Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

TOSCA (Wed, Apr 14, 2010) 前編

2010-04-14 | メトロポリタン・オペラ
以前にもこのブログのどこかで書いたことがあると思うのですが、はっきり言って、
誰が何と言おうと、オペラに”演出家の時代”が存在したことなんて、一度もない、と思っている私です。
優れた演出というのはもちろん存在しますが、それが優れた公演になるには、いつだって歌手の力が必要で、
演出の良さだけで公演を引っ張れることなんて絶対にありえない。
では、逆に演出が悪い時は?そんな時、歌手はどれくらい、その悪い演出を救うことが出来るのか?

今回、Bキャストの『トスカ』で、この非常に興味深い命題への答えを、
答えのみならず、その答えが導かれるプロセスも合わせて見る・聴くことが出来たのは、
私にとって、本当に本当に貴重な体験であり、シーズンも残り一ヶ月を切った今、
まさしく今シーズンのハイライトと言ってよいイベントとなりました。

今シーズンのオープニング・ナイトで、Madokakipを怒りのあまり失神直前に陥れたボンディによる新演出『トスカ』。
理由は過去記事(オープニング・ナイト2回目の公演シリウスの放送HDの時の公演)にある通りなので、
ここでは繰り返しませんが、あれから半年近く経った4月のBキャストは公演数が4回。
(その後、さらにデッシらを含む別のCキャストで4回の公演が予定されています。)
このBキャスト4公演のうち、鑑賞できた3公演について、
おまけ(出待ち編)付きの3部構成『トスカBキャスト』シリーズとして、綴っていきたいと思います。

今回はその第一部、Bキャスト初日編(4/14)なんですが、本編に入る前に、プロローグを。

 プロローグ 

驚くべき偶然が重なり合い、まるでMadokakip自らがキャスティングしたような、
ラセット、カウフマン、ターフェル、ルイージというドリーム・チームとなったBキャスト。
しかし、たった10日前に交代が発表されたラセットは今シーズン、ヒューストンでロール・デビューしたばかり、
カウフマンは直前まで風邪のため、移動にドクター・ストップがかかり、NY入り出来たのは、B初日のたった3日前の週末、
ルイージはオケとのリハーサルは一回もないまま(かつ、メトで『トスカ』全幕を振るのは今回が初めて)、
もちろんターフェルも含め、全員ボンディの演出で歌う・演奏するのは初めて、
という、決して簡単でない条件の中、この『トスカB』の物語は始まったのでした、、。

 本編 

Aキャストと同じ配役で、最近では『ハムレット』の先王役でも健闘していたピッツィンガーのアンジェロッティ。
彼の歌唱にAキャスト時の公演よりもさらなる気合が入っているのは気のせいではあるまい、、。
明らかに、このBキャストの公演が特別であることを意識しながら歌っています。
堂守はAキャスト時のプリシュカから変わってデル・カルロ。
プリシュカがかわいいおじいちゃん風の堂守の典型の一つだったとしたら、
デル・カルロの方は、もう少し俗物さを押し出した役作りがユニークで、
声もプリシュカより立派なせいもあって(プリシュカはもうかなりのお歳なので無理もないのですが、、)、
快活な堂守になっています。
特に一番最初に聖水盤のところにバケツの水をぶちまけて立ち去ろうとして二歩ほど歩いたところで、
あわてて十字を切るのを思い出し、面倒臭そうに”どうでもいいや!”という勢いでそうする場面など、
あまり信仰厚くない”雇われ堂守”風なのが笑いを誘います。
(MetPlayerでAキャストのプリシュカはここをどのように演じていたっけ?と思って見てみると、
一応立ち去りながら面倒臭さうに切っているので、基本的には同じアプローチなんですが、
プリシュカの演技が全く観客、少なくとも私の記憶には残っていないのに対し、
デル・カルロのそれは劇場中から笑いが起こりました。)



