Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

La Scala Nights in Cinema: MARIA STUARDA 前編

2008-07-23 | 映画館で観るメト以外のオペラ 
スカラ座の夜第三弾は、いよいよ、デヴィーア出演の『マリア・ストゥアルダ』。
なんでいまさらこれを映画館で?と思わされた、昨日&おとといの、
2006年公演の『アイーダ』『椿姫』と異なり、
こちらは、どうやら、2008年1月にスカラ座で上演されたと思しきもので、
やっと、リアルタイムに近づいてきました。こうでなければ!

ドニゼッティは1816年から1843年の間に実に70本以上のオペラを作曲しています。
今でもよく演奏されるか、少なくとも比較的によく名前が知られているものをあげると、
『アンナ・ボレーナ』(1830年)、『愛の妙薬』(1832年)、『ルクレツィア・ボルジア』(1833年)、
『マリア・ストゥアルダ』(1834年原典版、1835年現行版)、
『ランメルモールのルチア』(1835年)、
『ロベルト・デヴリュー』(1837年)、『ポリウート』(1838年)、
『連隊の娘』、『ラ・ファヴォリータ』(ともに1840年)、
『シャモニーのリンダ』(1842年)、『ドン・パスクワーレ』(1843年)あたりで、
1830年以降の作品に集中しています。

ここにあがった作品のうち、『アンナ・ボレーナ』(アン・ブリンのイタリア語読み)、
この『マリア・ストゥアルダ』(メアリー・スチュワートの)、そして、
『ロベルト・デヴリュー』(エセックス侯 ロバート・ダドレーの)は、
イングランドおよびスコットランドの王室を扱ったもので、女王の悲劇三部作とも呼ばれています。
また、『ランメルモールのルチア』もスコットランドが舞台。
ブリティッシュかぶれなドニゼッティなのです。

特にこの『マリア・ストゥアルダ』、私は同年に作曲された『ランメルモールのルチア』と
何となく作品のつくりが似ているな、と思いました。
主役(マリア/ルチア)が出てくるまでがやたら長い、
出てきてすぐにソプラノに大きな見せ場がある(庭のシーン/泉のシーン)、
バリトンとバスにも、端役ながら存在感が求められる(セシル&タルボ/エンリーコ&ライモンド)、
同性異パートの対決シーンがある(マリアvsエリザベッタ/エドガルドvsエンリーコ)、
作品のかなり後ろの方に合唱の見せ場がある(処刑前のシーン/ルチアの狂乱の場前)などなど。

『ルチア』のはちゃめちゃな筋立てに比べると
(『ルチア』の原作であるウォルター・スコットの作品は実際の事件に基づいて書かれたものですが、
家が仇敵同士であるとか、ルチアの恋人(オペラではエドガルドにあたる)が
外国から戻ってくるなどといった都合のよいシチュエーションはすべてフィクション。)
史実に基づいているせいか、『マリア・ストゥアルダ』の方が、確固とした一本の話の筋があり、
逆をいうと、それが退屈と同義にもなりえて、『ルチア』よりも地味な感じがしてしまうのですが、
しかし、いい歌手をそろえられれば、歌唱的には聴き所の多い作品で、私は一度も退屈せず、
むしろ、先に観た『アイーダ』や『椿姫』よりもあっという間に時間が経ってしまったような気がしたほどです。
(まあ、『アイーダ』は実際やや長いのですが。)
そう、この作品は、いい歌手を据えてくれないと、観客にとっては地獄のような作品、
逆に今回のデヴィーアのような素晴らしい歌手を持ってきてくれると、耳への最高のご馳走となります。

メアリー・スチュワートとエリザベス一世のそれぞれの人生と二人の関係については、
ご存知の方も多いことでしょうし、書いているとそれだけで3本くらい記事を費やしてしまいそうです。
私がつたない言葉で書くよりも、簡潔でありながら要領を得た文章で説明してくださっている文章が、
ネットにはたくさんあがっているので、ここでは割愛させていただきますが、
例えば、こちらの川島道子さんという方がお書きになっているものは、
ビジュアルも充実していて、しかも微妙な政治情勢、当時の人民の感情などをとりまぜながら、
非常に巧みにマリアとエリザベッタ(メアリーとエリザベス)がどのような経緯で
このオペラで描かれているような状況に至ったか、ということが要領よく説明されており、おすすめです。

