繰り返しているうちに明け方になる。

 

午前中がつらい。ボーッとしている。1時間ほど、眠ってみるが、

起きても、何かできる状態ではない。

近所を歩く。歩いても、息がきれる、

 

大学病院のリハビリ部に毎週月曜日通っている。

医師に相談したら、漢方薬を処方してくれた。

1週間飲んでみたが、効果なかった。

 

たまりかねて、近所の接骨院に行ってみた。

「この症状はここでは見れない」とあつさり、宣告された。

「こういうことは、誰かにやってもらうのではなく、自分が

良くなっていこう気持ちがなければ、直らない」と言われた。

「そうだな」と思った。

歩き方も、下向いて、のそのそ歩くでは、ふくらはぎに筋肉が

付かない。もっと、大きく足を踏み出して、歩いてみるといい

とアドバイス。

 

そんな簡単に改善するものではないらしい。

地域のかかりつけ医の玉田さんに相談した。

「あなたのは、”こぶらがえり”ではない。不安や緊張をゆめる薬を

飲んでみて様子を見ましょう」

もう、これ以上薬は勘弁してほしい」と思った。

2週間ほど、様子見てみましょうということで、納得した。

 

6月23日、梅雨らしい雨が降っていた。

この日の午後「介護は新しい文化を創造する」という公開講座が

あった。

講師は水谷裕哉さん。小山田記念病院で理学療法士をしている。

30代の青年。

 理学療法士といっても、守備範囲は広い。

予防、回復、維持、緩和ケアとあるという。

緩和ケアに理学療法士がかかわっていること、はじめて知った。

「理学療法といっても、まず患者さん自身が、飛行機の操縦管をにぎっている

主役は自分だという意識が欠かせない」とした。

このような話はあちこちで聞いてきたが、水谷さんの話には

現場の体験からにじみ出る実感があった。

 

今回は、緩和ケアの理学療法の体験談をいくつか話してくれた。

どの実例でも、死期を目前にした人の、その生き方に触れている。

「患者さんは、もう何も出来ることはなくなる。

それでも、身体や気持ち、意思、生き方はそこに現れる。

そのとき、そのときの生き方が出て来る」

 

患者に寄り添うということは、いつも聞く言葉だ。

水谷さんの体験談には、一人ひとりのその人の内的時間にまで

寄り添ったという実感に裏打ちされていた。

水谷さんは、話しながら、一人ひとりの看取りが再現されてくるようで

思わずこみ上げてくるものを止められなかった。

彼はそのようなを体験を淡々と語ってくれた。

それだけに心に響くものがあった。

 

「介護は文化を創造する」というタイトルそのものかなと思った。

介護は、人に、その人の時間に寄り添うことである。

医療や看護、関わった人たちも、それを願っている。

そこに焦点を合わすということは、死期を迎えた人たちにたいする

ことというより、われら人間社会の基盤となるものではないか。

 理学療法という枠を越えて、周囲の人たちにそのような気風が届き、

そしてそこに患者さんとの共鳴を生み出されるのか。

 

どんな死に方をするかと、つい一人で考えている。

こんなこと、人に話してもどうなるものでもない。

どこかで、こんな身体の状態になってしまったから、どうしよう

もない、という気分がありそうだと気づいた。

死期をを知った人は、水谷さんの体験では、必ず周囲の人たちの

幸せを願っている。

自分の、死に向かう生き方をもっとその時、その時、真剣に考えて

いきたいと思った。

自分の人生なんだから

 

途中で退席した。

雨は振り続いていた。

 

翌日、妻の兄上が来訪された。

岐阜で鍼灸院を開設している。その日は、ぼくの状態を見に来てくれた。

いろいろな手技を伝えてくれたが、いっぱい話してくれたなかの

趣旨は「自分で、いまをよく生きたいと思わなかったら、なにをやっても

効果はない」

耳が痛かったが、そうだなとおもった。

 

足のピクピクはこれからどうなるか分からない。

 

今朝、スクールブログで野尻四郎さんのいまの心境が書かれていた。

全身にがんが転移して、何年も抗がん剤治療をしてきたが、最近

癌の進行が止まったようだ。71歳。

散歩も出来る。

田んぼを歩きながら、湧いてくること。

「私の田んぼの広さに驚いた」

「安心、安定の境地が私の住まいです。完璧な暮らし」

 

