かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

無理のない自然な営み

2016-10-26 17:52:43 | アズワンコミュニテイ暮らし

毎週日曜日の夕方、2時間ばかり、サイエンズ留学生暮らしの

ミーテイングがあります。

人や社会が本来どんなものか、コミュニテイで暮らしながら、

自分も材料にして、観察や検討、研究をしています。

短い人で3ヶ月、2年というのやっている人もいます。

 

先々週、他のことに夢中になって、ハッと気がついたら、その

ミーテイングの終わる時間になっていました。

しまった!

そんな経験はありませんか、会合なんかで、スッカリ眠ってしまって、

終わってみんなが立ち上がって、帰ろうとしているなかで、何か

ポッカリ抜けた時間を、今から埋めようとしても、埋められない

という、あの虚しくも、後悔のような気持です。

その日の初めには、その予定は覚えていたのに・・・

 

留学生暮らしのミーテイングは楽しみにしています。

みんなの話を聞いていて、ハっとさせられることが多いのです。

先週は、留学生は10人のうち、4人だけがミーテイングに

参加していました。

その日は他に用事のある人が多かったんですね。

 

その日は、ヨッシーから、いくつもの事例が出てきました。

「前にあったことなんだけど、棚をつくって欲しいと言われて、

作ってやった。そしたら、もっと小さいものがいいんだけど、と

言われて、ムッというか、折角作ったのに、というか、何か

引っかかる気持が出てきてね、これって、どういうことだった

んだろうか、って今思うんだよね」

(なるほど・・・)

 「作ってほしいと言われた、というけど、それをどういう風に

受け取ったんだろうか?やるには、やったけど、それって、

本当にやりたくてやったんだろうか?ふだん、何気なく、

いろいろなことしたり、しなかったりしてるけど・・・そのへん

自分のなかを見ているかな」

 

(ヨッシーの話したことというより、ぼくが聞いたことなんだけど。

間違っていたら、言ってね。彼は、自分のなかで起きていること、

何かに焦点を当てて見ようとしていうののかな)

 

 

おふくろさん弁当屋さんは、はじまって以来の一日1500食

という注文が入りました。その日が、それを作る日でした。

朝からたくさんの人が寄ってきて、お祭りのようなだったそうです。

留学生もお弁当屋さんに週5日かかわっている。

留学生ヨッシーと熊さん、その日お弁当屋さんに行きました。

そのときのやりとり振り返っていました。

 

ヨッシー「ご飯を炊いたんだけど、炊きあがったらとにかく早く

冷まさなきゃならんので、クーラーの風が当たるテーブルに

スペースを前もってつくっておいたんだ。いざ、炊き上がったからと、

そこへ持って行ったら、熊さんがサラダのボールを置いていたんだね」

熊さん「そうなんよ、そのとき、サラダ作っていた。いつもより、多いし、

サラダも冷まさんならんし、必死なんだよね」

ぼく「それで、どうしたの?」

ヨッシー「どうしたってそんときは、やれるように何とか工夫してやる

ほかないよね」

熊さん「あははあ、そうだったよね。だけど、周りも、ぼくらも、

自分がやることでいっぱいいっぱいだったけど、その場の雰囲気

は、なにか、穏やかだったよね」

ヨッシー「うん、そうだったなあ」

 

ヨッシー「厨房のテーブルに物を置いて、すこし押したら反対側に

あったものが、落ちちゃったんだよね。しまった、ってなったんだけど。

この、しまった、って何だろうと思ってね」

(ふーん、それ、どう思ったんだろう?)

 

ヨッシー「なんか、一瞬すべてぼくがやったこと、ぼくが失敗したって

とらえているのかなあ、って思って。そういうことが起きるには、起きる

条件があるんじゃないかな。反対側に置いた人、テーブルの上にあった

こと、そのときの状態、置いた人の気持ち、ぼくの状況、気持ち、

そういうものがもろもろ関連しているなかでのことじゃないか、って。

そういう実際があったんじゃないかなあ。”しまった”というのは

そういう実際が見えなくなっているので、"自分がやってしまった”って、

自分だけが大きくなっている、そんな感じかなと・・・」

 

(こんなふうに言ったかどうか、こんなふうに受け取った?

”しまった”というようなこと、日常当たり前に起きている内面の

反応なんだけど。・・・起きていることの実際ねえ・・・。

どうも、そのときどうしたらよかったとか、その対策はとか行く

前のことが何かありそう。それが検討できる状態になるための

ものとして・・・)

 

ヨッシー「調理やっている謙ちゃんが段取り的に一人でやるには

きついんじゃないと見えたんだよね。”やれるかな?”って、謙ちゃん

に聞いたら、”やれるんじゃない”という答えだった。でも、それって、

一人で頑張ってやったら、やれるってことじゃないかなと思って、

謙ちゃんにそのこと、聞いてみた。そしたら、やっぱりそいうことだった。

”じゃあ、ぼく、1時間ぐらい一緒にやるよ”って、自然にそういう気持ち

が出てきたんだよね。やる時間が増えたんだけど、気持ちに無理が

ないんだよなあ」

熊さん「たしかに、そういうことってあるよね」

 

じっと聞いていた宏治さんが、口を開いた。

「この間、公子さんのところで、家庭料理の会があったとき、

お好み焼きだった。その具が肉とオクラだけだった。お好み焼き

といったら、ぼくは具がたくさん入っているのが好きなんだよね。

そのときは、何も言わずに食べたけど、そういう気持ちがあり

ながら、言わなかったこと、どうだったんかなと思って・・・」

ヨッシー「不満があったの?」

宏治さん「うーん、どんな感じだったかな」

 

(ここも、おもしろいなあ。宏治さんは、自分のなかの何かに

焦点を当てて、観察している感じ。こんなこと、さらっと通り過ぎて

いくようなことかもしれないけど)

 

誰もが、こんな生き方をしたい、とか、こんな社会に暮らせたら

いいなあ、と言うものが、言葉にすぐならなくとも、その人の中に

あるんじゃないかな。

それが明らかになったら、そんなにそれぞれ、違ったことにならない

感じがしますが、どうでしょうか?

「争いのない、幸せな世界」の実現。

留学生の人たちと暮らしながら、「争いのない、幸せな世界」の実現が、

実際に、一人ひとりのなかに、醸成されていっていると感じています。


ボケもはじまっていますが、ぼくは、そういうミーテイングに触れながら、

かたつむりの如く、歩いていきたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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