このドニゼッティによるオペラは、シラーによって書かれたお芝居の台本を転作したもので、
一幕二場の二人の対決シーンなどは実際に起こったことではなく
(対決どころか、二人はじかに顔をあわせたことすらないそうです。)、
お芝居のために作られたものを、オペラにそのまま持ってきた結果によるもの。


第一幕 第一場

夫殺しのかどを理由にエリザベッタに幽閉状態におかれているマリア。
当然、エリザベッタの本当の恐怖は、血筋としては自分よりも正統な王位継承権を持っている
マリアに自分の女王としての地位を奪われるのではないか?ということであり、
マリアとエリザベッタの間はすでに険悪になっている、という前提で話がすすんでいきます。
このことと、第二幕で処刑台に向かうシーンがあることより、
このオペラでは、マリアの長きに渡る幽閉生活の最後の日々、
つまり年齢でいうと、40歳代中頃を描いています。(処刑されたのは44歳のとき。)
ということで、これはうら若い女性の話ではなく、人生経験を積んだ、
それも同様に気位の高い二人の女性の物語。
なので、この公演でマリアを歌ったデヴィーアの60歳!という年齢について、
観るまでは、”さすがにちょっぴりきついんだろうなあ、、”と思っていたのですが、
信じられないような声のコンディションと歌唱力もあって、
全くといっていいほど違和感がなかったです。
むしろ、どんなに歌唱が達者でも、この役の雰囲気を出すには、
可愛らしい若手歌手では無理なのでは?という気がするほど。
一方、エリザベッタを歌ったメゾのアンナ・カテリーナ・アントナッチは1961年生まれの46歳で、
年齢的にはぴったりなのですが、
この素顔は綺麗すぎるとスカラ座が判断したのか、



実際の顔の造作があとかたもないほどの白塗りメイクと、エリザベス女王といえば、あの!の、
ノー眉毛メイクで、体当たり歌唱です。



この方、メトで聴いたことがないなあ、と思っていたら、2006年の英デイリー・テレグラフ紙によると、
メトの『ドン・ジョヴァンニ』のエルヴィーラ役に予定されていたにもかかわらず、
ゲオルギューを同役に放り込みたくなったメトに、
”将来予定されている別の作品の役に必ずキャスティングするから代わってもられないだろうか?”
と言われたらしく、”それならば、将来も何ももう結構です。”と、
それ以来メトへの出演を一切とりやめてしまったというガッツの持ち主。
ゲオルギューのために、こうやって優秀な歌手を取り逃がしているとは、メトのなんとお馬鹿さんっ!!!!
おかげさまで、NYのオペラへッドにとっては大きな損失です。
同記事によれば、彼女はtop D(三点二)の音まで出るため、
ソプラノともメゾとも区別をつけがたい、と言われ続けてレパートリーが定まらず、
今の地位を確立するまでにはそれなりの苦労があったようです。

ウェストミンスター宮殿が舞台になる第一幕では、マリアは一切登場せず、
このアントナッチ歌うエリザベッタと、二人の王女をとりまく人物、すなわち、
エリザベッタに片思いされつつも、両思いの相手であるマリアを幽閉状態から救おうと
奔走するレスター伯ロベルト、この二人をいつもそっと支えるシュルーズべリ伯タルボ、
そして、エリザベッタ側の政治顧問のようなことをしているらしいセシル、らが
物語の背景をこの幕で次々と歌によって紡いでいきます。

イングランド女王としての立場としては、
フランス王からの結婚の申し込みを受けるしかない、と頭では理解していても、
心がレスター伯を追ってしまうエリザベッタ。
マリアの幽閉を解くには、エリザベッタの心に入り込み、懇願をすることしかない!
と画策を練るレスター伯とタルボ。
この動きを怪しむ、さすがは顧問!のセシル。
そして、自分が慕っているレスター伯が、自分の最大の脅威であり、敵ともいえるマリアに
心を寄せていると知ったときの、一人の女性として感じる嫉妬の一方で、
一国の主として、またマリアの肉親(従姉妹)として、なすべきことは何なのか、
苦渋するエリザベッタの姿など、なかなかのてんこもりです。
そして、タルボに励まされつつ、マリアの開放を懇願し続けるレスター伯の熱意に折れ、
ついにエリザベッタは一場が終わるまでにマリアと会見することを渋々承知します。

