Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

DR: TOSCA (Fri Mng, Jan 7, 2011)

2011-01-07 | メト リハーサル
忘れもしない2009年9月、あの身の毛もよだつおぞましいボンディ『トスカ』が初めてメトの舞台を穢して以来、
『トスカ』という演目がメトに戻って来ること自体が恐怖になってしまった私です。
そこで遠慮がちに、”でも、昨シーズンのBキャストみたいなことがあるなら、そう恐れることはないのでは、、?”と呟いた方!
あんなキャスティングと指揮に恵まれることが、そうそうあるとお思いですか?答えはノン!!
キャスティングに恵まれた、と言うのは、単に役柄に歌手の持ち味があってます、というレベルの話ではなく、
どうすればこの演出をワークさせることが出来るか、この演出の中に一体自分は何を持ち込めるのか?ということを考えられる歌手と指揮者が揃う、、、
私がここでいう”恵まれたキャスティング”というのはそういうことなのです。
主役3人に指揮者までがそういう組み合わせになるというのは滅多にあることではなくて、
だから、あのBキャストをスタンダードにして考えるのは無理があるのです。
それにしても、つくづく何と罪深い演出なのか、、私のオール・タイム・フェイヴァリット『トスカ』をオペラ・ライフ最大のホラーに変えてしまうとは。

そんなこんなでやって来た恐怖のドレス・リハーサル。
上述した昨シーズンのオープニング・ナイトの『トスカ』については、
演出そのものから来るメインの恐ろしさもさることながら、他にもいくつかの小恐怖が仕込まれていて、
マッティラ(トスカ役)のおばはんくさい演技・歌唱・ルックスのトリプル攻撃はもちろん、
マルセロ・アルヴァレスが本来彼の持っている声質・サイズを越えて、カヴァラドッシのような役を歌ってしまうというストレッチ攻撃、
一生懸命歌い演じているのは良くわかるのですが、ボンディの指示にあまりに素直に従ってしまった余り、
大事なトスカがスカルピアを刺し殺す場面で死に姿がごきぶり!だったガグニーゼのコックローチ攻撃など、もう枚挙に暇がありません。



今シーズンの『トスカ』は相変わらずアルヴァレスがカヴァラドッシに配されているので、
私にとっては、もうこの時点で小恐怖のカウント1!って感じなんですが、彼の場合は声質・サイズの問題を抜きにすれば
(つまり、カヴァラドッシ役の歌唱から本来得られるはずのスリルはあきらめなければなりませんが)、
彼の出来る範囲での、きちんとした、いわゆる”まともな歌”ではあるので、
この辺のレパートリーを説得力を持って歌えるテノールが極めて少ない現状のもとでは、
彼がメトにこの役でキャスティングされ続けるのも仕方がない部分があるのかもしれません。

さて、肝心要の表題役を歌うのは、ソンドラ・ラドヴァノフスキー。
彼女は去年の四月にホロストフスキーと行ったリサイタルのアンコールで”歌に生き、恋に生き Vissi d'arte, vissi d'amore”を披露していて、
それは、そのリサイタルのほとんど直後に予定されていた彼女のロール・デビュー(場所はコロラド・オペラ)の予告編、といった位置づけでもありました。
実はその”歌に生き、恋に生き”は、マッティラの”なんじゃこりゃ?”な歌唱に比べるとずっとずっと良く、
いえ、むしろ、誰と比べなくても、ただ単純に絶対的なスケールで見てもなかなかすぐれたVissi d'arteで、
こんな雰囲気で全幕を歌えるなら、これは彼女のトスカ役はかなり期待できるかも、、と思っていたのです。
私だけでなく、そのリサイタルのオーディエンスの多くの方も、同じように感じていたのではないかと思います。
最近の『トスカ』は、カヴァラドッシだけでなく、トスカの方も段々こじんまりして来ている感じがあるのですが
(もしくは、ヴォイトのような、声量はあっても雰囲気や声質的にこの役とは違和感があるソプラノが歌うか、、)
そこは、さすが声がでかいソンドラ姉さん、スケールの大きいこと、大きいこと、、、こういうトスカは久々に聴くなあ、と思いました。
私は声がでかいことが=悪い歌手にすぐに直結するとは思っていなくて、
声がでかくてもきちんと小回りが利いて、繊細な歌いまわしも出来るのなら、問題はないと思ってはいるのですが、
彼女はヴェルディの『イル・トロヴァトーレ』全幕での歌唱を聴いた時に、装飾歌唱の技術に非常に重たいものがあって、
一部のヘッズには技術も声量も含めて異常に人気の高い彼女なんですが、私はちょっと懐疑的な部分があるのです。
また、今回はヴェルディとは違った歌唱の難しさがあるプッチーニの作品のタイトル・ロール、
しかも、非常に高い演技力が求められるトスカ役ということで、そのあたりも注目しつつ鑑賞したいと思います。
まあ、でか声も場合によってはOKと言いましたが、相手役をつとめるアルヴァレスの声は決してサイズがあるとは言い難いので、
バランスの面から、彼女のブルドーザーのような声に、アルヴァレスの声が潰されないことを祈ります。