野尻さんの語り口は、達観した人からでてくる、言葉のように

読めた。

それが、実際出来るかどうかは別にして、そういう境地が死の

目前に現れてくるのだけでなく、日々そのように観えるかどうか。

今にかかっているんだろうな。

 

(今日は少し体調がいい。なんとか書いてみた)

 

 

 

 


「悪感情」「不愉快な気持ち」

2018-06-17 16:39:34 | アズワンネットワークのある暮らし

争いの原因を探っている。

6月7日の木曜サロンでは、「悪感情」「不愉快な気持ち」に

ついて、出し合った。(録音にて)

「悪感情」と言ってもピンとこないかもしれないけど、「不愉快な気持ち」

というと、とたんに日ごろの暮らしで自分の内面で起きていることが、

浮き彫りになる。


牛丸純子さんが、サイエンズスクールのコースに参加した感想で

こんなこと、言っている。

「無意識に湧いてくる感情や感覚だから見過ごしやすいかもしれない

けど、何か不快なものを少しでも感じる時は、自覚のチャンスかな」


言われてみれば、そういう観点で観たら、自分の意識とはべつに、

日ごろからそういう気持ちが立ち上がっているのを発見する。

ぼくの場合、数え切れないほど、「嫌な感情」が、ちょこちょこ

起きているのが分かる。

分かっても、立ち上がってしまうので手に負えない。

 

ここは、純子さんが言うように、自覚できるか出来ないか、自覚

したら、その起きてくる元のものを観察するしかないのかも

しれない。

 

 「これがなかなか、自分だけではハッキリ自覚するのが難しい。

モヤモヤは捉えられても、それがどういう状態なのか、何が原因で

そうなっているのかまでにはいかない。自分一人では無理」とも

言っている。

 

それを一人で観ようとしても、反省程度で、堂々巡りになる。

サロンで出し合っていると、「自分が」という気持ちが溶けて、

人と人の関連で生きている社会で暮らしているお互いという感覚

になる。

「一人では無理」

「ああ、そうかも」とあらためて、おもった。

 

このサロンを通して、たとえ相手の言動が正しいと言い張っても、

思い込みをもっていようが、悪感情が必ず起きるとはかぎらない、

が話題になった。

一方、相手が何も自分にたいしてしていないのに、「嫌な

気持ち」や「考えられられない」「許せない」といった感情が出て

くること、これはなぜだろうということも、みんなで調べてみた。

これも、日常茶飯事に起きていることである。

 

相手が何もしていなくても、自分がそのとき、「これが常識だ」

とかいう考えがあるとき、考えがあるのはそれとして、そのときに

「自分の考え」を相手に強いる感情が起きているときが多いのに、

気づいた。

ニュースなどで、常識外れに見える事件を知ると、さっと「嫌な

気持ち」「責めるような気持ち」が立ち上がる。

 

 これって、どういう心の状態なんだろう。

「やらせる、やらせない」「強いる」などなど・・・

これって、自分と相手が別々に離れていて、相手が何をしてくるか

分からない、人を警戒しする。

その相手から身を守るために強いたり、やめさせようとすること

ではないか。

「悪感情」や「不愉快な気持ち」の湧いてくるところ。

それは本来のものではなく、「人が危険」という認識、「人間観」。

人の考えからではないか。

いままで、考えてこなかった。

 

いまの社会ではそれが常態になっている。

幼いときからそういう社会の空気を吸って、育ってきている。

それに何の疑問をもったことがない。

 

 「身構える」というのが話題になった。

わが身を振るかえると、ずいぶん人に対して身構えて暮らしている。

はっきり,なにかされるという場合でなくても、何を言われるかと

身構えている。

たくさんの例がみんなの中から、出てきた。大笑いだった。

人と人の中にいるのが安心できない心の状態なんだな。

どうして人と人の間にいて、安心できないのか。人を警戒しなくちゃ

ならないのか。可笑しくないか?