さて、メトを切った根性の歌手、アントナッチですが、その根性をのぞかせる激しい役作り。
ただし、声からは、しょっぱなの”清らかな愛が私を祭壇に導くとき Ah! quando all'ara scorgemi”から
特に高音で無理に声を絞りだすような響きが聴かれ、完全な本調子ではない様子。
一幕の見せ場の一つである、”Ah, dal ciel discenda un raggio (日本語での曲名がわかりませんが、”智と正義の光を”というような意味)でも同様。
それでも、本調子でないながら、音程は正確だし、技術もしっかりしていることは伺われます。
本来のコンディションで聴いてみたい。

一方、レスター伯を歌ったフランチェスコ・メリは、声量もあって、
登場後すぐは期待をさせるのですが、ごりごりごりごりと声を張り上げ、
段々と聴いているこっちまで肩がこってきそうになる歌唱。
この第一幕のアリア、”ああ!美しいこの面影を Ah! rimiro il bel sembiante ” で、
すでに私も一緒にぜーぜーしそうでした。
この役に求められる声のタイプとしては、『ルチア』のエドガルドなんかと共通していると思いますが、
現在のオペラ界で、このあたりのレパートリーを優雅に楽々と歌えるテノールが本当に少ないような気がします。
日本での『椿姫』の公演でデヴィーアと共演したころのフィリアノーティをDVDで観た時には、
あのまま好調を維持してくれれば最右翼!と大いに期待していたのですが、
メトの2007年シーズンでのエドガルドを聴く限り、その夢も絶たれたのではないか、と私はとても悲しい。
あとに残っているのは、メトに登場した人でいうと、
ジョルダーニ(私的には全然だめだと思う)、新進のカイザー(まだまだ小粒)、と絶望的な状況です。
この二人よりは、むしろ、ポレンザーニ(最近ではこのあたりのレパートリーを歌うには
声が重くなってしまったかもしれませんが)や、いっそもっと新人でコステロに期待したい。
メリの歌唱もジョルダーニのそれと共通するものを感じるのですが
メリの方は、声は良くでているが、ほとんど”うるさい”というレベルに達しているし、
ジョルダーニはジョルダーニで、そこまでうるさくは思わないけれど、折り目折り目が甘く、
彼らの強引で繊細さの微塵もない歌唱は、特にこの辺のレパートリーでは、
私には全く魅力的に感じられません。

それから、このメリ、顔を含むルックス自体は決して悪くないのですが、
歌い始めると、子リスのように前歯をひん向いて歌うのはやめてほしい。
深刻な内容の歌詞なのに、ずっと”いひひ!”と笑っているかのような顔なんですもの。
オペラも映画館で鑑賞される時代、
歌っているときの顔までチェックされるのだから、オペラ歌手も本当に大変です。

しかし、ルックスといえば、マリアとレスター伯を陰に日向に支えるタルボ役を歌うシモーネ・アルベルギーニ。
(注:配布されたスカラ座HDの資料では、カルロ・チーニとなっていましたが、
以後、これは間違いで、アルベルギーニであることが発覚しました。)
この公演の映像の、この役では、なんとなく私のアイドル、コレッリを彷彿とさせるルックスで、
一瞬ときめきましたが、歌が絶不調。
後の幕では、声がかれはじめ、大きく咳払いをして、喉を潤そうとしても、全く効果なし。
最後のカーテン・コールでは案の定強烈なブー出しを食らっていましたが、本人も大いに自覚があったようで、
穴があったら入りたい!という様子でした。
それがこんな風に映像に残ってしまって、、。
やっぱりオペラ歌手には大変な時代になったものです。
というわけで、彼に関しては、あまりにコンディションが悪すぎて、何をどう評していいのやら、、
なので、コメントは控えさせていただきます。