この作品で最も大切な役として、三角形の一角をなすスカルピアを歌うのは、ファルク・シュトルックマン。
今まで一度も舞台で見たことがないだけでなく、私はこれまで名前も聞いた事がないバリトンなんですが、
(メトにはずっと前にデビューしているのですが、以前の私は鑑賞しない演目もたくさんあったので、単にご縁がなかったみたいです。
今シーズンの前にメトに登場したのは2003年だそうで、8年近いブランクがあるのも一因かもしれません。)
こういう時は期待を一番下のところに設定しておくに限ります。
どうせ、ガグニーゼみたいなごきぶり体型のおやじ(と言っても私とほぼ同い年ですが。)が出てくるんでしょうから。
第一、この演出でスカルピア本来のエレガントで冷酷な雰囲気が出せる人はまずいないでしょう。
Bキャストのブリンのように漫画風に演じるのが一番の得策だと思いますし、
よって、ごきぶり体型でも全く問題がないどころか、その方がかえって良いくらいなものなのです。



しかし、リハーサル開始直前にいきなり舞台に現れたメトのスタッフ!
何かしら?どきどき。
”カヴァラドッシ役のアルヴァレスが風邪のため今日のリハーサルは歌えません。同役はリチャード・リーチがつとめます。”
リチャード・リーチ!!!なんて懐かしい名前でしょう。メトで全然キャスティングされなくなったのでどうしていたのかと思っていました。
(メトの本公演で歌ったのは2004年の『カルメン』が最後のようです。)
リーチがメトに毎年のように登場していたのは90年代を通してのことで、アルヴァレスがメト・デビューしたのが1998年、
リーチがアルヴァレスの本来のカバーなのか、単に今日のドレス・リハーサルに連れて来られただけなのかわかりませんが、
まあ、時の流れというのは残酷です。
そして、声を聴いてその思いが一層増しました。
このままアルヴァレスが風邪だと、初日は彼にお鉢が回ってくる可能性もあるから声を酷使したくないのでしょうか、
”妙なる調和”はかなりマーキング気味なんですが、それがかえって彼の声の衰退ぶりを強調していて、これは聴いていてちょっと切ないものがあります。
全盛期の頃の彼はこんな声じゃなかったんですけれど、、。
それでも、声の重い軽いを言うと、せいぜいリリコ辺りがレパートリーの本来の端、と言われていたリーチですら、
(まあ、年齢を経てそうなったというのもあると思いますが)アルヴァレスよりはずっとどしんとした声をしています。
こういうのを聴くと、やはりアルヴァレスにはカヴァラドッシは重いんだよなあ、、という思いが強くなります。
それにしても、今日はオーディエンスの中にゲルブ支配人の姿もあって、リーチは力を抜いて歌っている場合じゃないと思うのですよ。
おやじテノールの意地を見せて、”自分を使ってくれ!”とアピールしないと!!
結局、一幕の後にゲルブ氏は席を立ってしまったのですが、なんとニ幕からリーチの調子が上がり始めて、
Vittoria!は、アルヴァレスよりもずっとずっとパワーがありました。
マーキングなんてしないで、きちんと歌えば、もちろん昔と同じ声はありませんが、発声の基礎はそれなりにきっちりしていて、
聴けないほどまずい歌唱でもないし、歌いすすめるうちに歌唱の方は安定してきて、三幕の二重唱なんかも悪くなかったと思います。
また、カヴァラドッシはメトでも歌ったことがあって、持ち役に入っているので歌いなれていることもあり、
彼は演技についてはほとんど全く何もしていないような、昔仕様のオペラ歌唱で、熱さもあまりなく、
手放しで褒められるような素晴らしい内容でも決してないですが、ニ幕、三幕に関してはまずは安心して聴いていられる歌唱でした。
どうして最初から本気モードで歌わなかったんだろう、、、多分、今それを一番後悔しているのは彼自身だと思いますが。



