NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

音盤日誌「一日一枚」#50 フリートウッド・マック「ブルース・ジャム・イン・シカゴ VOL.2」(EPIC)

2021-12-31 05:02:00 | Weblog

2001年6月17日(日)



フリートウッド・マック「ブルース・ジャム・イン・シカゴ VOL.2」(EPIC)

さて、「ブルーズ・ジャム・イン・シカゴ」のVOL.2は、ジェイムズ・レイン、すなわちスパン同様、マディ・ウォーターズのバック・ミュージシャンとして知られるジミー・ロジャーズの「ワールズ・イン・ア・タングル」でミディアム・スローにスタート。

このセッションに登場するシカゴ組ミュージシャンにとっても、またマック組にとっても、弾きなれたおなじみのナンバーなのであろう。

続いて、ダニー・カーワンのオリジナル「トーク・ウィズ・ユー」。高音のリフが印象的な、ミディアム・テンポのナンバーだ。

アップ・テンポで、激しいギター・リフの掛け合いが聴かれる「ライク・イット・ディス・ウェイ」もカーワンの作品。ともになかなかイカしたアレンジのブルースだ。

スロー・ナンバー「サムデイ・スーン・ベイビー」はスパンの曲。ボーカルも彼が担当、これが実に枯れた味わいがある。

セッションの翌年4月、40才の若さで亡くなったのが、実に惜しまれる。

「ハングリー・カントリー・ガール」もスパンのボーカルが聴けるオリジナル。

表芸にしないのがもったいないくらい、素晴らしい歌いぶりだ。もちろん、ピアノ・ソロも音数少なくとも最高にうまい。

エルモア風スライド・ギターで始まる「ブラック・ジャック・ブルース」はテナーのJ・T・ブラウンのオリジナル。低音のシブ~いのどを彼も聴かせてくれる。

やっぱ、マック組、歌ではちょっとかなわんかな~。

メンフィス・スリムことピーター・チャットマンの名曲「エヴリデイ・アイ・ハヴ・ザ・ブルース」、スペンサーのオリジナル・インスト「ロッキン・ブギー」でも、スペンサーのスライド・ギターとブラウンのサックスがフューチャーされている。実に重厚なカラミだ。

ハニーボーイ・エドワーズのナンバー「マイ・ベイビーズ・ゴーン」も、本人の歌をフューチャーして収録。その、がなるようなボーカル・スタイルに、なんとも貫禄を感じてしまう。ギターはバディ・ガイ。

続く「シュガー・ママ」は、ハウリン・ウルフ、テイストなどカバー・バージョンも多い、サニー・ボーイ・ウィリアムスンの作品。

この曲は、ハードでヘビーなアレンジが実にカッコよい。グリーンの泣きのソロも聴ける。

しかし、なんといっても出色は「ホームワーク」ではないだろうか。オーティス・ラッシュでおなじみの、あの曲である。

グリーンの、ラッシュになりきったボーカルもよし、切れ味鋭いソロもまたよし。

彼の、M・ブルームフィールドにまさるとも劣らぬ、黒人ブルースへの傾倒ぶりがうかがえる一曲。ほんとに「濃い」出来ばえだ。

「ハニー・ボーイ・ブルース」は、ビッグ・ウォルターのソロもまじえた、いかにも即興で作った感じのエドワーズ作のインスト・ナンバー。

残る五曲は、ビッグ・ウォルターを前面にフューチャーした「アイ・ニード・ユア・ラヴ(テイク1)」「ホートンズ・ブギ・ウギ」「ハヴ・ア・グッド・タイム」「ザッツ・ロング」、そして「ロック・ミー・ベイビー」。

4曲はウォルターの作品。最後の一曲は、もち、リル・サン・ジャクスンがオリジナル、B・B・キングでおなじみのナンバー。

いずれも、いかにもジャム・セッション的な、自由でくつろいだ感じの演奏である。他では控え目なスパンのピアノも、「ハヴ・ア・グッド・タイム」「ザッツ・ロング」あたりではノリノリのピアノ・ソロを展開してくれる。これもまた聴きもの。

ウォルターのハープとの掛け合いもあって、これもカッコいい。

「フーチー・クーチー・マン」風アレンジにのせて、ウォルターが艶っぽいボーカルを聴かせてくれる「ロック・ミー・ベイビー」。これも味わい深くて、グッド。

2枚通して聴くと、演奏も歌も、個人的にはVOL.2のほうが出来がいいかな、という気はする。

ともあれ、セッション当初は、両陣営とも、「うまくいくのかいな?」という不安はかなりあったらしいが、それはそこ、根っこは同じブルース愛好者、国や人種、年齢を超えてすぐに融和できたという印象だ。

やっぱり、ブルースは音楽における世界共通語だということの、見事な証しですな。

マックのファンのみならず、ブルースを好きなひとにはぜひチェックしていただきたい2枚であります。

(今年の更新は、これが最後です。お正月の三が日は、更新をお休みさせていただきます。ご了承ください。)


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音盤日誌「一日一枚」#49 フリートウッド・マック「ブルース・ジャム・イン・シカゴ VOL.1」(EPIC)

2021-12-30 05:38:00 | Weblog

2001年6月16日(土)



フリートウッド・マック「ブルース・ジャム・イン・シカゴ VOL.1」(EPIC)

今週は、初期のフリートウッド・マック(グリーン、スペンサー、カーワン、マクヴィー、フリートウッド)の、シカゴの黒人ブルースマンとのジャム・セッションの模様を収めたCD。VOL.1、2の二枚に分かれているので、まずはVOL.1から。

67年8月デビューしたマックは、早くも翌年6月には最初のアメリカ・ツアーを行っている。

さらには同年12月に二度目のアメリカ・ツアーを行うのだが、このレコーディングはそのツアーの最中に行われたものである。

68年1月4日、閉鎖を間近に控えたチェス・スタジオにて、ピアノのオーティス・スパン、コーディネーター兼任のベース、ウィリー・ディクスン、ギターのハニーボーイ・エドワーズ、ハープのビッグ・ウォルター・ホートン、テナーのJ・T・ブラウン、ドラムのS・P・リアリーら、シブめの実力派ミュージシャンを集めて録音。

もうひとり、ギター・バディという聞きなれない名前のギタリストがクレジットされているが、これは契約の関係で名前を出せなかったバディ・ガイのことだそーで。

リハーサルもろくにせず、ぶっつけ本番的な録り方をしており、当然かなりラフではあるものの、そこはさすがに両陣営ともに巧者揃い、初顔合わせとはとても思えない、リラックスしてノリのいい演奏を聴かせてくれる。

まずは、ピーター・グリーンのオリジナル「ウォッチ・アウト」というシャッフル・ナンバーから。ボーカルもグリーン。

続いては、ハウリン・ウルフの「ウー・ベイビー」。グリーンも心なしか、サムリンを意識したフレーズを繰り出している。そーいえば、グリーンのレスポールは、サムリンを意識してのチョイスかな?

