NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

音曲日誌「一日一曲」#254 ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス「Manic Depression」(Are You Experienced?/MCA)

2023-12-31 05:17:00 | Weblog
2013年2月10日(日)

#254 ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス「Manic Depression」(Are You Experienced?/MCA)





ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのデビュー・アルバムより。ヘンドリックスの作品。チャス・チャンドラーによるプロデュース。

ジミヘンの記念すべきファーストとして余りに有名だが、デビュー盤にして、既に超一級の貫禄さえ漂わせた、完成度の高い一枚である。

ローリング・ストーン誌の選んだアルバム500でも、堂々の15位。黒人のロック・ミュージシャンとしては最高位を獲得している。

オリジナル盤では11曲を収録。その中では「Foxy Lady」に続く2曲目にあたるのが、きょうの一曲である。

ジミ・ヘンドリックスは、アメリカ人ながらイギリスに渡って本格デビューしたという異例の経歴の持ち主だ。母国にいてバンドを率いていた頃はさほど売れなかったが、元アニマルズのチャス・チャンドラーにその卓越した才能を見出され、渡英を要請される。

66年にシングル「Hey Joe」でデビュー、翌年このアルバムが大ヒットして一躍時の人となる。ビートルズの「サージェント~」に阻まれて1位こそ逃したものの、全英2位・全米5位と、そのサウンドで全世界に衝撃を与えたのである。まさに「ジミ・ヘンドリックス体験(エクスペリエンス)」とよぶにふさわしい、未知との遭遇であった。

「Manic Depression」も、ジミ・ヘンドリックスならではの、斬新なサウンドのショーケースだ。

楽曲の進行はブルースをベースにしながらも、一聴、とてもブルースとは思えない新しい音である。

ブルースにはまず使われない変拍子、複雑なリフ、意表をついたフレーズを使い、明らかに別のジャンルの音楽を創造している。それをロックとよんでもいいだろうし、ファンクとよんでもいいだろうが、また違う新たな呼称でよんでもいい。とにかく、ヘンドリックス自身のオリジナルなアイデアが全編に溢れ出しているのだ。

ふたりの白人ミュージシャンをバックに従えた彼は、白人をメインのマーケットにして成功を収めた最初の黒人ロッカーといえる。自らは黒人でありながら、ターゲットはあくまでも白人。当然、そのほうが、同胞の黒人を相手に商売するより、何倍もカネになる。

これが、ハウリン・ウルフのような先輩黒人ブルースマンから見れば、「白人と結託して金稼ぎをしてるヤな野郎」に見えたようで、実際、ウルフに絡まれたこともあるらしい。で、根が真面目で紳士的なヘンドリックスはその罵倒にも黙って耐えていたそうだ。

それでも、ウルフにしたところで、クラプトンをはじめとする白人ロッカーたちが黒人ブルースマンを後押しし、盛り立ててくれていることは意識せざるをえず、数年後には「ロンドン・セッション」でクラプトンらと共演していたりする。既にその時代、黒人ブルースにおいても、白人マーケットを無視することが出来なくなっていたのだ。

その意味でも、ヘンドリックスはまさにパイオニアだった。わざわざ単身大西洋を渡ってイギリスに乗り込み、ブリティッシュ・インベイジョンのお返しをやってのけたのだから。

そして、逆輸入するかたちで、本国アメリカでも大人気となった。究極の英米間のコラボレーション、それが「ジミ・ヘンドリックス体験」ということになるね。

筆者はヘンドリックスの曲を聴くたび、いつも「藍より青し」の言葉を思い出す。そう、中国の諺「青は藍より出でて藍より青し」である。

ヘンドリックスの音楽の出発点はいうまでもなく黒人のブルースだが、彼はそれにとどまることなく、自分自身のアイデアを音楽に盛り込んでいった結果、ブルース以上にリスナーを魅了する音楽を生み出した。まさに「BLUER THAN BLUES」なのである。ギターの腕前ばかり語られがちな彼ではあるが、その作曲や編曲の能力も人並みはずれたものがある。

ブルースを越えてしまったブルースマン、ジミ・ヘンドリックス。アグレッシブなギターと、ワイルドな歌声。これに人生を大きく変えられてしまった若者が、どれだけいたことだろう。

いまだに、聴き直すたびに目からウロコの体験が味わえるのも、ヘンドリックスならではのこと。貴方もぜひ、再体験を!

★今年最後の更新となりました。
いつもご愛読をいただき、ありがとうございます。
来年もよろしくお願いいたします。
新年は三日までお休みさせていただきますので、よろしくご了承ください。

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音曲日誌「一日一曲」#273 クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル「Night Time Is the Right Time」(Green River/Fantasy)

2023-12-30 05:57:00 | Weblog
2013年6月23日(日)

#273 クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル「Night Time Is the Right Time」(Green River/Fantasy)





CCR、69年リリースのサード・アルバムより。ナッピー・ブラウン、オジー・カデナ、ルー・ハーマンの作品。

「Night Time Is the Right Time」あるいは「The Right Time」は、一般にはレイ・チャールズの58年の大ヒットで知られているので、彼のオリジナルだと思っている人が多いのだが、彼より1年前に他のアーティストがヒットさせており、チャールズ版はそのカバーなのだ。

それが、黒人R&Bシンガー、ナッピー・ブラウンによる57年のバージョン。

ブラウンは29年ノース・キャロライナ州シャーロット生まれ。ゴスペル歌手からR&Bに転向、サヴォイ・レコードより「Don't Be Angry」「It Don't Hurt No More」そしてこの「Night Time Is the Right Time」など、いくつかの曲をヒットさせている。

さらに溯ればこの曲の原型は、ルーズベルト・サイクスやビッグ・ビル・ブルーンジーによって既にレコーディングされていたのだが、それはさておき、今日までよく知られていような歌詞やコール&レスポンスのスタイルのものは、ナッピー・ブラウンによって生み出されたといっていい。

ブラウン版を聴いてみると、ちょっとビッグ・ジョー・ターナーに似た雰囲気のシャウターである。ゴスペル畑出身だけに、その迫力は満点だ。

実はこの曲、昨年の6月17日の当コーナーで、ビッグ・ジョー・ターナー版を取り上げたことがあるのだが、皆さん、覚えておられるだろうか?

要するに、性懲りもなく、同じ曲を他のアーティストでまた取り上げたということであります。申し訳ない。

でも、言い訳させてもらうなら、何度も取り上げたくなるくらい、この曲は魅力に満ちみちているのであるのだよ、ホント。

きょうのCCR版は、アルバム最後を締めくくる、唯一のカバー曲。youtubeの映像ではスチュとトムがコーラスを担当しているように見えるが、聴いてわかる通り、すべてのボーカル・トラックはジョン・フォガティによるもの。つまり多重録音。

この曲はコンサートではまったく演奏されず、ご覧いただいているTVショーで一回だけ「あて振り」で演奏されたもののようだ。

後期のCCRでは、ジョン以外のメンバーも歌うようにはなったが、デビューしてしばらくは、歌・コーラスをジョンがすべて担当していた。これがCCRの歌にハンパでない迫力、そして厚みをあたえていたといえるだろう。

サウンドのほうは、「これぞCCR!」というべき、シンプルでストレートなブルース・ロック。もう、すべてのバンドのお手本にしたいような、タイトな音なのである。

天性のソウルマン、ジョン・フォガティの渾身のシャウト。これを聴けば、凡百のシンガーなど全て吹っ飛んでいく。レイ・チャールズ、ジェイムズ・ブラウン、ルーファス&カーラといった「濃い」黒人勢にも一歩たりともヒケを取らない熱唱だ。