しかし、私、リーチとの久々の出会いにびっくりしている場合ではありませんでした。
このラドヴァノフスキーのトスカは一体何なんでしょう?!?!?!?
最初の”マーリオ!”からピッチが甘くて、そのピッチの問題はリハーサルの最初から最後まで、つまり作品を通してずっと付きまとっていました。
すぱっとすぐに正しい音程に入らずに音を探すような感じがするのも、とても気持ち悪いです。
一番???なのは、歌えば歌うほどどんどんテンポが遅くなっていくような気がする、この気の遠くなるようなまったり感です。
もちろん、テンポが遅い演奏の中にも優れたものは存在します。
でも、テンポを遅くしたら、その分それを底で支える緊張感が絶対に必要で、
それは早く演奏する場合よりもある面ではなお一層演奏者にとっては大変なことで、当然のことながら、それは芸術上の選択として行われるべきです。
つまり、大変なのを承知で、その場面にふさわしい表現であるという信念のもとに、テンポをゆったりととるのです。
私はラドヴァノフスキーが異常にゆったりしたテンポで歌っているのは、そういう信念のもとで行っていることかと最初は思っていたのですが、
どうやら、観察しているうちに、そうではないらしいことに気付いて愕然としました。
そう、そんな深い理由ではなく、彼女は単にそのテンポでしかこの役を歌えない、そういうことなのです。
彼女の中にはこういう風に『トスカ』を歌いたい、というイメージがどうやらあるみたいなんですが、
その頭の中で鳴っている音に達するまでの、彼女の声の方のレスポンスが遅くて、結果として、
そこに達するまでその音をひっぱるということを彼女はしているのです。無意識か意識的にかはわかりませんが。
先に書いた、音がすぐに正しい音程に入らなくて探るような感じがある、というのも、
結局はそのことの一例で、正しいピッチに辿り着くまで(辿り着かない時もあるのですが)音を引っ張っているのです。
で、歌っているうちに彼女は自分の楽な方へ、楽な方へ、と流れていくので、どんどんテンポが遅くなっていくような、
だらだら足を引きずって歩いているようなダル感が生じるというわけです。



歌手にオケを合わせるのが上手いという、指揮者マルコ(・アルミリアート)の、普通なら美点になるはずの特質も、
ここではただただバックファイアーするのみ。
マルコはおそらくラドヴァノフスキーが芸術上の選択からでなく、技術上の未熟さから歌が後ろ倒し、後ろ倒しになっているのをきちんと感じ取っていたのでしょう、
出来るだけそれに合わせようと努力をし、それを感じ取ったラドヴァノフスキーはさらにそれに甘え、、と、
ものすごい勢いでお互いに火を注ぎ合う、下向きのスパイラルになって行ったのでした。
『トスカ』は割りとメト・オケが得意としている方の演目だと思うのですが、このあまりの事態に、
アンサンブルが崩壊してしまった箇所がいくつかありました。
私など、この調子で演奏が続いたら、夜の公演が始まる時間になってもまだこのドレス・リハーサルは続いているのではなかろうか、、
と怖くなったほどです。