お次はマディ・バンドのハープで知られるビッグ・ウォルターの作品、「サウス・インディアナ」を2テイク。

マリオン・ウォルター・ジェイコブズ、すなわちリトル・ウォルター作の「ラスト・ナイト」も取り上げている。

マディ・ウォーターズ、マジック・スリムのバージョンでもおなじみ、マイク・ブルームフィールドもカバーしている人気のスロー・ナンバーだ。

グリーンの作曲、というよりはその場でリフをひねり出した、という感じのインスト、「レッド・ホット・ジャム」を2テイク。ここではバディ・ガイのプレイが聴ける。グリーンとはひと味違った、シャープでソリッドなプレイを聴けば、いかな変名を使ったところで、彼とバレバレである(笑)。

それに続いては、スペンサーが最もリスペクトするエルモア・ジェイムズの「アイム・ウォリード」。エルモア節をほうふつとさせる、スペンサーのパワフルで艶やかなプレイが聴きもの。

以下、エルモアの曲がずらりと続く。「アイ・ヘルド・マイ・ベイビー・ラスト・ナイト」「マディスン・ブルース」「アイ・キャント・ホールド・アウト」、そして「ボビーズ・ロック」。もう、スペンサーの独擅場である。

この中では「アイ・キャント~」はクラプトンもカバーしているから、おなじみであろう。

いずれの曲も、細かいアレンジを決めてやっているというより、マック組、シカゴ組ともに、ふだんからフェイバリットな曲として演奏しているから、即座に音を合わせられたという印象だ。

いかにもその場のノリで決めているようなラフな空気が伝わってきて、グーである。

ビッグ・ウォルターのオリジナル「アイ・ニード・ユア・ラヴ」「ホートンズ・ブギ・ウギ」、そして「アイ・ゴット・ザ・ブルース」の三連発で終了。

全編でがんばっているって感じがするのが、ビッグ・ウォルター。ソロでオブリでバックで大活躍である。

対するに他のシカゴ組のプレイは、ちょっと控え目って気がするが。でも、全体のアンサンブルは、まずまず。マック組とも、違和感なく溶け込んだプレイが楽しめる。

続くVOL.2は、また明日ということで。


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音盤日誌「一日一枚」#48 VA「A SUN BLUES COLLECTION/BLUE FLAMES」(RHINO)

2021-12-29 05:41:00 | Weblog

2001年6月9日(土)



VA「A SUN BLUES COLLECTION/BLUE FLAMES」(RHINO)

ここんとこ、ホワイトづいてしまったが、ひさびさにブラックな一枚である。

メンフィスのサン・レコードといえば、プレスリーやカール・パーキンスといった白人のロカビリーで一世を風靡したレーベルだが、黒人のブルースでもけっこう質の高いレコードを送り出している。

そんなサンのブルース・レコーディングから選りすぐりの18曲がおさめられたのが、このアルバム。

まずは、ジャッキー・ブレンストン&デルタ・キャッツの「ロケット88」でスタート。

実はこの曲、一番最初のロック・ロール・レコードといわれている。

ビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」リリースの5年前、51年に発売されたこの曲、アイク・ターナー(もち、アイク&ティナのアイクである)の軽快なブギウギ・ピアノをバックに、ブレンストンのノリのいい歌とサックスが楽しめる。

ジャズとは一線を画した、ロックン・ロールという新しい音楽ジャンル誕生の瞬間である。

続いては、ご存知ハウリン・ウルフ。

でも、シカゴ進出前、52年の録音である。ギターはヒューバート・サムリンではなく、ウィリー・ジョンスンを擁していた頃の「マイ・ベイビー・ウォークト・オフ」を収録。

スタックスのソウル・シンガーとして知られているルーファス・ハウンドドッグ・トーマスは、「ハウンド・ドッグ」へのアンサー・ソング「ベア・キャット」(53年)。

もちろん、プレスリーじゃなくてビッグ・ママ・ソーントンのオリジナル盤(同年)へのアンサーだ。

ルーファスは猫の鳴きまねまでして、おどけてみせている。サービス満点のレコードだ。

こちらもスタックスの代表的アーティスト、元祖フライングV男、リトル・ミルトンはオリジナルの「ルッキン・フォー・マイ・ベイビー」。

ただし、54年の録音だから、中で聴かれるナチュラル・ファズ・ギターはフライングVではないが。

ジェイムズ・コットンは54年の「コットン・クロップ・ブルース」。

ビリー・ザ・キッド・エマースンは「レッド・ホット」(55年)。

ハーピスト、コーイ・ラヴを中心とするホット・ショット・ラヴは54年録音の「ハモニカ・ジャム」。

リトル・ジュニアズ・ブルー・フレイムズ(いうまでもなく、このアルバム・タイトルもそこからとっている)、つまりジュニア・パーカーのデビュー曲、「ミステリー・トレイン」(53年)、これはジュニアの歌、フロイド・マレイのギター・ソロ、ともに切なく、かつイカしている。

エルヴィス・プレスリーをはじめ、多くのアーティストにカヴァーされたのも、ナットクである。

ワン・マン・バンドの第一人者、ドクター・ロスは53年録音の「テラ・メイ」。「グッド・モーニング・リトル・スクール・ガール」タイプの曲。

とくにそのハープ・ソロがカッコいいのが、ジミー&ウォルター、すなわち、ジミー・ディバリーとビッグ・ウォルター・ホートンのコンビの「イージー」。スロー・ビートにのせた、縮緬のようなヴィブラートがじつに強烈。ハーピストなら、一度はコピーしてみたくなるようなイカした曲である。

御大B・B・キングも、実はサンで51年にレコーディングを残している。「B・B・ブルース」がそれだ。

まだ、黒人街でのみ知られたヤング・ヒーローだったころの、BB25才の歌声。声もそして容姿(ライナー裏表紙写真)も、実に若い!

ブルース、というよりはR&Bシンガーといったほうがピンとくるのはロスコ・ゴードン。彼もオリジナルの「アイ・ファウンド・ア・ニュー・ラヴ」を59年に録音。これは未発表なので、必聴だ。

この他にも、スリーピー・ジョン・エスティスの「ランニン・アラウンド」をはじめとして、フランク・フロスト、パット・ヘアら、ちょっと通好みのアーティストの未発表曲が収められている。

ワン・アーティストもののCDではめったにお目にかかれないような、ジョー・ヒル・ルイスのヘビーでエグいギター・ソロ(「ホエン・アイム・ゴーン」)が聴けたりして、実に興味深い。

スター・シンガーだけでなく、シブい脇役にもスポットを当てた好企画。

さながら、さまざまなスタイル、さまざまな個性のアーティストが一堂に会して繰り広げる「ブルース・ジャンボリー」といった趣きの一枚である。

史料的価値はいうまでもないが、演奏にも意外な掘り出しモノ多し。90年リリース、現在では稀少盤となっているが、探す価値はあると思うよ。


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音盤日誌「一日一枚」#47 ジミー・ペイジ&ロバート・プラント「ウォーキング・イントゥ・クラークスデイル」(マーキュリー)

2021-12-28 05:37:00 | Weblog

2001年6月3日(日)



ジミー・ペイジ&ロバート・プラント「ウォーキング・イントゥ・クラークスデイル」(マーキュリー)

以前、プラントをホメまくったワタシだが、では最近の彼はどーなのか。

ペイジとプラントのふたりは、MTVのアンプラグド企画が縁で、1994年、実に14年ぶりに一緒に仕事をすることになる。

それを音盤化したのが「ノー・クォーター」なるライヴ・アルバムである。

そして、再結成企画はそれで終わらず、ふたりはワールド・ツアーに出ることになる。

各国で成功をおさめ、気をよくした彼らはいよいよ、スタジオ・レコーディングに入り、完成したのが98年発表のこのアルバムというわけである。

さて、その出来ばえはどうか、というと、実は疑問符が???と三つくらいついてしまうのである。

基本的には、前作でのリズム隊、ベースのチャーリー・ジョーンズ、ドラムスのマイケル・リーを引き続き起用しての四人編成によるバンド・サウンド。

全13曲、うちラストの「ウィスキー・フロム・ザ・グラス」は日本のみのボーナス・トラック。

一回目、通しで聴いて、どうもどの曲も印象に残らない。

一回きりだから印象に残らないのか、とも思い、何回か聴き直しているのだが、依然としてダメ。

演奏が下手になったとかそういうことでもないのに、どの曲も「及第点」をかろうじてクリアした程度の作りでしかない。

言い換えれば、シングルでヒットできそうにないんである。

音的には、HR/HM的なビートのもの(たとえば「サンズ・オブ・フリーダム」)もあるにはあるが、アコースティックっぽいサウンドに中近東音楽の要素を加味した、「ノー・クォーター」の延長線上にあるものが中心である。

