梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

芋焼酎を買ってきた

2019-10-31 08:52:56 | お酒
行きつけの酒屋で芋焼酎のセット売りをやっていた、
千円提訴を組合せ自由2本で1500円、900mlだからまあ手ごろか、
殆どが薩摩のもので初めて見るモノがほとんどだったので買ってみる

こちらは飲んでみると匂いと刺激をおとなしくした薩摩白波に近い、
湯割りにしたら結構いける、
かみさんはずっと麦なので飲ませてみたら「美味しいね、麦に戻るとちょっとつまらないかもしれない」と言う

次いでこちらもあけてみる、
こちらは紅芋で白麹だそうだ、こっちのほうが若干おとなしい、
その分含味がふくよかな気がする
結局三日で両方とも開けてしまった、2本で3千円程度を2千円でもやっていたのでこちらを買ってくるか
酒は何でも飲む、特にこれが好きだというのもだめだというのもないがあまり甘い奴はだめだ
度数の低いのもあまり飲まない、酔うまでに腹がいっぱいになってしまう事もあるが味自体がつまらない
しかし糖尿の数値が上がったので醸造酒を控えることになってウィスキー、ジン、ラム等と焼酎を主にしている
いろんな原料の焼酎があるが芋は独特の癖があるのでなかなか手が出なかったのだが最近は飲みやすくなった
子供のころの我が家は赤貧で酒好きの親父が飲むのは合成酒だった
いくら位だったかわからないがガラスの徳利型に入った「ゴードー」と書かれたやつか樽から升に入れて飲むモッキリで飲んでいた
村に一軒だけある雑貨屋は酒屋でもあって摘みもなしで立ち飲みができた、
自宅のバス停から一つ先の子の酒屋で飲んで帰るのが親父の日課だったがある日全く金がなくなって
家に帰ったが我慢が出来ず「同じ酒だ」と言って味醂を飲んだことがあった、「甘え、不味い」」と言いながらそれでも飲んでいたことを思い出した
思い出すと面白い話だが掘立小屋で裸電球の下で味醂を飲むなんて生活はやっぱりやりたくなかっただろうな、
まあそんな生活からだったからどうなっても自分の生活が下降するという事はなかった、
手の届く距離にある豊かさはホンの僅かだったから今の生活は何の不満もない
それがいいのか悪いのか、残りはもう少し楽をしたいという気持ちと(働くことはやめられないだろうな)と思う気持ちがあい半ばだな
かみさんにはもう少しいい思いをさせてあげないと約束と違うかな

金木犀が香る、そうだ酒を呑もう

2019-10-27 12:17:29 | 雑記
金木犀が香る、
団地の植え込みにもあるが通勤途中の家にも咲いている
まだ小学生のころの通学路、昭和30年前後だから未舗装の砂利道が小さな川を越えて、蛇行した川をもう一度超えた右手の畑の中に一本だけ立っていた
香りと言うものは記憶を呼び起こすと言うがこの香りが匂うとこの景色が浮かぶ、
もう少しで枝いっぱいに黄色な小さな花をつけて馥郁と香りを待ち散らすとその木の下を黄色に染めて散ってしまう
桂花陳酒と言う酒がある、白ワインに金木犀の花を漬け込んだ酒で匂いが素晴らしいがあの甘さがちょっと苦手だ、
梅酒も嫌いではないがやはり甘さがつよく楽しむとまでは飲めない
先日ヤマヤでコーヒーのリキュールを見かけた、暫く悩んだが結局買わなかった、
一つは(あまいんじゃないか?)と言う懸念とコーヒー好きな自分にとっては酒と珈琲を一緒にするという事を想像したら(何か違う)と言う事になった
糖尿のせいで醸造酒を避けているのでいろんな蒸留酒を買い込んでいる、
基本的に何かを漬け込まなければどうしても味に個性が出てこない、無論原料で色んな味を楽しめるのでラム、ジン、ウォッカ、ウィスキー、焼酎と買い集めているのだが何かもう一つ変わった味を楽しみたいと考えてみるが甲類焼酎に漬け込んで作る何とか酒と言うやつは大抵甘く作られている、
ホワイトリカーを買ってきて何か漬け込んでみようかとも考えているのだが香りだけではただのアルコールだ、だからと言って砂糖を入れたら市販のものと変わらなくなってしまう、
芋焼酎はあの匂いが個性だからこれはだめだ、ウオッカがいいか、ブランディがいいか?
まあ、そこまでして飲むこともないんだけどね

児雷也

2019-10-25 16:42:58 | 雑記
通勤で通る小路は一般の家が並んでいる
殆どの家に植木だったりフラワーポットだったり何らかのものが置いてある
次に多いのが置物、犬か猫、時々ペンギンだったり、門柱の上にシーサーが居たりする
その中に一軒焼き物の蝦蟇が置いてい有る