結局、マルコはこの路線を初日でも続けてしまって、ブロガーや批評家から”オケの演奏がダルい”とさんざんな叩かれようでした。
これに、”僕はラドヴァノフスキーをサポートしていたに過ぎないのに、、”と、とうとう切れたか、
二日目以降の演奏では、ソンドラ姉さんを”もっと早く!”と煽る作戦に切り替えているそうです。
いや、それでいいと思います、私は。
ところどころで歌手の苦手な部分をサポートするのは良いと思いますが(昨年のBキャストでルイージがラセットをサポートしていたように、、)、
全編通してこんな調子でしか歌えないなら、役を引き受けるべきではないのです。
引き受けた以上、指揮者の常識的なテンポ設定などには対応できるべきで(そして、マルコが非常識な設定をするタイプの指揮者でないことは明らかです。)、
それが出来ないとしたら、それは指揮者の問題ではなく、歌手の問題で、非難されるべきは彼女であり、マルコやオケではありません。
それをはっきりさせるためには、サポートの限りを尽くすお人良しを止めるという荒療治も有効かと思います。

声の大きさに関してはリーチが割りと良く通る声なので、特に彼女が度を過ぎて大声と感じることはなかったのですが、
(まあ、もちろん絶対的な尺度では大きくはあるんですが、、)
気になったのは、彼女の歌唱については以前からずっとそういう傾向があるですが、一部の母音を出す時に顕著に入ってくるもわーんとした独特の響きで、
もっとストレートな音で歌った方が魅力的なのにな、と思います。実際綺麗な音が出ている時もあるので。



そもそも歌がこんな調子で、作品と本当にコネクトするような演技をすることも無理なのは明らかなのですが、
彼女の下品な演技にもぞっとさせられます。
それは第一幕から全開で、カヴァラドッシと教会でいちゃいちゃしながら笑う、その笑い声が、
Bキャストのラセットは”うふふふ、、。”という感じのかわいらしい笑い声だったのに対して、
”なはははは、、。”という、どっかの売春宿のおかみが高笑いしているかと思うような、
もう私が男性だったら、立っていた何もしゅん、、としぼみそうな(いつも通り表現が下品ですみません)色気ゼロの笑い声で、
一体彼女はトスカという人物をどういう人物だと思って演じているのだろう、、?と、こんな基本的なところを疑わざるを得ない有様です。
この笑い声は相当評判が悪かったようで、メトのスタッフにもストップをかけられたか、初日のシリウスの放送では、
ラセット型の笑いに置き換わっていたのは、もう当然でしょう!という感じです。
この後もぎっこんばったん、大味で大袈裟な演技ばっかりが続き、まあ、彼女も演技のセンスの無いことではマッティラに負けてません。
一言でまとめるなら、彼女のトスカは下品すぎます。まるで場末のキャバレーのホステスみたい。演技だけでなく、歌もそう。
そして、ここにこそ、プッチーニのこの辺の作品を歌う難しさがあるんですよね。
生半可にしか役を咀嚼してないと、一気に歌と演技が下品になってしまう。
”歌に生き、恋に生き”はそこそこ上手くまとまっていました(マッティラよりは間違いなくまし。)が、
アリア一曲をきちんと歌えることと、全幕で役をきちんと表現するということには、それこそ海ほど広い隔たりがある、そういうことです。