プロダクションについては、セットは写実的なものを廃し、直線を生かしたモダン
(というこの言い方自体が古さを感じるが、、)なデザイン。




決してわけのわからない抽象的なものにはなっておらず、また何か意外なことを提示しようとするのでもない。
ベースにはストーリーや状況に忠実、かつ歌を決して邪魔しない路線が流れており、
その意味では、結局書割中心の古色蒼然としたセットと、役割的には大して違いない気もします。
衣装も全体的にはシックで悪くないのですが、唯一、続く一幕二場でのマリアとエリザベッタの対決シーンでの、
エリザベッタの男装の麗人風の衣装は、”これはなんでしょう、、?”と思わされました。
女王としての身を隠し、男性の振りをしてお忍びでマリアに会いに来た、ということなのかも知れませんが、
高い帽子をかぶり、それこそ”女王様”(二重の意味です、、)のように、
乗馬用の鞭を振り回す姿、しかも眉毛なし、は、とっても怖いです。



なぜ、ドレスではいけないのでしょう?よくわかりません。
特にこの場面は、”女同士”の意地とメンツをかけた二人の女王
(イングランドvsスコットランド)の対決なのであって、
私としては二人が女性であるという事実をむしろ強調してほしかった。
片方が男のようでは、このシーンのエッセンスがぶち壊しです。

後編に続く>

Mariella Devia (Maria Stuarda)
Anna Caterina Antonacci (Elisabetta)
Paola Gardina (Anna)
Francesco Meli (Roberto)
Simone Alberghini replacing Carlo Cigni (Talbot)
Piero Terranova (Cecil)

Conductor: Antonino Fogliani
Director and Set/Costume Designer: Pier Luigi Pizzi
Performed at Teatro alla Scala
Film viewed at Symphony Space, New York

*** ドニゼッティ マリア・ストゥアルダ Donizetti Maria Stuarda ***

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14 コメント

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メアリー・スチュアート (チャッピー)
2008-07-27 22:22:40
最近の映画ではエリザベスが主人公の為か、いまいち美しくないメアリー役を立て続けに見る羽目に・・

久々にお美しいメアリー女王を拝見できて嬉しく思います。DVDが出たら買うかも。
返信する
でもやっぱりエリザベスが、、 (Madokakip)
2008-07-29 13:01:42
 チャッピーさん、

デヴィーアは昔より、今の方が綺麗、という幸運な歌手ですね。
(そういえば、フレー二も若い頃より、歳を重ねてからの方が素敵ですし、
スコットも、、。ということで、歌が上手い人は年齢を重ねてから綺麗になる、という仮説が生まれつつあります。)

それでも、このアントナッチの美人ぶりは!
(本文にもあるように、メイクのせいで一切地顔はみえませんでしたが)
やっぱりエリザベスの方が美しい?!
返信する
エリザベス (チャッピー)
2008-07-29 22:24:30
実際のエリザベスってやはり不美人だったのですか?
ファッションは大阪のおばちゃん風だったようですが。

最近はエリザベス一世が主人公の映画が多いせいか、綺麗な女優さんがエリザベスを演じているケースが多いですね。

でも、いくら脇だからいって、メアリーの美人度を下げるのはやめて欲しい。あれは上品な美人でないと、ただの空気の読めない馬鹿女よ。まだ、マリー・アントワネットの方が共感できる点は多いなあ。
返信する
デヴィーア/アントナッチ (通りすがりです)
2008-07-30 13:43:52
またきてしまいました。デヴィーアと聞くと、いてもたってもいられないのです。「マリア・ストゥアルダ」の彼女、もう笑っちゃうしかないくらい、素晴らしかったですよね。(もちろん、本当には笑える余裕など、私にはありませんでしたが。)映画館とはいえ、よくぞニューヨークまで来てくれましたってなもんです。もう彼女くらいになると、わざわざ遠いアメリカまで出稼ぎに来る理由、無いのでしょう。しかも、ベルカントというとネ●レ●コやフ●ミ●グに主役を与えてしまうメットになんて、何が楽しくて来る必要があろうか。お二人のファンの方、ごめんなさい。でも、この二人のベルカント・レパートリーは、私にはどこがいいのか、さっぱりわからない。専属スタイリストをつけてコンサートに出てこようが、私にとってあの二人のベルカント・レパートリーは、所詮プラスチック。それがデヴィーアだったら、ヘアスタイルがママさんバレーであったとしても、そんなこと誰も覚えていない(って、覚えているだろっ)。

