Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

WAR AND PEACE (Mon, Dec 10, 2007) Part III

2007-12-10 | メトロポリタン・オペラ
<Part II から続く>

第十一場
<モスクワの街で。1812年9月2日。>
元帥のモスクワからの撤退決定により、ほとんど打ち捨てられた様子を呈しているモスクワの街。

街をさまようピエールは偶然モスクワから疎開しようとしていたロストフ家(ナターシャの家)の女中と再会。
彼女から、ナターシャが一家の所有する別荘で傷ついたロシア軍兵士を看病していること、
(ナターシャ、やっと立派になったのね、、。私たち観客は嬉しい。)
そんな兵士の中に、まだナターシャが知るところではないはずだが、
アンドレイも含まれていることを知ります。

あまりの状況に、実行か、そうでなければ死を!”Ja dolzhen savershyt', il pagibnut"と、
ナポレオン暗殺の夢を抱きはじめるピエール。
ピエール、結構、いつも行動がいきなりです。

そんな中、ナポレオンの軍が街に入り始め、兵士たちによる略奪、暴行が始まります。



ものすごい混沌状態が舞台上に展開し、兵士たちに暴行されそうになった女性が素っ裸にされて
舞台から逃げ惑う姿も。
一瞬、ぎょっ!とさせられ、嫌悪感(演出にではなく、兵士がしていることに)を催しますが、
この嫌悪感は戦争を描くうえで素通りできない感情であり、このような醜いことを直視する強さを
私たちは持たなければいけないのだと思います。
これらのことは過去に終わってしまったことではなく、
今でも世界の紛争の続く地域では日常のように起こっている出来事であり、
そのために私たちは何ができるか、という問題提起にこそ、この作品を今も上演し続ける意義がある、
いや、現在こそ、一層その必要が増している、という気がしました。

あまりのナポレオン軍の兵士のやりたい放題ぶりに、
モスクワの街を彼らに好きにさせるよりは自らの手で火を!
(またそのことにより、一切の食物、財産を彼らの手に渡さないという実際的な理由もあります。)
と決起し、モスクワの街に火をつける市民たち。

暴行を受けそうになった女性を助けようとして兵士につかまったピエール(そのおかげで女性は逃げられた)は、
この騒ぎに巻き込まれ、放火をしくんだ一味として銃殺刑をいいわたされます。

釈明にも耳を貸さない兵士たちに、目の前で一人、また一人と銃殺される市民たちを見て、
もはやこれまでか、と観念するピエール。

しかし、銃殺は免除され、かわりに捕虜として捕らえられるピエール。
やがて、放火を計画した首謀人、農民兵士プラトンとの間に交友がめばえ、
彼の人間性と、尊厳ある死の受け止め方(やがてナポレオン軍兵士に銃殺される)に大いに感銘を受けます。


やがて、燃えさかるモスクワに入城するナポレオン。



とにかくこのシーンは音楽の力も伴って、ものすごい場面に仕上がっています。
背景には、燃え盛るクレムリン様の建造物が立ち並び、
どのようにしてそういう効果を出しているのかわからないのですが、
本当に火が燃え立って、空気がゆらめいている感じがするのです。
兵士を引き連れ、白馬にのってあらわれるナポレオン。
やがて、灰を表現する黒い紙ふぶきが舞台天井からゆっくりと舞い始め、首をうなだれる白馬。
(この白馬がものすごい演技派で、うなだれてじっとしはじめてからの数秒間は、
まるで絵画でも見るような荘厳さでした。)
やがてナポレオンが発する一言 「なんて野蛮な奴らなんだ。。」
この、他愛もないと思われる一言のなかに、
ナポレオンがロシアの人民の強さに対して感じ始めている底知れない恐怖と、
もしやこの戦い、自軍が負けるのではないか?という彼の予感のはじまりを凝縮していて、
実に見事なシーンになっています。

おしむらくは、その直後、合唱に重なりながら現れる、火の鳥を思わせる赤い布で出た巨大な鳥。



この鳥が出てきた瞬間、ロシア人でない私はちょっと引いてしまうほどの、
ロシア万歳!精神を感じて、
ドラマを大事にするなら、むしろ、ナポレオンがモスクワの街で立ちすくんだまま
合唱を続けたほうがよかったのでは?と思いました。
このプロダクション、本当に素晴らしいのでDVDとかライブ・インHDに組み込めば?と思うのですが、
このローカル色のあまりの強さがのせてもらえない要因か?もったいない。