ギターでなく、民族楽器がソロをとった「モスト・ハイ」などは代表例だ。

ストリングスを大きくフューチャーした「アポン・ア・ゴールデン・ホース」という曲もある。

全体的にアップ・テンポの曲より、ミディアムやスローが多く、「動」より「静」のイメージが強い。

個人的には「レヴィー・ブレイク」に少し似た、ワン・コード・ブルース的発想の「ハート・イン・ユア・ラウンド」のような黒っぽい曲が好みだが。

思うに、ペイジ/プラント、というかZEPの音楽の魅力とは、ボンゾの強力無比なグルーヴの上で踊る、ペイジのシンプルだがイカしたリフの繰り返し、そして官能的なプラントの超高音シャウト、さらには、「天国への階段」に代表される、耳に残るキャッチーなメロディであったと言えそうだが、今回のアルバムには残念ながらどのひとつもないのである。

寄る年波には勝てないのか、プラントの声も張りを欠いており、思い切ったシャウトが聴かれない。

ボーナス・トラックの「ウィスキー~」ではだいぶん無理してシャウトしているのだが、何だか別人のような、気合いを欠いた歌声である。実に残念。

ペイジのギターも、流して弾いている感じで、リフにも印象的な「発明」がない。

メロディもどうも凡庸で、ペイジのコンポーザーとしての旬も終わってしまったか、とつい思ってしまう。

もちろん、ドラムスのマイケル・リーも、パワーはともかく、タイム感覚や細かいオカズの入れ方などのセンスでは、ボンゾにかなうべくもない。どだい比較するのが気の毒なのだが。

要するに、五十オヤジたちのやる「趣味音楽」の域を超えていないってことやね。キツく言ってしまうと。

時代と真っ向から切り結ぶ音楽を作るには、齢を重ねすぎたのだ。14年のブランクは大きい。

彼らのワールド・ツアーでのエピソードだが、ツアーで新しいオリジナル曲をやっても余りウケず、結局ツアーが終盤に近づくにつれて、ほとんどZEP時代のナンバーの再演になっていったとか。

やはり、五十代になった今、オリジナル・サウンドで世に問うには過去の業績が余りに大き過ぎ、体力・気力的にも昔のままではなかったということか。

ということで、このアルバム、ペープラの出すものなら何でも聴きたいという、コアなファンのかた以外は、買う必要なし。

やはり、68年~80年のオリジナルZEPを超える音は、彼ら自身でさえ作りだすことは不可能であった。

ZEPとはまさに、あの時代そのものが産み落とした、最高のギフトであったのだ。


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音盤日誌「一日一枚」#46 マイク・ブルームフィールド「DON'T SAY THAT I AIN'T YOUR MAN」(COLUMBIA/LEGACY)

2021-12-27 05:06:00 | Weblog


2001年6月2日(土)



マイク・ブルームフィールド「DON'T SAY THAT I AIN'T YOUR MAN/ESSENTIAL BLUES 1964-1969」(COLUMBIA/LEGACY)

「ルーツ&ブルース」シリーズから、もう一枚。

マイク・ブルームフィールドが亡くなってから、はや20年がたってしまった。

若いリスナーにはほとんどおなじみがないかも知れないが、ひところは英のクラプトン、米のブルームフィールド、と並び称されたくらいの、ブルース・ギターの名手であった。

そんな彼の60年代の名演を選りすぐったのが、この一枚だ。

最初の4曲は、64年12月、彼が弱冠二十歳のときの録音。ジャケ写でおわかりのように、当時の彼はテレキャスターを弾いていた。

テリー特有のエッジの立ったトーンで、ちょっとせっかちな、前のめりに疾走するようなギターを聴かせてくれる。まだ、ミスタッチも多い。

しかも、彼がリード・ボーカルをとっている。これはなかなかの聴きもの。

「ラスト・ナイト」「フィール・ソー・グッド」「ゴーイン・ダウン・スロウ」などで聴かれる彼の歌は、かなり白人ばなれした、荒削りでねちっこいものだ。

白人でありながら、黒人ブルースマンになろう、なろうとしている彼の姿勢がよくわかる。

65年録音の「モジョ・ワーキン」も、しかり。ガンガンにシャウト、知らずに聴いたら、黒人アーティストかと思う、そういう歌である。

とにかく、初期の彼は、ひたすら黒い音の再現に終始していた、という感じである。

作風に幅が出てくるのは、ご存じバターフィールド・ブルース・バンドに参加してからだ。

65年のデビュー・アルバムからは「ボーン・イン・シカゴ」。盟友ニック・グレイヴナイツの作品。

名盤「イースト・ウエスト」(65年)からは、ジャズ・ミュージシャンではよく演奏される「ワーク・ソング」。エルヴィン・ビショップとともに弾くギターには、かなりモダン・ジャズ色が加わっている。

彼らは同アルバムで「ラーガ・ロック」とよばれる、インド音楽を取り入れたサウンドも展開、新境地を切り開いたのである。

その後ブルームフィールドはバターフィールドの元を離れ、、グレイヴナイツ、バディ・マイルスらとともに「エレクトリック・フラッグ」を結成する。

67年のアルバム「ロング・タイム・カミン」からは、ハウリン・ウルフの「キリング・フロア」を収録。ホーン・セクションも積極的に導入、ファンキー色が強くなる。

このあたりから、メイン・ギターはレスポールにかわり、「ブルームフィールド節」ともいわれる、クリアーでシャープな音が聴かれるようになる。

プレイにも初期のラフさは消え、その絶妙な「間」には、大物の余裕さえ感じられるようになってくる。

そしてなんといっても、彼の評価を決定づけたのは、68年発表の、アル・クーパー、スティーヴン・スティルスと共演したアルバム「スーパー・セッション」だろう。

そのなかでも、有名な「アルバートのシャッフル」、そして「ストップ」を収録。

泣きとタメ、ロング・サステイン、ブルース・ギターのお手本のような演奏に、英米のみならず、日本でもエディ藩をはじめとするフォロワーが続出した。

その人気は、一時はクラプトンをしのぐものでさえあった。いやホント。

「スーパー・セッション」同様、日本でもバカ売れしたのがアル・クーパーとのライブ盤「フィルモアの奇蹟(THE LIVE ADVENTURES OF MIKE BLOOMFIELD AND AL KOOPER)」(68年録音)である。

レイ・チャールズの名曲「メリー・アン」。そして、アルバート・キングのスロー・ブルース「ドント・スロウ・ユア・ラヴ・オン・ミー・ソー・ストロング」を収録。

たった四人の編成なれど、実にパワフルで、しかも奥の深い音作りに、当時の日本のミュージシャンたちも驚きと憧れをもって、聴き入ったものである。

ブルームフィールド、この時期はたいへん頻繁にレコーディグをしており、エレクトリック・フラッグの流れで集めたメンバーにより69年1月には「ライヴ・アット・ビル・グレアムズ・フィルモア・ウェスト」、5月には「イッツ・ノット・キリング・ミー」を録音。

さらには、彼がリスペクトするオーティス・ラッシュの初フルアルバム「モーニング・イン・ザ・モーニング」のプロデュースまで手がけている(注)

(注・以下の「月刊ネスト創刊号」を参照願います)

http://www.macolon.net/20010424.htm

「ライヴ~」からは、そのラッシュへのトリビュートということで、コブラ・セッションでも有名な「イット・テイクス・タイム」のカバー。

彼のギターも、グレイヴナイツのボーカルも、実に気合いが入った快演。ラッシュのオリジナルにまさるとも劣らぬ出来ばえだ。

そしてオリジナル「カルメリータ・シャッフル」も収録。これもノリのいい、軽快なインスト・ナンバー。

「イッツ~」からは、オリジナル「ドント・シンク・アバウト・イット・ベイビー」を収録。最も洗練され、かつエモーショナルなブルース・ギターを聴くことが出来る。

その音色の素晴らしさは、ラッシュとタメを張れると言ってよい。

初期のプレイから聴いていくと、そのギター・プレイに年々磨きがかかり、よりブルースの真髄へと向かっていったのがよくわかる。

20代の若さで、黒人ブルースのエッセンスを体得した稀有なる白人ブルースマン、それが、マイク・ブルームフィールドだ。

言ってみれば、彼の存在そのものが「奇蹟」なのかも知れない。


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音盤日誌「一日一枚」#45 ジェフ・ベック・グループ「ベック・オラ」(東芝EMI)

