こんにちは、尾張美也子です!

暮らしの中で感じたことを気ままに綴っていきます。

朝のなやみは

2010年12月19日 | 議会
急に冷え込んできました。
あまり青くない東京の空の色が昨日もすごく青くみえて・・・
特に朝早く駅に向かうとき、
冷たいしんとした空気に、6年前まで住んでいた札幌の晩秋の空気を感じました。

朝、ハンドマイクを持って、駅前で考えていることを話します。
8月からは週に数回するようになりました。
最初は原稿をただ読むだけで精一杯で緊張していました。半年近くたって、原稿は「持ってれば安心なもの」になってきました。

ただひとつ、一番の悩みは、しょうがいを持って生まれた3人目の子どものことです。
私が朝早く駅前に立つときは、姉が食事を用意して食べさせて、
兄がいつものように特別支援学校のバス停まで送っていきます。

朝、私がいないと、この子がなかなか姉の言うことを聞いてくれずに、てこずらせて大変なのです。

先日、久しぶりに私が朝、ゆっくりと相手をして朝食を一緒に食べると
彼女はとても穏やかな表情で、トラブルなく学校に行くまでの準備ができました。

やはり、彼女はわたしがいないから、さびしくて荒れていたのか・・・・

きっと、仕事を持っている方はみんな同じように悩んでいる方もいるでしょう。

私も、本当は、子どもに寄り添う時間がもっとほしい。でも、今は子どもにごめんなさい、と。

あなたのためにも、母は今、がんばって選挙に挑戦しなくては。
そして、あなたも含めてしょうがいをもった方やこどもたち、高齢者に
やさしい施策を実現する政治を作っていくからね。

娘は、「せんきょ」の意味は分からないのですが、
周りの話をちゃんと聞いているのでしょう。
先日、とつぜん、「まま、せんきょ、がんばってね」
と言ったのには、びっくりです。
ドキッとすることがよくあります。
こどもをあなどってはいけないですね。
ちゃんと見ているし聞いている。


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娘とのひととき

2010年12月13日 | 議会
今日は、娘のしんさつのために東大和療育センターに行ってきました。
ひさびさに朝から娘と二人の時間です。

そういえば・・・・
シングルマザーになってしばらくは、子どもにさびしい思いをさせたくない
と、なるべく家でできる仕事をしていました。
最初は、テープ起こしに挑戦して、とある通信教育で資格をとりました。
当時はパソコンはまだあまり使えなかったので、ひたすら原稿用紙に書く作業。
60分のテープを起こして文章化するのに1日以上かかってやって・・・そのうえ、仕事は1ヶ月に2~3度くらいで、お小遣い稼ぎにもならない。
稼げる方は、これでも20万円近くいくと聞いたけれども、私はその10分の一にも
ならない。これは才能の世界とあきらめて、
次にやったのが、高校生の小論文の添削指導。
これは、2社かけもちで少しは生活の足しになりました。
札幌での話です。札幌は東京と違い、家賃も食料品などの物価も安いので
子ども達と過ごす時間も何とか確保しながらの家での仕事で何とか食いつないでいました。

6年前に東京に出てからは、家賃も食料などの物価も高いので、
そうはいかなくなって、外に出て働くように。
そのおかげで、私の理想、子ども達となるべく一緒に過ごすということは、
絵に描いたもちになってきました。
とくに3番目の子はしょうがいを持っていたので、
本当は寄り添ってあげたい、でも寄り添うことでは仕事ができない、そうなると食べていけない
というジレンマを感じながらの子育てになりました。

私が昼に夜に働くようになって、いろいろと不安定になったり、自閉的になりかけたりしていましたが、ヘルパーさんたちに助けられてなんとかここまで来たという感じです。

今は、娘がおきる前に朝の駅頭でのスピーチにでかけたり、
夜も会議などで娘が寝てから帰ることもあって、
娘と唯一ゆったり過ごせるのが東大和の療育センターに行く日なのです。
車に乗せて走る道中、到着して、診察や訓練を待つ間、絵本を読んで、訓練が終わったら
一緒にレストランで食事をして、それから時間のあるときはちょっと買い物などをして。
この時だけは、娘と私二人だけの時間。
娘も療育センターに行く日を楽しみにしているらしく、
前日からヘルパーさんたちにも「ママと行くんだ」とうれしそうに何度も報告しているそうです。