そして、登場するカウフマンのカヴァラドッシ。
帽子を目深にかぶったままでトレンチ・コートを翻しながら登場する姿に、
”ハンフリー・ボガートみたいなカヴァラドッシだわ、、。”と思う。
しかし、それは決して格好をつけたり、自分を格好よく見せるためなのではなく、
その後に続く、人の食べものに手をつけようとしている堂守を見咎め、
”Che fai? 何してる?”といいながら、彼を蹴り倒す仕草や、
さらにいらいらぴりぴりした様子で、片胸のマグダラのマリアの肖像にかかった布を外す様子に、
ああ、彼は反体制のホットヘッドな芸術家としてカヴァラドッシを描こうとしているんだな、ということがわかる。
Aキャストのカヴァラドッシ、アルヴァレスの演技はどこか全体的に温厚なので、
堂守を蹴る仕草そのものになんだか違和感があるのですが、
カウフマンの場合は、そもそも彼が描かんとしているカヴァラドッシのキャラクターから、
信仰もないのに、生活の糧として教会におもねり、
人の食事までちょろまかそうとしている小者な堂守への軽蔑の念が伝わって来ます。
怒っているのです、世の中に対して。このカヴァラドッシは。
”妙なる調和 Recondita amonia"が始まるまで、この間、時間にして、ものの一分あるかないか、
それで、あっという間に彼がどういう風にこの役にアプローチしようとしているのかが観客にはっきりとわかる、
正直言うと、この日の彼の演技はラセットの演技とのバランスから言って、
少しカヴァラドッシが過多に”過激派芸術家”に傾いていた部分もあるのですが、
しかし、それでも、自分の演技の方向をすぐに感じ取ってもらえるように演じられるというのは、優れた才能だと思います。
そして、その”妙なる調和 Recondita amonia"。
彼の声がテノールらしくなくて嫌だ、という方、結構いらっしゃって、
私の連れの後輩もことあるごとに”変な声”と馬鹿にしているらしく、
今度うちに遊びに来る時は、入って来れても、出ることは出来ないかもしれないよ!って感じなのですが、
彼の言うことはわからなくはないです。
私が、”で、あなたはどう思う?”と連れに尋ねると、
彼も、”いや、、、僕はパヴァロッティのカヴァラドッシとか聴いたことがあるからさ、、。”
と訳のわからないことをしどろもどろになりながら呟いておりました。
要は、パヴァロッティみたいなテノール・オブ・テノールな声じゃないのが嫌みたいです。
明日から、連れのご飯が食卓に載る事はないな。

カウフマンについては、テノールにしてはバリトンっぽい、という形容をよく見かけ、
私もある程度はそうだと思うのですが、今回、一連の『トスカ』鑑賞をして、
彼の声を”変な声”と感じる人は、必ずしもバリトンみたい、云々ということだけに反応しているわけではなくて、
音が喉に引っ込んでいるように聴こえる、それが不自然な発声に感じられて嫌だ、ということなのではないかと思います。
またそのせいで、彼について、”声量がない”という間違った印象をずっと持っていたヘッズが結構な数いたようなのですが、
それが大きな間違いであることは、今回の『トスカ』を生で聴いたオーディエンスには十分証明されたと思います。
確かに声を喉の奥に戻して発声されているように感じられる個所があるのは事実で、
それは特に中音域、もしくは高音の後に降りてくる支えの低い音といったところで顕著だと思うのですが、
しかし、彼の声の響きに最も魅力が出るのは高音域で、
高音域になるにつれて、音が前に飛ぶようになり、
例えば、このRecondita amoniaのラストのsei tuの前のaの音、二幕のVittoria, vittoriaなど、
『トスカ』の作品の中でテノールの決め玉となる高音に関しては、これをどう聴いたら声が小さいと思えるのか?という位、
メトでも十分端の端まで届く音で、かつ、彼の高音の魅力は音のスピードが速い点にあると思います。
高音がただきちんと鳴っている、というだけではなくて、
こちらが座っている場所に速球のピッチャーが球を放り込んで来る様な感触があって、
ミットに速い球が入って来た時に、手がぴりぴりするのと同じように、耳に風圧を感じるのです。
オペラハウスを圧するようなタイプの大声ではないのに、高音に存在感があるのは、
このスピード感が大きなファクターになっていると思います。
歌のフォームの綺麗さでは、Aキャストのアルヴァレスも優れていると思いましたが、
『トスカ』という作品では、声や音のスピード感が非常に大事だと思うのですが、
アルヴァレスにはそれが若干欠けているために、聴いていて、あまりスリルがないのです。

