つれづれ生活日記in桂林

桂林(中国)での生活体験、見たままの日常を紹介

帰国日記・・ 歴史を少し

2015-04-15 23:37:02 | 帰省

前回、岐阜県高山市へ案内してくれた知人の好意で、

今回仕事で行く場所の近くに「 興味を持つだろう場所がある」と誘ってくれた。

 

まずは仕事優先で?先に

仕事を済ませて貰い最初に

連れて行ってくれたところが

 治水神社でした。

 

右側から

木曽川、長良川、揖斐川 

 

 

【治水神社】

薩摩藩士を祭る為に、1927年(昭和2年)起工。地元の人々の浄財で建立されたとの事。

祭神は 江戸時代、美濃国の木曽川、長良川、揖斐川の川分流工事(宝暦治水工事)の先頭に立って指揮した

薩摩藩家老平田靱負(ひらたゆきえ)ら薩摩義士85名。 

 

平田靫負(ゆきえ)

江戸時代中期の薩摩藩家老で鹿児島市内の平田公園内に平田靱負像があります。

又、城山の登り口に薩摩義士碑があり、宝暦治水の義士ともいう。

興味のある方は 宝暦治水事件 (wi-ki)で

 

途中で腹ごしらえした後、今度は「関ケ原古戦場 に行きましょう」との事。

連れて行ってくれた彼は岐阜県生まれだそうだが、学識があり歴史の事も詳しかった。 

 

ただ・・・

天下分け目「関ケ原の戦い」 の舞台となった関ケ原古戦場にきて少し調子外れの感覚。

小説やTVドラマの影響か・・だだっ広い草原?のような場所を勝手に想像していた。

それと当日、たまたまなのか?私達2人以外に足を運ぶ観光客を見なかった。 

次回、もし機会があれば、西軍の石田三成が陣を張った笹尾山。毛利秀元らの軍勢の南宮山。

後に寝返る小早川秀秋が陣取った松尾山等々、これらの山の上からも眺めてみたいと思う。

 

そして、ここで忘れてはならないのが、島津義弘率いる島津軍の敵中突破。

これはあまりにも有名な話ですが・・義弘は辛うじて逃れたものの、島津豊久が戦死。

生きて薩摩に戻ったのは、300人の内わずか80数名だったといわれる。

詳細は友人のブログに記載がありますので、興味のある方は(そよ風と花のメロディー)を参照ください。

今回は時間の制約もありこれ以上見る事は出来なかったが、彼の好意で仕事中に時間を割いて案内してもらい感謝。

 2015/03/02

 

 

 

 

                      薩摩島津氏の家紋「丸に十の字」が見えます

 

 

                 近くの長良川の河川敷には駐車場も整備されています

 

関ケ原古戦場跡 

 

 

 

                 関ケ原ウォーランド(岐阜県不破郡関ケ原町)

敷地の中には関ヶ原の戦いを、 200体以上の戦国武将のコンクリート像で再現しているらしいのだが今回はパス。

コメント    この記事についてブログを書く
« 帰国日記・・稲沢市周辺  | トップ |  墓事情 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

帰省」カテゴリの最新記事