フォガティはデビューして45年経った現在も、現役バリバリで歌い続けているが、やっぱ彼の才能はモノホンだ。筆者にとっても、エルヴィス、ジョン・レノンらと並ぶ、最重要なヒーローのひとりであります。

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音曲日誌「一日一曲」#272 大野えり「Milestones」(Good Question/日本コロムビア)

2023-12-29 05:58:00 | Weblog
2013年6月16日(日)

#272 大野えり「Milestones」(Good Question/日本コロムビア)





皆さんは、大野えりというシンガーをご存じだろうか。

55年名古屋生まれなので、筆者よりはちょっとだけ年上の、ベテランジャズシンガー。

京都の同志社大学で軽音楽部にたまたま入ったことから、彼女のジャズ人生が始まった。シンガーとして山野ビッグバンドコンテストで審査員賞を受賞。大学卒業後も関西のライブハウスに出演しているうちに、東京からお呼びがかかり、78年上京。翌年、ピアニスト佐藤允彦のプロデュースによりアルバムデビュー。

24才の若さで錚々たるベテランミュージシャンをバックにメジャーデビューしたのだから、当時いかに彼女の才能が注目されていたかがわかるね。

おりしも70年代後半から80年代前半にかけて、阿川泰子、秋本奈緒美、真梨邑ケイをはじめとする若手女性ジャズシンガーがブームとなっており、歌そのものというより、若さ、あるいは容姿を競うような傾向が強かったが、大野の場合、その流れとはちょっと違っていて、もっと「実力本位」で評価されていたという記憶がある。

そしてそのスタイルも、ジャズシンガーの紋切り型といえるロングドレスでも、また、その逆を行くミニスカでもなく、同性のファンにも支持をえられそうな「モード系」の雰囲気が、大野えりにはあったといえる。

きょうの一曲は、80年夏に彼女が自身のバックバンド「Good Question」を結成し、彼らとともに作った81年の4枚目のアルバムより。マイルス・デイヴィスの作品。

そう、ジャズの帝王マイルス、58年のアルバムのタイトル・チューンを、果敢にもボーカルでカバーしてるのですよ、皆さん!

実は大野、デビューして間もないころ、FMのジャズ番組に出演したときのインタビュー(MCは悠雅彦さん)で、憧れのミュージシャンとして「マイルス」をいの一番に挙げていたのである(彼女の表現としては「カッコいい」と言っていた)。このことでわかるように、彼女は歌うことにしか興味がないタイプのシンガーではなく、サウンドやそのたたずまいも含めて、ジャズ・ミュージシャンに憧れをもってこの世界に入ってきたということであり、シンガーとしては珍しくサウンド指向が強いひとなのだ。

そういうこともあってだろうか、歌うジャンルはいわゆるジャズに限らない。83年には、ムーンライダーズの白井良明のプロデュースで全曲モータウン・サウンドのカバーという異色盤「トーク・オブ・ザ・タウン」を発表している。これもなかなかユニークでおススメなのだが、要するに、英語の歌がうまいので、どんなジャンルのものでも問題なくカバーできるということだ。これぞ実力の証明。

「Milestones」を聴いてみると、おなじみのマイルスのアップダウンの激しいフレーズをなんなくフォローしており、とにかくものスゴく安定感に溢れた歌唱という感じ。20代後半にして、これだけ思い切りのいい歌いかたが出来るひとが、いまどれだけいるだろうか。ほとんどのシンガーが、愛嬌だけが頼みの「なんちゃってシンガー」にしか思えなくなってくる。

マイルスがジャズの革命ともいえる「モード奏法」を本格的に取り入れ始めた時期の代表曲を、26才の駆け出しシンガーがひょいとレパートリーにしてしまうなんて、大野えり、ホント、ただ者ではない。

そして、もうひとつ、大野のスゴいところは、大学の軽音部時代からすでにこの思い切りのいい、キップのいい歌いかたを身につけていたということだな。そしていまもそれは変わることなく、さらにスケールアップしているといえる。

こんなスゴい才能の持ち主なのに、約35年にわたってヒットらしいヒットが出ていないのは、本当にもったいない。でも、大野の場合、真に実力あるミュージシャンたち(本場アメリカのも含む)からの支持がハンパでないから、それで十二分に報われているともいえよう。

それなりに固定ファン層も厚く、今後も地道に活動を続けていくであろうが、こういうシンガーのよさがわからないようじゃ、日本人の音楽の感性もまだまだだってこと。ぜひ、ベテランの底力を見せてほしいものだ。

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音曲日誌「一日一曲」#271 コレクティブ・ソウル「Shine」(Hints Allegations & Things Left Unsaid/Atlantic)

2023-12-28 05:26:00 | Weblog
2013年6月9日(日)

#271 コレクティブ・ソウル「Shine」(Hints Allegations & Things Left Unsaid/Atlantic)





ゴメン、今週は体が絶不調なので少し短かめにて失礼させていただく。

ジョージア州出身の白人ロックバンド、コレクティブ・ソウルのデビュー・アルバムより、デビュー・シングル。エド・ローランドの作品。

コレクティブ・ソウルは92年結成、93年にアルバムデビュー。メンバーを入れ替えつつ、現在に至るまで9枚のアルバムをコンスタントに発表している。

本国アメリカでは爆発的といかないまでも、ヒットもそこそこに出し、固定ファンもちゃんといるのに、日本ではさほど話題にならないバンドなんだが、一体何故なんだろう。(事実、Wikipediaのぺージさえない。)

おそらく、彼らの場合、サウンドにオリジナリティがある分、「誰か(有名バンド)に似ている」という例えが難しい、そのことがネックになっているような気がする。

リスナーというものはおかしなところがあって、有名バンドをモロに真似た亜流バンドは「パクりじゃん」とこき下ろすのに、声とかハーモニーとかギターリフとかメロディに少し似たところがある程度なら、むしろ好意的にとらえるようなところがある。そして、「○○をリスペクトしています」というアーティストの発言も歓迎したりする。オアシスとビートルズの関係みたいに。

レコード業界、マスメディアにしても同様で、「○○の再来」というフレーズを使って売りたがっている、そんな感じだ。

アーティストにとって一番重要なことは、他の誰にもない「オリジナリティ」であるはずなのに、マス・セールスを第一義とするポップ・ミュージックの世界では、それはあくまでも建前であって、ホンネはむしろ、誰か過去の有名アーティストに似ていて(ルックスも含めて)、そのファンを取り込めるようなアーティストが望ましいみたいだ。

商業音楽である以上、それはある程度いたしかたないが、そのせいで真に実力のある、オリジナリティ溢れたバンドが影に隠れてしまうのは、いいことじゃないよね。

きょうの一曲は、コレクティブ・ソウルのデビュー・ヒット。彼らはジャンルとしてはオルタナティブ・ロック、それもポスト・グランジというカテゴリに入っているようだが、こういう括りってあまり意味がないと思う。

ポスト・グランジとされるバンド群が、みな同じようなサウンドを目指しているとはいい難いし、ひとつのバンドの中でもさまざまなサウンドを持っていたりする。括る側の理由は、そうしたほうが「売りやすいから」であって、括られる側としては、いい迷惑なのであろう。

