かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

薪は4度人をあたためる

2012-09-27 22:17:38 | アズワンコミュニテイ暮らし

 「暮らしとエネルギーの地域自給懇話会」というのは、KIESS

(循環共生社会システム研究所)の岩川貴志くんがつけてくれた。

 岩川くんは、「ぼく、そんなことしてません」というに違いない。

 いままでは「暮らしとエネルギー地域自給懇談会」とか言っていた。

 どちらかというと、エネルギーの地域自給に焦点を当てていたかな。

「暮らし」と「エネルギー」の「地域自給」とすると、「暮らし方」にも

関心がいきそうにおもう。

 

 先日9月23日、この会があった。

 保育士の20代の女性、名古屋大学物理学の大学院に通っている

男性、元市会議員の人、元自動車メーカー退職後自然農をしている

人なども加わった。

 

 岩川くんが、これまでのまとめをしてくれた。

 印象に残ったこと。

 1、新しいエネルギーをつくりだすだけでなく、消費する側の暮らしから

   のアプローチがもっとあるのでは・・・

 2、若い人はどのように感じているか?

 3、エネルギーというと、電気ということが出てくる暮らしのなか、

   電気のほとんど温めることに使っている。

 

 薪の話になった。

 里山大好き男、高崎広さんが、おもむろに口を開いた。

 「薪は人を4度あたためるって言うじゃん・・・」

 聞いている人、「ウン?」

 「そういっている人がいるの?知らなかった」とぼく。

 

 「4度って、言っても、温度のことじゃないんだ。」

 「・・・」

 「一度は、山から木を伐り出すときにあたたまる。

 二度目は、薪にするときあたたまる。

 三度目は、もちろんストーブにくべてあたたまる。

 どっちかというと、この四度目がいちばん大事なんだ」

 

 高崎さんは、一息つく。

 

 「四度目は、ストーブを囲んで、人のこころがあたたまる。

 ことしの冬は、ぼくんとこは薪ストーブで過ごした。

 たくさんの人がストーブを囲んだ・・・」

 

 「そうだよな、薪ストーブのぬくもりは、人のこころを

安らかにしてくれる」

 「薪ストーブのまわりは、いつまでいても飽きない」

 「エネルギーのことが、暮らしやコミュニテイーのことに

つながってくるね」


 高崎さんは、ときどきこころに響くひとことを言ってくれる。

 

 

 

 

 

 

 


雨の椿大社

2012-09-26 18:34:01 | アズワンコミュニテイ暮らし

 目が覚めたら、雨が降っていた。先週土曜日の朝。

 けっこう、寝たなあとおもって起きたけど、からだが重い。

 瞼がたれている、顔が腫れている感覚。むくんでいる。

 

 今朝は、はたけは、行かんとこ・・・でも、こんなうっとうしい感じで

部屋にいるのはいややなあ・・・

 ふと、鈴鹿山麗にある椿大社の巨木の下でぼーっとしたい

衝動が・・・

 妻小浪に「椿大社に散歩に行かないか?」

 意外や「うん、行こうかな」

 

 雨は降りつづいている。寒い。上着に防水服をはおる。

 神社の入り口に、樅の大木。

 参道も杉の巨木が両側にたちならび、雨が霧状になって、

たちこめている。

 古代人の神話の世界が、巨樹の年輪にきざまれている。

 

 参道の途中に神の憑代となる石がある。

 椿大社は、 国つ神と言われるサルタヒコ大神が主神。。

天孫ニニギノミコト一行が降臨する際、高千穂の峰に

ご案内したと伝えられる。

 その徳をもって、地上に生きとし生けるものの平安と

幸福を招く、「みちびきの祖神」とも言われる。

 なにか、親しみを感じる神様ではある。

 

 アメノウズメがサルタヒコと向き合っている絵が雨のなかに

立っていた。

 降臨するニニギノミコト一行の道筋に立ちはだかる巨人に

アマノウズメが、「何者か」と問いにやらされた。

 

 ーーその胸をひらいて乳をあらわにかきいで、腰の紐を

    へその下までおしたれて、笑いをうかべて相手の前に

    立った。

     わかれ道にたたずむ巨人、

    「アメノウズメよ、どうしてそんなまねをするのか」

    アメノウズメは問い返す。

    「アマテラスオオミノカミの子孫のいでます道をふさいで

    立っている、そなたは何ものか」

    「アマテラスオオミノカミの子孫が今こちらにこられるときいて、

    このゆえに、おむかえしようとして、待っているのだ。

    わたしの名は、これ、サルタヒコノオオカミ」

 

  アマノウズメも、なにか親近感がある。

 

  参道を歩いていても、息切れがする。

  本殿では、「みそぎの修法会」なるものが、参拝者と神主さんが

 たくさん集まって、行われていた。

  本殿の軒下に雨宿りしながら、背中から聞こえてくる祝詞の

 合唱のリズムに身をまかす。

  祝詞の合唱は、妙にあかるく、軽快に耳に入ってきた。 

  本殿の前は立ち木が払われていて、雨雲のうえからもうろうと

 だけど、弱い光が広場を明るくしていた。

  遠くに目をやったり、近くの石を見たり。

  小浪が「あの石、イルカみたい」という。「たしかに」

 