しかし、『魔笛』的な路線にあやうく入り込みそうになりながらも、
(ある意味、ややディズニーランド的と感じる人もいるかも知れません)
演出家とセットデザイナーの、何か、ロシアという国と、
自国が生んだ素晴らしい文学作品と、プロコフィエフの音楽へのプライドというか、
有無を言わせぬ、ほとばしるような愛国精神があふれ出ていて、その気合というか本気度が、
ジュリー・テイモアが『魔笛』を演出するに持って臨んだ
仕事のためにやってます程度の軽々しさとは大違いで、
たとえば火の鳥のような、人によっては欠点と感じられる点すらも
ポジに変えるような強力なパワーがあり、我々観客は完全にねじふせられてしまいました。

メトの演出、西(イタリアもの)の横綱が、『アイーダ』、もしくは『トゥーランドット』あたりとすれば、
東(ロシアもの)の横綱は、間違いなくこの『戦争と平和』。
第一部の長さと、第二部に比べてのストーリーの冗長さに負けて、
インターミッションで帰ってしまったお客さんもいましたが、絶対、第二部を見ずに帰ってはいけません。
どうしても長さに耐えられずどちらかを捨てたいのであれば、第二部の方を観ることを強くおすすめします。

また短いながら、印象的だったのは、この戦いによって正気を失ったロシア人を演じた二人。
おそらくダンサーか俳優の方かと思うのですが、ほとんど前衛ダンスと思われる動きが、
自己満足的な動きにならず、戦争が引き起こす悲しみの一局面を非常に有効に表していたと思います。

第十二場
<ナターシャ疎開先のヤロスラブルで、負傷し瀕死のアンドレイと再開。1812年9月3日。>
戦いで大怪我を負い、ボランティアで兵士の面倒を見ている貴族の別荘に送られるアンドレイ。
彼が送られた先は奇遇にも、ナターシャのロストフ一家の屋敷。
意識が朦朧とする中、第十場で元帥が歌ったのと同じメロディの一部が効果的にアンドレイの役にも使われています。
また、記憶が遠くなるたびに、合唱が、ピ、ピ、ピ(箇所によってはピの他に別の一音があるように聴こえるのですが、ピ、ティ?
ロシア語の歌詞が手元にないので、すみません。調べておきます。)と歌い、
さらにそこにやがてアンドレイも絡み、非常に効果があがっています。
この、ピピピの箇所は、やはりさすがロシア人、自国語に敵うものはなし。
アンドレイを歌ったマルコフが、合唱と絶妙なタイミングで絡んでいて、
そこは例えばオペラ座でのガンなんかとは全くレベルの違う完成度でした。
で、原作でも、またそのオペラ座の演出でも、実際にアンドレイとナターシャは再会を果たすのですが、
このメトでの演出でユニークだったのは、降りしきる雪の中、アンドレイの眠るベッド以外は舞台上に何一つなく、
ナターシャの現れ方も、なにやら亡霊のように心許ないのです。



そう、この演出ではおそらく、このナターシャとの再会は、完全なアンドレイの幻想という設定になっているのです。
ナターシャが受けるアンドレイからの許しの言葉も、結局は、アンドレイの許したいという心の投影、という解釈とでもいいましょうか。
そして、ナターシャに捧げる、”生きる意味を死の間際にやっと見つけた”という言葉もすべて幻想...。
愛される人に看取られることもないまま、ひっそりと野戦病院まがいの場所
(まあ、貴族の屋敷ではありますが)で一人ぽっちで死んでいくアンドレイ。
これはせつないです。
多くの戦死する兵士たちが、そうやって死んでいった、また死んでいくことを思えば、
現代に問題提起をするスタンスなら、こういう解釈もあってよいと思います。
原作には忠実ではありませんが。
やがて、またピピピが聞こえて天に召されるアンドレイ。涙。

第十三場
<フランスの撤退、スモレンスクの街道にて。1812年10月22日。>
冬将軍によって壊滅的なダメージを受け、ピエールを含む捕虜を引き連れて撤退を始めるナポレオン軍。



なんと、そこにデニーソフ(ナターシャに拒絶された歴史を持つあの士官です。)が農民兵士を率いて登場。
ナポレオン軍を攻撃し、ロシア人捕虜を奪回します。
喜びに湧き、次々とナポレオン軍の軍旗をうち捨てるロシア軍。
元帥の感謝の言葉に答える農民と兵士たち。