私はでも、デヴィーアの生を聴いたのは、残念ながらたった一回しかありません。1995年だと思いますが、アムステルダムでたまたま聴いた「テンダのヴェアトリーチェ」の演奏会形式、あれだけです。この時の彼女は、絶好調にもかかわらず、高音を一切入れずに歌ったのでした。あれだけ完璧に歌ってくれると高音なんて必要ないということを、身をもって体験させてくれた歌唱でした。

ちなみにアントナッチは、この7月、タングルウッドの「トロイ人」でカッサンドル役を歌ったのを聴きました。こちらも、メットで同役を歌ったヴォ●トなんか、ヘラヘラ~ってなもんの、火を噴く歌唱でした。

今日はちょっと筆が滑りました。お許しを。後編のリポート、楽しみにしています。ではでは。
返信する
それはもう絶対/私が言いたいこと (Madokakip)
2008-07-30 14:22:21
 チャッピーさん、

恥ずかしながら、エリザベス一世が主人公になっている比較的最近の映画、
ことごとく見逃しているので、どれほどメアリーが不細工な扱いになっているのか、
想像もつかないのですが、私も、それはもう絶対、
メアリーは美人のイメージですね。
造形的に美人ではなくても、男性を引き付ける魅力には溢れていたはずです。
服のセンスなども含め、、。
処刑の時に着用した衣服の色の組み合わせの記録も残っているようですが、
とてもシックで、大阪のおばちゃん風だった(ひっ!恐ろしい!!)とチャッピーさんが言われるエリザベスとは一味も二味も違っていたはずです。

エリザベスはあの麻呂眉(というかほとんどない?)が怖いですね。
美人かどうかの判断ももはや冷静に出来ないくらいに。

 通りすがりですさん、

このような熱い思いにあふれるコメントをありがとうございます!!
そして、私がベル・カント・レパートリーについて、
常日頃思っていることをすべて書いてくださっていて、
本当にもう何もつけたすことがないくらいです。

私もフレミングはもちろん、ネトレプコのベル・カント・レパートリーはまったく評価していないくちです。
ファンの方、ごめんなさい。
というか、ネトレプコはどちらかというと好きな方に入りますが、
純正ベル・カント・レパートリーはもちろん、数年前にメトで歌った
『リゴレット』のジルダのようなベル・カントの影響が感じられるヴェルディものでも、
私にはとても満足できる内容ではありませんでした。
ベル・カントのレパートリーを歌うに必要な基本的な技術が彼女にはないと思います。

とにかく、このデヴィーアの歌をきけば、それがどういうことかというのは一聴瞭然なので、
とにかく、できるだけ多くの方に、このデヴィーアの公演を見て&聴いていただきたいものです。

本文にも書きましたが、あの、オケについて歌うだけでも大変な
細かい装飾歌唱の部分で、ある音符が他の音符より長い、という、
その長さの違いを、あれだけきっちりと正確に歌い分けられる歌手が他にいるでしょうか?
こんなすごい歌を聴いた後では、ネトレプコの適当な装飾歌唱を聴くのは辛すぎます。。
だから、『ルチア』はやめてほしい、とあれだけ言ったのに、、。

トロイ人、ご覧になったとは羨ましい!!
アントナッチは少しこの『マリア・ストゥアルダ』では不調だったように感じていたのですが、
やはりそうだったのですね。
ぜひ、絶好調のところを生で聴きたいのに、
ゲオルギューとひきかえに、二度とメトにきてくれなさそうなので、絶望的、、。
私がイタリアに行くしかないですね!!(って、いつ、、?)