クラシカルなハードロック、メロディアスでフォーキーなサウンド、ファンキーなビートなど多面的な顔をもつコレクティブ・ソウルは、ボーカルでプロデュースも担当するバンドの中心人物、エド・ローランドの唯一無二の個性を前面に押し出したバンドなのだ。

だから、今回は「○○を思わせる」などというたとえはしない。貴方自身の感性で、彼らの魅力をつかみとってほしい。ローランドの少しハスキーで野性的な歌声、ヘビーでタイトなバンドサウンドに、他のアーティストにない何かをかぎとれるはず、そう思っている。


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音曲日誌「一日一曲」#270 ウォーカー・ブラザーズ「Land Of A Thousand Dances」(Take It Easy With//Polygram)

2023-12-27 05:45:00 | Weblog
2013年6月2日(日)

#270 ウォーカー・ブラザーズ「Land Of A Thousand Dances」(Take It Easy With The Walker Brothers/Polygram)





アメリカ出身、英国でブレイクしたブルーアイド・ソウル・グループ、ウォーカー・ブラザーズのヒット・チューン。クリス・ケナー、ファッツ・ドミノの共作。

原題よりもむしろ「ダンス天国」の邦題であまりにも有名なナンバー。日本ではこのウォーカーズと、ウィルスン・ピケットの66年のヒットが知られているせいか、この曲はピケットがオリジナルだと誤解されやすい。

しかし、実はこの曲、もともとはニューオーリンズのR&Bシンガー、クリス・ケナーが62年にリリースしヒットしたものがオリジナルなのだ。

ケナーは29年生まれ。ファッツ・ドミノやアラン・トゥーサンらと組んで活動していた彼の出した最大のヒットは61年の「I Like It Like That」。これは「Something You Got」と改題されて、さまざまなアーティストにカバーされたから、ご存じの人も多いだろう。そして、もっとも多くのフォロワーにカバーされた、息の長いナンバーがこの「ダンス天国」なのだ。

この曲の構造は至ってシンプル。ワンコードで延々とプレイされるスタイルで、聴き手にもっとも強い印象を残しているのは、ウォーカーズでは「ラーラララー」、ピケットでは「ナーナナナー」というハミングコーラスだろう。

しかしですね。オリジナルのケナーのバージョンを聴いてみると、そのハミングはまったく聴くことが出来ないのだ。しかも、テンポもミディアム。意外でしょ。

実は65年に最初のカバー・バージョンが、カンニバル&ハンターズによって出たのだが、そこではじめて「ナーナナナー」というハミングのアレンジを聴くことが出来る。

同グループのリードシンガー、フランキー・ガルシアが、この曲をレコーディングする前にライブで何度も演奏するうちに、ふとアイデアがひらめいてハミングを入れてみたら観客にバカウケ。レコーディングもそのスタイルでやったというのだ。

これをピケットもそのまま踏襲。ハンターズは全米30位止まりだったが、彼は全米6位の大ヒットに仕立てたのだった。

一方ウォーカーズは、ハンターズ版よりも彼らの持ち味に近づけて「ラーラララー」とハミングを変えてみせた、というところだろう。

要するに、「ヒット・ソングは進化する」ということだね。前にも「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」などを材料に言ってきたことであるが、タイトルや歌詞、ビート、アレンジ、こういったものを思い切って変えていくことによって、より時代のニーズに即したかたちへ変容していくのが、ヒット・ソングなのである。

ウォーカーズ版「ダンス天国」は、ブラック・ミュージックにはまったく興味を持たない一般リスナー層にまでソウル・ミュージックを浸透させたということで、大きな役割を果たしたといえよう。

リード・ボーカルのスコットと、それにハモをつけるジョン。ふたりの歌い手のワイルドなシャウトが、英国、そして世界のリスナーを興奮させたのである。

その歯切れのいいビートは、今聴いても実にカッコいい。最高のダンスナンバーを、踊りながら堪能してくれ。


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音曲日誌「一日一曲」#269 アナ・ポポビッチ「Can You Stand The Heat」(Can You Stand The Heat/Artistexclusive Records)

2023-12-26 05:54:00 | Weblog
2013年5月26日(日)

#269 アナ・ポポビッチ「Can You Stand The Heat」(Can You Stand The Heat/Artistexclusive Records)





今週は現在、もっともイキのいいブルース・ウーマンとよばれている女性シンガー/ギタリストを紹介しよう。76年生まれ、今年37才のアナ・ポポビッチである。

名前でわかるように東欧系で、旧ユーゴスラビア、現在はセルビア共和国の首都ベオグラード生まれ。父親がミュージシャンで、家に友人を招いてジャムセッションをよくやっていたこともあり、幼少からブルース系の音楽になじみ、自然とギターを弾き始めていたという。

19才の頃、自身のバンドHushを結成、ジュニア・ウェルズの渡欧ツアーの前座をつとめたことも。99年にアルバム・デビュー。ドイツやオランダでライブ活動を行ううちに、バーナード・アリスン(ルーサーの息子)と知り合い、彼のつてでRufと契約、アメリカ進出を果たす。その後も順調にアルバム・リリースを続け、2011年の「Unconditional」、そして今年4月リリースの「Can You Stand The Heat」で話題を集めている。

モデルばりに長身で抜群の脚線美、美しいブロンドのウェービー・ヘアをなびかせながら、力強くシャウトし、ばりばりギターを弾きまくるポポビッチは、「もっとも絵になるブルース・ウーマン」として、ブルース界だけでなく、広範囲でリスナーを獲得しつつある。

アメリカではここのところ、ブルース界でもビジュアル系戦略が進み、男性でいえばジョニー・ラング、女性でいえばシャノン・カーフマンのような十代でルックスのいいアーティストをプッシュしていく傾向が目立つが、ブルースはもともとオトナの音楽、あまりに若いアーティストにはその味わいが感じられない、みたいな欠点もあったのだが、その点、ポポビッチは既にオトナの女性の魅力を十分に備えており、ブルース・ウーマンと呼ぶにふさわしいといえるだろう。

前置きはこのへんにして、きょうの一曲を聴いていただこう。最新アルバムのタイトル・チューンだ。

B・B・キングのバンドでドラマーをつとめるトニー・コールマンによるプロデュース。彼をはじめとする黒人ミュージシャンをバックに、メンフィスにて録音。

曲調はブルースというよりもファンクな、アップテンポのナンバー。タイトル通り、ひたすらホットでノリがいい。黒人女性コーラスやホーン・セッションも交えて、ごきげんなファンク・ミュージックに仕上がっている。

中間部では、もちろん、ポポビッチのギターソロも聴ける。レイ・ヴォーンばりのゴリゴリの速弾きに、「えっ、これ女性が弾いてるの?」とビックリ。時代は確実に変わってますぞ。

アルバムの他の曲ではスライドも弾いていたり、各種エフェクターも躊躇なく使うなど、そのプレイは男性ギタリストになんらヒケをとることがないもの。15才にしてプロの仲間入りを果たしただけのことはある。

いっぽう、その歌のほうも、ギターに聴き劣りすることなく、十分に説得力がある。きっぷのいい姐さん、みたいなアルト。でも、女性らしさは失わず、ありがちな「声量で勝負」みたいな巨女シンガー系とは一線を画している。セクシーさはあっても、過剰ではない。ここが大事なところだ。