 

 

 人と人の間に警戒心がない状態が本来のものじゃないか。よく、

大きなクマが人間と普通に暮らしている映像をみることがある。

人にもクマにも相手をおそれる感情がなければそんなことができるんだ。

 

 「悪感情」とか「不愉快な気持ち」というのは、自分と相手が

どこかで離れているという認識があるのではないか。

 

人と人のなかにいるのが安心。

お互いに警戒心や疑心暗鬼がない。

人と人のあいだに隔てや囲いがない。

争いの原因は、人がその本来の姿を見失っていることから

生じるのかな。

 

 

牛丸純子さんが心に残ることを書いていた。

 「スタートが一つ」といくら思ってみたところで、「まず、

固定や隔てのない一つから」というスタートをしていない。

スタートラインに立とうと思ったら立てるわけでもない。

スタートラインに立つ前に、自分の今の状態をしっかり自覚する。

それなしでは、スタートラインにも立っていないから進んで

もいけない」

 

心すべきことだなと思った、

 

 




 

 

 

 

 


日々新た日に新た

2018-06-14 11:57:24 | アズワンネットワークのある暮らし

毎日、同じような繰りかえしのようにみえる、周囲や自分の

内面の移り変わりを近況にしたい。

 

「日々に新た」と書いたら、言い回し紀元前1600年前、中国の

殷王朝の時代からつかわれているとか。

そんな深淵なことを思っていはいない。

 

梅雨入りした。

といっても、気象台のニュースである。

雲が垂れ込めている日があった。昨夜、眠れなかった。

ぼんやり助手席から空を眺めていた。

   梅雨入りや雲たれこめてまどろみぬ

 

しばらく走っていたら、ヘルメットを被った少年が自転車で風を切って

颯爽と走っている。

目が開く。生気を取り戻した感じ。

   梅雨空やヘルの少年走りゆく

 

そのあと、すぐ家の生垣で薄紫の額あじさいが目にはいった。

清楚で、品がやさしい感じがした。

帰宅して、車から降りて立ちくらみがして、休んでいたら、

孫娘が学校から帰ってきた。

ぼくが、ぼんやりたっている脇を元気よく越していった。

   ただいまと孫の笑顔や額あじさい

 

今年は梅雨入りのあと、晴れ間がつづく。

妻と話していたら、「きょうは何の日、知っている?」と聞かれる。

「6月13日・・・?うん、もしかして結婚した日かあ」

   梅雨晴れや結婚記念日うろ覚え

 

「ねえねえ、ツバメのヒナが孵ったみたいよ」と妻。

「そうか」と見に行く、巣の位置からいうと、下からは見えない。

「鳴き声が聞こえるでしょ!」

あいにく、ぼくの耳では響いてこない。

あまり長いこと何事もなかったので、もう産まれてないかと思っていた。

息子に写真撮ってもらった。なんと、顔中口にして、ヒナたちが

エサを待っている。

   いつの間にヒナ孵りたりツバメの巣

   精一杯口開けて待つツバメの子

   口開き親と一つ身ツバメの子

 

ゴーヤも日々、成長している。

黄色い花が、これぞとばかり咲いている。

葉の方は萎れている。

水がほしい。

  花咲きて雨待つばかりゴーヤかな

 

いまは、すこし蒸すけど、風がひんやりして心地いい。

真夏はどうなるだろう?

 

 

 


インタビュー

2018-06-10 15:03:26 | アズワンネットワークのある暮らし

おととい、サイエンズアカデミー生の岡田拓樹(大学休学中)くんと

ミノワ零生(20代、日系二世)くんがわが家を訪ねてきてくれた。

何事かと思いきや、宮地のこれまでの歩みを聞かせてほしい、という

ことだった。「えっ?」びっくりした。

若い人から、そんなこと聞かれたことないし、困惑・ドギマギした。

 

大学時代から話した。

授業は受けないし、授業料も途中から払わなくなって、好きなこと

していたら、4年生のとき除籍になった。

そのころ、鶴見俊輔さんや思想の科学とすこし関わりがあったと

話したら、岡田拓樹(タッキー)がぼくの大学の教官は鶴見さんの

お弟子だったという。

誰かと聞いたら、「辻信一さん」だった。

 