では、今日のドレス・リハーサルは何一つ良いことがなかったかというと、それがどっこい!
私が期待値ゼロにしておいた、今まで名前も知らなかったバリトン、シュトルックマンが思いがけない健闘を見せて、
今日は彼を聴けたことでよし、としたいと思います。
彼は、このボンディの演出で、スカルピアを限りなく本来のスカルピア像に近く歌い演じる、という荒業に出ていて、
”えー、大丈夫?!”と最初は思いましたが、彼の美しい舞台姿、それから彼の歌唱・演技両面での表現力のおかげで、かなり良い線を行っていたと思います。
彼の素晴らしいところは、非常に自分が歌っている言葉に意識的な点で、彼はドイツ人なんですが、
非イタリア人だからこそ、かえってここまで言葉に執着できる、という面もあるのかもしれません。
言葉に合わせて微妙に声のカラーを変えたり、アクセントをつけたり、短めに言葉を発したり、と言った、
表現に深みを与えるための限りない工夫が感じられ、こういうレベルに達してこそ、その役を歌う資格があるってものよ、
(聞いてます?ラドヴァノフスキー!)と思います。
それに、彼は本当演技が出来る!
私、(アンジェロッティの居場所に繋がる秘密は)何も話してないわよ、と、カヴァラドッシにしらばっくれるトスカを見て、
彼女が口を割ってしまったことがわかる内容の指示を2人の目の前でわざと部下に出す場面では、
トスカ、ピーンチ!の様子に、もうこりゃ傑作!という風に太ももを何度も何度も叩いて喜ぶ演技を入れるんですが、
これがもう実に憎ったらしいまでの嫌な奴ぶりなのです。
しかし、決してターフェルのように漫画にまでは転んでいなくて、スカルピアが持っているべきエレガンスさは失われていない。
トスカに刺される場面での鬼気迫る死にっぷりも上手くて
(初日の放送ではちょっとやりすぎ感がありましたが、リハーサルの時の演技は素晴らしかったです)
ラドヴァノフスキーではなくて、彼の方がこの場面を成立させていたような感じがするほどです。
適度な声量もあり、音を絞って出す高音域がなかなか色っぽくて綺麗で、一幕の教会でトスカと会話するあたりで、
それを生かした、猫をかぶったスカルピアの表現も巧みだったと思います。
テ・デウムの後、マリア像に抱きつく演技がオリジナルのボンディの演出に入っていたのは昨年のオープニング・ナイトの
公演の感想に書いた通りですが、
シュトルックマンのスカルピアは、代わりにそっと片手をマリア像の頬に当てて、少しだけ親指で愛撫するような仕草をして、幕。
これで十分、ボンディが表現したかったことも、スカルピアのエレガンスさを損なわずに表現しきっているわけで、
彼の表現力、演技のセンスの良さ・上品さは、私、今回、とても気に入りました。
悪夢のような今年の『トスカ』の中で、唯一の明るい光です。

この日、私の斜め前にホロストフスキーが座って鑑賞していて、おそらくラドヴァノフスキーと共演したこともある彼は
彼女の応援がメインだったのでしょうが、シュトルックマンの歌唱と演技に釘付けになっていたのを私は見逃しませんでした。
スカルピア役もいずれ歌う予定があるんでしょうか?
今日のような優れたスカルピア役の解釈をどんどん役作りに生かして頂いて、いつか、素敵なスカルピア役をメトで披露してくれるのを期待しています。
ただ、一年も経たない間にかなりお太りになったように見受けるので、スカルピアの前に少し減量を!

結局、1/10の初日になってもアルヴァレスの風邪は回復せずじまい。
代役に立ったのは、メトに関するプチ・ニュースの欄でお知らせした通り、同時期に『カルメン』のホセ役でメトの舞台に立っているアラーニャ。
私はこのニュースを知った時、泡を吹いて倒れるかと思いました。
彼がいなくてもすでに十分に悪夢な『トスカ』に、また何を足すんじゃ!という、、。
もちろんこんなわけのわからないことを考え出すのはGで名前が始まる支配人です。
彼はその日がメトで初めて歌うカヴァラドッシで、私もシリウスで拝聴しましたが、まあ、ひどいの一言。
彼の声質から言って、本来迫力を持って歌えるはずのないこの役を無理に歌おうとするものだから、
支えがないまま声を無理に飛ばそうとしていて、そんな歌い方がどういう結果になるかは目に見えてます。
そう、ひたすら、へろへろ。
そんな歌でもアラーニャさえ出てくれば客席は大喝采なんですから、メトも本当、お手軽な場所になったもんです。
その『トスカ』のたった三日後の『カルメン』を鑑賞しましたが、彼の声のコンディション自体は非常に良かったので、
へろへろカヴァラドッシはコンディションのせいなんかではなく、合わない役をプッシュして歌った結果が空回りして極端に現れたものだと考えます。
あれならリーチの方がまだまとも。リーチよ、だから超スター歌手でない限り、どんな時にも全力投球で歌わなくちゃ駄目なのです!