私も、ほんのちょっと日常から解放された時間になっています。
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初めての演説会に

2010年12月12日 | 議会
来年4月の国立市会議員選挙に挑戦することを決めたのは、今年の4月。
地域の方々と対話したり、学んだり、駅や街角でマイクを持って話しをしたり
無我夢中で…
あっという間に8ヶ月が経った気がします。

今日は、国立市の商工会館で、来年の選挙にむけての初めての演説会が
開かれました。
4期続けている清水秀子都議会議員の話の後に、私の番でした。
ベテラン都議のあとで、緊張しました。
自分の言いたいことを文章にする、そして、それを話として伝えることを意識すればするほど、これでいいのか…と直前まで悩んでました。

50歳にして…正確には51歳にしての挑戦です。第2の人生!?は、これからです。



今日の私の話をここに記します。




紹介いただきました尾張みやこです。よろしくお願いいたします。先日駅前で話をしていましたら、「尾張さんですね、僕も愛知県出身です、応援してます!」と握手をもとめられ、実は生まれは九州の宮崎県とはいえませんでした。宮崎県にはじまり、茨城県、福岡県、熊本県、北海道と、数えてみましたら、生まれてから22回の引越しの上に、6年前にやっと定住の地国立にきました。
 突然ですが、みなさん、駅の階段でころびそうになったことはありませんか?私はおっちょこちょいで、何度も…転んでいます。子ども達が大またで駆け上がるのを見るとヒヤリとし、また、一歩一歩足を運ぶ方を見るたびに、さまざまな目線を、暮らしと政治に反映していかなければと思います。その仕事を私はしていきたいと決意いたしました。どうぞ、私尾張みやこに、まず、みなさんの力強いご支援をお願いいたします。本日は、自分自身の経験をもとに、教育と障害者の問題に絞ってお話をさせていただきます。
  
 この夏、本当に暑かったですね。子ども達がすごす教室、9月の暑い日、なんと教室の温度計は38度になった日があるのです。図書室にもクーラーがないのは、東京都の中で国立を含めてたった3市だけです。私は、日本共産党の市議団とともに教室にクーラーをと、市に申し入れ、都庁にもクーラー設置の助成を求めてきました。都は助成を決めました。未来を支える子ども達の学びやに冷房をいち早く完備させるよう、私は要求をしてまいります。
 風通しは冷房だけではありません。最高でも30人のクラスづくりで、一人一人の表情と教員が向き合える環境にしたいものです。 私はこれまで40人のクラスを持ったことも24人のクラスをもったこともあります。1時間の授業でも、24人のクラスだとすべての子どもに目が届きます。こどもに寄り添うことができたとき、子どもは大きく伸びてくれるのです。わたくしのささやかな経験のなかの大きな実感です。
 私は今年の3月まで、国立市内の小学校で普通学級に通っている軽度発達しょうがいのお子さん方の支援をしてまいりました。いつもそばにいるよ、見守っているよということが伝わったとき、じっと座っていられなかったり、教室を飛び出してしまったりするお子さんが、落ち着いて学べるようになります。今の子ども達は、競争と多すぎる情報にさらされています。大人たちも忙しい今、学校の役割はさらに大切になっています。今、必要なのは、一人一人の子ども達に寄り添える教員、大人です。そのためにも、30人以下のクラスは絶対に実現すべきことです。
 また、私は小学校に勤めているときから、学校の図書館司書やスマイリースタッフの時間や数をふやしてくださいと、教育委員会に要望をしてきました。国立市は学校の耐震工事がまもなく終わります。そこで、その分を教育の充実と父母負担の軽減に使うように要求していきます。
 先日、もうすぐお母さんとなる方とお目にかかったとき、その方が「国立は家賃や税金が高い、保育園や病院も少ないから隣の町に引っ越すことにしました。周りにもそんな人が多いのです」といわれました。国立を子育て世代にとっても魅力的な町にしていかなければと思いました。
 子育てといえば、私もまだその最中です。しょうがいを持った私の娘が作業所で実習をしました。手作業で菓子箱の組み立てや絞り染めなどの下請けの作業です。娘は「仕事をする人になっておこずかいをためて、ヘルパーさんが持っているあこがれのアイポッドを買うんだ」と張り切っています。ところが、お給料は三百円から六百円程度です。これは時給ではなく日給です。1ヶ月働いても1万円前後です。おまけに障害者自立支援法のために、そこから給食費が引かれるので、手元にはほとんど残りません。どんなに働いてもアイポッドは手に入りません。作業所ではたらく障害者には最低限度の生活も保障されていないのです。
 こんな社会ではいけません。市役所で話を聞くと、自立支援法のためにできないことを市独自で補う努力もなされています。それはすばらしいことです。ただ予算の壁に出来ないことが多すぎると職員は語ります。
 私の娘は生まれたときに、かなり重篤になるので覚悟してくださいといわれましたが、札幌の発達医療センターでの早期訓練と親への手厚いサポートのおかげもあり、専門医が驚くほど発達してくれました。国立市には、そのような子ども達の療育センターがありません。子どもの発達相談、親子を含めて支援でき、訓練もできる施設が必要です。市の福祉課も必要だと認めています。また、障害者のグループホームや高齢者の居場所づくりが求められています。
 私はもっとも弱い立場の人々が心豊かに暮らせる社会こそ、すべての人が安心して暮らせる社会だと思います。教育や子育て、障害者の問題はすべていのちの問題、平和の問題に繋がっています。