ミニスカートと、ハード・ドライヴィン・ギター。東欧系白人と、黒人音楽。この、通常はまったく異質に思えるもの同士が、ポポビッチにおいては見事に融合しているのだ。

世間によく登場する美女ロッカーの大半は「なんちゃってギタリスト」に過ぎないのだが、ポポビッチは稀有な例外。歌もギターも、どちらもハンパじゃ聴いてやんない、というワガママなリスナーも、ポポビッチならナットクのはず、である。

貴方は、彼女の熱いプレイに、耐えられるかな? ぜひ挑戦してみてほしい。


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音曲日誌「一日一曲」#268 フリートウッド・マック「Something Inside Of Me」(English Rose/Epic)

2023-12-25 05:33:00 | Weblog
2013年5月19日(日)

#268 フリートウッド・マック「Something Inside Of Me」(English Rose/Epic)





あなたはダニー・カーワンというギタリストのことを、覚えているだろうか。

「ああ、初期のマックにいたねぇ」という返しの出来るひとは、今となっては、ごく少数だろうなという気がする。「神」とさえよばれた偉大なるピーター・グリーンの影に隠れて、ほとんど話題に上ることのない不遇な初期メンバー、カーワン。歴代メンバーの中で、最も影の薄い存在ともいえる。

でも彼は、忘れ去るにはもったいない才能を持ったミュージシャンでもあった。今週は彼にスポットを当ててみたい。

カーワンは50年、英国ブリクストンの生まれ。他のマックのメンバーより、4、5才若い。彼のバンドの演奏をマックのマネージャー、マイク・ヴァーノンが聴き、グリーンらに「すごいヤツがいる」と知らせたのが、マック加入のきっかけだった。ときにカーワン17才。

68年8月に正式加入。以来、72年まで在籍することになる。

それまで指弾きのグリーン、スライドのジェレミー・スペンサーという二人ギタリスト体制から、トリプルギターとなったマック。これによりサウンドにも変化が出てきた。

初期のブルースに凝り固まったゴリゴリのサウンドだけでなく、70年代後半のマックへと引き継がれることになる、ポップな要素も加味されるようになったのだ。

いい例が、カーワンが初めてレコーディングに参加したシングル曲「アルバトロス」。ここではグリーンとカーワンのツインギターによるハーモニーが前面に押し出されている。グリーン自身も「ダニーなしでは、アルバトロスという曲は出せなかった」と後に語っていた。フリートウッド・マックとして、初めてのヒットとなったのは、この曲にほかならない。

そのB面であった「ジグソー・パズル・ブルース」は、もともとジャズのインスト曲で、クラリネットで演奏されていたものを、カーワンがアレンジ。最初はグリーンとのツインギターを試みたのだが、グリーンはうまく演奏出来ず、結局カーワンがひとりで録音したという。

こういったエピソードを聞くにつけ、グリーンも決してオールラウンド・プレイヤーとはいえず、むしろカーワンのほうが、より多くの引き出しを持っていたのではないかと思う。

ギターだけではない。カーワンはソング・ライティング、あるいは歌においても、並々ならぬ才能を持っていた。きょうの一曲、「Something Inside Of Me」が好例だ。

カーワンの作品で、ボーカル、ギターソロも彼がとっている。バックでひかえめに弾かれているオルガンはグリーンが担当。

この曲が、まことに素晴らしい。初期のマックにはオーティス・ラッシュに強い影響を受けたと思われるマイナーブルース路線の曲(たとえば「ブラック・マジック・ウーマン」がそうだ)が多いのだが、「Something Inside Of Me」もまた、マイナーブルースの佳曲といえそうだ。メロディ・ラインが美しく、タメの効いたギター・ソロもまた、申し分のない出来だ。そして歌声も、意外とイケるのである。

カーワンのギターのスタイルは、グリーンのそれにかなり近い、ブルースを基本としたものなので、ときどき二人のプレイは混同されてしまうようだ。スペンサーのように、聴いただけで誰が弾いているかわかるというわけにはいかないのが、悩ましいところだ。

同じようなことはウィッシュボーン・アッシュあたりにもあって、本当に上手いのはアンディ・パウエルのほうなのに、イケメンのテッド・ターナーが弾いていると勘違いされているケースがけっこうあった。

マックにおいて、グリーンがあまりに神格化されてしまったために、カーワンの才能が過小評価されている、あるいはカーワンの手柄までグリーンのものとなっているのは、否めない。まことにお気の毒である。

マックはその後、グリーンはドラッグ中毒、スペンサーはカルト宗教への傾斜により、相次いで脱退することとなる。後を引き継いでフロントに立ったのがカーワンで、その後ロバート(ボブ)・ウェルチや、マクヴィー夫人のクリスティンを加えてバンドを続けていくのだが、思うように売れないことでバンド内の人間関係が悪化、他のメンバーたちから孤立してしまったカーワンは、実質クビの憂き目に遭う。

その後のカーワンは、79年までに3枚のソロ・アルバムを出したものの、特に売れることなく、80年代には完全に業界から姿を消してしまう。ロンドンでホームレス生活を送っていたようである。結婚はしたが、数年で離婚。すべてが負のスパイラルとなってしまった、バンド脱退後の生活。いたましいの一言だ。

しかし、世間は彼のことを完全に忘れたわけではなかった。98年には「ロックンロール・ホール・オブ・フェーム」に殿堂入りしている。やはり、彼の存在は、マックというバンドが大きくなっていく上で不可欠であったことが、わかる人にはわかっていたのである。

ソロ・ボーカリストとして成功するような「華」はないにせよ、そのいぶし銀のようなギター・プレイ、そして見事な作曲能力は、もっと評価されるべきだろう。

フリートウッド・マックの影の立役者、ダニー・カーワンの名前を、きょうの一曲とともに、あなたの記憶に刻み込んでほしい。

マック在籍時に残した、数々のレコーディング、それこそが、彼が一番輝いていた時期のあかしなのだから。

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音曲日誌「一日一曲」#267 オリ・ナフタリー・バンド「Happy For Good」

2023-12-24 06:26:00 | Weblog
2013年5月12日(日)

#267 オリ・ナフタリー・バンド「Happy For Good」





イスラエルのブルースバンド、オリ・ナフタリー・バンドの最新シングル曲。

2012年1月、アルバム「A True Friend (Is Hard to Find)」でメジャーデビュー。10月のイスラエル国内のブルースバンド・コンテストで優勝、オランダでもライブを行い、そしてついに今夏はシカゴ、メンフィスなど7都市でのアメリカツアーも行うという新進気鋭のバンドが、オリ・ナフタリー・バンドだ。

リーダーにしてギタリスト、ソングライター、プロデューサーもつとめるロン毛のイケメンが、弱冠25才のオリ・ナフタリー。そして彼と並ぶ当バンドの看板が、美貌の歌姫エリナー・ツァイグ、26才だ。

女性ブルースシンガーといえば、容姿よりも歌の実力が優先されるあまり、見ばえ的には「?」なひとがひじょうに多いのだが、彼女の場合、天が二物を与えた見事な少数例といえよう。

歌のほうは派手さこそないが、シブめのアルトで説得力もあり、一方、ルックスのほうはブルネットでプロポーション抜群、ことにその脚線美をロングドレスやジーンズやらで隠すことなく、しっかりとミニスカでアピールしているのは、ポイントが高い。ライブでの集客力に直結しそう。

