梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

昭和30年代の夏休み

2018-07-22 08:00:35 | 昭和の頃
暑い、毎年暑さがひどくなる気がする、
最高気温もこんなに高くならなかったと思うが体力ももっと有ったせいも或るかもしれない、
子供の頃住んでいた家は親父のてづくりだったがそこそこ住めた、
もっとも生まれついたのがその家なんでそんなものだったのかおしれない、
八畳と六畳に三畳に靴脱の一畳の土間に一畳半位の囲炉裏スペースが有った、
東が入り口で長庇が有って40坪程度の庭が有ってその先は畑だったがお袋の具合が悪くなってからは花畑になった、
屋根は杉皮葺きで八畳は長手が東に向いていたが此方側に長庇が有って雨が降っても振り込むことは無かった、
雨が降ると開け放した八畳間から長庇の幅だけ先に雨だれが落ちるのをぼんやり見ていた、
何を考えていたのか覚えているわけもないがその時間が好きだったことは覚えている、
夏になると開け放して畳に直にごろ寝をしていた、
雨戸を全部戸袋に入れて開放してある東側から風が勝手の土間を通って抜けてゆく、
裏側は真竹(こっちでは”はちこう”と言ってたが破竹だろう)の林で風の音が聞こえる、
それで十分に涼しかった、しかし時折訪れる虻には昼寝を邪魔されたが、
夜も開け放しだがその分蚊がすごい、寝床はその八畳間に蚊帳をつって寝るのだが晩飯はかやの中とは行かない、
食卓は囲炉裏の脇の三畳で摂るので囲炉裏に火を入れて生の草を入れて盛大に煙を上げる、
蚊いぶしだがここらではごく普通にやっていたが一般的かどうか、
かみさんは東京生まれだから同年輩でもおそらく知らないだろう、まあ聞いたこともないのだが、
蚊燻しには薄と蓬がよく使われる、薄は水気が多いので燃え上がる事が少ないのと蓬は元々除虫効果があると言われていたしまあ香りも良い、
蚊だけではなく人間も燻されながら食事を終えるとツギハギだらけの蚊帳に逃げ込む、
蚊帳の端を両手で持ち勢い良く上下に煽って急いで飛び込む、
蚊帳の中は風が通らない、渋団扇でお袋が風を送ってくれるのが気持ちよかった記憶と蚊帳の匂いがする、
姉とホタルを獲ってきて蚊帳の中に放すとあちこちにとまって点滅する、
ホタルは源氏と平家がいるのだが時期は少しずれていた気がする、
カジカの鳥のような鳴き声と食用蛙の牛のような声と殿様蛙の大合唱もあって結構田舎の夏は賑やかである、
特に蛙の合唱は親父が「うるせえ!」という位大合唱だった、
学校で決められた川の淵が天然のプールで子供達は夏休みの大半を此処で過ごす、
河原の石は炎天に炙られて焼けるほど熱いが山の水は冷たく時間を忘れて浸かっていると唇が紫色になる、
低学年の子供は自覚が無いので上級生が溺れ事故もチアノーゼも気を使っていた、
同年だけで遊ぶほど一地区には子供は居ないので小学校以下は子供組である、
上が下を見るのは当然で大人も安心して子供同士で遊ばせていてそう言う事故は全く無かった、
今ではどんな遊びをしているのか、ノスタルジーだと言われればそれまでだが我々にとっては今よりずっと楽しい夏休みだった気がする、
それにしても「クーラーが無ければ命に危険」なんて夏は無かったよな、
第一「クーラー」なんぞは村中探しても無かったし、市内でも店には有っても自宅に付いているという家庭なんかは殆ど無かったと思う、
体がと言うより最近の気象がおかしいんだろう、気象庁の発表でも最高気温の更新が各地で言われている、
地球はどうなっちゃうんだろうな、
安倍政権が続けば日本もどうなっちゃうのか非常に不安で仕方ないが自然の脅威は仕方ないにしても一部の人間の脅威は何とかしたいと切実に思う、
選挙が頼りだがあまりに野党支持が無い、せめて自民党内で対処してほしいものだ

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2 コメント

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Unknown (太郎)
2020-06-23 20:04:40
素晴らしく懐かしい気持ちになりました。
昭和の夏休みの匂いまで伝わる文でした。
二年前のブログに投稿失礼致しました
Unknown (mikadukifukurou)
2020-06-23 21:55:01
可分のコメント有り難うございます、太郎さんも同時代を生きた方とお見受けしました、既に昭和も遠く成りにけりですがまあ其なりに生きて来まし
たね、

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