Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

MET ORCHESTRA CONCERT (Sun, Oct 16, 2011)

2011-10-16 | 演奏会・リサイタル
先日、忙しい一日の仕事を終えて帰宅し、郵便受けから郵便物を取り出していると、久しぶりに例の店子友達と遭遇しました。
”『ナブッコ』、最高だねえ!!”と相変わらず元気一杯に階段を駆け下りて来る彼。
ってことは、今は『ナブッコ』のエキストラなのね。
”ストーリーははちゃめちゃだけど、あの合唱の場面は堪らないよね!鳥肌が立つよ。”と、
ひとしきり”Va, pensiero 行け、我が思いよ、金色の翼に乗って”のメロディーを口ずさんだかと思うと、
”君、この曲、知ってる?”、、、、はいはい、もちろん知ってますよ(笑)
そういえば、いつだったか、私の連れも彼にアパートの入り口で捕まって、
他の作品(『トスカ』だったかな、、?)のメロディーを聴かされた、って言ってたっけ。
しばらくオペラ絡みの話をした後、”君、今日ちょっと疲れてるね?”と言うので、
”うん、今日はちょっと忙しかったしね。”と答えてから、しまったー!!と思いました。
というのも、私が彼と会う度に、”あの話が始まるんじゃ、、。”と恐れている話題があるのですが、
うっかりして、まさにその”あの話”への落とし穴に自分から飛び込んでしまったではないですか!!あ~ん、私の馬鹿!!

メトでのエキストラの仕事は当然のことながら彼の本職ではなく、彼の本業はモデル兼俳優兼パーソナル・トレーナーです。
とあるボクサーに直伝で薫陶を受けた(本人の弁)という、とてもマニアックなトレーニング・メソッドに、
自分のバレエ・ダンサーとしての経歴を加えて改良し、それをワン・オン・ワン、もしくは数人のグループに、
出張もしくは自宅の教室で教えていて、実際、彼の自宅は各種のダンベルやら器具やら本格的なものが一式揃ったジムになっているのです。
時々真夜中や早朝にワークアウトしているらしく、ぎっこんばったん建物中にものすごい音が響き渡っている時もあります。
私は実を言うと学生時代に常軌を逸した厳しさを誇る体育会系の部活動に所属していて(それはもう最早一生分の運動をしてしまったと感じるほどの厳しさでした、、)
スポーツやワークアウトというとそのいやーな思い出が甦ってくるため、
今ではヨガくらいまでならともかく、やっていて息があがるようなスポーツやワークアウトは全くやる気がありません。
なのに、彼と来たら、事ある毎にエクササイズの大切さを説き、すぐにでも彼のトレーニングのクラスに参加するように!と激しいセールス・トークで迫って来るのです。
ABTのダンサー達にまで自らのトレーニング・プログラムを売り込んだこともある彼ですから何の不思議もないのですけれど。
しかし、私の方も一歩も引くつもりはないので、ずっと上手く彼のセールス・トークを交わし続けて来て、
さすがの彼も諦めたか、最近はその話題が出ることが少なくなって来たな、よしよし、、と思っていた矢先の大失敗です。

彼の瞳にいやーな輝きが宿り始め、”疲れやすいのは、体力が落ちているからだね。”
”体力作りというのは、手遅れになってしまってからじゃ駄目なんだよ。君があちらの世界(over there)に行ってしまってからでは僕も助けてあげられないからね。
今がぎりぎりだよ。すぐにでも始めないと。”
、、、、、、はあ、、私ってばそんな切羽詰ってますか?もうあちらの世界に片足突っ込んでますか?