きょうの一曲は今年リリースのセカンドアルバム「Happy For Good」からのシングル・カット。ブルースとはいえ、とてもポジティブな歌詞内容のナンバー。力強いツァイグの歌声、ナフタリーのいかにもブルースなギターリフが印象的だ。

5才にしてギターを始め、10才にしてアメリカの黒人ギタリスト、トニー・パースンに師事し、すでに20年のキャリアがあるというナフタリー。その演奏スタイルは、ブルースを軸にジャズ、ソウル、クラシック、スパニッシュなどさまざまなジャンルをカバーしており、もちろんいまどきのロックのセンスも兼ね備えている。

彼自身は歌わないというところが、いささか残念ではあるが、それを十分補って余りあるテクニックとフィーリングを持ったギタリストだと思う。特にそのメロディアスで哀感に満ちたソロは、日本のリスナーにも人気が出そうだ。その片鱗は、オランダでのライブでうかがうことが出来る(youtube参照)。

これからのブルースの担い手は、非黒人、非アメリカ人からもどんどん出てくることだろう。ことに、英語をネイティブなみにこなすことの出来る国、たとえばこのイスラエルあたりからは、今後が十分期待できそうだ。黒人ブルース原理主義のひとは「こんなの認めない」というかもしれないが、筆者的にはこれもまたブルースの今日的ありかただと思っている、

夏の全米ツアーの評判がよければ、全世界デビューも夢ではない、期待の新バンド。チェックしといて損はないと思うよ。


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音曲日誌「一日一曲」#266 エアロスミス「Never Loved A Girl」(Honkin' On Bobo/Columbia)

2023-12-23 08:19:00 | Weblog
2013年5月5日(日)

#266 エアロスミス「Never Loved A Girl」(Honkin' On Bobo/Columbia)





エアロスミス、2004年のアルバムより。スティーブン・タイラー、ジョー・ペリー、ジャック・ダグラスによるプロデュース。

タイトルは「Never Loved A Girl」となっているが、一聴してすぐわかるだろう。これはアレサ・フランクリンの67年のヒット曲「I Never Loved A Man(The Way I Love You)」の歌詞を変えたカバーバージョンなんである。

作曲はソングライターのロニー・シャノン。当時フランクリンの夫だったテッド・ホワイトに依頼されて書いた曲である。

邦題は「貴方だけを愛して」。その通り、貴方ほど愛したひとはいない、というディープなラブソングである。原題の前半だけで判断すると、違う意味に誤解しやすいのでご注意を。

R&Bチャートで1位、総合チャートでも9位と大ヒットしたこの曲を、エアロはどのようにカバーしているのか、まずは聴いてみよう。

タイラーの息を吸い込むような叫び声から始まるこの曲、のっけから激しいシャウトの連続だ。バラードにしちゃリキ入れ過ぎちゃいますか、ともいいたくなるけど、いいのだ、これがエアロ流。

オリジナルのバンドメンバー5名に加えて、バックにはわざわざご本家のメンフィス・ホーンまで招んでいる。やはり、オリジナルのあの響きを再現するには彼らしかない、とエアロ側は判断したんだろうね。

ふだんはバリバリのハードロック・スタイルで弾きまくるペリーとウィットフォードも、ここではやけにシブく、ブルーズィなギターを奏でている。あまり目立たないけど、後ろのほうで聴けるピアノはタイラーが弾いていたりする。これもいいアクセントだ。

嘘つきでどうしようもない女だけど、お前ほど愛した女もいない、という切ない気持ちを、カッコつけることなく、ここまで直球一本勝負で聴かせてくれる白人シンガーも、そういないだろう。そう、タイラーも、また稀代のソウル・マンなのだ。

しゃがれた声でわめきまくる彼の歌は、決してキレイなものとはいい難い。ソフィスティケイトされたサウンドを好む人々には、絶対受け入れられないだろう。でも、万人向きの耳ざわりのいい音楽にはない、魂をゆさぶる何かが、このダーティな歌声の中にある。

そう、タイラーの声は、赤子の泣き声にも似た「本能の叫び」なのだな。あたりをはばかることなく、泣きちらすのだ。ゆえに、ある者はこれに怯え避けようとするが、他のある者はその声に自分の本当の情動を見出して、喝采を叫ぶのだ。

いささか乱調でアレサ・フランクリンの歌声のような端正さはないが、リスナーの心をわしづかみにするスティーブン・タイラーのソウル。聴くっきゃないっしょ。

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音曲日誌「一日一曲」#265 ロニー・ウッド&ボ・ディドリー「Who Do You Love」(Live At The Ritz/Victory MUsic)

2023-12-22 06:07:00 | Weblog
2013年4月28日(日)

#265 ロニー・ウッド&ボ・ディドリー「Who Do You Love」(Live At The Ritz/Victory MUsic)






ストーンズのギタリスト、ロニー・ウッドとボ・ディドリーの共演ライブ盤(87年)より。ボ・ディドリーの作品。

このふたりについては説明不要だろう。ロックンロールのパイオニア、ボ・ディドリーと、彼に強い影響を受けたロニー・ウッドの師弟共演である。

きょうの一曲は、そのライブのラストを飾る7分余りの大熱演。ボ・ディドリーのあまたある作品の中でも、とりわけカバーバージョンの多いナンバーだ。

たとえば、ストーンズ、ヤードバーズ、クイックシルバー・メッセンジャー・サービス、グレイトフル・デッド、UFO、ブルース・プロジェクト、ドアーズ、ゴールデン・イアリング、ロニー・ホーキンス&ザ・バンド、ボブ・シーガー、ロリー・ギャラガー、サンタナ、ドアーズ、ジョージ・サラグッド、ファビュラス・サンダーバーズといった具合。60~70年代のロックバンドは、一度は演奏したことがある、そんなスタンダードなのだ。ボ・ディドリーには他にも「I'm A Man」「Road runner」といった同様の定番曲がいくつもある。

日本では英米と違ってボ・ディドリーの人気は今ひとつなのだが、これらバンドのいずれかのカバーバージョンを聴くことで、彼の存在を知った、なんてリスナーは多そうだ。筆者も、CCRの「Before You Accuse Me」を聴いて以来、彼の名前を覚えたものだ。

さて、異様なまでのハイテンポで演奏されるこの曲のどこに、多くのロックミュージシャンたちを引きつける魅力があったのだろうか。

曲の構成は非常にシンプルだ。ほぼワンコードでひたすらアップテンポ、そして歌詞も単純明快で、後半はずっと「Who Do You Love」の繰り返しに終始。これゆえに、麻薬的とさえいえる強力なグルーヴが生まれているのだ。

そう、メロディの魅力というよりは、ビートの牽引力が、この曲のすべて。

彼が作るジャングル・ビートの曲にしてもそうなのだが、とにかく聴いているだけで体が動き出してしまような、ダンサブルなリズム、これがボ・ディドリー流なのだ。

ワンコードながら爆発的にヒットしたレッド・ツェッぺリンの「胸いっぱいの愛を」などは、この流れで生まれてきたナンバーといえるね。

なお、曲中のドラムスはボ・ディドリーが叩いている。熱唱しながらのパワフルなドラミング、お見事のひとことである。

ボ・ディドリーは2008年に79才で亡くなっているが、晩年まで枯れることなく、トレードマークの四角いギターとともに、生涯ロッカーを貫いた。

オーディエンスを「ノセる」ことにおいて右に出るもののない稀代のロッカーと、その愛弟子。ふたりの生み出す、このうえないビートに打ちのめされてくれ。

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音曲日誌「一日一曲」#264 トニー・ベネット&レディー・ガガ「The Lady Is A Tramp」(Duets II/Sony Music Entertainment)