Sondra Radvanovsky (Tosca)
Richard Leech replacing Marcelo Álvarez (Cavaradossi)
Falk Struckmann (Scarpia)
Paul Plishka (Sacristan)
Peter Volpe (Angelotti)
Dennis Petersen (Spoletta)
James Courtney (Sciarrone)
Harold Wilson (Jailer)
Yves Mervin-Leroy (Shepherd)
Conductor: Marco Armiliato
Production: Luc Bondy
Set design: Richard Peduzzi
Costume design: Milena Canonero
Lighting design: Max Keller
Orch Z Even
ON

*** プッチーニ トスカ Puccini Tosca ***

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12 コメント

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Unknown (チャッピー)
2011-01-18 20:53:07
>メトも本当、お手軽な場所になったもんです
METは欧州のオペラハウスに比べたら、本当敷居低いですよ。
キャパが大きいから、当日でもチケット入手可能なことが多いですから。
20年前の私みたいに、ブロードウェー目当てでNYに来たようなのも、客に交じってたりする。
いっそまったくオペラの知識が無い方が、的確な評価出来るかもしれないです。

ホロのスカルピア・・・見たい!
多少デブでも、あの役ならOKでしょう。
返信する
Unknown (Johann Gottlieb)
2011-01-18 23:32:49
超お久しぶりに書き込ませていただきます。(前回はPeter Steinのビザの時でした。)

シュトルックマンは、数年前まではヨーロッパではまさにWotanといえばこの人!だったのですが、アメリカではあまり歌っていなかったのですね。メトではモリスがWotanを独占していたからでしょうか。指輪でもらくらくオケを乗り越えられる声なので、テ・デウムなんかはお手の物だと思います。いくらオケをならしても大丈夫なのが素晴らしいと、彼のスカルピアをふった指揮者が言っていました。



返信する
チャッピーさん (Madokakip)
2011-01-19 11:12:56
すでに書いたコメントのいくつかと関連するんですが、
敷居の問題と、オーディエンスの段々甘くなる歌唱評価は少し別の次元の問題かな、と思います。
おっしゃる通り、メトはこれまでもずっと、観光客が客席に多い劇場でしたし、
観光客が多ければ、おのずと普段はあまりオペラを聴かないのだけれど、これを機会に、、という人も少なからずいらっしゃるでしょう。
なので、敷居はずっと低かったと思います。
けれども、20年前と今で、一番違う点は、オペラハウスが供給している公演の
(はっきり言うと特に歌唱と演出ですが)クオリティの差です。
これは私だけでなく、40年近くメトを見守り続けている知り合いも言うのですから、間違いありません。
それも、このクオリティの下がり方は、20年かけて徐々に、ではなく、ここ数年、
これもはっきり言えば、ゲルブ支配人が支配人になってから猛烈な加速度がついています。

先のコメントで書きました通り、オペラになじみのない観客の中には、
“メトなんだから、トップレベルの歌手を連れてきているんだろう。”と思い込んでいる人もいます。
20年前なら、そういう彼らがわけもわからず歓声を送っても大きな問題にはならなかった。
なぜなら先に書いたように、今よりは歌唱のクオリティが高かったからです。
しかし、今は同じわけがわからずに送られる拍手が、あまりに舞台上で起こっていることと見合わないという事態になっているのです。

さらにオペラに馴染み深いはずの人間の中にも、
“一つの音、パッセージを失敗するくらい、、”というようなことを平気で言う、
昔ほど厳しい見方をしない人が増えている
(そこには、それをやりだしたら、今メトで現役で歌っている歌手でもxというケースが山ほど出てきて、
手に負えないから、という、あきらめもあるかもしれません。)という事態もあります。

こういう、公演を供給する側とオペラになじみがある人間が段々低くしている公演内容とそれに対する評価、
これが私の指す“お手軽な場所”であって、単に誰でも入りやすい、という意味のお手軽という意味とは少し違います。

ただ、恐ろしいのは、こういう歌唱や演出のレベルが下がってくることは、
やがて、虫歯のように他の全ての側面に向かって侵食していく点で、実際、私はオケの士気が、
今シーズン、非常に下がっていると感じています。
ラトルのような指揮者が出て来ると、今でも本気が出る彼らですが、
こういう事態が続くと、やがて本当に力がなくなって、本気を出そうと思ってもそうできない、という状態になることもありえると思います。
それこそ、これまでコレッリ、パヴァロッティ、ドミンゴ、フレーニ、サザーランドと言った面々と一緒に演奏して来たメンバーが、
冗談みたいなアラーニャのカヴァラドッシやポプラフスカヤのヴィオレッタが出演する公演で、
同じ士気を持って演奏に取り組めると思います?
返信する
Johann Gottliebさん (Madokakip)
2011-01-19 11:14:39
>前回はPeter Steinのビザの時でした

もちろん、覚えておりますとも!再びコメントを頂戴して、嬉しいです!!