それから、4/24のマチネ、つまり、ラジオ放送の日の観客は、フライング拍手という自らの愚かさゆえに聴き損ね、
ラジオの放送でも案の定かき消されて聞こえなくなってしまっていましたが
(本公演の翌日に放送されたものをインターネットで聴きました。)
初日も、それから二度目の公演(4/17)でも、”妙なる調和”の最後のsei tuのtuを、
フル・ボイスから滑らかにデクレシェンドし、かなり引き延ばしながら、消えるように音を消していく、
という技を見せていました。
ここをこのように歌うのは、賛否両論があるでしょうが、
(おそらく、しつこい!嫌味だ!意味ない!楽譜にそんなこと書いてない!と感じる人もいるでしょう。)
それでも、一聴の価値はあるエンディングで、彼自身、考えた上でこのように歌っているわけですから、
24日のマチネの日に、フライング拍手をかました大勢のオーディエンスに対し、
わたくしが火の玉級の殺意を抱いたことは言うまでもありません。

後、歌唱の面でカウフマンのカヴァラドッシを特徴付けているのはピアニッシモ、ピアノといった弱音の使い方で、
例えば、一幕のトスカとの二重唱で、È qui che l'esser mio s'affisa interoからそのまま
次のフレーズの頭のOcchioに歌い上げながらなだれ込んでいくテノールが多く、
私も生の舞台で聴いたことがあるのは、いや、録音でも、大体そのパターンだったと思うのですが、
カウフマンはこのOcchioの頭のoの音で、ものすごく音を絞って見せます。
それから、第三幕でカヴァラドッシの前に現れたトスカから、彼女がスカルピアを殺害したという告白を聴いて、
彼女の手を握りながら、”こんな清らかな手が殺人を、、”と歌う場面の、
O dolci maniのフレーズは、、、ああ、もうっ!!
すみません、ここで彼が出す、ほとんど消える寸前にまで絞った音は美しすぎて、形容する言葉がありません。
もちろん、この得意のピアニッシモが、”星は光りぬ E lucevan le stelle"の、
Oh, dolci baciのフレーズに生かされないわけがありません。

ただ、少しまだ風邪を引き摺っていたのか、この日は、高音の中にゆるぎないしっかりしたものと、
クラックには程遠いですが、一瞬こちらがひやっとするようなテクスチャーが混じる音が
混在していたことは付け加えておこうと思います。
(これは日を追うに連れて少なくなっていきました。)
それと、カウフマンのすべてを許してしまう私でも少し気になるのは、
メロディアスでない短い音に、少し置きに行ったような、棒読み的なテクスチャーが入る点で、
これは、実はカウフマンだけでなく、イタリアのネイティブでない今回のBのメイン・キャスト全員について、
共通して言えることなんですが、こういう部分がもっとしまると良くなるかもしれません。
また、カウフマンのカヴァラドッシの、歌唱の肉付けの仕方は、日によってほとんど差がなく、
かなり、自分の中で煮詰めて今の表現に至っているように見受けました。



ラセットが演じるトスカは、彼女の声自体が、トスカ役の理想とされるよりはほんの少し小さいことを彼女自身意識してか、
火のように怒りっぽい高ビーなトスカではなく、どこか可愛らしさを感じるトスカ像で、このトスカを見て、
“この女やだ。”と思う観客はあまりいないのではないかと思います。
スカルピアの策術にのって、マグダラのマリアが描かれたキャンバスに切りかかるあの馬鹿ばかしいシーンでさえ、
マッティラの時と違って、観客から全く笑いが出ず、きちんと場面としてファンクションしているのは、
その直前にアッタヴァンティ侯爵夫人の紋章が入った扇を投げ捨てる迫力と、
キャンバスに切りかかるのに使った金属の棒(絵を描くときに使う道具なんでしょうが、名前がよくわかりません。)
を床に落すタイミングとその音が作る音、
それからその音からオケと一緒に歌いだすまでの無音の“間(ま)”を巧みに利用しているから
(もちろんここはルイージのセンスも貢献しています。)で、こういう所に彼女の演技能力と舞台本能の高さを感じます。