  しばらくして、鈿女本宮椿岸神社に移る。

  雨宿りして、ぼんやりするスペースはなかった。

  アメノウズメが祀られているのが、なにかたのしいものが

 出てくる。

 

 --天の岩戸の場面。

     ・・・(アマテラスが)何事と思って、いささかに戸をあけて

    みそなわすと、アメノタヂカラオがその戸をあけて、上座に

    彼女をすえた。

      この時にあたりて、天上はじめて晴れてもろもろともに、

    あい見るにおもてみなあきらかに白し。

    手をのべて(伸べて)、うたいたまいてあいともにいいていわく。

 

     あはれ、            洞穴から出てきて空が晴れた

     あなおもしろ、         神々の顔面が明るくみえる

     あなたのし、          「たのし」は「手伸し」 手をのべて舞う

     あなさやけ           竹の葉がさやさや  清くあかるい

     をけ              手にもったホコでヲケ(覆槽)をついた

 

   実際のぼくらは、傘をさして、雨のなかにいる。

   「茶室に行こう」と小浪がすすめてくれた。

   だんだんからだが億劫になっていた。

   「帰ろう・・」とぼく。

 

  結局、その日の午後は布団を敷いて、ぐったり寝てしまった。

  「あ、晴れ」どころではない。

  夕方、小浪が「大丈夫?」とたずねてくれた。

  めまいのようなものは残っていたが、起きることができた。

 

  あとで、おかめとひょっとこ、お正月の福笑いなど、おもいだして、

 いた。

  

 雨は上がっていた。

 

  

 

 

 

    

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


新聞紙か新聞がみか?

2012-09-20 07:06:31 | わがうちなるつれづれの記

  きのうの夕方から、机の片隅に使いさしのような新聞が、無造作に、

そう見えたのだが、置いてあった。

 「誰が、こんなところに置いたのだろう?」

 今朝まで、脇に押しやっていた。

 

 今朝、ふと見ると、「井筒俊彦」という文字が見えた。

 「あれ、この間、鈴木英二さんが10月に入院するとき、いっぱい

本を読みたい」と言っていた。井筒さんの本をすすめたことがある。

 英二さんかな?

 

 なに新聞?

 中日新聞、2012年5月26日。文化欄。

 若松英輔という人が書いている。

 「優れた世界的哲学者 ”叡智の扉を開く鍵”を手に」

 

 拾い読み。

 ーー争いと混迷、衝突と破壊のなかで現代は、それを打開する何かを  

    見出そうと対話を繰り返してきた。だが、そこに私たちの求めていた

    何かを見いだせてきただろうか。発見すべき何かは、対話の彼方に

    あるのではなく、「彼方での対話」にあるのではないか、と井筒は

    言う。

 

 「うーん、”彼方での対話”って、どんなことだろう?

 

  右下のコラムに、歌人福島泰樹さんの「追憶の風景」というのが

あった。パラソルという題だった。

 ーー みんな別れていくのだ

     鐘の鳴る丘をみあげて

     いれば涙あふれき

 六歳の福島さんが、女先生と別れるときの追憶。

  新聞がみが、息づきはじめる。

 

 ふと、反対の面を開いてみた。

 「鈴鹿・亀山版」

 ーーイモで”一石二鳥”へ

     鈴鹿の有志ら

      1、耕作放棄地の再生目指す

      2、エネルーギー源として活用

      3、子どもに栽培の過程紹介

 

 あれ、この新聞、この記事のため、暮らしのエネルギーの会の

メンバーの伊藤日良さんが、とどけてくれたのか?

 ときどき、エネルギー関係の記事があると、「見ない?」と来て

くれる。

 「でも、ずいぶん前の新聞だからなあ・・・」

 

 妻に聞いても、知らないという。

 もってきた覚えがない。新聞が一人でくるはずないから、だれかが

置いたはず。

 不思議・・・

 新聞をとっていないけど、たまにはこんなことも起こるんだ・・・

 

 

    

 


迂闊なはなし

2012-09-19 09:15:07 | わがうちなるつれづれの記

 生まれ育ったのは、横浜の鶴見、駅前にある豊岡商店街だった。

 わが家の隣は、喫茶店、その隣に中華そば屋が二軒並んでいた。

「快楽園」と「三越園」。中国人が経営していた。

(現在の鶴見駅前豊岡商店街通り。まっすぐ行くと総持寺)


 (タクシーが止まっているところ、我が家があった)


 快楽園には、男の子がいて、店の二階にある居室でよく遊んだ。

揚げ麺が一斗缶に入っていて、つまみぐいをした。

 三越園は、餃子を新メニューで出すとき、二個タダでふるまわれた

ことがあった。餃子が大きく見えた。ありありと覚えている。

 