生きるアテもないので、新聞販売店に寄宿して、配達をして、余った

時間は横浜港の荷揚げ作業のアルバイトした。

つかれきって、サラリーマンになろうとしたら、発展途上国へ技術研修を

している財団の職員になれた。

研修生用の寄宿舎に泊まりこんで、5年。

最後はお酒に溺れて、人間関係に疲れて、しばらく逃避の旅に

でようとして、一週間のヤマギシ会のセミナーに参加した。

27歳のとき。何か高い志があったわけではない。

 

その半年後、ヤマギシズム生活調正機関なるものに参画した。

「なぜ参画したんですか?」

二人の青年が身を乗り出した。

いまから言えば、最もらしい理屈を言えないこともないし、言って

きたけど、それを言葉にすると空虚な気持ちになる。

そのときは、大分、迷ったけど、何か、「誰もが幸せに暮らせる社会」の

実現はどう考えても、生涯をかけてもいいと言う気持ちだったのは覚えて

いる。

 

二人は「はあ」といった反応に見えた。

 

以後、35年ヤマギシに打ち込んできた。

こんな話しが若い二人の参考になるのかなあ。

 

ごく、大雑把にヤマギシの社会の仕組みが「提案と調正」で

運営されていたと話した。

二人は「それってどんなことですか?」みたいな反応だった。

何か買いたいとか、行きたいというときは調正機関に提案して、

調正してもらう。(普通の感覚で言えば、許認可をもらうという

ことになるかな。その深い理はあったけもしれないが、自分を

知らないぼくは、現象面ではやる、やらないで、対応していた

と思う)

「そのとき、調正の係りを10年ばかりしていた」

この時期のこと話せば、いろいろな体験をして、いろいろな気持ち

になった。理想社会は、「決してその人の意思を妨げない」という

のを元にしていると、思ってきた。そこからみると、少しどこかで、

疑問を持ちながらやっていた。

このことは、細かく聞かれたら、当時のことを思い出せないことも

ないが、何を伝えていいか分からない。

 

2000年前後に、そういう仕組みは理想社会実現にならないという

意見が出てきて、ヤマギシ会から離れて、「本当の生き方、それが

出来る社会」の研究をしようという有志の動きがあった。

ぼくは、その人たちの考え方に共感していたが、ヤマギシを離れる

という決断はしなかった。

 

その7年後、35年いたヤマギシ会を離れるときのことも話した。

2008年、ヤマギシで小野雅司さんが青年たちを対象に集中セミナー

なるものしてくれた。

ぼくの記憶では、青年たちのなかには、ヤマギシの特別講習会に

一週間参加している人もいた。その直後のセミナーだった。

集中セミナーの感想文で、「広島に原爆が落ちたのは事実か?」

という問いで考えようとしている人がいた。

はっきり覚えているけど、福田博也くんだ。

この感想文を読んで、心に残った。ぼくも、どうなんだろう、

と考えた。これまで、そんな問いを考えたことがなかった。

博也くんは、今、サイエンズスクールのスタッフとして活躍している。

 

 

博也くんの感想文だけがキッカケということもなかったが、ぼくも

興味を持ち、その集中セミナーに参加した。

これまで、ヤマギシで観念的な感じで知った気になっていた、

ゼロからの見直しを、根本から徹底的に解明しようとしている、と

実感した。

ヤマギシではこのあたりが、どこかで、それがストップしている。

 

この辺は、いま、アカデミーで学んでいる二人には理解して

もらえるかと思った。

二人はじっと、聴いていた。

 

その後、サイエンズスクールに、いつでも参加できるように、

 2010年に鈴鹿に引っ越した。サイエンズスクールに繰りかえし、

参加した。

やっているうち、ただコースに参加するだけでは、ふだんの暮らしの

なかで、じぶんの内面の心の状態まで観察できないと思うようになった。

ふだんの言動の現れてくる元を知りたいと思った。

そこが、一番大事だと思うようになった。

 

これは、いまの若きアカデミー生が辿っている道に似ている。

セミナーとかコースに参加していたら、何かを知ったといえるかどうか。

 

 

こんなこと話したが、全部書いたらとりとめもなくなる。

二人は、ただ聴いていてくれている。

 