声の話に戻ると、彼女の声はどこか優しい感じのする響きがあるせいで、トスカ役へのアプローチとしては、
かなりリリカルな方に寄っていると思いますし、彼女自身、声を虐待するような無理な歌い方をしていないのは、
私は良いことだと思いますが、トスカに猛烈な強烈さを求める人は物足りない、と感じる人もいるかもしれません。
3日通して大体その傾向があるのですが、特にこの初日の公演では少し高音がきつく感じるところがあって、
ニ幕目のスカルピアとのやり取りで何度か出てくるドラマ的にも大事ないくつかの高音で、
ほんの少し音に迫力を欠く部分があったり、
”Vissi d'arte (歌に生き、愛に生き)”の、マッティラが手こずっていたSingnoreで、
音のピッチがほんの少し甘く入ったり、段々音を絞っていく段階で息が足りなくなったか、
最後まで綺麗に絞りきれなかったり、というようないくつかの改善点がありましたが、
これは彼女自身も後に続く公演で克服しなければいけない点としてきちんと自覚があったようで、
後の公演ではかなり改善されていました。
彼女のトスカの歌唱で、むしろ気になったのは、リズムの取り方が甘く感じる部分がある点で、
時にルイージやオケとのディスコーディネーションを生む原因になっていたように思います。
特に第一幕で一箇所、どう考えても、彼女のとっている音が短い個所があって、
その後に続くフレーズも前のめり気味に歌っているのですが、
これは、ヒューストンで歌った時に指揮した指揮者(もしや、、パトリック・サマーズ?)の仕業なんでしょうか?
ここの癖はちょっと抜いた方がいいかも、、と思います。

ただ、アメリカのヘッドもヨーロッパ(特にネイティブ)の歌手へのコンプレックスが結構強いのか、
私なんかが見ていると、自国(アメリカ)の歌手には、ディクションやピッチを理由に、ことさら評価が厳しい気がするのですが、
(例えば、ネイティブでない国の出身の歌手と、同程度のディクションの問題があったとしても、
必ずと言ってよいほど、アメリカ人歌手の方への風当たりが強くなる。)
ラセットもその例に漏れず、色々言われたりしているようですが、
私は正直、もうちょっと評価しないとあんた達、罰が当るよ!という気持ちで一杯です。
というか、彼女ほどきちんと作品を自分の中に取り込むことが出来て、かつそれを
演技と歌に昇華させられる歌手は今世界レベルで見てもそうはいないのに、、と。
彼女は決して世紀の声と呼べるような特別な類の声を持っているわけではなく、
むしろ声自体は平凡な方に入ると思いますが、(なので特に音でしか彼女の公演を聴かない人に評価が厳しい人が多い。)、
実際の舞台で見ると役としての説得力が高く、しかも歌う相手、その時の空気によって、
役作りを器用に変えることが出来るので、何度見ても聴いても飽きないのです。

まだ歌と演技の練れ方が後日の公演に比べて浅かった、この初日の公演でさえ、
その点においては、割と演技が上手いと一応(というのは、
私はそれを自分の目で実感したことがない、、。)評価が高いマッティラと比べてさえ、
クラスが違うことが良くわかります。
たとえば、マッティラが出演していたAキャストの公演では、ただ、ただ、mess(ぐちゃぐちゃ)と評価するしかなかった第二幕。
スカルピアの股間目がけてのめった刺しはもちろん却下し、腹部に二度ナイフを突き立てる演技に変えた他、
スカルピアに迫られる場面でマッティラのようにたった数歩だけ動くという、
逃げる振りをしているとしか見えない中途半端な演技をなくして、
舞台のたった一点で、スカルピアがトスカを羽交い絞めにしながら、
彼女の太ももの間に手を入れて開こうとするのを、ラセットがそうはさせじと膝に力を入れるという、
これだけで、このシーンの持つわいせつ度が猛烈にアップ。
それから、スカルピアを殺した後。ここも、自殺が頭をよぎっているという設定のはずでマッティラが窓枠に上った時は、
”あら?トスカは外を眺めて何を考えているのかしら?”というような、
オペラハウスにいる観客には自殺の意図がはっきり伝わってこない演技だったのに対し、
ラセットからは、前のめりになって慌てて引っ込む様子、それから、その後に、
”私はどうしたらいいの?”という感じで、窓の横枠に顔を突っ伏して泣く仕草の絶妙な長さ
これらによって、十分すぎるほど、トスカが自分の命を絶とうとしたことが伝わってくる場面になっています。
それから、この後に、例の、Madokakipを激怒させた、トスカがソファーに引っくり返って、
アッタヴァンティ夫人の扇で顔をあおぐシーンがありましたが、
何と初日は、ブリンがその前のシーンで、うっかり窓際に扇を置くのを忘れ、
扇のある場所を咄嗟に知ることが出来なかったラセットが、
握り締めた片手を頭に載せて幕が降りる、という、アドリブで切り抜けることになりました。
私は公演を見ている段階ではそのいきさつを知らなかったので、
”さすが!ものをわかっている彼らはあの扇のシーンは取りやめにしたのね。”と思っていましたが、
どうやら、上の事情が本当であったことは、2回目の公演から扇が復活したことからも確認されました。
(また、リハーサルでも、扇を窓枠に置くという設定で演技が行われていたようです。)
しかし!!!!この2回目の公演以降の、扇の使われ方のラセットの発想の転換の上手さに、
”そうか、同じ扇であおぐのでも、こういう説得力のある表現の仕方があったか!!”と、
感嘆させられることになります。
それはまた、シリーズ第二弾の記事で詳しく。


