梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

天城越え

2020-08-25 13:03:48 | 雑記
伊豆の最高峰天城峠は色んな小説や歌に歌われている
古くは伊豆の踊子で主人公が踊り子達と一緒になる場所
松本清張の推理小説「天城越え」
幕末の下田代官所に向かう天城街道の難所としても書かれている
今では新天城トンネルとループ橋であっという間に通り過ぎるが手前から旧道を登ってゆくと旧天城トンネルに出る
幕末にはこのトンネルもなく本当に峠を超えたらしいが今でも寒い時期には積雪がある結構高い山である、
「峠越え」と言う言葉には何か独特の趣がある、
「超えればきっと」何かがある、或いは今から逃げられるという期待があるのか
しかし此れだけ交通が発達した現在では峠を越えたところでさして変わることも無い、車ならあっという間に超えてしまう、
それでも峠のピークに向かい、やがて今まで空と木々だけ見ていた景色が大きく開く瞬間はやはり心がウキウキとするものだ
浄蓮の滝を過ぎて細い急な杣道を数時間掛けて峠を越えた瞬間は恐らく現在の比ではなかったのだろう
石川さゆりの「天城越え」一番の歌詞にこんな部分がある
「誰かに盗られるくらいならあなたを殺していいですか」
不倫か忍び合いで男女の情念を激しく歌い上げるこの歌はカラオケでも懐メロでも随分人気がある、
この歌は相思相愛か、一方的な不倫関係かよくわからない、
二番では「口を開けば分かれると」とあるので彼女の一方的な思いかもしれないが
「あなたを殺していいですか」と言うのは女性の思いと怨念が染み出したような台詞だが
それがこの歌の大きな魅力になっている、
峠を越えるのは現在からの逃避か、行き止まりの峠を越せないかと願うあきらめか
しかしこの怨念はいま現実の世界でストーカー殺人と重なってしまう
歌の2人は愛情を通い合わせ歴史があり未だ苦しみながらの関係を続けていると言う訳だろうがストーカー殺人は分かれた事を恨んで、更には全く一方的に思いを寄せて振り向いてくれない、
或いは拒否されて双方の関係自体は無かったものが殺したという事が多い、
最初に好きになった相手が最高の相手であることは少ないだろう、
芥川龍之介の「侏儒の言葉」の中に「私が彼女を好きになったとき彼女が私を好きになってくれたのと同じように私が彼女を嫌いになったとき彼女も私を嫌いになってくれればいいのに」と言うのがあった
自分が好きなのに相手が自分を嫌いになった、或いはもっと好きな人が現れたというのは辛いが現実だしそのまま無理に交際を続ければ更に嫌われる事は自明の理だと思うのだが中々そうはいかない様だ、
失恋自殺、無理心中は昔から芝居や小説になって来たが一方的に好きになり振り向いてくれないから殺してしまうと言う
一体どういう風に育ってきたんだろうか、自分の思うがままに廻りが動くという事はどんな独裁者でも得られない、それが相手の心の問題なら殊更に、
どうしてこう言う人間が出て来たのか、
生まれついたのも育ったのも貧乏で力も地位も無い自分からすると何でも思うがままになって来た幼少期なのか、そのまま大人の世界に放り出されたのか
親の責任を子に言ってはいけない、やったことは本人なんだから、
しかし、育てた親も責任を感じなければならない、被害者に対してもは同然だが自ら育てるという事の重要さを理解していなかった責任を恥じなければならない、
子供を育てるという事は「人間を作る」事だという事を自覚し、未だ同じ様な欠陥人間を作っている親の自覚がない親達に知らしめるのが社会の責任ではないだろうか 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