2023-12-21 06:02:00 | Weblog
2013年4月21日(日)

#264 トニー・ベネット&レディー・ガガ「The Lady Is A Tramp」(Duets II/Sony Music Entertainment)





今週も、デュエットもので行く。先日朋友・りっきーさんからお借りしたCDを聴いているのだが、これが最高にごきげんな一枚なのである。

大御所トニー・ベネットがベテラン・若手、男女、ジャンルを問わずさまざまなシンガーと、スタンダードナンバーをデュエットするシリーズの第二弾。最初の「Duets」は2006年にリリース。デュエットのお相手はボノ、マイケル・ブーブレ、エルヴィス・コステロ、ディクシー・チックス、ファネス、ビリー・ジョエル、ダイアナ・クラール、k.d.ラング、ジョン・レジェンド、ポール・マッカートニー、ジョージ・マイケル、スティング、バーブラ・ストライザンド、ジェイムス・テイラー、そしてスティーヴィー・ワンダーだった。

この超豪華なゲスト陣は、まさにベネットでなくては到底集められなかった顔ぶれだ。アルバムは当然ながら大ヒット。5年後にこの「Duets II」が制作される運びとなった。

こちらのゲストの顔ぶれも、前作に劣らずスゴい。たとえば、マライア・キャリー、ナタリー・コール、シェリル・クロウ、フェイス・ヒル、ノラ・ジョーンズ、エイミー・ワインハウス、ジョン・メイヤーなどなど。女王・アレサ・フランクリンとの一曲などは、ホント、鳥肌モノの出来なのだ。

で、当アルバムの目玉中の目玉が、トップに収められている、今をときめくレディー・ガガとのデュエットだ。

曲はミュージカル時代の黄金のコンビ、リチャード・ロジャーズとロレンツ・ハートの作品。

37年にブロードウェイ・ミュージカル「青春一座(Babe in Arms)」の挿入曲として書かれたこの曲、2年後にはミッキー・ルーニー、ジュディ・ガーランドの主演により同ミュージカルが映画化されて、さらなる人気を獲得し、カバー・バージョンも多数生まれた。

一番ポピュラーなのはフランク・シナトラによる57年の録音だろうが、その他ジャズ系シンガーによるカバーが多く、アニタ・オデイ、バディ・グレコ、エラ・フィッツジェラルド、そしてこのトニー・ベネットも92年に録音している。

自分的に一番気に入っているのは、バディ・グレコによるライブ・バージョンで、高校生の頃から40年近く愛聴している。グレコのピアノ弾き語りが、実に粋でカッコいいんだな。

この曲は邦題として「気まぐれレディ」あるいは「レディは気まぐれ」などと訳されているが、それでわかるように、自由気ままに生きる都会の女性(たとえるならば「ティファニーで朝食を」のホリー・ゴライトリーのような)を描いた一編なのだ。

そのイメージからおそらく、当代一のフラッパー、レディー・ガガに白羽の矢が立てられたのだろうが、ガガはわれわれの予想を上回る、みごとな歌唱を披露してくれた。

一般的にレディー・ガガに関しては、その奇抜なメイクや衣装やダンス、PVの演出内容といった「けれん」の部分にスポットライトが当たることはあっても、その歌唱力について言及されることは滅多にないのだが、この「The Lady Is A Tramp」を聴くに、彼女が一歌手としても、非常にしっかりとした実力を持っていることがよくわかると思う。幅広い声域、殊に高音部での伸びと張りのある歌声、これはバーブラ・ストライザンドや、ベット・ミドラーにさえひけを取っていない。

彼女を、ただの色キ●ガイな姐ちゃんだと思っていたひと、これを聴いてよく反省しなさい(笑)。

レディー・ガガは、その出自境遇、売り出し方、肉体派路線などから、マドンナと比べられることが多いと思うが、こと歌唱力に関しては、まちがいなくガガの方が上だろう。

つまりこれまでのキワモノじみたスタイルから足を洗って、ノー・ギミックな路線に変更したとしても、十分鑑賞に足りる音楽的才能を持っているのは、ガガ様の方だと思う。

このデュエット音源を、女性歌手の名をふせて聴かせたら、レディー・ガガだと一発で見破れる人は、おそらくそういない、そう思うのだ。

ベネットという老紳士に、奔放なキャラクターで絡む気まぐれレディ、ガガ。当時ベネットは85才だったが、ガガに負けることなく、声が実に若々しいのだ。

ビッグバンドジャズをバックに繰り広げられる、とびきり粋で刺激的な、究極のデュエットをご賞味あれ。


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音曲日誌「一日一曲」#263 マーヴィン・ゲイ&タミー・テレル「You're All I Need to Get By」(Greatst Hits/Motown)

2023-12-20 05:42:00 | Weblog
2013年4月14日(日)

#263 マーヴィン・ゲイ&タミー・テレル「You're All I Need to Get By」(Greatst Hits/Motown)





ソウル・シンガー、マーヴィン・ゲイとタミー・テレルのデュエット・ナンバー。ニコラス・アシュフォード、ヴァレリー・シンプスンの作品。

マーヴィン・ゲイについては説明不要だろうが、彼が60年代後半、男女のデュエットで活動、ヒットを数多く出していたことを知る人は、あまりいないような気がする。

デュエットのお相手はフィラデルフィア出身のタミー・テレル。39年生まれのゲイより6才年下の女性シンガーだった。

彼女は歌が抜群に上手いのみならず、その美貌で少女の頃より注目を集めていたのだが、美しく生まれつくということは、必ずしも幸せなことばかりではない。

10代の初め頃、近所の少年たちに暴行を受けたことが、その後の彼女の人生に大きな影を落して行く。

15才になる直前に最初のレコード会社、セプター/ワンドと契約。その後ほどなくジェイムズ・ブラウンにスカウトされて、バックシンガー兼愛人となっていたという。JBからはDVを受けており、逃げるように彼の元を去ったというが、そういうエピソードを聴くにつけ、彼女の並はずれた容姿は、幸運と不幸とを合わせて呼び込んでしまうのだなぁとつくづく思う。

モータウンとは65年、20才の誕生日に契約を果たす。社長のベリー・ゴーディ・ジュニアから、本名のモンゴメリーよりもセクシーなイメージを持つ「テレル」に改名するよう依頼される。

モータウンの看板女性歌手、ダイアナ・ロスに匹敵するスター候補、タミー・テレルの誕生である。

当時、今ひとつヒットに恵まれていなかったゲイが相手役となり、「理想の恋人たち」をイメージして、ふたりはデュエットとして組むことになる。

わりと生真面目で内向的なゲイに対し、年下だけどちょっと大胆で小悪魔っぽい魅力を持つテレルのコンビ。この取り合わせの妙が予想以上にウケた。

「Your Precious Love」「If I Could Build My Whole World Around You」「Ain't Nothing Like the Real Thing」「You're All I Need to Get By」のトップ10ヒットを初めとして、何枚ものアルバムがリリースされた。

ソウルの男女デュエットは単発の企画ものとして出されることは多いが、彼らのように何年にもわたってのレギュラー活動で成功を収めたケースはあまりない。いかにふたりの相性がよかったかの証左だろう。