<Madokakipをびっくり&感嘆させたブリンの超クレバーな役へのアプローチとは? 後編に続く。>


Patricia Racette (Tosca)
Jonas Kaufmann (Cavaradossi)
Bryn Terfel (Scarpia)
John Del Carlo (Sacristan)
David Pittsinger (Angelotti)
Eduardo Valdes (Spoletta)
Jeffrey Wells (Sciarrone)
Keith Miller (Jailer)
Jonathan Makepeace (Shepherd)
Conductor: Fabio Luisi
Production: Luc Bondy
Set design: Richard Peduzzi
Costume design: Milena Canonero
Lighting design: Max Keller
Gr Tier B Odd
ON

*** プッチーニ トスカ Puccini Tosca ***

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17 コメント

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ドキドキ。 (ゆみゆみ)
2010-04-27 23:11:28
私は未だ2幕目で止まっています。だって何度も聞きたくなるのです。
カウフマンに関しては「そうだ~~!!」仰るとおりです。あれで病後?
彼は確かに少しこもるところもあるのですが、本当に高音は無理が無く、私は、今回音しか聞いてませんが、“歌”を通して何を伝えんとしているのか。の意思を感じます。ラシェットさんは、2幕目はきつそうな場面もありましたが、私は絶対に買わないと思っていた「トスカ」の訳本の購入を決めました。
だって彼女が歌を通し何を言おうとしているのかを一生懸命に聞こうとしている自分がいて、私が感じた物が合致しているのかを知りたくなりました。つまりもう「トスカ」に、はまっているのです。
2幕まではターフェルも素晴らしいです。
これを3回もご覧にうらやましい。
私がビューイングを見ておけば良かったと考えるのは、カウフマン・ラシェット・ターフェルがどんな動きをしているのか想像がつかない。なので見ておけば良かった、どんな物でも。
実は私カルロさんが大好きなのです。彼も出ていたとわ
NY行きの飛行機を新幹線の代わりに使い、こういう公演は見に行かねば・・・。
マドカキップさんの続報楽しみに
返信する
早く続きを~♪ (sora)
2010-04-28 01:37:28
私もラジオで聴きました。(24日の公演)

ラセット登場の際の、カウフマンの「Ecco mi」が男らしくてかなりツボにはまりました。
「ma~rio三連発」から「Sone qui~」コントはかなり自然に流れていましたね。でも「Sone qui~」はEcco miほど面白くなかったのでカウフマンには再検討して欲しいです(←何を求めているのでしょう私は。。。)

>24日のマチネの日に、フライング拍手をかました大勢のオーディエンスに対し、
わたくしが火の玉級の殺意を抱いたことは言うまでもありません。

ほんとにー。ちょっとちょっとー、聴こえないじゃないのさ!!となりますよね。


ターフェルは登場した途端に顔を思いだしてニヤニヤしてしまいます。2幕目のトスカが隠れ場所を白状した時のターフェルの声ときたら!電車で聞いていて吹き出しそうになりました。(いえ決して悪い意味ではございません。私ほんと小学生の様な反応ばかりでお恥ずかしい限りなのではありますが、こればかりはレベルの問題なので如何ともしがたく。。。)
ターフェルレポが楽しみです~☆