とにかく、デヴィーア女王、万歳!!!です。
本当、ママさんバレーのヘアスタイルがどうした!です。
返信する
皆さんもう観られているんですね~。 (sora)
2009-05-18 19:17:05
こちらのページは存じませんでした。
アルベルギーニ、そんなに悪かったですか?
メリがなんか甘っちょろかっただけに、うちの小型テレビでは声も渋くてかっこよく見えましたが。。。
このオペラ、私はデヴィーアのリサイタルの部分しか聴いたことがないのですが、確かに素敵な歌がいっぱいそうでしたね。
でも、初めて観るにはやっぱりきついかもと感じてしまいました。私の職場の方も(私がいつもオペラオペラとうるさいもので)たまたま観てみたらしいのですが、アントナッチの化粧にはびっくりするわ、マリア(デヴィーア)って美しいんだよね?とか。。。ふふふ。やっぱり映像で観るとつっこみを入れたくなるのですよね、いかに声がすごかろうと。私は眉が気になりました。。。
私も私で、映画館ならいざしらず、知らない歌を聴いてるのはなかなか集中しづらく、ビデオに録ってるから安心、てなものでした。
しかし、うちのばかテレビですら、デヴィーアの高音にはびっくりさせられました。ほんと凄いですね。
それにしても、NHKには感謝です。BSもクラシカジャパンも観られない私のために、もっと教育テレビでやって欲しいです。フローレスのチェネレントラ王子が観たいな~。
返信する
もう観られていたのに! (Madokakip)
2009-05-19 10:09:15
 soraさん、

>皆さんもう観られている

のに、今頃まで正しいキャストがわかっていなかったとは、
いかにも悔しいではないですか!
本当に、スカラ座のHDはいい加減で困ります。
だって、私が見たこの回はライブなんかじゃなくて、
アンコール上映ですよ!
配布資料くらいなおしておこうよ!って感じですよね。

スカラのHDは、他の演目の時にも同じ問題があったんですよ(『三部作』)
スカラ様なんだから、歌手なんて誰が出ても同じ!くらいに思ってんじゃないかな、と
勘ぐりたくなります。
失礼ですよね、歌っている歌手に。

アルベルギーニは、元の声はいいのですが、
この『マリア・ストゥアルダ』の日は、不調だったんじゃないかと思います。
メトの『チェネレントラ』のHDの日は、
絶好調だったといっていいと思うのですが、
一つ前の公演なんかを聴くに、
特に立ち上がりの、声が硬いときに、
フレージングにスムーズさを欠く点が、
唯一のウィークポイントだと思います。
それでも、この『マリア・ストゥアルダ』のようながたがたではありませんでした。

このスカラの『マリア・ストゥアルダ』がDVD化されてしまって、
本人もすごく不本意なことでしょう。

http://www.amazon.com/Donizetti-Stuarda-Orchestra-Chorus-Teatro/dp/B001OBT3DY

ぜひ、メトが『チェネレントラ』をDVD化して、
面目を取り返すお手伝いをして差し上げてほしいものです。
返信する
大器 メーリ (シャンティ)
2009-09-12 10:13:27
2009年9月11日 武蔵野文化会館・小ホール(474席)のメーリのコンサートに行ってきました。(プログラムは オペラシティと同じ)
http://www.tokyopromusica.jp/event_news/meli.html

去年 ROFの”マホメット2世”を一人で聴いてから”メーリいいよ~”とうわごとのように言っていたのですが、今回いっしょに行った夫も”この人はDVDと生では全く違う!DVDでは響きは再生し難いが、生での響きがすごく、ホールを共振させていた。声質も美しいし、ベルカントな歌唱技術も満足”と堪能していました。

初めの2曲はまだまだ..と思ったのですが(普通の歌手なら大合格点)3曲目から、金属質な美しい響きが乗ってきて、去年の感動を思い出し、一曲一曲を楽しみました。プログラムで一番印象に残ったのは”忘れな草”。イタリア的な曲調と彼の歌唱がぴったり合って もういうことありません。

