今更ですが、前に書くと言っていた、私の症状についてまた書きます。
・全身血の気が引いて恐ろしいほどの寒気がし、ゆたんぽなど熱いものにしがみついていないと気絶しそうになってしまう。
一回につき2時間程度、ずっと続く。
これを自分では発作と呼んでいる。
主に活動(家事、外出など)、人と話をしすぎた時、に起こる。
病が発症したばかりのころは最悪で、
音、光、文字を読むこと、人の気配、何かをしようと思うこと、食事、入浴、感情が湧くこと、
によっても発作が引き起こされていた。
詳しく書きます。
音…外から聞こえてくる町内放送の音、家の廊下の家族の足音、家族の話声など、すべての音が聞こえるだけで発作。
誰かと会話をしようにも、相手の声が頭にビンビン響いて、とても会話をするどころではなかった。
あまりに大変なので、家族に頼んで耳栓を買ってきてもらったほど。
電話での会話もきつく、仕事場に欠勤の電話をするたびに、発作で数時間寝込んでいた。
光…とにかく明るい光がダメで、雨戸を閉めて部屋の明かりもほとんどつけられない状態だった。光の刺激で発作が誘発されるため、テレビ番組などはほとんど見られなかった。
文字を読むこと…とにかく活字を追うことだけでも発作が起きてしまうため、携帯メールや読書などがダメだった。
何かをしようと思うこと…とにかく些細なことでも心に何かを思っただけで、発作が起きてしまう。
思う、いう行為でもう駄目。
たとえばお皿を洗おうかな、などと思うことさえできなかったため、食後に自分の使ったお皿一枚洗うことができなかった。
そのため、日中はベッドに横たわりながら、必死に空や雲を見て、なにも心に浮かばないようにして、毎日何時間も何時間も過ごしていたのを覚えている。
本当にきつかった。
人の気配…ただ黙っているだけでも、たとえ家族とでも、人と同じ部屋にいることができなかった。発作が起きてしまった。
自分以外の人が同じ部屋にいるだけで、わずかでも心もちが一人のときとは変わる。
それが私の病には悪いようで、そのわずかなプレッシャーで発作が起きてしまった。
気を使う、という行為が特に発作を引き起こした。
あとは、自分がいる部屋のドアを開けられると発作が起きてしまうため、ドアを開けないでときつく家族に頼んでいた。
入浴…お湯を浴びたり、体を洗ったり、入浴に動作の刺激で心拍数が異常に上がった。
また、その刺激で大きな発作が起きないように、おまじない代わりに入浴前に頓服を飲んでおく、なんてこともしていた。
これは今でもそうで、シャワーに入る前は発作予防に、事前に頓服を飲んでいる。
シャワーから出ると、疲労感、耳鳴り、心臓がバクバクして2時間程度寝込んでいた。とても毎日入浴するなんてできなかった。
(その名残で、少しだけ体調が安定した今でも、私は週に一度程度しか入浴できない。)
食事…一口食べ物を飲み込むのに、一時間かかった。
のみこんだら飲み込んだで、発作で寝込む。
お腹は空いているのに、食べるという刺激を、脳みそが容量オーバーで受け付けてくれない感じだった。
体が食べ物をほしがっているのに、脳みそが受け付けてくれない。
まるで頭と体が分離してしまったようだと感じた。
お腹がすくたびに、「食べて発作を起こして寝込むか、食べないで餓死するか、どっち?」
と自分に言い聞かせていた。死ぬ気で食べた。
大変なんてものじゃなかった。
感情が沸き起こる…喜怒哀楽を感じると発作。たとえばTV番組を見ていて、面白い、感動、など感じると心臓バクバクが現れた。
日常の何を見ても、なにも感じないように常に意識せねばならず、すごく大変だった。
そのほか、頭痛ではないのに頭の中が常にギンギンザラザラしていたり、耳鳴りが常にしたり。
診察に行くためにゆっくりゆっくり自転車をこいでいるだけなのに、息切れが止まらなかったり。
テレビのハラハラドキドキするシーンが特に心にプレッシャーがかかって、発作が起きてしまって見られなかった。
同僚から「がんばれ」と一言メールをもらっただけなのに、その言葉に発作を起こしてしまったり。
なぜか過去の悪い出来事ばかりが思い出されて、毎日大号泣する日々もあった。
不眠も毎日あった。
毎日毎日発作が起こらないように、なにも心に浮かばないようにして、ソファに横たわり、音量をゼロにしたテレビを薄目で観て、薬を飲む時間までを心の中でカウントダウンするだけの日々。
外の景色を見るのが、月に一度の診察時だけだった時。
季節が変わっていることに気づかず、春に、病院までの道のりに花が咲いていてびっくりしたこともある。
入浴できないせいで頭がかゆくて、髪をかきむしりながら暗い部屋で、、獣のように佇んでいた日々。
心も頭も体も、本当に何もできないので、時にはいらいらして、部屋の中のものを壁に投げつけては当たった。
仕事で使っていた大事な楽譜は、すべて破いて棄てた。
食事ができないため、このままでは死んでしまうのではないかと、診察のたびに医師に泣きついていた。
体重も36キロまで減った。
これらすべてが一度に私を襲った。
毎日毎日、何カ月も。
本当に、死ぬかと思った。よく生きていたと思う。