”確かにあなたは年齢よりもずっと若々しいし、立っている時の姿勢も綺麗だよね。”と言うと、
我が意を得たり、という風に、”そう、背筋は全ての基本だよ!僕のプログラムにも背筋を強化するルーティンがしっかり組み込まれているよ。
最近僕の生徒になった女性はもうかなりのお歳だけど、腰を悪くしてからほとんど寝たきり状態のような生活だったのに、
僕と一緒にワークアウトするようになってから、立って歩き回ったり出来るようになったからね。僕のプログラムのおかげ。”
そっか、じゃ寝たきりになってからトレーニングを受ける手もあるわけだな、さっき彼が言ってた”今始めなきゃ”というのと矛盾してるけど、、と思いつつ、
”へえ、すごいね!”と言った途端、ふと、ある人のことが頭に浮かんで来たので口にしてみました。
”あ、ちょっと待って。あなたのトレーニングを必要としてる人、いるいる!!!”
一層瞳を輝かせて、”誰?誰??”と問いかえす店子友達。
”ジェームズ・レヴァイン!! 彼、腰を悪くして年内の公演の指揮キャンセルしちゃったの知ってるでしょ?”
もちろん、半分冗談のつもりで。
すると人差し指を立てて頷きながらしたり顔で彼が”君、ずっと前に僕の指揮者の友達紹介したの覚えてる?”
はいはい、以前やっぱりこの場所で、メトでアシスタント・コンダクターの仕事をしたことがある、という彼のお友達を紹介して頂いたことがありました。
”レヴァインが腰を痛めて年内の公演をキャンセルするという新聞の記事を見た時、ちょうどその友達がうちに遊びに来てたんだよ。
だから、受話器を渡して、たった今レヴァインに電話するように彼に言ったんだ。”
!!!!! えええええっ???? ま、ま、ま、まじで??(笑)
そのお友達がレヴァインに電話して、自分の友人であなたの腰を治せる人がいる、というような趣旨のことを話してきかせたそうです。
もう私はびっくりしたのとおかしいのとで、お腹を抱えながら、”本当に??”というのがやっとだったのですが、
私の店子友達は大真面目な顔で、”うん、本当だよ。彼がレヴァイン本人を相手に電話で話しているのを、僕は横でじゃが芋の皮を剝きながらちゃんと聞いてたから。”
当然のことながらレヴァインには丁重に断られたそうですが。

私の店子友達のトレーニングを受けていたなら奇跡が起こってレヴァインが指揮台に立てたかもしれない今日のメト・オケ演奏会。
残念ながら上のような経緯でその奇跡は起こりませんでしたので、代わりに振るのは今シーズンよりメトの”首席客演指揮者”から”首席指揮者”となったルイージです。

メト・オケの演奏会でこれまでコンスタントに守られて来たルールと言えば、
① レヴァインの趣味全開!の無調音楽系の曲が必ずといっていいほど含まれていること
② ソリスト(歌手だったり楽器だったり、、)を招いた曲が必ず含まれていること
ということ位で、何のポリシーも脈絡もない”ごった煮”的なプログラムでこれまで何度もオーディエンスを消化不良に陥れて来ました。
(それから①でオーディエンスを爆睡に陥れることも。)

今回、元々レヴァインのもとで予定されていたプログラムはモーツァルトのピアノ協奏曲25番、
アリス・マンローによる言葉にハービソンが曲をつけたCloser to My Own Lifeという世界初演作品、
そして、ガーシュウィンの『パリのアメリカ人』でした。

私は実はメト・オケによる『パリのアメリカ人』というのを非常に楽しみにしていたのですけれど、
結局ルイージが指揮することになって、”こんな曲、興味ありませんね。第一、あたし、アメリカ人じゃないし。”ということなんでしょう、
見事ばっさりとカットされてしまいました

ルイージはきっと、このごった煮プログラムを見て”なんじゃ、こりゃ?!”とも思ったに違いありません。
自分が関わるとなったら、せめてもう少しプログラムに何らかの統一性と意味を持たせねば、と考えたのか、
オープニングにモーツァルトの『魔笛』序曲が演奏されることになりました。
一応オペラ・オケとしてのアイデンティティをここで主張し、続くグードとのピアノ協奏曲と作曲家つながりにしようというささやかな試みでしょうか?
うふふ、無駄ですよ。だって、プログラムの真ん中にハービソンの新作が鎮座してますでしょう?
今更、”レヴァインが振れないので、作品をお返しします。”とハービソンに言える訳もなければ、
『パリのアメリカ人』のようにばっさり切り落とすことも出来ない。
BSOの時と同様、相変わらず姿を見せずとも自分の存在を主張するレヴァインなのです。
しかし、ここでやられっぱなしのルイージではないのでした。
どうせまとまりようのないプログラムなんだから、もうこの際!!とばかりに『パリのアメリカ人』の代わりに投入して来たのは、
日本公演時のコンサートでも取り上げた、彼の得意技『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』です。
かように、決して寄せ鍋的運命から逃れられないメト・オケ演奏会なのでした。

