えくぼ

ごいっしょにおしゃべりしましょう。

前衛短歌が忘れたもの

2018-10-31 14:01:15 | 歌う
永田和宏と三枝昂之の対談「前衛短歌が忘れたもの」は内容が濃い、プリントに永田は塚本邦雄の次の3首を

1、革命家作詞家に凭りかかられてすこ
しづつ液化してゆくピアノ

2、五月祭の汗の青年 病むわれは火のごとき孤独もちてへだたる

3、日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係も

朝日歌壇の投稿から短歌をはじめた私は塚本邦雄の短歌を知ったとき驚いた、日常から遠く離れた短歌、1と3は全く分からない。30年も前のことである。「未来」に所属し岡井隆も塚本に追従する前衛歌人と知りとまどう。

🔘 ひぐらしはいつとしもなく絶えぬれば四五日は(躁)やがて暗澹
🔘 歳月はさぶしき乳を領てども復た春は来ぬ花をかかげて

永田のプリントに記されている岡井隆の歌は塚本の前衛短歌とは異なるような感触だ。「肉体が感じられる」と永田が指摘する。私には岡井隆の歌は情念、前衛は歌のスパイスに思える、永田は岡井の歌に肉体が感じられると。
そして「短歌は一人ではやれない」という永田のひと言が貴重に思えた。

永田は細胞生物学者であり朝日歌壇の選者、学生時代から前衛短歌の影響を受けている。1時間半の永田と三枝の対談はとても内容が濃く贅沢な時間だった。おふたりに感謝しています、

「前衛短歌が忘れたもの」のプリントを丁寧に読みまた書きたいと思っております。

日本歌人クラブ創立七十周年

2018-10-30 14:41:13 | 歌う
午後1時から始まった記念シンポ第一部は3人の優良歌集表彰。🌹柳田主於美歌集『三六一の路』🌹牛山ゆう子歌集『しぐれ月』🌹本多真弓歌集『猫は踏まずに』これらの歌集について

『三六一の路』は藤井徳子が歌集から20首を抄出。その中から1首を記す。🔘 晴れもよし雨もまたよし庭のへに鶯啼きてふたりの夕餉

『しぐれ月』は倉沢寿子が20首を抄出。そのなかから次の歌を。
🔘 お帰りと出てくる父はもはや居ず床の間の眼鏡がわれを見てゐる

『猫は踏まずに』は釣美根子が20首を抄出、その中から次の歌を。
🔘半年の通勤定期をちやんと買ふわたくしはいつも長女ですから

解説を聞いていると、それぞれどれも魅力的だ。毎年思うが優良歌集を選ぶ過程で選考委員はさぞ迷うだろう。

3人への受賞の花束、受賞のご挨拶が終わり、10分の休憩後は永田和宏と三枝昂之の対談、今日はここまで、

明日のブログも読んください。
おふたりの対談は「前衛短歌が忘れたもの」熱っぽい対談でした。

怒らないコツ

2018-10-27 13:48:00 | 歌う
土曜日の朝刊の本の広告はド派手だ。まして今日は読書の秋の週末である。その中で私が引きつけられたのはスリムな広告、幅5センチほど、自由国民社も初めて知る出版社、『怒らないコツ』植西聡著

あなたが怒れば怒るほど、幸せはあなたから遠ざかる、気持ちを穏やかにし、感情的にならずに「ゆるせるない」が消える95のことば。

この本は私のための本のように思えるほど私はいつも怒っている。新聞やテレビを見れば、私達を守ってくれるはずの優秀な役人の汚職が次々に、1200円のこの本が41万部も売れているのは怒っている国民がわんさといるからだろう。

🔘 投げたなら卵の当たる位置にいるあの人は今日もわれを無視する

私がいま怒っている人たちは話しかけられる所にはいない。テレビに卵を投げても役人などにはぶつからない。日本を困らせている私利私欲の人間はゴキブリのように生き伸びるのか、

🔘「そのうちに何とかなるさ」「そのうちに冬が来てそしていつまでも冬」

ゴキブリは真冬も生き伸びる。嗚呼

「ブル一マンディ自殺」

2018-10-25 10:56:01 | 歌う
日本の中高年男性の自殺は月曜日の朝に集中している、そんな調査結果を早稲田大などの研究チ一ムが国際専門誌に発表した。と昨24日の夕刊朝日の報

休日明けの月曜朝の自殺は「ブル一マンデ一」として知られているがこの発表では出勤時間帯が要注意だそうだ。昨年の自殺者数 は2万1321人、月曜日に、40~65歳男性が集中している。その割合は失業率が上がると増える傾向がある。

ブル一は爽やかで清らか、青海原や青春、青い鳥などプラスのイメ一ジ、でも青息吐息などという言葉もある。

🌊 足もとより広がりてゆく津軽海峡の青は清らか、青はつれない

世田谷幕末維新祭り

2018-10-24 13:34:11 | 歌う
わが知らぬ維新のころを想いつつ松陰神社に来ており、紅葉

10月27(土) 28(日) は維新150周年で第27回萩・世田谷幕末維新祭りがある。世田谷区陰神社通り商店街で開催。
山口・萩市、福島・会津若松市の商店街も加わりパレ一ドなど約1キロ、
3日後ですが松陰神社まで散歩しました

わが知らぬ維新のころを想いつつ松陰神社に来ており、紅葉

処刑後の吉田松陰いま此処に改葬されて永久の眠りを

「幕末維新祭り」にゆくためタンスより母の形見の和服取り出す

和服とは我には悲しく辛き服、葬儀の時のみ着る黒き服

桃色のジャケットにしょう週末の「幕末維新祭り」 にゆくとき

パレ一ドや踊り、物産展を見たり、食べたり買い物したり世田谷ボロ市の常連が大勢集まることでしょう。