今思い返すと、それはそれは地獄だった。
・全身血の気が引いて恐ろしいほどの寒気がし、ゆたんぽなど熱いものにしがみついていないと気絶しそうになってしまう。
一回につき2時間程度、ずっと続く。
これを自分では発作と呼んでいる。
主に活動(家事、外出など)、人と話をしすぎた時、に起こる。
病が発症したばかりのころは最悪で、
音、光、文字を読むこと、人の気配、何かをしようと思うこと、食事、入浴、感情が湧くこと、
によっても発作が引き起こされていた。
詳しく書きます。
音…外から聞こえてくる町内放送の音、家の廊下の家族の足音、家族の話声など、すべての音が聞こえるだけで発作。
誰かと会話をしようにも、相手の声が頭にビンビン響いて、とても会話をするどころではなかった。
あまりに大変なので、家族に頼んで耳栓を買ってきてもらったほど。
電話での会話もきつく、仕事場に欠勤の電話をするたびに、発作で数時間寝込んでいた。
光…とにかく明るい光がダメで、雨戸を閉めて部屋の明かりもほとんどつけられない状態だった。光の刺激で発作が誘発されるため、テレビ番組などはほとんど見られなかった。
文字を読むこと…とにかく活字を追うことだけでも発作が起きてしまうため、携帯メールや読書などがダメだった。
何かをしようと思うこと…とにかく些細なことでも心に何かを思っただけで、発作が起きてしまう。
思う、いう行為でもう駄目。
たとえばお皿を洗おうかな、などと思うことさえできなかったため、食後に自分の使ったお皿一枚洗うことができなかった。
そのため、日中はベッドに横たわりながら、必死に空や雲を見て、なにも心に浮かばないようにして、毎日何時間も何時間も過ごしていたのを覚えている。
本当にきつかった。
人の気配…ただ黙っているだけでも、たとえ家族とでも、人と同じ部屋にいることができなかった。発作が起きてしまった。
自分以外の人が同じ部屋にいるだけで、わずかでも心もちが一人のときとは変わる。
それが私の病には悪いようで、そのわずかなプレッシャーで発作が起きてしまった。
気を使う、という行為が特に発作を引き起こした。
あとは、自分がいる部屋のドアを開けられると発作が起きてしまうため、ドアを開けないでときつく家族に頼んでいた。
入浴…お湯を浴びたり、体を洗ったり、入浴に動作の刺激で心拍数が異常に上がった。
また、その刺激で大きな発作が起きないように、おまじない代わりに入浴前に頓服を飲んでおく、なんてこともしていた。
これは今でもそうで、シャワーに入る前は発作予防に、事前に頓服を飲んでいる。
シャワーから出ると、疲労感、耳鳴り、心臓がバクバクして2時間程度寝込んでいた。とても毎日入浴するなんてできなかった。
(その名残で、少しだけ体調が安定した今でも、私は週に一度程度しか入浴できない。)
食事…一口食べ物を飲み込むのに、一時間かかった。
のみこんだら飲み込んだで、発作で寝込む。
お腹は空いているのに、食べるという刺激を、脳みそが容量オーバーで受け付けてくれない感じだった。
体が食べ物をほしがっているのに、脳みそが受け付けてくれない。
まるで頭と体が分離してしまったようだと感じた。
お腹がすくたびに、「食べて発作を起こして寝込むか、食べないで餓死するか、どっち?」
と自分に言い聞かせていた。死ぬ気で食べた。
大変なんてものじゃなかった。
感情が沸き起こる…喜怒哀楽を感じると発作。たとえばTV番組を見ていて、面白い、感動、など感じると心臓バクバクが現れた。
日常の何を見ても、なにも感じないように常に意識せねばならず、すごく大変だった。
そのほか、頭痛ではないのに頭の中が常にギンギンザラザラしていたり、耳鳴りが常にしたり。
診察に行くためにゆっくりゆっくり自転車をこいでいるだけなのに、息切れが止まらなかったり。
テレビのハラハラドキドキするシーンが特に心にプレッシャーがかかって、発作が起きてしまって見られなかった。
同僚から「がんばれ」と一言メールをもらっただけなのに、その言葉に発作を起こしてしまったり。
なぜか過去の悪い出来事ばかりが思い出されて、毎日大号泣する日々もあった。
不眠も毎日あった。
毎日毎日発作が起こらないように、なにも心に浮かばないようにして、ソファに横たわり、音量をゼロにしたテレビを薄目で観て、薬を飲む時間までを心の中でカウントダウンするだけの日々。
外の景色を見るのが、月に一度の診察時だけだった時。
季節が変わっていることに気づかず、春に、病院までの道のりに花が咲いていてびっくりしたこともある。
入浴できないせいで頭がかゆくて、髪をかきむしりながら暗い部屋で、、獣のように佇んでいた日々。
心も頭も体も、本当に何もできないので、時にはいらいらして、部屋の中のものを壁に投げつけては当たった。
仕事で使っていた大事な楽譜は、すべて破いて棄てた。
食事ができないため、このままでは死んでしまうのではないかと、診察のたびに医師に泣きついていた。
体重も36キロまで減った。
これらすべてが一度に私を襲った。
毎日毎日、何カ月も。
本当に、死ぬかと思った。よく生きていたと思う。
今思い返すと、それはそれは地獄だった。