2021-12-26 05:53:00 | Weblog

2001年5月27日(日)



ジェフ・ベック・グループ「ベック・オラ」(東芝EMI)

「毒食らわば皿まで」という感じもしますが(笑)、またまたジェフ・ベックであります。

つまりですね~、塩と胡椒、ヤン坊とマー坊みたいなもんで、片方を出したらもう一方も出さざるをえなくなるって関係なんすよ、「トゥルース」と「ベック・オラ」の二枚は。

実際、現在のCDでは2イン1という形で、同居しとりますし。

ジェフ・ベックというお方、どうもバンドを長期にわたって維持することが苦手なひとのよーで(ペイジと好対照)、アルバムをせいぜい二枚出したら脱退、ないしは解散なんてパターンを繰り返していましたな、60~70年代は。

ヤードバーズしかり、この第一期JBGしかり、第二期JBGしかり、BB&Aしかり…。

あまりに長続きしないんで、遂にはグループというかたちをとるのをやめちゃいましたが(笑)。

そうしたら、ソロなら解散せずにすむということで、ようやく落ち着きました。

とにかく彼は「二の線」で売ってるんで、「三枚目」を出すわけにいかないって寸法で……って、下手なシャレいってる場合じゃないすね、反省。

話を元に戻しますと、この「ベック・オラ」、デビュー・アルバム「トゥルース」を出した翌69年、メンバーも一部入れ替えて、レコーディングされてます。

ベック、ロッド・スチュアート、ロン・ウッドはそのままですが、ドラムスはミック・ウォーラーからトニー・ニューマンに交代。前作ゲスト参加の扱いだったニッキー・”エドワード”・ホプキンスは正式メンバーになっております。

また、ロン・ウッドは今回ベース以外に、一部ギターも弾いてますな。

オープニングは「オール・シュック・アップ」。つまり、プレスリーの「恋にしびれて」のカバー。

でも、その音はオリジナルとはまるきり別物。ウルトラ・ヘビー級のハード・ロックで、エルヴィスのほのぼの、甘ったるいイメージは木っ端微塵です。ベックのギターも暴れまくってますが、ホプキンスのパーカッシヴでスピード感溢れるピアノも実にカッコいい。

そしてもちろん、ド迫力で吼えまくるロッドのボーカル、絶品です。ロック・シンガー多しといえど、まちがいなく五指に入る、そういう素晴らしい歌いっぷり。

続いてのオリジナル曲「スパニッシュ・ブーツ」、これも「オール~」同様、ひたすらハードでヘビーなチューン。ウッドのブブリブリ・ベースソロがナイスです(フェイド・アウトしちゃうけど)。

このまま行くと血圧上がりっぱなしですが、一転、三曲目のインスト、「ガール・フロム・ミル・ヴァレー」ではホプキンスが奏でる美しいメロディーに、ほっとひと息。

アナログLPではA面最後にあたるのが、「ジェイルハウス・ロック(監獄ロック)」。ロッドの趣味なんでしょうな、これもエルヴィスのカバー。

またも血圧大いにUPの、ロックン・ロール大会(言い回しが古いか)で締めくくります。とにかくベックのギターがワイルド。縦横無尽に走りまくってます。

B面はすべてオリジナル。BB&Aライヴでも演奏していたのでご存知の方も多い「プリンス」が一曲目。アップ・テンポの16ビートで快調に飛ばす、そんなナンバー。70年代のクロスオーバー~フュージョン・ブームを先取りしたようなサウンドです。

それに対して「ハングマンズ・ニー」は、オーソドックスなミディアム・テンポの8ビート。これぞハード・ロックの基本ともういうべき、ヘビーなリズムを聴かせてくれます。

ラストは「ライス・プディング」。7分半近いインスト・ナンバーですが、最後までダレることなく緩急自在、緊張感に満ちた構成で一気に聴かせます。ベックのスライド・ギターとホプキンスのピアノのインタープレイが絶妙。ロック・インストの最高峰にある一作といえそう。

ただただ、思いつきのアドリブで時間をうずめるのでなく、序破急のツボを押さえた展開は、何度聴いても脱帽モノです。

本アルバム、今回もプロデュースはミッキー・モストなんですが、わりとグループのやりたいようにやらせた、という感じで、余りあれこれ干渉しなかったようです(というより、実のところは他のアーティストの仕事にかかりきりで、口を出す余裕がなかったとか)。

そのせいか、曲もポップ路線のシングル(「恋は水色」なんてのもありましたっけ)とは対照的に、オリジナル中心。

それがプラスの方向に働いてこの「ベック・オラ」、前作以上にハードでタイト、聴きごたえのある音作りになってます。

前作はよくいえばバラエティに富んだ、悪くいえばポップ路線とハード路線が相乗りの、まとまりを欠いたサウンドだったんですが、今作ではだいぶん音が練り込まれて、ハードロック・バンドとしての狙いどころが明確になってきた、そんな感じです。

それには、けっこうホプキンスの貢献度が大、とみましたが、いかがでしょう?

ギター・バンドだったころには、派手なプレイでとにかく聴衆を驚かせる、こういう傾向があったのですが、ホプキンスの加入により、サウンドに厚みが加わり音楽的にもしっかりした作りになった、これはいえそうです。

音的には申し分なく、順風満帆かに見えたJBGですが、しかし、その後の活動はうまく行きませんでした。

そうです、リスナー(とくにアメリカでの)の関心は、JBGより後発のZEPの方へすっかり吸い寄せられてしまったためです。

この2グループが69年、とあるジャズ&ロックのフェスティバルに出演したとき、ベックはZEPの物凄い人気に、すっかり意気をそがれてしまったといいます。

「だめだこりゃ」そう言ったとか、言わないとか…。

しかも、ロッドとロンの二人は、スティーヴ・マリオットが脱退したばかりのスモール・フェイシズから参加を求められており、すっかり乗り気状態。

そのため、当初8月のウッドストックへの出演も決まっていたのに、それを待たずしてあっさり解散。

なんとも惜しい結末でしたが、でも、われわれの手元には「トゥルース」と「ベック・オラ」、二枚の名盤があります。

この二枚、ロック・アルバムのスタンダードとして、今後もずっと聴かれていくに違いありません。

「パワー」「スピード」「スリル」、すべてにおいて頂点を極めたロックが、この2枚にはあります!


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音盤日誌「一日一枚」#44 ジョン・メイオール「THE COLLECTION」(CASTLE COMMUNICATIONS)

2021-12-25 05:00:00 | Weblog

2001年5月26日(土)



ジョン・メイオール「THE COLLECTION」(CASTLE COMMUNICATIONS)

ここのとこ、ヤーディーズ人脈で何枚か聴いているが、今日のも彼らとつながりの深い一枚。

「ブリティッシュ・ブルースのゴッド・ファーザー」とよばれるジョン・メイオールのコンピレーション・アルバムである。

彼が1960年代にデッカに残したレコーディングの中から代表的なナンバー17曲で構成。

彼が率いるブルースブレイカーズといえば、まずこれを聴け!といわれる名盤中の名盤、「ウィズ・エリック・クラプトン」(66年)からの4曲よりスタート。

「KEY TO LOVE(愛の鍵)」はメイオールの作品で、シングル「パーチマン・ファーム」のB面ともなった曲。おなじみのハイトーンで少しうわずり気味の「メイオール節」が聴ける。