 小学校低学年のとき、林愛子という同級生がいた。商店街から

ちょっと離れた丘の上に住んでいた。よく勉強ができた。

 彼女の両親は中国人だった。

 

 我が家の西側は、曹洞宗本山総持寺があった。その境内の北側に

総持寺保育園があった。その北の谷の底に20軒ほどバラックの家が

かたまってあったた。よくそこに、いそいそ遊びに行った記憶がある

  あとでおもうと、そこは朝鮮の人たちが住んでいたような、おぼろげ

な記憶がある。


 

 「チョウセン人」とか、「チャンコロ」「支那人」などコトバや語調を

知らなかったわけではない。

 ただ、じぶんのなかに、そういうコトバから実感が出てくるような

具体的な対象が浮かんでくる心像がなかった。

 「」というようなことも、知らないわけではなかったろうが

迂闊にも、そういう実際とは無縁に育った。幸か不幸か学校でも、

同和教育などなかった。

 

 

 これも迂闊なことだけど、何年か前、大正12年の関東大震災

の際、鶴見警察署の署長大川常吉さんが300人の朝鮮人の命を

守ったという話を知った。

 鶴見警察署というのは、3年通った鶴見中学の隣にあった。

 署長大川常吉さんは、震災の混乱のなか、朝鮮人を警察署内に

保護した。

 「井戸に毒を入れた」と騒ぐ住民1000人を前に、「その水を持って

来い。俺が飲んで、異常があれば、引き渡す。なければ、私に預けよ」

と説いた。

 暴徒しつつある住民は、「じぶんを信頼できないなら、朝鮮人を殺す

前にこの大川を殺せ」と命をかけた大川署長によって、鎮まることが

できた、というのだ。

 いまでも、9月1日には大川さんを偲ぶ慰霊祭が墓のあるお寺で

行われている。

(墓のある東漸寺と石碑)

 

 

 そして、これも、何年か前に読んだ、関東大震災の混乱のなかの

話。こんなことが、あったのかと、かんがえさせられた。

 

ーー1923年の大震災の次の日。

   「ゆうべは、朝鮮人においかけられて、一晩中逃げまわっていた」

  という近所の男にむかって、おなじ長屋のおかみさんが、

   「何いってるんだよ。朝鮮人が追っかけられたのさ。その前を

  また逃げたんだよ。日本人の方がどうしたって数が多いじゃないか。

  こわがることないよ」

  と半畳をいれたというエピソード。

                 (佐多稲子「私の東京地図」1948年)

 

  なんというか、ぼくらの目はじぶんの外を見るようにできている。

  いつのころからか、そこにあるものを、見ていると信じている。

 「だって、そこに、ありありと、あるじゃん!」

 

 迂闊ににも、じぶんでは見てないことを「事実、そうだ」としてしまう

癖もある。

 じっさい、じぶんが見ていても、その見たり、聞いたことが「事実、

じぶんがおもっているように、そうだ」といえるかどうか?

 

 それを見たり、聞いたりしている自分が、どういう状態で「見たり」

「聞いたり」しているか、そこからはじめるのは、なにか難しそう。

 そんななかでも、そこからはじめているように見える人たちは

居る。

 

 「国境を無くする最上の間違いない方法は、外交交渉でもなく

無論戦力でもありません。交渉や武器で無理に囲いを破って飛び

出しても、招かれざる客の不愉快さは免れないでしょうから、各自

の反省により、欠点を除去し、迎えられる立派さを身に備える事に

専心することが先決で・・・・」

 

 これは、1954年に山岸巳代蔵さんが書いた文章。

 「先決問題は、日本人自身の反省と努力によって、自身の頭脳

・技術・社会人としての教養・人格・肉体など、実質・外観共に

歓迎される優秀人になることで、これが、国境を無くする近道」

というのです。

 

 ここが、老いの入り口にたって、このコトバの出てくるもとを

ゆっくり研究するこが生きがいになりそうだ。

 次代になにを引き継いでいくかということもふくめて・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 


届きものの晩ごはん

2012-09-17 05:53:17 | アズワンコミュニテイ暮らし

 ことさら言うのも、なんだけど・・・

 食べているうちに、妻が「この茄子は・・」と言い出して

気がついた。

 茄子の揚げびたしは、大平夫妻からもらった。

 漬物の茄子は、杉本幸枝さんから。

 小魚の天ぷらは、東京に住む永野栄さんから。先日、冷凍で。

 にらのかき揚げは、わが畑から。

 生姜は、員弁石槫(いしぐれ)の伊藤さんから。

 金山寺味噌は、幸三くんから。

 タイカレーは、コミュニテイー食堂ふぁみーゆの佳子さん作。

 ポテトサラダ、卵焼き、揚げ出し豆腐は、おふくろさん弁当から。 

 ご飯は、息子秀剛が育ててきた新米。

 

 別にスーパーで買ってきたとしても、そのものがそこに届くには、

届くだけ人の手とこころが介在していることだろう。

 それでも、その人が身近に感じられる豊かさは、何より味に

香りをそえてくれる。

 

 写真は、お粗末なんだけど・・・