かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

スクールの「人を聴くためのコース」に参加して

2021-11-10 21:45:40 | アズワンミーティングのある暮らし
このコースは調べてみたら9年ぶりの参加だった。
 最近のスクールブログを読んでいて、自分の捉え方はどうなっているんだろうと思うようになって、人とすぅすぅいかないのはなんでかなぁと自分と向き合ってみたいなと思って参加しました。
 3泊4日の密度の濃い毎日だったけど、頭の中がとてもすっきり出来たように思う。
 
 「聴く」とは、どういうことかとアズワンミーティングでみんなで検べていった。
 言葉 とは?
 そのものの特性を抽象化した概念を音にしたもので、そのもののことではない。
 楽しい、悲しい、うれしいもその時の気持ちを表そうとして表現するけどその言葉とは別のことかな。

 今日の昼食に食べた大根の煮物の味を日本のことを知らないブラジル人に伝えるという時に全くお手上げ状態になった。食べてもらうしかないし、私が感じる味とその人が感じる味は全く別物だなと思った。

 言葉は、人と人がコミュニケーションをとるために作り出した共通のものと思っていたけど、検ベていくと共通って何?ってなっていった。
同じ言葉を使っていてもその中身は一人一人違う。言葉にできないこともたくさんありそう。
 小野さんが6つの言葉を言って、それぞれイメージしたことを出し合った。「山」についてのイメージ、全員違う山を思い浮かべているし、小野さんは、阿蘇山のことを思っていたと。阿蘇山と聞いてイメージするのもそれぞれの阿蘇山だねと。
そんな言葉を使って、日常、会話をしているけど何を聞いているのかな?
 耳に届いた音を日本語だと捉えて文字を瞬時に組み立てて言葉に変換、その言葉を過去の知識・経験からイメージとして浮かぶものに当てはめて理解しようとする。
 書いてあるものを見て、文字かな?日本語かな?この言葉は?と自分の中にあるもので理解しようとする。
   
   まぁ、それしか出来ないんだよね。

 
 * 自分は自分の中のことを言っている 

  
 * その人はその人の中のことを言っている 

 
 このことが、はっきりしたら相手のことはわからないな、自分はこう聞
いたけどどうかな?と聞きたくなるかな。


 人を聴くって?
 
 相手の言っている言葉を聞いてその言葉を理解しようと聞いていてもその人を聴くにはならないかなぁ。言葉の奥にある気持ちや心は、言葉では表現できないこともあるけどそこを知ろうとしていくことは出来るかな?
 小さい子供が、みてみてー、きぃてきぃて~と言ってる気持ちを聴いて見たくなるし、聞きたくなるかな。
 
 現状の聞くは、言葉の理解だったり、
        聞いたらすぐにやれるかやれないかを考えたり
        聞くと自分の見解を言いたくなったり
        やれとも言われてないのやれと言われたとなったり
   
     聞いて、自分の中で自分の捉え方で反応している、自分劇場を
     やっているようだ。 

 「 聴く 」が実現するには、

  人は、実際のことは言えない、見て聞いて自分の中で起きていること
  しか言えない。時々刻々と変化している実際、自分も人も分かる、       
  分かったと言えるのかなと思う。だからこそ今どうなの?と聴きたくなるかな。今を生きるということでもあるかな。

  相手の言葉の奥にある気持ちや心に目を向けていきたい。
 何故、そう(自分が捉えたそう?)思うのか、自分の中でいろいろ思い
を巡らしても相手の心には届かないかな。
  今、目の前にいるその人を聴くをゆっくりでいいから、丁寧に向き合っていこうと思う。



  人を聴く社会

  聴き合うことで心が満たされ、一人一人が自分の持ち味を発揮し、活かし活かされて創られていく社会、どんな社会になっていくんだろう。

  今、実際に現れつつあるようにも思う。