梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

恥と卑怯者と下衆共

2016-01-31 08:22:01 | 雑記
小松左京氏だったか筒井康隆氏だったか?「日本人は卑怯者ばっかりになった」と言っていた、(なるほどそうかも知れないな)と思ったが私は「卑怯者ばかりになった」と言うより「日本から卑怯という言葉は無くなった」とずっとか感じている、卑怯と言うのは他人から言われる以前に自分の生き方として絶対にやってはならない規範であり卑怯者の謗りを受けそのお名を甘んじて受けなければならぬ時には自ら命を絶つくらいの矜持を持つというのは難しいにしても卑怯者の自分を知る人間が居る所から姿を消さなければ生きられないのが
当たり前だったはずだ、「卑怯者の家族」がどれだけ肩身の狭い思いをしなければならないか、それが日本の文化だったはずだと思う、
今流行の「日本人優秀民族」論の様な根拠の無いものではない、優秀な民族というのではなくそれは永い歴史と文化の中で培われた日本社会の一種の帰着だったのではないか「恥の文化」と言われて久しく今の社会で「恥」と言うのは金が無い、人と同じものを持っていない、流行りの知識に疎いと言った全く外観だけになってしまったようだ、下から上までと言うより上から下へ、特に政治家、官僚、財界トップからだろう、金を集め格差を広げ資産残高と地位の高さが日本人と言うか「人間の価値」を決定すると言うシステムを作り上げて更に寡占を目指す、ここ迄格差が広がって最下層が上に上がるのはほぼ不可能になってしまているのに最下層で相互扶助どころか共食いのような卑怯な行為を繰り返す、
下らない芸能ニュースだが「下衆の極み乙女」と言うバンド名が飛び交っているが「ゲス」と言うのは「最低」の人間だという事だ、あんなニュースが無ければ知りもしない名前だが仮に知ったとしても呆れ返る以前に拒否反応が起きただろう、自らを「下衆の極み」と言うのには「自虐的な」ジョークならまだしもどうやらこのゲス野郎共はそれが自慢のようだ、
翻って周りを見ると「卑怯者」の烙印は「自慢」の様な連中もかなり見かける、虐めの構造はその最たる物か、
日本はどうなってしまうんだろう

最新の画像もっと見る

コメントを投稿