>シュトルックマンは、数年前まではヨーロッパではまさにWotanといえばこの人!

ええー、そうだったのですね。これは私の無知でした。
そうですか、、ヨーロッパでヴォータンに忙しくて、なかなかNYにいらしてくださらなかったのですね。

>メトではモリスがWotanを独占していたからでしょうか

間違いないです!


>いくらオケをならしても大丈夫なのが素晴らしいと、彼のスカルピアをふった指揮者が言っていました

で、かと言ってやかましいか、というと決してそうではないのですよね。
どんな場面でも歌が下品にならずに、守るべきフォームは守られている、、。
何より、私は彼の、本当に良くテキストを自分なりに消化して、それを音のカラー、言葉のニュアンスなど、
隅々にまで反映させているところに、とても心惹かれました。演技も上手いですし。
彼についてはもう一度聴きたいな、、という思いがあるのですけれども、
もれなくラドヴァノフスキーのトスカがくっついてきますので、腰がひけてしまいます。
返信する
Unknown (チャッピー)
2011-01-19 20:45:47
今回の椿姫、全く興味なかったのですが、そこまで書かれると猛烈に聴きたくなってきました。
ライブビューイングの対象にはなってないんですよね。

>ここ数年、これもはっきり言えば、ゲルブ支配人が支配人になってから猛烈な加速度がついています
新演出で特に酷いと考えてよろしいですか?
個人的には「指輪」の新演出が凄く心配です。
ゲルプ氏はあと何年やるのでしょうか?

>わけがわからずに送られる拍手
これは日本の来日公演でも同じ。私はROHの「椿姫」はトラウマになっていて、あれ以降MET来日公演以外の来日公演は購入してません。
返信する
チャッピーさん (Madokakip)
2011-01-20 12:45:47
>ライブビューイングの対象にはなってないんですよね。

ほんと、対象外でよかった!!!

>新演出で特に酷いと考えてよろしいですか?

むしろ、もっと大きな最近の流れ、つまり、音楽よりも他の部分(ルックス、単なる知名度etc)の比重が大きくなっているということの中に、
おっしゃっているような演出のトレンドの問題や、歌や演奏のクオリティが下がり始めているといった問題が存在しているのではないかと思います。
なので、演出だけまともになればそれでいいか?というとそうではなく、
もっと根っこの部分が変わらないと駄目でしょうね。
その責任は演奏を供給する側にも、またオーディエンス側にもあると思います。
私は個人的には、オペラ界がどんなトレンドになっても、やはりメトのようなクラスの劇場は、
最低限保持しなければいけないパフォーマンスのクオリティのレベルがあると思うので、
そこをマネジメント側ももうちょっと考えてほしいと思うのですが、
一方で、そもそも観客がクオリティを無視しても他のものを求めるようになっているから、
こういう流れになっているわけで、
双方に考えるべき点があると思います。
返信する
同感でした。 (ゆみゆみ)
2011-02-04 21:29:20
私は、コメントを拝見せずに参りました。公演終了と同時に「トスカ」を何と心得ているとあちらでお友達になった方に怒鳴りまくりました。
仰るとおりアレはトスカではない。歌姫なんかにはとても聞こえません。声が大きい・でも割と綺麗な声だとは思いましたが、「考え直して」です。もし、あれでトスカを歌ったと彼女が考えるなら、彼女にとって大いなるマイナスだと思いました。
私は、3階のサイドで見ましたが、殆ど見切れてしまって、最後は何がどうなったのやらさっぱりわかりませんでした。これも如何な物なのでしょう。絵描きさんが撃たれたのかも、トスカが死んだのかさえも見えませんでした。
ただ、訳のわからない「チェス」のシーンが見えただけです。
私がアルバレスで聞いたのは、ラッキー?!だったのですね。4月このメンバーで「トロバ」を聞くのかと思うとある方が出ていても、「行きたくな~い」と思えてなりません。私は、オペラを聞く・見ることで、自身の心が自由になっていくのが大好きです。なのにこれでは・・・。
長文をお許し下さい。
シュトラックマンは、良かったです。あの位役になりきり・歌い切ってくれると嬉しいです。
以前のコメントを拝見した限りでは、ドンナ変なスカルピアなの?と興味津々でしたが、1番まともに思えました。ピツァロの時は低音の響きが悪く、聞こえない部分がありましたが、それもなく今回はブラボーでした。来年はイヤ~ゴで帰ってくるそうです。行きたい!!
今回のデマチで、ホロ様は「スカルピア」は歌わないと私のお知り合いに宣言したそうですよ。
太めでも無し!!
返信する
ゆみゆみさん (Madokakip)
2011-02-06 16:09:20
>「トスカ」を何と心得ているとあちらでお友達になった方に怒鳴りまくりました