「ハイダウェイ」はクラプトンのアイドルの一人、フレディ・キングのデビュー・インスト・ナンバー。

ロバート・ジョンスン作の「RAMBLIN' ON MY MIND(さすらいの心)」ではクラプトンが初めてのリード・ボーカルをご披露。

「ALL YOUR LOVE」はもちろん、オーティス・ラッシュの十八番。

いずれも、当時スゴ腕ギタリストとして注目を集めていたECの、気合い十分なプレイが聴きものだ。

続いてのライヴ2曲も必聴。69年発表のライヴ・アルバムから「THEY CALL IT STORMY MONDAY」と「HOOCHIE COOCHIE MAN」。

実は66年4月、クラプトン在籍時の録音で、ベースはなんとジャック・ブルース(彼はごく短期間の在籍)。

ここでのECのプレイは、まるで何かに憑かれたかのような、激しくうねるようなフレーズの連続である。ファンならずとも、鳥肌が立つようなオーバーヒートぶりだ。

クリーム結成の前年、既にその革新的サウンドが準備されていたという、貴重な記録である。

で、面白いのは、先週取り上げたオールマンズ・ライヴでの「STORMY MONDAY」が、コード・プログレスや歌のフレージングなど、このブルースブレイカーズ・バージョンに非常に良く似ているということだ。

オリジナルのT・ボーン版以上に参考にしたことは、間違いあるまい。

オールマンズ、米国のバンドではあるが、しっかりブリティッシュ・ブルースも研究しとったのですな。

次はメイオールのデビュー・シングル、ファースト・アルバムにも収録された「CRAWLING UP A HILL」(64年)。メイオールの泣きのハープ・プレイが印象的だ。

「MARSHA'S MOOD」は、ドラマーのみを従え、全ての楽器を彼が演奏したという変り種アルバム「THE BLUE ALONE」からの一曲。ここではピアノを弾いている。実に多才なひとだ。

「A HARD ROAD」はクラプトン脱退後、ピーター・グリーンをリード・ギターに迎えた同題のアルバム(67年)より。

「THE SUPER NATURAL」も、そのグリーンをフィーチャーしたインスト・ナンバーだ。

ECとはまた一味違った、ソリッドでどこか神秘的なプレイを聴くことができる。ラテン・ビートを取り入れたりして、後年彼が結成するフリートウッド・マックを思わせるところも。

続くは「YOU DON'T LOVE ME」だが、オールマンズはこの曲も彼らのアレンジをまんまパクっている。ギターリフまでクリソツ。

ブルースブレイカーズの強い影響力を示す、好例といえるだろう。

「SUSPICIONS(PART 2)」と「PICTURE ON THE WALL」はともに67年のシングル曲。69年にはアルバム「LOOKING BACK」にも収められた。前者ではホーン・セクション(ディック・ヘクトール・スミス、クリス・マーサーらが参加)も導入しファンク色を出している。

「THE DEATH OF J.B. LENOIR」はアルバム「CRUSADE」から。弱冠19才のミック・テイラーがこのアルバムよりグリーンに代わるリード・ギタリストとしてグループに参加している。

「SANDY」は68年の「BARE WIRES」から。この曲でのスライド・プレイなどは実にアーシーでイカしている。

「THE BEAR」は同年の「BLUES FROM LAUREL CANYON」から。サザン・ロックにも通じるものがある、スワンピーなサウンドだ。これも、テイラーの音楽性に触発されてのものか。

「WALKING ON SUNSET」も同アルバムから。メイオールの達者なハープが楽しめる一曲だ。

この17曲で、デッカ時代のメイオール、約5年間の足跡がざっと見渡せるしくみである。

こうやって見てくると、ヤーディーズもスゴいギタリストたちを輩出してきたが、ブルースブレイカーズも負けず劣らずスゴいバンドである。

ロックの歴史の中で重要な位置をしめるプレイヤーを多数発掘し、育ててきたのだから。

メイオール自身は、プレイヤーとしては必ずしも華のあるひととはいえない。とくにボーカルはうまいとはお世辞にもいえない。

でも、すぐれた才能を持つプレイヤーを見出し、すぐに起用していくプロデューサーとしてのセンス、これは稀有のものだといえよう。

リード・ギタリストが脱退して後任をだれにするか思案しているとき、ヤードバーズのシングル「フォー・ユア・ラヴ」のB面「ゴット・トゥ・ハリー」でのソロに注目、クラプトンがフリーとなったことを聞きつけ、さっそくグループに招んだという彼のエピソードに、その「慧眼」を感じないではいられない。

おん年67才、今も現役でプレイし続けているというメイオールだが、彼がクラプトン、グリーン、テイラーという綺羅星のごときプレイヤーを懐刀とし、新しいブルースを創造していたこのデッカ時代が一番輝いていたのは言うまでもない。

ホワイト・ブルースのパイオニア、ジョン・メイオールの打ち建てた金字塔、ロック・ファン、ブルース・ファンを問わず、一度はチェックしてみてほしい。


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音盤日誌「一日一枚」#43 オールマン・ブラザーズ・バンド「AT FILLMORE EAST」(PolyGram)

2021-12-24 05:21:00 | Weblog

2001年5月20日(日)



オールマン・ブラザーズ・バンド「AT FILLMORE EAST」(PolyGram)

今日は、tRICK bAGがらみのアルバム。なぜかこれも二枚組。1971年発表の作品。

「悲劇のバンド」オールマンズは、メンバーを交代しながらも、いまだに続いているということだが、やはりこのアルバムを出した頃の、デュアン・オールマンが生きていた時期が音楽的にベストであったことは、どなたにも異存はあるまい。

とにかく、デュアンのスライド・ギター・プレイは文句なく素晴らしかった。

60年代のデュアンは、アトランティック系シンガーのバックをつとめる、一スタジオ・ミュージシャンに過ぎなかったが、スライド・ギターをモノにすることで、一躍トップ・ギタリストへと脱皮した。

そのツヤと伸びのある特徴的なトーンは、スライド・ギターの歴史を塗り替えたといってよかった。

以後、さまざまなフォロワーが登場したが、やはり、どのひとりとして、オリジネイターたるデュアンを超えることはできなかったと思うが、いかがであろう。

さて、このライヴ・アルバム、ロック史にその名を残すホール、フィルモア・イーストにおける71年3月12・13日の録音。

オールマンズのステージの特徴としては、(同じくフィルモアの常連、グレイトフル・デッドなどもそうであったように)1曲1曲が非常に長く、1曲で20~30分なんてことも珍しくなかった、ということがある。

このアルバムでも、「WHIPPING POST」がまさにそのケース。

LP時代は片面全部を占めた、22分以上もある大曲である。

でも、それだけ延々とプレイしていても、決してダレるどころか、「だんだん良く鳴る法華の太鼓」ではないが、演れば演るほどどんどん全員のグルーヴが高まっていく、そういうプレイなのである。

LP1枚目のB面に相当する、「YOU DON'T LOVE ME」にしても、然り。

コアにあるのはブルースだが、それにファンク、ラテン、ジャズなどさまざまなジャンルの音楽を取り入れ、ツイン・ドラムスというリズム上の冒険にも果敢に試みた、「引き出し」の多いサウンド。

同じブルース進行でも、変則的なリズムを取り入れたりして、新味を出すことに成功している。

だが、テクニック最優先型ではない。バンド本来の泥臭さはちゃんと残して、変に洗練された方向へはむかわない。あくまでやも、重心は低いのである。

これが、彼らがただのホワイト・ブルース・バンドを超えて、ワン・アンド・オンリーな存在となりえた理由といえよう。

このライヴでは、ブルースではスタンダード中のスタンダード、「STORMY MONDAY」も演奏しているが、多くのリスナーには、T・ボーン・ウォーカーのオリジナルよりも、彼らのバージョンがもっとも親しまれているだろう。

デュアン自身、多大な影響を受けたに違いない先達、エルモア・ジェイムズの「DONE SOMEBODY WRONG」もカバーしている。エルモアの魂が、デュアン独自のスタイルによってよみがえった1曲だ。

これぞまさに、「温故知新」。いや「音故知新」か。

デュアンのスライド・ギターばかりほめるのもいかんな。ディッキー・べッツとのツイン・リード、これも息がピッタリと合ってて、絶品だ。ベッツ作の「IN MEMORY OF ELIZABETH LEED」、やっぱり、名曲である。