このフィナーレの前に、ピエールはアンドレイの死とナターシャが元気でいることを知るのですが、
オペラ上直接には言及されない、この後の原作での結末
(やがてピエールとナターシャは結婚し、ナターシャは良き母親となっていく。)
をふまえて、ナターシャをまた舞台に最後に戻し、
ピエールと再会させ、二人の未来を匂わす、という演出もありますが、
今回は、一切ナターシャは最後に舞台に現れず(なので、アンドレイの死のシーン以外は第二部では舞台に登場しない。)、
ピエールの姿も全く強調されず、
原作での結末については何のほのめかしもない終わり方になっています。
むしろ、農民や兵士たちを正面にすえたフィナーレとなっていました。

プロコフィエフの音楽は、シリアスなシーンの中でも、
楽器の使い方にユーモアがある箇所が多く、これが、バレエの『ロミジュリ』でサックスを使用するという
ユニークな発想にもつながっているのかな、と感じさせられました。

とにかく、話のテンションの高さ、音楽のパワー、演出のパワフルさ、と、
第二部に圧倒的に見所が揃っています。
体力を整えて公演に臨むべし。


Marina Poplavskaya (Natasha Rostova)
Alexej Markov (Prince Andrei Bolkonsky)
Kim Begley (Count Pierre Bezukhov)
Samuel Ramey (Field Marshal Kutuzov)
Oleg Balashov (Prince Anatol Kuragin)
Ekaterina Semenchuk (Sonya)
Mikhail Kit (Count Ilya Rostov)
Ekaterina Gubanova (Helene Bezukhova)
Vassily Gerello (Napoleon Bonaparte)
Nikolai Gassiev (Platon Karatayev)
Alexander Morozov (Lieutenant Dolokhov)
Vladimir Ognovenko (Old Prince Nikolai Bolkonsky)
Elizabeth Bishop (Maria Bolkonskaya)

Conductor: Valery Gergiev
Production: Andrei Konchalovsky
Set designer: George Tsypin
Dr Circ E Even
ON

***プロコフィエフ 戦争と平和 Prokofiev War and Peace***

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14 コメント

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また、見たくなってきました~ (娑羅)
2007-12-13 15:00:18
Madokakipさんのレポを読んで、また「戦争と平和」が見たくなってきました~。
モスクワ炎上のシーンは、TVで見ても大迫力でした。
合唱といい、オケといい、セットといい、本当にスケールの大きな作品ですよね!

>このプロダクション、本当に素晴らしいのでDVDとかライブ・インHDに組み込めば?と思うのですが、
このローカル色のあまりの強さがのせてもらえない要因か?もったいない。

確かに。フランスの人が観たら、どう思うのかな~と心配しましたが、ガンが出演した「戦争と平和」は、バスティーユでの上演でしたよね・・・。
ホロストフスキーはインタビューで、
「この作品を、ロシアのプロパガンダにしてはならない」
と語っていました。

前回2002年の公演も、DVDになってないんですよね?
お陰で(?)、日本で放送されたマリインスキーの映像は、現在、世界中に散らばってるようです^^;
マターエワのナターシャも、私は好きでした。
等身大の女の子って感じで。
でも、やっぱりホロストフスキーのアンドレイはハマりすぎ。
あのプラチナブロンドの髪が、あの暗めの声が、アンドレイの虚無的な感じに合うんですわ・・・。
死んでいくシーンの美しかったこと

>合唱が、ピ、ピ、ピ(箇所によってはピの他に別の一音があるように聴こえるのですが、ピ、ティ?

日本語字幕では「ピチ、ピチ」となってました。
擬声音?擬態音?みたいなものかと思ってました。
確か昔、私のサイトで質問に答えてくださった方が
いたと思うのですが、もう忘れてしまってる・・・

返信する
ピチピチ (Madokakip)
2007-12-14 08:33:42
娑羅さん、

そうなんです、私もパリの公演のDVDを観ながら、
フランスの人は何と思いながらこれを観ているのだろう、、と思っていたんです。
それは蝶々夫人なんかを観に来るアメリカ人を見てもつい感じてしまうのですが、、。
しかし、全然みんな平気そうなところをみると、
ホロストフスキーが願っているように、ちゃんと物語の普遍性に目を向けているお客さんが多いということなんでしょうね。

あの鳥が出てきたときには、なんだかそこまで盛り上がっていた気持ちが、
やや引いてしまったんですよねー。
せっかく普遍的な物語に酔っているときに、
普遍的でないものが突然殴り込んできたような違和感がありました。