愛嬌のある蝦蟇だが背中に2匹の子蝦蟇が載っている、
蝦蟇あるいは蟇蛙、私の田舎ではあまり見なかった、大きな蛙は食用ガエル、「ウシガエル」ともいう
鳴き声が「モ~」と野太い声で鳴くのでそう呼ばれていた、本来夜行性で昼間は鳴かないが暗くなるとのそのそとあぜ道に上がってくることもある
大きいものjは30cm位ある、足を持って吊るし上げると前後の足間は45cm以上もある
東京に来て江戸川区に住んでいた時中川放水路近くには蝦蟇がのそのそと歩いていたことが有った
この蝦蟇を見て思い出した漫画が有る、未だ漫画雑誌すら殆どないころ何の本だったか「児雷也」と言うのを見た記憶が有った
若しかしたら漫画ではなく絵物語と言う子供向けの本だったかもしれない
忍術使い(この頃は忍者ではなくこういった)の児雷也が操るのが巨大な蝦蟇、巻物を加えて印を結ぶとドロン、ドロンと言う擬音と同時に
煙が湧き、児雷也の数倍もある蝦蟇が現れる、児雷也はその背中で印を結んでいるのだがなんで巻物を咥えているのかわからないがそれが定番である
対する忍術使いが操るのは大蛇である、これも煙とともに現れて背中に忍術使いが載っている
そしてもう一匹(?)が蛞蝓である、蝦蟇・大蛇・蛞蝓が三すくみになると言う設定でいつまでたっても決着はつかない
だから物語緒は延々と続いてゆくのだが若しかしたら紙芝居かなんかが元なのかと調べてみたら大本は江戸時代の末頃の絵草子だったらしい
一体いつ頃なんだろう?
猿飛佐助と言う漫画を描いていた変わった漫画家が居たが彼が確か一度書いていた気もする
未だ月刊漫画誌が出始めたころで「少年」か「少年画報」」だったか?
思えばあの頃から未だに見ているな

ベーシックインカムと楢山節考

2019-10-22 13:56:32 | 雑記
世界的にベーシックインカムが検討されているらしい
富の偏在は大きくなり座視していられない状況になっている
つい先日世界の資産家上位7名の資産額が残り全人類の総資産額が同じになったという記事が出た、
新自由主義と言う考えが経済世界のスタンダードとして認識されたせいだろう
社会的な責任と言う考え方は隅に追いやられてというより否定されて経済活動は自由だから
集めた金が更に金を吸着する事は当然の事でそのことによって最低限の社会的生活が脅かされても
それは経済的敗者で我々が資産をかき集めることは自由の原則にのっとているというのが言い分だ
しかし金融と言う社会のシステムは金融原資を持つものに更に資産を流入し、資産を持たないものは
ただ生きるという営みだけで資産は減少してゆく
このことは資産を持っている人間の能力や努力ではなくシステムとして金が金を集めているだけにすぎず資産が集中し始めれば雪崩効果として格差を広げる
資産量によるヒエラルキーと言うか持つものと持たないもの間にカースト的な階層が生じている
早急に手を打たなければ結局経済は一か所から動かなくなり国家すら崩壊しかねない
富の再配分と言う事は歴史的には革命と言うかたちで何度か繰り返されているがそのたびにシステムはその危険を回避する方法を学んできた
ロシア革命もフランス革命も中国共産革命も結局ヒエラルキーの形を変えただけで新たな階層が生まれ、自らが勝ち取った経験から避ける方法を学んでしまう
大衆が団結するには論理武装が必要だ、それを避けるために「自由の権利と責任」と言いう方程式を考え出したのだろう、
7人の資産が残り300億の資産を上回るのなら7名の資産に全税収の分課税すれば今と変わらない国家運営は可能だという事になる、
これをもって残りの人々の生活保障をするという為に生きているだけで最低限生活ができる給付をするというのがベーシックインカムだが無論高額資産家からの税収でと言うわけではない
現在持っている資産を使ってしまったとき次の収入の当てがない、だから使わない、使わないから経済活動は低迷する、
しかし例え今ある金を全部使ってしまってもまた来月になれば同じように給付がある。となれば人は消費をする、消費をすれば末端経済はグローバルに動く、
そうすれば経済は内需外需も含めた活性化し、廻って経済界の所得も増え、税収も上がる
まあ、理想論だがそれがベーシックインカムの狙いだろう、
僅か100年くらい前貧困と言うものは悲惨をきわめていた、
今の世代で「楢山節考」を知っている人はほとんどいないだろう、おそらくそれを見ても「絵空事」にしか見えないだろうがそれは全国にあった、
そして敗戦から奇跡の復興を遂げた高度成長期に生活経済は底上げされ、姥捨てや口減らし、餓死などは消えていった、
しかし新自由主義が台頭してきたここ数十年、実際に餓死が散見されるようになった、
歴史の後退である、それがすべて「新自由主義経済」せいだとは言えないかもしれないが
貧困の底流にあるのはやはり福祉を切り捨てても経済成長が正義だとする考えがあるように見える
浮浪者と言われる人はいつの世も居たがそれすら許さない社会と言うのが成熟した社会、人間が目指していた社会なんだろうか