さて、私は実は今日の演奏会を聴いてちょっぴり嫌な予感に襲われています。
それは、ルイージはあまりモーツァルトが得意でないのではないか?という不安です。

『魔笛』の序曲なんですが、まず、オケの音がとてもマフり気味で失望しました。
これは、実はオープニング・ナイトの『アンナ・ボレーナ』の演奏で感じたこととも共通しています。
今はまだシーズンが開幕して20日ほどしか経っていないわけですが、
例年ならこの時期のオケはレヴァインがシーズン前に行うリハーサルの効果あって、非常にクラリティの高い音を出すのにな、と思います。
今年のオープニング前は、代わりにマルコ(・アルミリアート。『アンナ・ボレーナ』の指揮者)やルイージとリハーサルをしたわけですが、
この二人ではレヴァインがなし得るのと同等のクラリティをオケのサウンドにもたらすことは出来ないんだな、というのを感じました。
私はモーツァルトの演奏にはあるレベルのクラリティを保ってほしい、という願望があって、というのも、
それがなかったらモーツァルトのオーケストレーションの妙を十分に感じることが出来ないからです。
モーツァルトの作品ほど、それが達成されていない時に、モコモコと何をやっているのか良く判らなく聴こえて、
鑑賞自体がストレスフルになる音楽は少ないんではないかと思うのです。

それから、この序曲の一番の存在意義って、オーディエンスが、これからタミーノやパパゲーノと一緒に冒険
(単なるアドベンチャーではなくて、そこに色々な意味や教えがあるわけですが、
この際、それもひっくるめての冒険としておきます。)に行くぞー!と感じる、そこにあると思うのですが、
演奏からおよそそういうわくわく感が感じられなくて、ついでに言うと、ルイージの指揮からもそういうものを引き出そうという意図が余り感じられないのです。
うーむ、いつもならこの曲の終盤あたりには座席から飛び上がって駆け出したくなるような気持ちになるのに(←自分も冒険に行く気分が押さえられなくて。)、
今日はさっぱり。こんなに盛り上がらない『魔笛』序曲も珍しいです。
タミーノ達と一緒に冒険に行こう!という演奏では全然なくて、”いやー、皆さん何か楽しそうですね。いってらっしゃーい。”という感じ、、、。
、、、、こらこら、手を振って見送ってないで、ちゃんとみんなを一緒に連れて行ってよ!!!と歯軋りしてしまいます。
こういう演奏を聴くと、125周年記念の時の、レヴァインの異常に躁的な演奏が俄然懐かしくなってしまいます。

続いてのリチャード・グードを招いてのピアノ協奏曲25番。
彼は現在68歳。もう決して若くはない、、というか、はっきり言うとお爺なんですが、意外と出て来る音が瑞々しくて、タッチも結構しっかりしています。
ただ、音色の引き出しがあまり多くないように感じるのは歳のせいかな?それとも元々、、?(私は彼の演奏は今回初めて聴きました。)
なので、最初は”ほおほお、、。”と思って聴いているのですが、気がつけば周りで居眠りしている人、多数。
確かに演奏としては私も単調で退屈だな、、と感じました。
ピアノを技術的に上手く弾く人なら一杯いるでしょう。
作品が演奏されている間、観客をエンゲージするものは、例えば以前、ブレハッチがリサイタルでやってのけたような
音の輝きがシャボン玉に映った虹のように表情を変える、、
そういう、音が、音楽が、生きている感じ、なんじゃないかな、と思います。
また、これはグードだけでなくて、一緒に演奏したオケの方にも言えることで、
『魔笛』のところで書いたように音の明晰性を欠いているので、色々な楽器同士、それからピアノとの掛け合いの面白さがあまり感じられなくて、
だらだらだらだら~と単調な演奏が続いて行くのです。
この二作品の演奏が終わった後のインターミッションで、”まだこれで半分なのか、、、。”と思ってしまいましたから。