今から考えれば、ネトレプコとホロストフスキーの2002年の公演を映像におさめておかなかったなんて、
なんというマネージメントのお馬鹿さん!と叱ってあげたい気持ちです。

そうなんですよね、アンドレイには絶対虚無感が必要ですよね。
それがね、このマルコフ、少し欠けていたんですよ。歌唱は丁寧だったし、声も端正なんですが。

おっしゃるとおり、ピチピチは擬音語のようですね。
ロシア語(音をアルファベットに置き換えたものですが)、英語、仏語、独語のいずれも、piti pitiという表記になっていました。
しかし、あの死のシーンにこんな擬音語を持ってくるとは、
プロコフィエフ、冴えまくってます。

私は、もともとあまりロシアものをよく聴くほうではないのですが、
気に入るとものすごくはまる傾向があり、
一昨年前の、チャイコフスキーの『マゼッパ』もどうしてかわからないのですが、
やたらはまってメトで繰り返し観てしまいました。

今回の『戦争と平和』も非常に感銘を受けたので、
また再挑戦するつもりです。
次回はもう少し、ゲルギエフの音作りとか、
歌手について詳しく書けたらな、と思います。
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また見ました (DHファン)
2007-12-14 10:04:47
こちらのレポを読んで、私も娑羅さんと同じくまた
見たくなってしまい、昨夜途中まで見ましたよ。
放送された当時はまだビデオテープに録画で、それを
DVDに直したものですから、全然画質も音質もよくないけどそれでも超貴重品です!
いやー、よくぞ放送してくれたものです!
ロシア物には全く興味がなかったため、2003年のマリインスキー来日でのDHを生で聞く機会を逃した大ばか者です(リサイタルは行きましたけど)。
METでDHがアンドレイを歌ったときに、Opera Newsの表紙を飾ったんですね。あの号は娑羅さんのおかげで
e-bayで落札できましたっけ。はい、宝物です。
私には「戦争と平和」はオードリー・ヘップバーン主演のハリウッド映画が刷り込まれてるので、ナターシャには結構甘いのですよ。
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とても嬉しいです。 (Madokakip)
2007-12-14 13:04:52
DHファンさん、

DHファンさん、娑羅さんに、またこの作品を見たくなった、
(しかも実際に観ていただいた!)とおっしゃっていただいて、
本当にこれほど嬉しい言葉はないです。
ありがとうございます。

マリインスキーの来日公演、『戦争と平和』、
ホロストフスキー、(ナターシャに予定されていた)ネトレプコ、
などのキーワードに一切私の記憶が反応しないので、
これはいよいよ深刻な呆けの兆候が現れたか、と思っていたのですが、
DHファンさんのコメントでふと思いついて、
今までに行ったプログラムをひっくり返して、
マリインスキーの公演のものを探してみたのですが、
なんと最後に行ったのは2000年の来日公演
(見たのは『運命の力』で、他に『スペードの女王』なんかを持ってきた年でした。)

そして、思い出したのでした。

2003年はNYに来た年だ、、、

そんな事実を忘れてました!キーワードが頭をヒットしなかったのは当たり前でほっとできても、
自分の人生においての出来事を忘れているというのは、
また違った意味で、呆けが入っている、、とショックを新たにしたところです。

しかし、その貴重な映像は、ぜひとも商品化して欲しいですね。
本文で触れたパリ・オペラ座のDVDにはなぜだかNHKがかんでるんですが、
この際、マリインスキーも!

ありますよねー、後で悔やんでも悔やみきれない、
”あれは行っておくんだった、、、”という舞台。
特にそんな舞台が、”あれは素晴らしかった!”なんて後で言われたりすると、
悔しさ万倍ですよね。

DH氏、Opera Newsの表紙になってましたか、、
購読していたのに記憶にない。。やっぱり呆けてます。

オードリーのナターシャ、観てみたいです。
原作ではきちんとナターシャの魅力も描写されているのですが、
オペラはそこがちょっと希薄なので、ナターシャを歌うソプラノ自身に魅力がないと
(その点では、ネトレプコはナターシャ向きだと思うのですが。)
”なんなの!このヤな女!”で終わってしまうんですよね。
でも、オードリーなら大丈夫そう!
映画版も観てみます!
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お疲れ様 (yol)
2007-12-15 19:34:42
壮大な三部作レポお疲れ様。
私はいつになったら最後の「ノルマ」を完成させられるんでしょうか、、、、、?

