80歳になったことを”傘寿”(さんじゅ)というと知った。
美智子妃の誕生日を迎えての言葉が心に残った。
「争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を
積み重ねていくことが大切ではないかと」
皇室の記憶。
皇太子と美智子妃の結婚式のパレードを商店街の
外れにある床屋さんのテレビで見たと記憶している。
当時、小学校6年生だったか。一人で見ている。
明るい気分。皇室という何だか良くわからないものが
自分みたいな、縁もゆかりも、関係もないものまで、
テレビというものから、見ることができる。
美智子妃の美貌、そんなのが心に焼きついた。
成長するにしたがい、戦争と天皇制とか、敗戦後、
天皇の戦争責任とか、いろいろな知識が入ってきて、
天皇とか皇室というものについて、じぶんがどんな気持ちで
いるか、あんまり向きあってこなかったかな。
20年ほど前か、美智子妃が国際児童図書をすすめる大会で
基調演説をしたテレビが放映された。
どこで、どんな状態でそれを見たか覚えていないが、深い感動が
あった。
疎開中、父から送られた本が美智子妃に及ぼした影響について
語っている。
読書と平和について、最後にこう結んだ。
「子どもたちが、自分の中にしっかり根を持つために
子どもたちが、喜びと想像の強い翼を持つために
子どもたちが、痛みを伴う愛を知るために
そして、子どもたちが、人生の複雑さに耐え、それぞれに
与えられた人生を受け入れて生き、やがて私どもの
全てのふるさと、この地球で平和の道具になっていくために」
”翼”について。
「この翼は、私が外に、内に橋をかけ、自分の世界を少しづつ
広げて育てていくときに大きな助けになりました」
外に、内に「橋をかける」、これはどんな世界に育っていくのだろう。
このとき、自分の中に、皇室への親しみが生じていた。
皇室なのか、その人格になのか・・・でも、そこから醸しだされる
ものに。
この10月中旬、ぼんやりテレビを見ていた。
天皇と美智子さまがテーマのテレビだった。
はじめは「いつもの、あの皇室の様子を伝えるものかな」と見ていた。
いまの天皇陛下の少年時代にアメリカから英語の家庭教師を
呼んで来た、という下りでグッと気持ちが集中した。
明仁親王、12歳。この家庭教師については、昭和天皇が周りに
相談せず、「この人に来てもらう」と決めたと聞いた。(へえー)
家庭教師の名はエリザベス・ヴァイニング夫人。30歳代。
アメリカ合衆国ペンシルバニア出身。
ヴァイニング夫人は学習院初等部で英語も教えた。
そのとき、ある考えがあって、生徒一人ひとりに英語名を
つけた。12歳の皇太子は自分が英語名で呼ばれることに
抵抗したと学友が回顧していた。
ヴァイニング夫人は皇太子が英語のクラスのなかでは、
タダの人であることを味わってほしかったらしい。
ヴァイニング夫人は、また皇太子が何かにつけ侍従の顔を
見ていることに気がついた。
その後、ことあるごとに、「Think for yourselves」と
皇太子に語りかけたらしい。
皇太子とヴァイニング夫人の交情は彼女の死のときまで、
続いた。
一つ、どうしても解せないことが、ヴァイニング夫人には
あったという。
昭和天皇が皇太子と一緒に住まないことだった。
ある時、葉山の御用邸で二人になったとき、昭和天皇に
そのことを聞いてみたという。
天皇のお答え。
「自分は、戦争を止められなかった。その自分が息子を
育てられると思っていないからです」
真偽のほどは分からない。言葉の表現も分からない。
昭和天皇の心中だって、どんなもんだったか。
でも、その人として、想像すると、人の心からの言葉として、
親しみとい温かさがぼくには湧いてくる。
昭和天皇、今上天皇、いまのぼくには今までにない
イメージが湧いてきている。
10月20日の誕生日を前にした文書コメントで、美智子皇后が
「来年戦後70年を迎えることについて今のお気持ちをお聞かせ
下さい」という質問に、こう答えたという記事を最近見た。
「私は、今も終戦後のある日、ラジオを通し、A級戦犯に対する判決の
言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません。
まだ中学生で、戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは
少なく、従ってその時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう
筈はなく、恐らくは国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う
立場があるということに対する、身の震うような怖れであったのだと
思います」
記者が「A級戦犯」ということについてと聞いたということはないらしい。
今の平和がどんな過去の痛みや苦しみの中から、ようやく築かれて
きたのか、築かれているか、そういう実際についてはっきり見えて
いるところからの、美智子妃の心からの表現と受け取りたい。
「先決問題は、日本人自身の反省と努力によって、自身の頭脳・
技術・社会人としての教養・人格・肉体等、実質・外観共に歓迎
される優秀人になることで、これが国境を無くする近道です」