住民自治会を住民が抜ける、

2019-10-20 14:02:45 | 雑記
私の住んでいる区営団地で少々面倒な事が起きている、
区営団地は基本的に建物やインフラに関する維持管理は区の住宅課で受け持っているが庭や通路階段等の共用部分の維持管理は住民の管理になっている
その為に団地自治会というものがあって入居するときに住宅課から通達をされて入居した、
自治会が管理するのは毎月一度の共用部分、特に緑地を含む庭の草むしり等、ゴミ出しの用意と撤去、建物の共用部分の照明器具の点検管理と共用電気と水道の代金の管理等である
区との連携の為に「連絡員」と言う係があって8年くらい同じ人がやっていたが基本的に住民が選任した人間ということになっている、言わば区の住宅課と知事会のパイプ役である
しかし長い年月連絡員という位置に居たために当人は自治会の上に立っているという様な意識になったらしい、
今様な言い方をすればすべて「上から目線」」であり、傍若無人な振る舞いも増えて来ていた、
しかし、連絡員と言うのは面倒な仕事であろうという事で長年彼の代わりになるという人が現れなかったのだが年毎にある自治会役員の交代の為の自治総会の時に例年とおり「連絡員選任をします」と言った所新しく入居した人が「マンション管理人の資格を持っているので勉強の為にやってみたい」と立候補をした、
元の彼が「自分はずっとやっていたから自分のほうが適任だ」と発言したのだが住民達には彼の言動にうんざりしていた事が影響して改選結果は100:0と言う結果になってしまった、
それからと言うもの、彼は住民と顔を合わせても全く挨拶もしなくなってしまう
顔を合わせたら挨拶くらいはだれでもするのだが彼は気が付かないのではなく明らかに相手の顔を見てというより睨んで一言も声を出さない、
私だけではなく女房も「なに、あの人は」と言っていたのだが件の月例清掃の時に多くの人が同じことを言う、
「まあ、そういう人か」と彼に対する評価が浸透したころ自治会長のところに手紙が投函された
前半もかなりの文章だが後半に「私は10月をもって自治会を退会する」と書かれている、
「ゴミ当番は継続するが月例掃除は出ない、自治会で年に一度行っている下水管清掃は自分でする」と書かれてある、
自治会規約を確認したが「入居と同時に自治会員の資格を得て退去時に資格を失う」としか書かれていない
確かに「住民は自治会に入らなければいけない」とは明記されていない、
したがって区が「維持管理は不動産にかかわらない部分は自治会が責任をもって管理する」自治会は何と任意団体と言う事になってしまう
会長が区の住宅課に問い合わせたところ「話し合ってください」と言う回答だったらしい
同じような案件はあったのか、あったならどう言う解決方法があるのかと問いただしたが明確な回答はなく「よく話し合ってかいけつしてください」という以上の回答はなかったと言う、
会長がネットで調べた結果では公営団地と町内会で同じようなトラブルがかなりあるらしいが裁判沙汰になった案件もあるという、
法律家の解釈は「住民自治を強制するのは憲法の基本的人権にかかわる恐れがあるので如何の自治会でも退会できる、町内自治会に強制はできない」」と言う事が一般的な解釈のようだ、
確かにSNSで「近隣トラブル」の掲示板などでも引っ越した先の町内会が新住民を排斥するとか嫌がらせをするとかの掲示がある一方で先住の人から「新しく引っ越してきた方が全く自治に協力をしてくれない」と言う掲示も同じくらい見られる
大抵の場合はそこに馴染めない人は居た堪れなくなって退去引越しをすることが多いようだ、
出てゆくほうからすると「追い出された」となるが残ったほうからすれば「おんでて行った」と言う事になる、
新住民と先住民との諍いはおそらく昔からあっただろう、地方地区によって生活のリズムやルールは微妙に違う、
「郷に入っては郷に従え」と言う言葉がある、前の郷ではこうだったといったところで軋轢を増すだけである
まあ今回の問題は10年以上住んでいたわけだから「郷に従わない」わけではない
自治会長が「とりあえず個人的に話してみるしかないがおそらく翻意は難しいだろうと思いますね」
「しかし此の侭自治会を任意に退会できるという前例が出来てしまえばおそらく自治会そのものが維持できなくなる」と言う事も確かである
会長が一人で負う事ではないが総会で決めても彼は他の事例を確認したうえでの行動の可能性もあり
開き直っているわけだからさらに意固地になるだけだろう
50歳を廻った大人だが一体どうしたいのだろうか