あまり注目されることはないが、グレッグのボーカルも若干シブ目ながら、いい味を出している。そしてもちろん、変幻自在な3人のリズム隊も素晴らしい。

こういう、リズムに独特の「うねり」のある玄妙なサウンドを聴いたあとにゃ、お子様ランチみたいな打ち込み系音楽は聴けないよ、まったくのハナシ。

やっぱり、ノリ、グルーヴとは、生身のプレイヤー同士のインタープレイから初めて生まれるものだと思う。この一枚ははっきりとそう語っている。


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音盤日誌「一日一枚」#42 レッド・ツェッペリン「BBCライヴ」(イーストウェスト・ジャパン)

2021-12-23 05:18:00 | Weblog

2001年5月19日(土)



レッド・ツェッペリン「BBCライヴ」(イーストウェスト・ジャパン)

今週もヤーディーズつながりの一枚。とゆーか二枚組。

ZEP解散17年後の、1997年発表。69年3月、デビューまもない頃からBBCのプログラム「トップ・ギア」「テイスティ・ポップ・サンデー」「ワン・ナイト・スタンド」にて数度にわたってオン・エアされた演奏14曲が1枚目。

ライヴといっても、一発録りだけではなく、ギター等のオーバー・ダビングがされている、準スタジオ録音的なものも含む。

2枚目は、71年4月、ロンドンは「パリス・シアター」でのライヴ。ただしオンエアはされていない。

ZEPは73年に「永遠の詩」なるライヴ・アルバム(映画「狂熱のライヴ」のサントラ)を発表しているが、はっきりいって、ZEPの一番ベストな時期のライヴとはいいがたい。

特に表看板のプラントの声が、相次ぐツアーのせいか疲弊し、生気を欠いている。

だいたい、そのアルバムを出したのも、ZEPというバンド、コンサートを録音したブートレッグ(海賊盤)があまりに多種多数出まわってしまい、それに業を煮やしたペイジがしかたなく作ることにしたという経緯がある。

人気バンドの宿命ですな。

ということで、この未発表音源を含むアルバムだが、さすがに「永遠の詩」より、ダンチに出来がいい。

なにより、プラントの声のコンディションがいい。超高音シャウトもバリバリである。後年のようなごまかしがない。

演奏のほうも、ガンガンのテンションでベストに近く、もちろん録音もBBCだけに非常によろしい。大規模コンサート会場でないのも幸いして、音にまとまりがある。

「永遠の詩」でちょっと期待ハズれだったかたにも、おススメ。

演奏されるのは、「ユー・シュック・ミー」「コミュニケーション・ブレイクダウン」「ハウ・メニー・モア・タイムズ」など、おなじみの初期ZEPナンバーがほとんどだが、未発表曲も数曲含まれている。

その中で一番出来がいいのが、「トラヴェリング・リバーサイド・ブルース」だ。

いうまでもなく、ロバート・ジョンスン作品のカバー。

でも、ZEPバージョンでは、原曲(「ローリン・アンド・タンブリン」タイプのメロディ)のイメージをほとんどとどめないくらい、見事にフェイクされたボーカルが聴かれる。

「換骨奪胎」とはこーいうことをいうんでしょうな。

オーティス・ラッシュの「アイ・キャント・クィット・ユー・ベイビー」同様、オリジナル・バージョンを超える、ものスゴい歌をプラントは聴かせてくれるのだ。

やはり、不世出のシンガーだよ、パーシーは。

最近じゃ誰もそんなこと言わないから、ワタシが言うしかないんですが(笑)。

ホント、ジョン・ボン・ジョヴィがなんぼのもんじゃい!って思いますな。

71年のほうは、78分余りの収録。コンサートの全体の流れがよくわかる一枚。

こちらは「移民の歌」「ブラック・ドッグ」「天国への階段」といった、サード・アルバム以後のナンバーも含まれていて、若いリスナーのかたにも聴きやすいはず。

圧巻はなんと18分以上におよぶ、「幻惑されて」。

この1曲で、ペイジは、音の実験の限りを尽くしている。長尺でも決して飽きさせない、メリハリある見事な構成。ファンならずとも、一聴に値いするだろう。

個人的には、スロー・ブルース「貴方を愛し続けて」の、泣きのギターに感涙。

もち、プラントのソウルフルな歌にもノックアウト。

とどめは、ご存じ「胸いっぱいの愛を」のメドレー。

ジョン・リー・フッカーの「ブギー・チルン」、ブッカ・ホワイトの「フィクシン・トゥ・ダイ」、アーサー・クルーダップの「ザッツ・オールライト」など実にシブい曲の数々(プラントのフェイバリットがモロに出ている)を折り込みながら、これまた14分近くにわたって熱演。

最後はさらりと「サンキュー」でシメて、オーディエンスへの感謝の意を表するあたりも心にくい演出だ。

20~30年前の作品ながら、ZEPのCD、いまだにアメリカを中心に全世界で売れ続けているというが、その理由、いまさらではあるが判ったような気がした。

やはり、アメリカン・ミュージック、ことにブルース、R&B、ロカビリーといった「王道」をきっちりふまえた作りが、多くのアメリカ人(および日本をはじめとした米国文化圏の人びと)のハートのど真ん中にきた、そういうことだ。

エルヴィスの遺産を継ぐ男、ロバート・プラントの歌声は、今世紀も敵なしぢゃい!


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音盤日誌「一日一枚」#41 ポール・バターフィールズ・ベター・デイズ「ベター・デイズ+1」(ビクターエンタテインメント)

2021-12-22 05:07:00 | Weblog

2001年5月13日(日)



ポール・バターフィールズ・ベター・デイズ「ベター・デイズ+1」(ビクターエンタテインメント)

ベター・デイズ、このコーナー三回目の登場である。といっても、リリース順序は逆で、これがデビュー・アルバムである。1973年1月発表。

メンバーの紹介は以前の項を見ていただこう。ポール・バターフィールドが中心になって結成された、実力派ミュージシャン揃いのスーパー・バンドである。

ポールというひと、一般にはハーピストとして通っているが、ボーカルもなかなかのもの。それがよく判るのがこのアルバムだ。

全10曲(1曲はボーナス・トラックの「ルイーズ」)中、実に半数の曲でリード・ボーカルをとっていて、これが味わい深い。

もちろん、ロニー・バロン、ジェフ・マルダーも、それぞれ個性豊かな歌を聴かせてくれる。

色でたとえていうなら、ポールはブルー、ロニーはレッド、ジェフはブラウン、そんな感じかな。

で、歌・演奏もよければ、選曲がこれまた素晴らしい!

まずは「ニュー・ウォーキン・ブルース」でスタート。バターフィールド・BB時代にも録音しているから「ニュー」だそーな。もちろん、ロバジョンの作品だ。

続いて、レイ・チャールズと共に曲を作っていたことでも知られる(「旅立てジャック」など)パーシー・メイフィールドの「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラヴ」。

フレディ・キングのカバーも傑作だったが、これも名演。ジェフの哀愁に満ちた歌声、そしてエイモス・ギャレットのセンチメンタルなテレキャスターの調べ。文句なしの出来ばえである。

ビッグ・ジョー・ウィリアムスの「ベイビー・プリーズ・ドント・ゴー」なんていうのもある。これは多くのアーティストがカバーしており、マディ・ウォーターズ、マイク・ブルームフィールドらの「ファザーズ&サンズ」でも聴くことが出来る。

ベターデイズ版の「ベイビー~」は、よりモダンでファンク色の強いアレンジだ。

他には、ニーナ・シモン版をカバーしたブルース「ノーバディズ・フォールト・バット・マイン」も。分厚いコーラスが印象的なナンバー。グループの音楽的な深さがうかがえる。

ポールと親交の厚い人たちの曲もある。ジャニスのアルバムで知られる「生きながらブルースに葬られ」は、ニック・グレイヴナイツの作品。

「ハイウェイ28」は、バターフィールド・ブルース・バンドのベーシスト、ロッド・ヒックスの作品。

「ダン・ア・ロット・オブ・シングス」は、グループの重要なレパートリー「スモール・タウン・トーク」同様、以前紹介したシンガー、ボビー・チャールズ作品。カントリー・フレーバーあふれるバラード・ナンバーだ。

