入院して、自宅に帰ってくるたびにからだの衰弱を実感する。
先日「理想の暮らしを語る会」に参加した小浪が、死ぬまでに、本人が
元気なうちに、家族でどんな死に方をしたいのか、死んでからどうして
ほしいか、よくはなしておくとよいと聴いてきた。
その夜、桃子が顔みせて、ねているぼくのベッドのまわりでいろいろ
はなした。
ふと、いぜんに呼んだ鶴見俊輔の「老い方」というエッセイを思い出した。
森鴎外の息子のエッセイだった。
死ぬときは、生死の境目がはっきりしない、もうろうというなかで死にたい
とかいてあった。
なにか、こころにのこっていた。
(もうきょうは、ここまで)