ラセットさん、私には蝶々さんの印象が強すぎて、全くトスカのイメージではありませんでした。でも録音で聞く限り初めはあれ?こんな声だっけ?いいじゃないの、となりましたが、やっぱりちょっと高音での声の浅さと、ビブラート、それから「ニャ」っとした発音が録音では気にるところでしょうか。生か映像で観たいものですね。

演奏で気になったのは2幕のスカルピアとトスカの対決シーン。もうちょっとオケで盛り上げてもいいような気がしましたが、録音の問題でしょうか?ラセットさんの「悪魔め!!」とかカウフマンの「Aime!!」とかツボにはまって“うしし”でした。

「トスカ」って面白いですね~。自分のいやらしい内面を認識したかと思うと物凄く素敵な音楽にうっとりしたり。私には大興奮オペラです。「Vittoriaーーー!!」あー面白い。

続きのレポを楽しみにしております。


返信する
2幕よかったですよね。 (NAO@NYC)
2010-04-28 01:51:23
こちらでの「ファビオ、トスカ代振り」のニュースを聞きつけて、私も速攻チケット購入!いってまいりました♪
何を隠そう、私も初日にボンディの目の前で(本当に目の前!!) 怒りの声をあらげた人間ですが、キャストの力によってココまで魅力的になって来るとは、やはりオペラは歌手、指揮者、オケの力に寄るもんだなとつくづく思いました。

ターフェルとラセットの2幕の掛合いとっても面白かったですよね。
何度か違う演出でも見る機会があったトスカですが、どの演出でも意外と間延びして見えてしまっていて、あまり好みではなかった2幕を、今回はターフェルの超エロのはまり具合で面白く見せさて頂きました。迷いの無い演技は本来の演出の持つポテンシャル以上のものを引き出していたような気がします。

ただ所々、例えば、1幕の終場ではテ・デウムのご一行様がスカルピアの止まることのない野望にドン引きする場面があったとおもうのですが、どうも演技のつじつまの合わない所もあったり、歌手個人の采配だけでは救いきれない所もあるのだなと、ボンディ演出の呪縛の恐ろしさを思い知らさせた所でもありました。

Victoria!の部分もカウフマンは良いんですが、きっかけが解りにくい所が残念。


とにかく後編でさらに、ファビオさんをどのように切ってこられるか楽しみです!
返信する
ルイージ、主席指揮者。 (NAO@NYC)
2010-04-28 06:48:49
ファビ雄さんのオペラを聴ける機会が今後多くなりそうですね。
素晴らしい事だと思います。
ティーレマンにドレスデンを蹴り出されて以来、その行方を注意深く伺っていましたがMETに来てくださる事が多くなるとは!
嬉しくってたまりません!!
返信する
メトオケさん。 (ゆみゆみ)
2010-04-28 09:41:40
今回ウィーンフィルを聞いてきましたが、実は「メトオケ」が懐かしく思えました。
「トスカ」を聞いて、場面によっては、クラシック感溢れる重厚な音が・そして、ある場面では、ミュージカルのワンシーンを思わせるような音。と楽しんでいます。←だから2幕から次へ進めない。
殆ど練習の無い中であのような舞台ができたというのは、やはりプロなんだと感心です。
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三幕にも行ってみてください! (Madokakip )
2010-04-28 12:10:53
 ゆみゆみさん、

二幕で止まっているというのもすごい!!(笑)
幕ごとに繰り返し聴いていらっしゃるんでしょうか、、?
私なんて、あいかわらずせっかちなものですから、通しをリピートです。

なるほど、、確かに動きがわかっている方が、多少、舞台のイメージはつかみやすいかもしれないですね、、。
でも、今回のキャストはかなりみんな頭を使って、Aキャストとは演技を変えて来ていますので、
舞台から受ける雰囲気は全然違います。
この演出は目に毒ですしね、いいですよ、ご覧になってなくて。