しかし、理想のカップルに見えても、彼らにはそれぞれに別のパートナーがいた。ゲイは既にゴーディの実姉と結婚していたし、テレルはテンプスのデイヴィッド・ラフィンと付き合っていた。ただ、実際には、ゲイは後に離婚することでわかるように、妻とうまくいっていなかったし、ラフィンは妻子がいることを隠して付き合ったのがバレてしまい、テレルになじられ、DV沙汰となっていたようだ。舞台裏にはドロドロとした事情が潜んでいたのだ。

ふたりは完全に疑似カップルだったのだが、私生活がギクシャクしていた分、ふたりがレコーディングするときは、まるでホンモノの恋人たちのように最高に仲睦まじく共演できたのかもしれない。

そのある意味幸福な時期は、長続きしなかった。テレルは持病の頭痛が次第に悪化、67年にはステージ上でゲイと共に歌っているときに倒れてしまう。脳腫瘍であった。その後何度も手術を受けて病いと闘うも、病状が好転することはなった。

それでも彼らはレコーディングは続け、きょうの一曲「You're All I Need to Get By」のような、気迫に満ちたデュエットの名曲を創り出したのだから、その気力には頭が下がる。

そして70年3月16日、テレルはこの世を去る。24才の若さだった。ゲイはそのショックからなかなか立ち直れず、1年半もの間、音楽活動を休止することになる。

あまりにもドラマティック、あまりにも悲しいエピソードだが、しかし、復帰後のゲイの、人が変わったかのようにアクティブな活躍ぶりを見るに、テレルとの何年間かの日々が、彼に実に大きな自信を与えたのだなと感じさせる。

夭折したデュエット・パートナー、タミー・テレルの分まで生き続け、音楽をやり抜いていこうという意志が、「What's Going On」を初めとする71年以降の諸作品には、しっかりと読み取れるのだ。

ふたりはついに、現実的な恋人同士にはなりえなかった。が、その魂(ソウル)の結びつきは、どんなカップルよりも強いものであったと思う。

タミー・テレルがマーヴィン・ゲイに残した最大の遺産(ギフト)とは、そういったパワーであり、インスピレーションであったのだと信じたい。

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音曲日誌「一日一曲」#262 ザ・ミーターズ「Come Together」(The Meters Jam/Rounder)

2023-12-19 06:02:00 | Weblog
2013年4月7日(日)

#262 ザ・ミーターズ「Come Together」(The Meters Jam/Rounder)





アメリカのR&Bバンド、ザ・ミーターズ、92年リリースのコンピレーション・アルバムより。レノン=マッカートニーの作品。

ミーターズは自分たちのオリジナルだけでなく、白人黒人を問わずさまざまなジャンルのアーティストのカバーをやっているが、これもその一例。

ビートルズの最終期を代表するヒットシングルであり、実質的なラストアルバム「アビイ・ロード」のトップに収められた曲でもある。

実際に作曲したのはジョン・レノンで、彼はこの曲を自作の中でも最も気に入っていると語っていた。カバーしたアーティストもエアロスミス、アイク&ティナ、プリンス、エルトン・ジョンなど多数にのぼる。

「Come Together」は他にもいろいろと、いわく因縁の多い曲で、チャック・ベリーの56年のヒット曲「You Can't Catch Me」とメロディライン、そして歌詞の一部がそっくりだということで、ベリーの楽曲の著作権をもつモリス・レヴィから訴えられたという逸話がある。

結局、レノンのアルバム「心の壁、愛の橋」「ロックンロール」にベリーの作品や、レヴィが権利を持つリー・ドーシーの曲を入れるということで裁判は解決する。

そんなに二曲は酷似しているのかと、今回、筆者は聴き比べをしてみたのだが、たしかにAメロと呼ばれる部分のメロディは、ほぼそのまま借用しているといっていい。だが、テンポはまるで違っていて、アップテンポの「You Can't Catch Me」に対し、「Come Together」はややスロー。サビも前者は明るいノリなのに、後者は暗めでブルーズィと、対照的。メロディこそ似ていても、雰囲気はまるで違うのである。

ま、歌詞まで拝借しちゃっているので、「クロ」と判定されるのは仕方ないんだけどね(笑)。

リスナーにとってはレノンのいろいろなカバーが聴けてありがたい、一番平和な解決策だったので結果オーライともいえますが。

さて、本題のミーターズ・バージョンについて、である。

「The Meters Jam」は未発表音源やアウトテイクを集めたタイプのアルバムだが、収録年があまりはっきりしていない曲が多い。68年録音とはっきり書かれた二曲以外は、70年代半ばにレコーディングされたとある。曲によってパーカッションが入ったり、入らなかったりなので、おそらくシリル・ネヴィルが参加した75年前後の録音だと思われる。

この「Come Together」は、4人編成での演奏。レオ・ノセンテリのヘヴィなギター・リフで始まり、他のメンバーの音がそれに重なるようにして始まる。アート・ネヴィルの粘っこい歌をフィーチャーした、ファンク色の極めて濃いサウンドだ。

ビートルズのオリジナルをまったく聴いたことがない人には(そういう人はまずいないだろうし、そういう人がミーターズだけは聴くというのも変だけど)、白人のロックバンドの作曲とは絶対思えないんじゃなかろうか。

そのくらい、この曲には、まっくろけな「黒さ」がある。

筆者自身も、みのもんたサンのラジオ番組のテーマで何十回、何百回となくこの曲を聴いていたわけだが、ビートルズ=ポップというイメージが一般的な中で、なんだかこの曲だけは違うよな、と思っていた。初期の彼らには、黒人のR&Bのカバーもけっこう多かったが、それでさえ、ビートルズ風に白人化、リファインされたものになっていたが、「Come Together」はオリジナルなのに、最もブラックな匂いがしたのである。

それはやはり、下敷きにしたチャック・ベリーの曲の中にある、ブラックネスから来ているものではないだろうか。

歌詞はかなり難解で、日本語に訳することは難しいといわれるし、いろんな意味でポップネスとは対極にあるナンバー。

だが、ビートルズというトップバンドの人気が、フツーだったらヒットしそうにないこの曲をナンバーワンヒットにまで押し上げた。スーパースターは何をやってもウケる、そういうことなんだろうね。

ミーターズは「Come Together」という「やや黒め」の素材を、さらに黒人ならではのコテコテのアレンジを加えて、極上ファンク・チューンに料理している。さすがの腕前だ。ことに終盤はオリジナルのようなリフレイン~フェイドアウトでなく、アカペラで締めくくったのが実にイカしている。

ミーターズ版「Come Together」、そのヘヴィでファンクなノリを堪能してほしい。


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音曲日誌「一日一曲」#261 リッチー・サンボラ「The Wind Cries Mary」(The Adventure Of Ford Fairlane/Elektra

2023-12-18 05:48:00 | Weblog
2013年3月31日(日)

#261 リッチー・サンボラ「The Wind Cries Mary」(Original Soundtrack Recording The Adventure Of Ford Fairlane/Elektra)





アメリカのハードロックバンド、ボン・ジョヴィのギタリスト、リッチー・サンボラのソロデビュー曲。ジミ・ヘンドリクスの作品のカバー。

リッチー・サンボラは59年、ニュージャージー州ウッドブリッジの生まれ。ヘンドリクスに強い影響を受けて、14才からギターを始める。

ジョン・ボン・ジョヴィを中心としたバンド、ボン・ジョヴィに加入、84年レコードデビュー。86年リリースのサードアルバムで全米的にブレイク。以後、アメリカのトップ・バンドのひとつとして、30年近く活動を続けている。