しかし、オペラはまだ有名どころしか知らない私。蝶々夫人だって観た事もないのに「戦争と平和」なんて聞いたこともないものをしっかり観て、その上娑羅さんやDHさんがしっかりコメントしていらっしゃるとはオペラ・ファン、なんだかコアな薫りが充満しています。

いつになったら話題についていけるかと思っていますが、Madokakipのレポはもちろん、コメントまでもが参考になるのでスゴイ~。
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やっと最後まで (DHファン)
2007-12-16 10:07:36
見ました。
こちらのレポを読むまではアンドレイの登場するところだけを早送りして見ていただけでした。全部録画しても見ないだろうなぁと思っていましたが、この機会に見てみて本当によかったです。
初めてテレビで見たときは、あまり耳なじむメロディーもないし、おもしろくないなぁ・・・と感じていたのですが、今見返して見ると、この壮大な物語をよくぞこれだけのオペラにし、またそれを素晴らしい舞台に仕立て上げたものだと感嘆してしまいまいした。
そして、ついでに(といっては申し訳ないかも)パリ版も初めの方だけ見てみました。ガンは私にはパパゲーノのイメージなので驚いてしまいましたが、「いやーん、アンドレイはDHじゃなきゃ!」という狭い了見を捨てて見てみると、なかなかいいじゃありませんか!顔つきもどこか憂いを含んだような表情をして。
またナターシャを歌ったグリャコーワ、この人がなかなかいい声で、これは全編通して見てみようかという
気になりました。演出が違うとどうなるか、興味津々です。といっても家ではいろいろ邪魔が入ってなかなか見られないですねぇ。
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お二人はね、、 (Madokakip)
2007-12-16 14:01:10
yol嬢、

DHファンさんと娑羅さんはね、コアなだけではなく、
人間の器も大きいの。
だって、このブログで、DH(ホロストフスキー)氏の何がいいかわからない、
ととんでもないことを吠えていた私にさえ、
優しくコメントを入れてくださったのよ。
今ではガラなどを通して、特にロシアものでのDH氏の素晴らしさは私もみじんも疑わなくなったけれど、
それもこれも、違った意見でもきちんと交換してくださって、
私をオープン・マインドに導いてくださったおかげ。
とっても感謝しているの。



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観ればみるほど (Madokakip)
2007-12-16 15:36:11
DHファンさん、

本当ですね。私もはじめてDVDを通してみたときは、
うーん、、、って感じだったのですが、
観ればみるほど発見があって、すっかりはまっています。

私は初アンドレイがガンだったので、
結構違和感なく入れてしまったのですよ。
そうなんです。私の中でも
ガン=頭も筋肉でできているパパゲーノ
だったので、こういう哀愁感が出せるとは驚きでした。
今日観てきたロミジュリでも、マキューシオを演じていて、
やんちゃな金持ちのぼっちゃんという雰囲気がきちんと出ていましたので、
つくづく器用な人です。
グリャコーワは、声のほうは最初からとっても安定感があるのですが、
歌っているときの表情が、特に冒頭のあたり、硬くて、
腹話術の人形のようで怖いのですが、
だんだんリラックスするにつれてそれがなくなり、
自然な表現に移行していくので、しり上がりによくなっていったように思います。

私は逆にDH氏のアンドレイが今、とっても見たいです。


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そんなこと言われると (娑羅)
2007-12-16 15:47:26
ホロストフスキーのアンドレイ、お見せしたくなります♪
ってなわけで、こちら↓をどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=aaOxyw8jziI

私は、彼のおかげで、すっかりロシアという国にもハマってしまったので、ロシア的なもののなんたるかもわかっていないのに、ロシア的なものに拘ってしまうんです・・・。
ダメですね~
返信する
わーっ!ありがとうございます! (Madokakip)
2007-12-16 16:27:00
娑羅さん、

ありがとうございます!

すごい。
もう、羽根ペンをくるくるしているところから、
虚無感がでてます。
アンドレイです。

それから、どこか冷めてる感じなのに、
歌があついところも、
世を斜に構えてみてるくせに、ナターシャみたいな女の子に惹かれる
(だから本質的にはどこかあついものを持っている人なんだと思う)
アンドレイの性格そのものですね。

うーん、これはすごいです。
なぜこういうのを商品化しないんだろう?!
世の中、何か間違ってます!!!

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