ボビーはレコーディングにも、コーラスでゲスト参加している。

唯一のオリジナル、「ブローク・マイ・ベイビーズ・ハート」はロニー・バロンの作品。ニュー・オーリンズ直系、ロニーの粘っこい技巧的なボーカルは聴きごたえ十分だ。

ブルース、R&B、ファンク、カントリー、フォーク、ロック、ポップス。すべてのアメリカン・ミュージックがひとつに溶け込んでいるベター・デイズ・ワールド。

聴き流すにはあまりにもったいない。熟成したブレンデッド・ウイスキーをたしなむように、じっくりと味わっていただきたい。


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音盤日誌「一日一枚」#40 ヤードバーズ「リトル・ゲームス」(東芝EMI)

2021-12-21 05:22:00 | Weblog

2001年5月12日(土)



ヤードバーズ「リトル・ゲームス」(東芝EMI)

先週、ジェフ・ベック・グループが出てきたところで今週は、彼らとつながりの深い、第五期ヤードバーズのラスト・オリジナル・アルバムだ。

1967年8月発表。でも米国のみの発売で、英国・日本ではずっと未発売のままであった。

ゆえに、いわゆるコレクターズ・アイテム、幻の名盤として高値がついていたのだが、日本でも91年4月にようやくCDでお目見えとなった。

オリジナルLPのトラックは10曲だが、これにシングル曲、未発表曲を含めて18曲の構成。

ここでざっと、このアルバムが出来るまでの経緯を記しておこう。

66年暮れ、ジェフ・ベックが病気を理由にアメリカ・ツアーをリタイア、なしくずし的に脱退してしまった後のヤードバーズは、一番後から加入したジミー・ペイジがバンドの主導権をとっていくことになる。

4人となった新生ヤードバーズは、プロデューサーもミッキー・モストに変わり、よりポップでコマーシャル色の強い売り方をされるようになる。

たとえば、タイトル・チューンの「リトル・ゲームス」(67年3月発表)。これは日本でも「リトル・ゲーム」の邦題で同年7月にシングル・リリースされているのだが、ブルース・バンドのイメージの強い彼らにしては、ペイジのフィードバック・ソロのバックにチェロを加えたりして(アレンジはのちのZEPのジョン・ポール・ジョーンズ)、当時流行のポップス風に仕上がっている。

ジョーンジーは当時既にアレンジャーとして、ピア二ストとして、「五番目のヤードバード」だったのだ。

この曲を軸にして、スタジオ・レコーディングされたのが同題のアルバム「リトル・ゲームス」というわけである。

さて、その中身はといえば、名門バンドの彼らにしては、ちょっと肩すかしな感じは否めない。

ことに、ペイジが事実上プロデューサーということで「プレ・ツェッペリン」的な音を期待して聴くと、完全にハズレである。

バンド・サウンド的には前作「ロジャー・ジ・エンジニア」(「ロックアルバムで聴くブルース」参照)をさらに推し進めたサイケデリック路線なのだが、どうもガツンと来るような手ごたえがない。

やはりこれは、ボーカルのせいだろうな。

グループの本来のリーダー格にあたる、キース・レルフのボーカルは、ヘタウマ系といえば聞こえはいいが、芯の感じられないフニャフニャな歌で、どー聴いてもハード・ロックには向いてないんである。

あとは、リズム・セクションがいまいちタイトでないことも災いしているんだろう。

しかし、もちろん、悪いところばかりでもない。

音楽的な試みとしては、なかなか面白い曲がいくつかある。

たとえば、「ホワイト・サマー」。

ZEPの初期には、ファースト所収の「ブラック・マウンテン・サイド」とメドレーで演奏されることの多かったインスト・ナンバーだが、変則チューニング・ギターを使ったインド風の変わった和声感覚、これはペイジならではのものである。

「スマイル・オン・ミー」のようなブルース進行の曲でも、よりハード・ロック的なアレンジになっており、「ティンカー・テイラー・ソルジャー・セイラー」では、ZEPでおなじみのバイオリン・ボウによるプレイが既に見られるのも興味深い。

実際、この頃から「幻惑されて」(ジェイク・ホルムズ作)もレパートリーに取り入れられていたらしい。

また、「パズルズ」(アルバム外、シングル「リトル・ゲームス」のB面)での派手なファズ・プレイも聴きものだ。

後の、ZEP的トリック・プレイの数々は、67年において既にその萌芽を見せていたのである。

あと、シングル「テン・リトル・インディアンズ」(ニルソン作)のB面であった「シンク・アバウト・イット」、政治・社会問題がらみの歌詞もなかなか異色だが、レルフのボーカルを抜きにすればそのサウンドはもう、ほぼレッド・ツェッペリンといってよい。

アルバム「BBCセッションズ」でも演奏しているが、そのテンションの高いビートといい、ペイジのエキセントリックな早弾きといい、後のZEPをほうふつとさせるものがある。

もちろん、ペイジ以外のメンバーにはそのハード・ロック指向は歓迎されず、グループは必然的に崩壊の道をたどることになるわけだ。

彼らのルーツミュージック、ブルースもこのアルバムでは単なるトリビュートの対象ではなく、ある意味でパロディ的に料理されている。

それが、マディ・ウォーターズの「ローリン・アンド・タンブリン」を歌詞のみ代えてパクった、その名も「ドリンキング・マディ・ウォーター」だ。

黒人のブルースのコピーから始まったこの英国のバンドは、翌年ひとりを残してメンバーを総入れ替え、ついに「ハード・ロック」という新しい音楽世界へむけて脱皮・変身することになる。

生まれ変わりを間近に控えたヤードバーズの、混沌とした状況がそのままぶちまけられたような、アルバム。

ロック史のモニュメント的作品として、一度はチェックしてみて欲しい。


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音盤日誌「一日一枚」#39 V.A.「A TRIBUTE TO HOWLIN' WOLF」(TELARC)

2021-12-20 05:00:00 | Weblog

2001年5月6日(日)



V.A.「A TRIBUTE TO HOWLIN' WOLF」(TELARC)

ハウリン・ウルフ(1910-76)を偲んで、97年7月、ウルフのバック・バンドの元メンバー達を中心に録音されたアルバム。

ヒューバート・サムリン(g)、ヘンリー・グレイ(p)、カルヴィン・ジョーンズ(b)、サム・レイ(ds)、エディ・ショウ(sax)といった、ウルフのレコードではおなじみのメンツに加えて、ゲストの顔ぶれがなかなか豪華である。

ウルフに強い影響を受けたタジ・マハールをはじめとして、親交のあったジェイムズ・コットン(hca)、ロニー・ホーキンスといったベテラン勢に加えて、今売り出し中のラッキー・ピータースンのほか、アルバート・コリンズ門下の女性ギタリスト、デビー・デイヴィーズ、オルタナ・カントリーの女性アーティスト、ルシンダ・ウィリアムスといった新世代の人々も参加して、華をそえている。

オープニングの「サドル・マイ・ポニー」では、ウルフそっくりのタジ・マハールの歌いぶりにビックリ。

ストーンズもカバーした「レッド・ルースター」は、若手ブルース・マン、ケニー・ニールがスライド・ギターもまじえて熱演。これにコットンの味わい深いハープが絡む。

かつてザ・バンドをバックに率いていたこともあるロニー・ホーキンスは、多くのロック・バンドにも演奏された「バック・ドア・マン」で年季の入ったノドを聴かせてくれる。

一方、ウルフ・バンドの面々も演奏だけでなく、それぞれリード・ボーカルをとっており、意外にシブくて上手い歌を聴かせてくれる。

エディ・ショウは「ハウリン・フォー・マイ・ダーリン」「ビルト・フォー・コムフォート」、サム・レイは「ベイビー・ハウ・ロング」、ヘンリー・グレイは「スモークスタック・ライトニン」といったぐあいに。

