おぐりっつあのカルタ

おぐりっつあ、というのは、ロシア語できゅうりという意味です。hippo,子どもの育児のことを書いています。

おぐりの中国体験 抜粋

2016年11月19日 19時53分47秒 | 日記・エッセイ・コラム
キキマンツアーのメールを飯能のMLに転送しがてらちょっと解説をつけたら面白いと言ってもらえたので
抜粋しました。。
まとめられないので切れ切れですが・・・。(^^;)
そして、どこが面白いのか自分だとよくわかんない・・・。

ちなみにおぐり中国渡航歴(大学で中国文学専攻。一応(^^;)
88年 香港、マカオ(返還前) 家族旅行
92年夏 北京5週間短期語学留学 週末旅行で大同、承徳 学校の卒業旅行で北京→西安→成都→大足→重慶→武漢→北京
95年春 西安1か月短期語学留学 週末旅行で洛陽、自分で切符買って開封 飛行機の切符は北京→西安 帰りは西安→北京→大連
96年春 手配旅行 上海→昆明→大理
00年夏 上海 (ツアー)
03年秋 上海(ツアー)

台北も3回行っています(笑)


久々にピンイン書いて思い出した中国語勉強している人あるある
1)女子トイレ前のwomenで戸惑う。うぉーめん?私たち・・・いやいやウィミン!女性!
2)you 有?没有? 違う、ユー!あなた!!
1は私だけではなかったけど、2はさすがにいないかも?
youが読めなくなった時は、自分の英語は終わったなと思いました。

学生の時は第2外国語でドイツ語、サークルで手話もやっていたけど、多言語で楽!というのはあまり感じなかったかな。
(中国語は英語よりは楽だったけど)
ヒッポに入って多言語になってからは、あまり書かないせいか、より濃い文字にひっぱられるもないかなー?


***以下、以前に送ったもののまとめ***

1992年に短期留学して、終わった後の旅行の、(北京→西安は、別アルバム)→成都→重慶→三峡→武漢 あと北京市内うろうろしてます。
成都の動物園のパンダは昼行ったら爆睡していました。パンダを見るには朝一がいいんだそうです。って思い出したこと書いているから脈絡ないなあ・・・。

・ツースオザイナーを波で言ったら通じたのは報告で聞いて、すごいなと思いました。

・鄭州って中国の交通の中心で、都も昔あったような・・てうろ覚えで書いちゃって対不起~。
ネットで中国の宿を予約できるなんて隔世の感!って感じです。
2回ほど中国個人旅行しましたが、ドミトリー泊まっていたころは、タクシーと交渉して(しかも降りるときに吊り上げられ(苦笑)
ホテルに朝か夕方ついて泊まれるか交渉、でしたねえ。(10時頃がねらい目)
子どもによく考えなさい、とよく説教するけど、考えなしは私の血なんだよなあ・・・とほほ。

・守られている、という表現がありますが、ヒッポで初めてイタリアにホームステイに行った時に、自力で宿取らなくていいんだ!楽だ―!刺激が足りねえと思ったのは内緒です(笑)
そう言えば、一人で電車に乗らないと行けなくって、何のために皆で一緒に行くホームステイに申し込んだのと青ざめたんでした(笑)帰りは仲良くなったイタリア人と観光もしちゃって集合時間にまんまと遅れました。98年冬イタリア交流

・金で安心と安全を買う、って発想なかなかないよねえ。と読みながら思いました。
私が行った当時は乗り換えに時間かかるし、学生なので時間はあるから、当日中の移動とかは考えられなかったけど、
当日中に移動できるなんて、進歩だなあ、と思いながら読みました。


・私は陸路での国境越えは02ドイツ→オランダを電車で1回、04?キルギス→カザフスタンを車で1回あります。
EU内は割と何ともなかったけど景色が変わったなーとかでした。キルギスの時はなんとなくものものしかったように記憶しています(笑)
余談ですが、カザフでピクルスを買って、スーツケースに入れたら、なかなか検査が通らず、ガイドさんに「ビンの中に液体と何か入っているのはなんですか?」と聞かれて、
ピクルス・・・と言ったら同行者にえらく怒られた。。。同時多発テロから3年後?だったしねえ・・・・。
だって03ロシア交流の時に食べたピクルスおいしかったんだもん・・・。

・大学の先生が北京大学に1年留学していた時に、黄色い麺と白い砂が懐かしい、(中国の麺は白くて砂は黄色い)と言っていたのを思い出しました。

・禹王の禹の字は蛇って意味と漢字の授業で習いました。
川を蛇や龍にたとえる話は、古事記の暗号にもあったかな?

・確か黄河を挟んで小麦文化と米文化が変わると聞いたような・・・。
94年2月に西安→洛陽に行った時に黄河を渡ったとたん暖房が止まったのには参りました。

・汽車は火車(huo che おぐりはふぅお ちゅー、えの口でうと習った)
パスポートはhu zhao手へんに戸と照、ふぅぢあお、とかちょっと南下するとふざおになったような。。。
そのこに出てきますよね。

・かるたを読んでいると昔 西安で切符買った時の、音も思い出すし、風景やにおいも、ほこりっぽさも思い出します。

・子どもに対してわが同志よ!と思うこともあれば、真生気!の時もあります。。。対不起。
我 人門 外国人 うぉーめん わいぐおれん women waiguoren
我 買 7個人 票 うぉー まい ちー ぐ れん ぴぃあおwo mai qi ge ren piao
有 へん 多 時間 ようへん どー しーじぃえん you hen duo shi jien
かな?

パスポートは、ホテルに泊まる時、切符買う時、などあらゆる時に使ったけど。。。20年以上経ったけどなあ。。。(笑)
冬でも駅前に寝ていた人はいたかなあ。TVで見た戦後の買い出し電車を連想しました。

・昆明は行きました。公園が岩山登りだった記憶が(^^;)
換 銭 口馬?huan qien ma?ふあん ちえん ま? お金換えて!
有 零 銭 口馬? you ling qien ma? よう りん ちえん ま? 細かいのある?
は、現地で覚えてよく使ったなあ~。


そういえば、95年上海→昆明に行った時は2泊3日の電車の移動で、贅沢して軟wo(一級寝台車?個室)にしたんだけど、同室の人が赤ちゃん連れの夫婦で、
夜泣きがひどくて寝られなくて、
何とかしてくれ!と起きたら、(大学生で赤ちゃんにも免疫なかったんだよ~(ToT)許して~(ToT))

お父さんが目を真っ赤にしてあやしていて
お母さんが疲れて寝落ちしていて

すみません…と何も言えずに寝ました。


出産してからたまに思い出します(^_^;)

その赤ちゃんも21歳かあ…(^_^;)

あと、春節(旧正月)は外したけど、清明節のころだったみたいで、車窓から花火がずーっと見えました。色はだいだい色だけなんだけどね。

17日チラッと外国人用のお金の話をしていて思い出しました。
92年の時はワイピwaipi外巾(兌換券:外国人用のお金)がありました。
94年にはrenminpi人民巾(人民元)になってましたね~(^O^)

銀行で替えたお金で留学先の西安外国語学院で食券を買おうとしたら、
じゃーだ(暇的?jiade)と言われた衝撃は忘れられません。

銀行で替えたとゴネて買えましたけどね(^_^;)