サンボラはリードギターのほか、各種弦楽器、キーボード等を担当。フロントはあくまでもジョンに任せてバッキングに徹しているが、歌もOKで、バックコーラスでそのワイルドな歌声を聴くことが出来る。

そんなサンボラが初めてソロで歌ったのが、この「The Wind Cries Mary(風の中のマリー)」だ。きっかけは、90年公開の20世紀フォックス映画「フォード・フェアレーンの冒険」の挿入曲を依頼されたことである。サンボラはそこで、自分が一番影響を受けたヘンドリクスのカバーをやったのである。

「The Wind Cries Mary」は先日取り上げた「Manic Depression」が収録されているアルバム、「Are You Experienced?」で聴くことが出来るナンバー。

ヘンドリクスの曲としてはもっとも静かな雰囲気をもつといえる、3分半ほどの短いナンバーを、サンボラがどう料理しているかというと・・。

冒頭はヘンドリクス同様、静かなコードワークと、低く、つぶやくような歌声で始まる。

だが、コーラスが進むに連れ、次第にサンボラのテンションは高まっていく。

そして、激しいギターソロへ突入。そのパッションをストラトキャスターにぶつけるようにして、かき鳴らす。

歌に戻り、見事なまでのシャウトを聴かせて、再度のギターソロへ。ここからがまさに圧巻で、聴いてすぐにわかるように「Hey Joe」のコード進行やリフを引用して、延々と展開される狂熱のソロ。スゴいのひとことだ。

この間、6分ジャスト。怒濤のごとき一曲が終わっても、興奮はさめやらない。メリハリあるアレンジの大勝利だ。

いわば、シンガーとして、ギタリストとして、アレンジャーとして持てるもの全てを、サンボラはこの一曲に叩きこんだといっていいだろう。

サンボラはその後、この曲が呼び水となったのであろうか、翌91年にはファーストソロアルバム「Stranger In This Town」を制作、リリースしている。

そのアルバムにはボン・ジョヴィのメンバーのほか、エリック・クラプトンもゲストで参加している。ECは、サンボラにとってヘンドリクスと並ぶヒーロー・ギタリストで、サンボラの強い要請により「Mr. Bluesman」という曲での共演が実現したのだった。

「ポップなハードロック」というイメージのあるボン・ジョヴィではあるが、その中ではサンボラはブルース指向が強いのだということがよくわかる。実際、ボン・ジョヴィではやらないタイプのブルーズィなサウンドを、その「Stranger In This Town」ではメインにしている。

サンボラも今年で54才。すでにオヤジ世代だが、筆者などともほぼ同時期に音楽にハマった元ロック少年といえよう。14才でギターを弾き始めたあたりとか、とても親しみが湧いてくる。

ECやジミヘンを初めて聴いたときの衝撃を忘れず、彼らへのリスペクトをストレートに音楽で表現する。ECがBB、マディやウルフらをカバーしたのと同様、自分に音楽の魅力を教えてくれた「父親」への敬意がそこにはあるのだ。これっていいよね。

この「The Wind Cries Mary」は、日本盤の「Stranger In This Town」にはボーナストラックで入っているので、ぜひチェックしてみてほしい。

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音曲日誌「一日一曲」#260 スティーリー・ダン「Rikki Don't Lose That Number」(Pretzel Logic/MCA)

2023-12-17 06:27:00 | Weblog
2013年3月24日(日)

#260 スティーリー・ダン「Rikki Don't Lose That Number」(Pretzel Logic/MCA)





スティーリー・ダン、74年リリースのサード・アルバムより。ドナルド・フェイゲン、ウォルター・ベッカーの作品。

スティーリー・ダンは現在に至るまで活動を続けているフェイゲン、ベッカーのユニットだが、結成当時はバンドとして活動していた。

ふたりは元々ニューヨークの音楽学校で知り合い、作曲家を志していたが売れず、バックミュージシャンで食べていたのだが、プロデューサー、ゲイリー・カッツに見出されてロサンゼルスでバンド・デビューししたのだ。メンバーはそのふたりの他にジェフ・バクスター(g)。デニー・ダイアス(g)、ジム・ホッダー(ds)らがいた。

デビュー・シングル「Do It Again」が全米6位の大ヒットとなり、いきなり表舞台へ躍り出た彼らは、一作一作ごとに斬新なサウンド、独自のシニカルな歌詞で注目を浴び続けることになる。

レコーディングと並行して、ライブ演奏も行ってはいたが、フェイゲン=ベッカーは必ずしもそれを好まず、彼らの目標はあくまでも完璧なスタジオ録音盤を制作することにあった。

次第に彼ら以外のメンバーとのズレが表面化し、バンドは崩壊することになる。サード・アルバムのリリース後、バクスター、ホッダーが解雇される。以後、スティーリー・ダンはバンドではなく、ふたりのユニットとして、他のミュージシャンを自由自在に起用して、アルバムを制作していくことになる。

そして、77年の「彩(Aja)」、80年の「ガウチョ」でピークを極めた後、いったん活動を休止することになる。それは、あまりに完璧主義が高じた結果といえなくもない。そのくらい、彼らのサウンドは一分の隙もなく構成されていたのである。

ロックバンドといえば、ラフでワイルドで汗の匂いがする、というのが通り相場だったが、彼らはそのパブリック・イメージに反して、インテリで汗の匂わないクールネスな世界を創り上げたのである。

もともとロックよりもジャズを好むインテリ学生だったフェイゲン=ベッカーならではの、新時代のロック、それがスティーリー・ダンだったのだ。

さて、きょうの一曲、邦題「リキの電話番号」は聴くひとが聴けば必ずニヤリ、とするであろう一曲。

奇妙なSE(?)に続いてのイントロ。このピアノで弾かれる印象的なリフは、モダンジャズのピアニスト、ホレス・シルヴァーのアルバム「Song For My Father」(Bluenote ST-84185)に収められたタイトル・チューンから、そっくり借用したものなのだ。

あまりに堂々としているので、パクりというより、むしろ引用、本歌取りといったほうがいいような気がする。

アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズにも在籍したことのあるファンキー・ジャズの雄、ホレス・シルヴァー。50~60年代には日本でも人気が高く、何度も来日を経験している。

もちろん、スティーリー・ダンのファンの大半は、シルヴァーのこともファンキー・ジャズも知らなかったろうが、この独特のファンキーなリズムに、従来のロックにない、新鮮な感動を覚えたのであり、当時高校2年の筆者もそのひとりであった。

筆者が「リキ」を初めて聴いた頃は「Song For My Father」のアルバムは持っておらず、数年後、ネタ元の曲に触れて、「なるほど」と笑みをうかべたものである。

原曲も非常に魅力的なファンキー・ジャズの佳曲なのだが、それを大胆にアレンジした「リキ」もまた、見事なポピュラーソングになっている。

とりわけ、当時ポコ、後にイーグルスのティモシー・シュミットも参加したコーラスワーク、バクスターとディーン・パークスの2本のカラフルなギター・サウンドが、非ジャズ的な味付けとなり、この曲に多面体的な魅力を与えているように思う。

ノリとか勢いだけじゃない、精緻なロック・サウンドもあることを、スティーリー・ダンは初めて教えてくれたのだ。

凝りに凝ったサウンドの万華鏡を、とくと味わっとくれ。

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