それにしても、以前、『フィガロの結婚』の指揮でもルイージはいまいちだったんですよね。
明日の『ドン・ジョヴァンニ』がまじで心配になって来ました。

インターミッションをはさんで、いよいよレヴァインの陰謀=ハービソン&マンローの新作 "Closer to My Own Life"。
ハービソンはメトで世界初演された『華麗なるギャツビー』の作曲家でもあるので、レヴァインとはその当時からの陰謀仲間かもしれません。
"Closer to My Own Life"は、体裁としては声楽曲で、ソロを歌ったのはイギリスのメゾ、クリスティーン・ライス。
ライスは今回始めて歌声を聴きました。歌声自体には強力な個性や魅力があるわけではないですが、まずはこの難しい作品を良く自分のものにしていたと思います。
彼女のおかげでこの曲がどういう曲なのか、大変良くわかりました。
なんて書くと、ふざけてるのか?それとも彼女を馬鹿にしているのか?と言われそうですが、そうではないんです。
この作品、私はちょっと『ルル』を思わせる部分もあるな、と思ったのですが、時にオケが非常に雄弁になる箇所もあって、
そんな作品ですから、歌い手がしっかりと曲の骨格を摑んでいないと、何が何やら??の状態になってもおかしくないところです。
ですから、深い感動があったか?と言われれば答えに躊躇してしまいますが、
世界初演の作品で演奏のスタンダードを作る、という点ではきちんとした良い歌唱だったと思います。
オーケストレーションは面白い音の重ね方やなかなかに美しい部分もあるし、
ほとんど自分だけわかればよい!と思いながら作曲しているんではないか?と思われるような自己完結型の作曲家(現代音楽の作曲家に多い気がする、、。)とは違い、
聴き手の存在をきちんと意識している感じがあるのはいいな、と思うのですが、
その一方で、全体的には”どこかで聴いたことのある音楽”的でもあり、革新さという点では特に目を惹くものはあまりなかったです。

一つ気になったのはアリス・マンローの詩でしょうか、、?
この作品では、”The View from Castel Rock (キャッスル・ロックからの眺め)”からのテキストを使用しているのですが、
そもそも私は彼女の作風があまり好きでないのも一つなのですが、
さらに、詩の中で歌われている内容とそれからイメージする情景が必ずしもハービソンのつけた音楽と私の中で上手く結びつかないというか、
全く違う作品のための曲を無理やりこの詩に引っ張って来たような違和感がありました。
これがハービソンによる意図的なものなのか(だとしたら変わった感覚してるなあ、、と思う)、彼の詩を音にする力の不足によるものかはよくわからないです。

最後の『ティル』。
やっと、やっと、この曲でオケの音がキラキラするのを目撃、ならぬ、耳撃することが出来ました。
第一ホルンが冒頭のソロで音を引っくり返してしまった時は”あちゃーっ!”と思いましたが、
(日本での演奏会でも、リハーサルでも、この奏者は鉄壁の演奏を続けていたそうですから、
よりにもよってカーネギー・ホールでこけるとは何と皮肉な、、と気の毒になります。
でも、まあ、演奏者は人間であって機械ではないのですから、こういうこともあります。その部分を除けば、素晴らしい演奏でいらっしゃいました。)
これぞシュトラウスの作品を聴く喜び!!と膝を打ちたくなるような、次々と畳み掛ける楽器たち。
どのパートも責任重大、かつ、この曲に関してはルイージが相当なこだわりがあると見え、それぞれのパートにとても細かい指示を出しているのも見え、
奏者たちの間に良い意味での緊張感が漲っています。
演奏の全体的な構成、パーツのつなげ方等も良く考えられていたと思います。
ルイージはこういう割りと構造が複雑な作品の方が得意なのかもな、、と思いました。
モーツァルトは、それとは対極で、シンプルであるゆえに難しい、というタイプの作品だから、
彼の指揮が今一つふるわないのは偶然ではないのかもしれないな、、と思います。

そして、さらにふと、私がこれまで聴いて良かったな、と感じたルイージの指揮による演奏は、
もしかするとレヴァインが行ったグラウンド・ワークの上に築いた、言ってみれば、レヴァインとのコラボ作業だったのかもしれないな、と思いました。
レヴァインがクラリティ&べたな盛り上げ方を普段からしっかりメト・オケに植えつけておき、
その上にルイージが彼の得意とする細かい楽譜の読み込みとか独特の構成感を持ち込んで生まれたのがルイージ首席客演指揮者時代の演奏だったのかもしれない、
つまり言ってみれば、二人の良いとこ取りだったのかもしれないな、、と。

でもこれからはおそらくレヴァインにその役目を期待することは出来ないわけで(戻って来たとしても、以前ほどの精緻さは保てないと思う。)、
ルイージが一人でその任務を果たさなければいけない、、彼にとってはこれからが大変な時期、正念場となりそうです。
今日の『ティル』のような演奏を聴いて”大丈夫、大丈夫。”と思う一方で、あのモーツァルトは、、とも思う、、。
とりあえず、明日(10/17)の『ドン・ジョヴァンニ』の公演に注目したいと思います。


The MET Orchestra
Fabio Luisi, Principal Conductor
Richard Goode, Piano
Christine Rice, Mezzo-Soprano

MOZART Overture to Die Zauberflöte, K. 620
MOZART Piano Concerto No. 25 in C Major, K. 503