鈴鹿の人たちの暮らしをアズワンコミュニテイとよぶように

なり、そこで7年暮らしてきた。

つくづく、良かったなあと思っている。

とくに、何年か前から、サイエンズスクールのコース参加だけでは

もの足りない人たちが出てきて、コミュニテイで留学を希望する人が

出てきた。

それが、何年かして、今年、4月からサイエンズアカデミーという仕組みが

できた。

これは、鈴鹿コミュニテイというより、「世界中の人たちと幸せに

なろう」というアズワンネットワークの活動や暮らしができる人になる

ための仕組み。

「争いのない幸せな社会」の実現。

そこが、やれる人になる。

「サイエンズアカデミー生」として、サイエンズを学べる機会

の門戸が世界に向けて開かれた。

これは、いままでずっと願っていたことだった。

いまは、日本・韓国・ブラジルの若者たちが、アズワンアカデミーを

拠点に、暮らし、学び、話し合いをしている。

これから、成長していく人、まだこれからの若い人たち。

この生き方や、それが出来る社会を実現する気持ちのある

若者が待たれている。

 

 

今回、なんで、ぼくのインタビュー なったか、よくわからない。

ただ、今は「他を侵すことの浅ましさ、愚かさに気づくこと」

35年以上かけて、その深い中身に気づきはじめている。

若いアカデミー生二人がもう気づきはじめている。

 実質、その生き方で生きられる人たちによって、現状そのままで

理想社会が現れてくる。

 それが、次の社会の基盤になるのだろう。

 

しどろもどろの1時間余だった。

疲れたけど、なにか余韻が残っている。

恥ずかしさとともに・・・冷や汗

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「人間史を把握する」

2018-06-07 17:21:22 | アズワンネットワークのある暮らし

サイエンズ研究所発行の「次の社会ーー人知革命」と言う本の

中に「人間史を把握する」と言う章が最初にある。

 

サイエンズスクールブログに、6/7に井川さんが書いていました。

「内観雑感<人間《自分》をよーく観察すると・・・」という一文。

 

社会の仕組みとして法律罰則権利義務責任所有など、人を、人の心を

縛るものが蔓延しているように思われる現状の社会の中で、自分の気持ちを

抑えたり意志を曲げたりすることにも慣れてしまい、自分の本心(本来の心)

を見失ってしまっているかに思われる

自分達(人間達)の心も、その奥底のところでは育ってきているとは

言えないか・・それなりに人間として人間らしく育っているという面も

あるのではないか・・」

 

井川さんは言う。

「人の心は(大方の人においては)まだ心底までも侵されていないと思う」

 

長年、内観のスタッフをやって来た人の言葉は重い。

ここのところ、サイエンズスクールのコースに参加していない。

これを聞いて、内心を観れているか心許ないと感じているが、

少しホッとするものがあった。

 

「人間史を把握する」と「真の人間性」を知るには、学説や理論から

は出てこないかもしれないね。人を観て、人の観察から生まれたもの。

 考えるよりもね」

学説や知識を深めるのでは、届かないということか。

ここ、微妙だけど、人の心底に出会えるかどうかの分水嶺のように

思った。

 

JT生命誌館のHPがある。

そに「中村桂子のちょっと一言」というコラムがある。

以前から、このコラムのファンである。

最近「生命誌をていねいに考える」というエッセイがあった。

中村桂子さんの述懐です。

 「いままでは自然界の具体的な研究成果を伝えていけば、それぞれ

の方が何かを受けとめてくださるだろうとやってきました。

最近その気持ちが急速に変わり、私たちが暮らす社会が一人ひとり

にとって、生きる意味をもつ場であるには、社会を構成する人の

すべてが「生きる」と言うことを真剣に考えなければならないと

思うようになったのです」

 

このエッセイには、自然史のなかの、生きもの史のなかの、人間史

というもの俯瞰するという、図があります。

広々とした視野が示されていると思いました。

人間史の最後は科学革命ですが、その前に精神革命というのが

あり、これはどんなイメージなのか、知りたくなりました。

この図を書いた気持ちを少しづつ書いてみたいと、言っていました。

楽しみです。

 

「人間史」というところに、反応したと思います。