三幕もいいんですよー。24日の三幕は、ラセットの演技にやられました。
この日の放送の音源を聴くと、あの演技を思い出して、しんみりしてしまうのです、、。
それから、三幕のアリアの前に、舞台の手前でカヴァラドッシが寝ているんですが、
アルヴァレスの時は、米俵が転がっているのかと思いましたが、
カウフマンは寝姿もエレガントで、寝顔がこれまた素敵でした。
感想はBキャストシリーズ第三弾まで、お待ちくださいね!
デル・カルロさんは出待ち編でも登場しますのでお楽しみに!
返信する
ブリンに注意 (Madokakip )
2010-04-28 12:15:46
 soraさん、

>Ecco miほど面白くなかったのでカウフマンには再検討して欲しいです

あはは、笑えなかったから、再考してください!って?(笑)
でもですね、この24日はもうだいぶ慣れて、そうでもなかったんですが、
初日の時、メトの舞台が大きいというのをうっかり失念していたのか、
Son qui.(僕はここだよ)といいながら、舞台の奥にある扉に行くのに、
時間が足りなくなったみたいで、いそいそと急ぎ足になっていたのが可愛かったです。

>フライング拍手

そう、ここは私、今日はどういう風に締めるのか?と楽しみにして待ち構えていたのに、
音がまだデクレッシェンドしないうちから、歓声と拍手が上がり始めた時には、
“!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!”でした。
まだ数人なら、shhhhhhhh!!で制することもできるのですが、もうああなってしまったらお手上げです。
ただ、カウフマンは、“ちゃんと聞けよ、てめーら!”みたいな表情をするのかと思ったら、
全然そんなことなくて、すごく嬉しそうでしたね。
(口の動きからすると、初日と同じように歌っていたはずです。)

>あー面白い

うんうん、やっぱり『トスカ』って、こういう興奮がないと!!
行きますよー、後編!ブリンが大暴れしますから気をつけてください!!
返信する
トスカ、ルイージ (Madokakip )
2010-04-28 12:17:40
 NAO@NYCさん、

NAOさんはいつの公演をご覧になりましたか?
今回、私は力のある歌手と指揮者がどのように公演を形作って、
また互いに調整していくか、という、そのプロセスがすごく興味深かったです。
私が見た3回の公演同士でも、それぞれ、カラーが違っていて、
この初日の感想には、24日の舞台の感想と同じではない部分もあります。
ただ、全体としては、NAOさんがおっしゃっていることが、まさに私の考えを総括してくださっている気がします。
有能な歌手がどれだけ公演の内容を変えられるか、
それから駄目な演出が、どれだけそのプロセスを邪魔するか、
そういうのを、実感を持って体感できたのが、今回の鑑賞の最大の糧でした。
この3人は、舞台をスリリングにすると言うことに関しては一級の3人ですからね、、
この3人がかかっても、どうしようもない部分というのは、
演出の罪だ、と私も心から思います。

P.S. ルイージの首席客演指揮者決定、やりましたね!
返信する
オケの演奏について (Madokakip)
2010-04-28 12:20:31
 ゆみゆみさん、

メトオケが懐かしくていらっしゃるとは、もうそれは私が持っているのと同じ病気ですね。

オケに関しては、この『トスカ』のBキャストの公演前には、
全然リハーサルをしていないですからね。ルイージとこの作品を全幕演奏するのは初めてです。
この24日の演奏も良かったのですが、ラジオの放送があるからか、
少し慎重になっているところ、それから、これは多分、ラセットのためなんでしょうが、
歌いやすいように、かなり振り方を変えたな、と感じる部分もありました。
オケだけの話をすると、私は2回目の公演が一番好きでした。
その日はシリウスも何も放送がなかったんですが、すごくエキサイティングで、
多少歌手とのディスコーディネーションがありましたが、
弦の扱いとか、身の毛がよだつほど怖い表現がありましたよ。
スカルピアの邪悪さが音に表現されてました。
その点では24日はほんの少し安全運転だったかもしれません。
返信する
運命の20日の火曜日でした。 (NAO@NYC)
2010-04-28 12:55:25
私がルイージのトスカを観たのは先週の火曜日4月20日の事です。
NY Timesの記事によるとこの日の幕間にレヴァインがルイージと会見の場を持ったとされています。そしてその時にレヴァインがルイージに太鼓判を与えたとの事。
こんな運命的な日にMETにいれたなんて私はなんと幸せ者かと思いました。
次はルルが楽しみでなりません。一度も聴いた事のないオペラだけに頼れる指揮者で聴きたいとおもってたのでとても期待しています!!
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