あはは、私よりも激しい方がここにいらっしゃった!

>3階のサイドで見ましたが、殆ど見切れてしまって、最後は何がどうなったのやらさっぱりわかりませんでした

そうそう、あれはもう演出としてはっきり言って欠陥演出ですよね。
サイドはどんな公演でも端が見切れてしまうものですが、ああいう大事な、肝心なシーンを
見れない人がいる、というのは問題です。

>訳のわからない「チェス」のシーンが見えただけです

でも、まだチェスの方がましですよ。
あれで、一応、カヴァラドッシが看守たちからはもともとリスペクトを勝ち取れるだけの
魅力のある人物だったというのが伝わって来ますし、その後に、トスカに手紙を書く許しをもらえるある程度の伏線にはなっています。
これは今シーズンから加わった演出で、昨年は、カヴァラドッシが舞台の手前でボロにくるまって寝転がり、
(おかげでBキャストではカウフマンの寝顔が見れたから私は良かったですけれど、、。)
後ろでは銃撃隊が銃殺の練習をしているという、全く意味不明な演出付きでしたから、、。

>シュトラックマン

彼はこの気の狂ったボンディ演出の中で、スカルピアを正攻法で演じるという暴挙に出ているのですが、
それがある程度、成功してしまっているところがすごいですよね。
演技力のある人なんだと思います。

>ホロ様は「スカルピア」は歌わないと私のお知り合いに宣言したそうですよ

ええー、本当に?似合うと思うんですけどね、、。
リハーサルを見て、“このボンディの演出で歌うのはやだ、、。”と思ったのでなければいいですけれど、、。
返信する
シュトラックマン (ゆみゆみ)
2011-02-11 15:31:33
お忙しいのに余計な事なので、読み飛ばしてください

ステージドアーからこの方が1番に出てきました。
なんて良い人なんでしょう!!
かなりのスターでしょう?なのに私の顔を見るなり「サインしますよ!!」
つて言われても私は、くっついて行っただけだから、何も持っておりません。一緒に行った人もマルチェロさんが目当て。でも、その方に「悪いから何か出してサインをして貰わないと」とチョツト大騒ぎになりました。
あれだけの好演をした人なのに、私達以外にはサインを求める人も少なく1人寂しくお帰りでした。来年はお写真でも持参してあげようかな!!
正に演技力が凄いということですね、こんなに化けちゃうんだから^^。
返信する
ゆみゆみさん (Madokakip)
2011-02-12 16:54:50
>「サインしますよ!!」

なのに

>私達以外にはサインを求める人も少なく

、、、、なんて悲しいこと!!(笑)
今回の彼のスカルピアは結構評判が良かったんですけど、この寒空の中、
わざわざサインをもらいに行くほどではなかった、、ということなんでしょうか。
彼は歌だけではなくて、演技も込みで役を見せられる歌手だと思いましたので、
次はどんな演目で登場してくれるのか、楽しみです。
返信する

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