言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

「貸し渋り」 ではなく、「借り渋り」

2009-11-11 | 日記
リチャード・クー&村山昇作 『世界同時バランスシート不況』 ( p.58 )

 ガイトナー財務長官は、金融救済を急がなければならない理由として、金融救済をずっと先延ばしした日本の例を挙げ、このことが日本の不況を長引かせた原因であるとしているが、これは二つの意味で全く事実に反する発言である。その一つ目はガイトナー氏は、日本は銀行の不良債権問題にずっとフタをして対応を遅らせた結果、銀行が資金を実体経済に供給できず、それが不況を長期化させたとしているが、これは日本の銀行がこの間ずっと貸し渋っていたと言っているのと同じである。
 しかし、日銀短観のなかにある借り手企業側から見た銀行の貸し出し態度を見ると、一九九〇~二〇〇五年の一五年間で本格的な貸し渋りが起きたのは、一九九七年十月から一九九九年三月までの一八か月だけであり、これを除く期間では、企業側が、銀行はかなり積極的にお金を貸そうとしていたことを認めている(図11)。
 実際、一九九五~九六年頃の邦銀の貸出態度は「出前の蕎麦よりも早く銀行がお金を持ってくる」と言われたバブル期とほとんど同じくらい積極的であった。
 ところが、それでも企業側は、自分たちのバランスシートの修復を優先したため、図11の下にあるようにゼロ金利でもお金を借りようとしなかった。つまり日本では、借り手の減少の方が貸し手の減少より速く進んだのである。つまり日本の場合、銀行の「貸し渋り」よりも企業の「借り渋り」の方が不況の原因としては大きかったわけで、確かに日本には大きな銀行問題があり、一部では貸し渋りもあったが、それが日本経済低迷の主因ではなかったのである。
 ということは、ガイトナー財務長官の言う不良債権処理を急がなければ日本と同じ長期不況に陥るというのは、全くの事実誤認ということになる。当時の日本では、不良債権処理を急いだところで、企業のバランスシート調整が続く限り、景気が上向く理由はほとんどなかったからだ。


 バブル崩壊後の日本の金融問題は、誤解されている。日本では、( 例外的な期間を除き ) 「貸し渋り」 ではなく、「借り渋り」 が発生していたのである、と書かれています。



 日本での、バブル崩壊後の長期不況について、金融システムに原因がある、という見解があります。その背景には、

   不況が続くのは、銀行がお金を貸し出さないからだ、
   銀行が貸し出さないのは、銀行が不良債権を抱えているからだ、

という発想があります。この見解は、「早く不良債権を処理しなければ、いつまで経っても、不況は終わらない」 という発想に結びつくのですが、

   じつは、銀行が貸さなかったのではなく、企業が借りようとしなかった

というのが真相である、というのです。バブル崩壊によって、バランスシートが傷んだ企業にしてみれば、あらたな投資を行って事業を拡張するどころではなく、早く債務を返済して、バランスシートをきれいにしたい。当然だろうと思います。



 と、すると、不良債権の処理は急がなくともよい、ということになります。不良債権があるために、銀行が貸さなかったのではなかった。それどころか、日本では、銀行は積極的に貸し出そうとしていた。とすれば、不良債権の処理を急いだところで、景気はよくなりません。

 したがって、バブルが崩壊したときの対策としては、( 不良債権の処理も必要ではありますが ) 企業のバランスシート修復を速める政策をとるべきである、ということになります。



 私は、「大恐慌時の対策」 で、借り手の立場が重要であると述べましたが、著者は、別の径路をたどって、同じ主張をされています。不良債権の処理を急ぐべきか、にまで踏み込める点で、また、実証的な資料によっている点で、著者の径路のほうが ( はるかに ) 優れていること、もちろんです。

PPIPのスキーム

2009-11-11 | 日記
リチャード・クー&村山昇作 『世界同時バランスシート不況』 ( p.56 )

 三つ目の問題はガイトナー財務長官が〇九年三月末に発表した、官民が協力して銀行の不良資産を買い取るというPPIPのスキームにある。本当に銀行が売りたい価格で買い手が現れるかどうか、または買い手が買いたい価格で売り手が現れるのかどうかという点では依然として大きな疑問が残るからだ。
 もしもそのような価格が実際に存在するのなら、その価格で官民協同による不良資産処理を進めるという考えは悪くないが、二〇〇八年十月、ポールソン前財務長官が打ち出したTARP(不良資産救済プログラム)という不良資産買い取り案が結局、資本投入に衣替えしたのも、またそれ以前に提案された民間でこれらを買い取るスーパーSIV(ストラクチャード・インベストメント・ビークル)構想が頓挫したのも、この当事者全員が納得できる価格が見つかりそうもないということが原因だった。
 今回は、新たに設定される官民ファンドの借り入れを政府が保証するという "補助金" を出すことで、買い手ができるだけ高い買い値を出すことが期待されているようだが、そのインセンティブで売り値と買い値のギャップが本当に埋まるのかどうかはまだ不透明である。民間投資家からしてみれば、最終的に転売して利益を確定しなければならず、いくら借り入れに政府保証があっても、将来転売できると思う価格以上で買うわけにはいかないからだ。


 大きな問題の 3 つ目は、銀行の不良資産を買い取るスキームにある。売買が成立する価格が存在するのか、高い買い値を出す買い手が存在するのかが、問題である、と書かれています。



 「商業用不動産価格の暴落」 に続く、3 つ目の問題とは、銀行の不良資産を、高く買ってくれる買い手がいるかどうかである、とされていますが、



 「大恐慌時の対策」 でみたように、不良債権の買い取りには、金融システム安定化の効果がないのですから、

   「銀行の不良資産を買い取る」 発想そのものが、おかしい

のではないかと思います。

 不良資産の買い取りについては、著者 ( リチャード・クー ) 自身、否定的な見解を示しておられます。次に引用します。



同 ( p.46 )

 二〇〇八年十月に米議会を通過した「金融安定化法」に基づく公的資金七〇〇〇億ドルについても、当初はまだ資本投入という話ではなく、資産の買い取りという話であった。しかし、資産の買い取りでは何の解決にもならない。なぜなら一〇〇円のものが二〇円になっていて、その二〇円のものを政府が二〇円で買ったところで、これは二〇円の形が変わるだけで、銀行の損失問題には何一つメスが入ったことにならないからだ。




 もっとも、今回の場合は、米銀に対する資本投入を行ったうえで、「銀行の不良資産を買い取る」 スキームが出てきているのですが、「買取」 に効果があるのかどうか、それ自体が、疑問です。

 価格が折り合わない、という話以前の問題ではないかと思います。