HARBISON / MUNRO Closer to My Own Life

R. STRAUSS Till Eulenspiegels lustige Streiche, Op. 28


Carnegie Hall Stern Auditorium
Second Tier Center Left Front
OFF/OFF/OFF/ON

*** メトロポリタン・オペラ・オーケストラ リチャード・グード クリスティーン・ライス
MET Orchestra Metropolitan Opera Orchestra Richard Goode Christine Rice ***

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6 コメント

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Madokakipさま (Kinox)
2011-10-27 10:16:33
ルイージのモーツァルトはDGのレポートで...
こういう状況で巨匠級の指揮者を迎えてしまえば、レヴァインの復帰はないのか! と騒がれてしまうし、融通が利く中では一番いい選択だったような。MAさんとかPSさんとかEPさんじゃなくてまだよかった...

>レヴァイン
まだ普通の指揮者人生からすれば年寄りでもないし、素人かんがえでは体重管理すればなんとかなるんじゃないかと残念なんですが。アル・ローカーとかヴォイトみたいに胃を切ったりすればいいのにと思ってしまうんですが...
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Kinoxさん (Madokakip)
2011-10-27 14:40:29
MA=マル○・ア○ミリア○ト、
PS=パ○リック・○マーズ
EP = イ○リーノ・ピ○

かな、、、?
Madokakip的には、特に真ん中が要注意人物と見ます。
私の経験では、彼が触れるもの、ことごとくゆるいものになってしまうので。

>レヴァイン
>まだ普通の指揮者人生からすれば年寄りでもないし

まったくその通りで、本当はこれからもう一活躍!となっていてもおかしくない年齢ですよね。
次期音楽監督については、ルイージが最短距離にいる、といわれつつも、
相変わらず、他のキャンディデートの名前もあがっているという噂も後を断たないし、どうなってしまうのかしら、、?という感じです。
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Madokakipさま (Kinox)
2011-10-28 10:39:35
>特に真ん中が要注意人物
この人はひいきの歌手が出てても観にいきたくなくなるぐらい残念と思います
>他のキャンディデート
PDさまも候補にとか不穏な噂... 最近ワシントンDCの新聞で指揮の力量に関してとうとう公開けんかしちゃったPDさま。何をしてくれても、わたしの永遠のヒーローに変わりはないですが、歌以外はちょっと。現役引退後、音楽監督じゃなくファイナンスに強い取り巻きに助けられながらメト支配人になる方がいいんじゃないかと。
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Kinoxさん (Madokakip)
2011-10-30 11:34:29
○ミンゴ様も、確かに良く名前があがっておられますね。

>ワシントンDCの新聞で指揮の力量に関してとうとう公開けんかしちゃったPDさま

ワシントン・ポストのアン・ミジェット女史との戦いですね(笑)

http://www.washingtonpost.com/blogs/classical-beat/post/placido-domingo-and-questions-of-bias/2011/10/01/gIQAbJwhCL_blog.html

彼女も何もそこまで書かなくても、、というのはありますよね。
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Madokakip様 (Akiko)
2011-10-30 22:36:26
お久しぶりです。
8月にPMFオーケストラの演奏会、ルイージの指揮でサントリーホールで聴いたんですよ。マーラーの巨人と、歌曲(亡き子をしのぶ歌など。トーマス・ハンプソン)、歌も素晴らしかったけど、巨人は向こう10年くらいは聴けないだろう、と思える、すんばらしい演奏で、わくわく度120%でした。(PMFも他の指揮者達が下地作ってますけどね。)今年は6月のMETと2回もルイージ様にたくさんのエネルギーをいただきました。
来年の5月、ブレハッチはルイージとベートーベン協奏曲4番で共演するんですよ。@ミラノスカラ座。想像するだけで、わくわくどきどき、です!
返信する
Akikoさん (Madokakip)
2011-11-05 12:57:16
こんにちは!

>巨人は向こう10年くらいは聴けないだろう、と思える、すんばらしい演奏で、わくわく度120%

そうでいらっしゃいましたか!うらやましいです~!
ルイージのモーツァルト(のオペラ)は私個人的には??と思うところがあるのですが、一方、同じ彼が振っている『ジークフリート』、こちらは大変新鮮で面白く聴きました。(シリウスで、ですが、、)
今週末、実演を聴くのが楽しみです!

>ブレハッチはルイージとベートーベン協奏曲4番で共演するんですよ。@ミラノスカラ座

!!!!!! 本当ですか?行きたいなあ、スカラ座!!
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