アンコール:”愛の妙薬”(おおアディーナよ~〔デュエット〕)、”フィガロの結婚”〔歌:ガンベローニ〕、”愛の妙薬”(人知れぬ涙)、ドン パスクアーレ(もう一度~〔デュエット〕、”トスカ”(星は光ぬ)
(人知れぬ涙)は 彼が渾身の一曲として歌っているのが伝わって来ました。そして、(星は光ぬ):ロッシーニを得意としているのに、この曲をこれほどしっかりと歌い上げるとは...びっくり! そして彼の熱唱に観客の拍手も鳴り止まず、メーリも私たちの気持ちを受け止めて、またまたアンコール!”ジャンニ・スキッキ”〔歌:ガンベローニ〕、”カルメン”(花の歌)。いつまでもこの時が続いて欲しい...全員スタンディング!もう、用意した曲が尽き、再度(星は光ぬ)。そう、計8曲もアンコールしてくれました

メーリ、このまま名を残す歌手になって欲しいし、なってくれると思います。メトには2010年”リゴレット”でデビュー、その後も”マリア・ステゥアルダ””椿姫”が決まっているそうです。ぜひぜひ、その時をお楽しみに!!
返信する
マナーの悪い年配男性 (シャンティ)
2009-09-12 10:37:57
コンサートが200%満足であっても、マナーについては...。
* 一人いつもフライング拍手をしている男性。”自分はわかっているんだ”と思っているのでしょうが、他の観客はすばらしい歌の余韻にうっとりと浸っているのです。
*終わった後のサイン会:購入DVD、CD、プログラムにサインのはずが、先頭の数名の男性は 持参の解説書を何枚も何枚も!次々際限がないくらい出し、係員の”一人1点でお願いします”の声も完全無視。販売目的?それとも友人分? メーリに一言のお礼も言わず...。黙々とサインするメーリ。歌手への敬意がまったくありませんでした。(係員も上手く仕切れず)
どちらももういい年の年配男性。オペラファンであるならば、若い人の手本になるべき態度をとって欲しいです
返信する
生メーリ (Madokakip)
2009-09-12 14:39:48
 シャンティさん、

生メーリを実際に体験した方に、
実際のところ、彼の歌声はどんな感じですか?と、
ぜひ、伺ってみたいと思っていたのです!!
ご主人がおっしゃるように、DVDとか録音されたものでは
魅力が100%伝わらないタイプの歌手というのが確かにいますね。

スカラ座の観客の反応がわりと良かったので、
もしかしたら生はいいのかな、、?と疑問に思っていたのですが、
シャンティさんの絶賛コメントを読むと、
まさにそのパターンだったようです。

しかし、驚かされるのはカバーしているレパートリーの広さです。
ベル・カントのレパートリーでデヴィーアとスカラ座で共演するくらいですから、
ベル・カン専かと思いきや、プッチーニやフランスものまで、
しかもそれぞれの出来がすごく良いそうですので、
これは本当にこれからが楽しみなテノールですね。

メトは一年我慢で、『リゴレット』の侯爵ですか。
『リゴレット』の侯爵役はなぜかメトでは若手テノールの登竜門的なポジションになっているんですね。
(声楽的に比較的軽めなので、たまたまそうなってしまう、というのもあるのでしょうが。)
アルバレス(彼はデビューしたのが遅かったですが、それでも。)、
ヴィラゾン、それから最近のフィリアノーティやベチャーラなど、
メトに登場するようになってから比較的早い時期にみんな侯爵を歌っています。

2010年のシーズンは、このメーリと、
それからkeyakiさんのグリゴーロ(彼は『ボエーム』で登場です)という、
二人の期待できるイタリア人テノールがメトに登場してくれるので、
今から非常に楽しみです!!!

>フライング拍手

嫌ですねー。
時には、そんなにもったいつけて静寂をおかなきゃならないほど、
すごい演奏でもなかったぞーという場合でも、
みんな拍手を我慢している時があって、
そういうのはわざとらしくてしらけますが、
本当にいい歌だった場合には、
自然に余韻を楽しみたい、この感動を壊したくない!と思うものですよね。

>メーリに一言のお礼も言わず

ほんと、何者?!って感じですよね。
でも歌手の方も優しい方が多いです。
私が歌手だったなら、一枚サインしたら、
”はい、次の方!”と言って、二枚目以降は無視します、絶対。
それか、お礼を言うまでサインした紙を手放さないとか。
とことんヤなディーヴァになってやるんです。
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