 私の叔父は、特攻隊としてあの戦争の時代に若い命を散らせました。私は、教育が軍国主義に奉仕する人間育成になっていたことを知り、平和を愛し、真実を見抜く目をもった子どもたちを育てたいと教師への道を選ぴました。また、日本共産党が戦前から命がけで戦争反対を貫いてきた事実を知り衝撃を受けました。いのちを大切にし平和を築きたい、これが私の政治への挑戦の原点です。わたくし尾張美也子はこれまでの子育て、教員の経験を生かし、福祉や教育、くらしの切実な願いを市政につなぎ、日本国憲法が響く暮らしをめざして、しなやかにたくましくがんばってまいります。ご支援を重ねてお願い申し上げます。
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勇気を持って?!ブログに挑戦

2010年12月11日 | 議会
パソコン音痴で、メールだけは何とかできていましたが、
友人の勧めでブログに挑戦することに。
12月1日に開設しましたが、なかなかペン、ではなく指がすすみませんでしたが、
今日から始めます。

午前中は、地域のサークルである親子リズムのお手伝いに行ってきました。
今日は、12組の親子のみなさんとお手伝い4人で、わいわい、ニコニコ盛り上がりました。
私の子ども達はもう高校生以上なので、小さなおこちゃまたちとの触れ合いは
とっても懐かしく、温かい気持ちになれます。
親子リズムは、音楽にあわせて楽しく体を動かします。でも、ただの運動ではないのです。
私の親子リズムとの出会いは、宮崎市で生まれた長女の共同保育所でリズムを取り入れていました。ときどき、時間があるときに、顔を出していますが、普段使わない筋肉を使うので、
大人にとっても、よい運動です。

親子リズムで行う運動のながれは、生物の進化の過程(魚類→両生類→哺乳類→人類→グループ)を取り入れています。音の長短や強弱、調べの変化を耳で聞いて、感性を育てながら同時に身体を動かす、目と耳と身体と脳を刺激しあって総合的に 働かせることを目的にしています。また、親子でいっしょに体操することによってスキンシップがはかれます。


親子リズムは、私が子育てをしていたころから、保育園や新日本婦人の会のサークル活動などで、全国各地に広がっているサークルです。

長女は宮崎で生まれ、保育園でリズムで育ちましたが、4歳のときに札幌に引越し、友達のいない引っ込み思案の娘と私自身?のために親子リズムのサークルを作りました。イチゴクラブだったかなあ。ものかれこれ20年前の話です。

では続きは後日に・・・
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