そして、極めつけはやっぱり、ヒューバート・サムリンの「キリング・フロアー」だろう。

おなじみのトリッキーなギター・プレイと共に、肩から力の抜けた感じの、軽妙な味のボーカルを聴かせてくれる。

彼の、いつになくリラックスして、伸び伸びとギターを弾いている様子が想像でき、こちらまで嬉しくなる。

最近、ライブでは満足なパフォーマンスを見せることが少ないというサムリンだが、このアルバムでは古なじみの仲間と一緒ということもあってか、ノッて演奏しており、七十間近ながらまだまだ健在という感じのプレイが聴ける。

ウルフと共に二十年以上の歳月を過ごしたサムリンならではの、抑え目ながらツボを押さえた演奏、ウルフ・ナンバーに実に ぴったりとハマっている。

もちろん、他のバンドの面々の演奏も。

ところで、彼らが敬愛するハウリン・ウルフというブルースマンは、ブルース界の全体の流れ(都会化、洗練の方向)にはお構いなしに、死ぬまであくまでも自分の流儀をつらぬいた「反骨の人」であった。

音楽の核にある「情動(Emotion)」というものを、えぐり出して我々につきつける、そういう人。

予定調和的な美しさではなく、「本能」の圧倒的な「力強さ」こそが彼の音楽の本質なのであった。メロディにせよ、歌詞にせよ、である。

このアルバムも、実際、音楽的完成度はさほど高いとはいえない。

演奏も、平均年齢60代の人々によるものだけに、アラも探せば色々と出てくる。

しかし、ウルフの歌の持つ、ふてぶてしいまでに強靭な反骨精神を、バンドもゲストもしっかりと表現していることは、間違いない。

全編中、最も異色の起用といえる、ルシンダ・ウィリアムスさえも、彼女流のアンニュイなトーンで的確に「ウルフ的なもの」を表現してみせている。

ヤワな「シカゴ観光土産品」的なブルースは、ここにはない。あるのは、ゴツゴツとした感触の「本能のブルース」だけ。

この「A TRIBUTE TO HOWLIN' WOLF」は、ウルフの精神を見事に引継ぎ、再現してみせたという点において、多くのトリビュート・アルバムとは一線を画したものになっていると思う。

ウルフ・ファンはもちろんだが、若いロック・ファンにもぜひ聴いてみて欲しい一枚である。


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音盤日誌「一日一枚」#38 ジェフ・べック「トゥルース」(東芝EMI)

2021-12-19 05:00:00 | Weblog

2001年5月5日(土)



ジェフ・べック「トゥルース」(東芝EMI)

第一期ジェフ・べック・グループのデビュー・アルバム。1968年作品。

このアルバム発表の数か月後に、レッド・ツェッペリンのファーストLPもリリースされているのだが、この二枚、実はかなり密接な関係があるといってよい。

ジェフ・べックと、ZEPのジミー・ペイジが昔から親友であったのは有名なハナシ。

64年、エリック・クラプトンがヤードバーズを脱退したとき、リード・ギタリストの後釜として、ペイジが有力候補に上がっていたのだが、当時スタジオ・ミュージシャンとして超多忙であったペイジはその依頼を固辞し、かわりに親友のべックを推薦し、次のリード・ギタリストが決まったという。

このエピソードからわかるように、ふたりは(意外にも?)仲が良かった。

感覚先行で天才肌のべックと、現実的で策略家のペイジ。あまりに対照的なふたりだが、だからこそウマが合ったのかもしれない。

その後、ヤードバーズは66年ポール・サミュエル・スミスの脱退により、今度はペイジも招ばれ、ふたりの共演が実現するものの、べックがすぐに脱退して、67年にはソロ・デビュー、翌年にはジェフ・べック・グループを結成と、目まぐるしい動きを見せる。

残ったペイジはヤードバーズの主導権を握ることになるのだが、そういうゴタゴタがあってもふたりの交友が壊れることはなく、おたがいの音楽活動をインスパイアするような関係が続く。

そんな中で、ふたつのアルバムが生み出されてくるのである。

第一期ジェフ・べック・グループ、結成当初のメンバーは、べック(g)の他にロッド・スチュアート(vo)、ロン・ウッド(b)、そしてミック・ウォーラー(ds)の四人。のちにニッキー・ホプキンス(kb)も正式メンバーとなる。

いずれも、名手ベックの相手としては申し分のない実力派ぞろい。ある意味で、ZEP以上の強力な布陣ともいえるグループであった。

こういうグループを横目でにらみながら第五期ヤードバーズを続けていたペイジが、「ヤツらくらいのいいボーカル、上手いリズム・セクションが欲しい」と思ったのは間違いあるまい。

その後、ヤードバーズの他のメンバーが全員辞めていった(辞めるよう仕組んだ?)のを機に、ペイジは一気に自分の理想のバンドを再構築する。

それがレッド・ツェッペリンだったというわけである。

そういう経緯をふまえてこのアルバムを聴くと、いっそう興味深い。

たとえば「ユー・シュック・ミー」。

ウィリー・ディクスン作、マディ・ウォーターズの歌で知られるこの曲を、ご存知のようにZEPもファーストでカバーしているのだが、聴き比べてみると、そのエキセントリックなアレンジがかなり似ている。

実際、ベック自身の証言もあり、ペイジがベックらの演奏を聴いて、ヒントにしたのは間違いないようだ。

ちゃっかりパクって、アルバム用の曲に使ったということだろう。

で、レコード・セールスのほうは、ご存知のように、ZEPのほうが何倍もの大ヒットとなってしまった。

ベックは彼の真似をしたペイジに、美味しいところを全部持っていかれてしまったのである。

いってみれば、ソニーと松下"マネシタ"電器の関係みたいなものか。ペイジ恐るべし。

それでもふたりの友情関係はその後も続いていたわけだから、ベックはよほど「いい人」なのだろう。

その他にも、ヤードバーズ時代のヒット「シェイプス・オブ・シングス」を再演しているが、新イントロをペイジはサード・アルバムの「アウト・オン・ザ・タイルズ」で使っていたりして、もう、パクりまくり。

ZEPのアルバムがいまだにコンスタントに売れているのに、この「トゥルース」はロック史の中に埋もれてしまったわけで、なんともお気の毒なハナシではある。

せめて、われわれの手で、もう一度発掘してみよう。

ブルース・ロックの典型のような「迷信嫌い」(これもW・ディクスンの曲、ハウリン・ウルフでおなじみ)、同じくロッド・スチュアート作「ロック・マイ・プリムソウル」「ブルース・デラックス」、BB&Aでも再演している「モーニング・デュー」といったブルース路線の一方で、「グリーンスリーヴス」では端正なアコギ演奏も聴けたり、ジャズ・スタンダードの「オール・マン・リヴァー」を取り上げていたり、意外なおもしろさがある。

ハード・ロック一辺倒にならず、どこかポップで軽いノリもあり、音楽的なふところの広さを感じさせる。

「ベックズ・ボレロ」(デビュー・シングル「ハイ・ホー・シルヴァー・ライニング」とカップリングされていた)はペイジの作曲で、このバックにはペイジはもちろん、フーのキース・ムーン、ZEPのジョン・ポール・ジョーンズも参加している。ぜひチェックして欲しい1曲だ。

ベックのトレード・マーク、フィード・バック・プレイも、随所で聴くことができ、またロッドのボーカルも、若さにあふれ迫力十分。

30年以上も前の作品だが、まだまだイケてます!


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音盤日誌「一日一枚」#37 UFO「LIGHTS OUT IN TOKYO-LIVE」(CASTLE COMMUNICATIONS)

2021-12-18 04:52:00 | Weblog

2001年4月29日(日)



UFO「LIGHTS OUT IN TOKYO-LIVE」(CASTLE COMMUNICATIONS)

UFO、1992年6月クラブ・チッタでのライブ録音盤が、今日の一枚である。

UFOと聞いて、皆さんはどういうイメージをお持ちになるだろうか?

英国の老舗ヘビメタ・バンド? マイケル・シェンカーの在籍していたハード・ロック・バンド?

ワタシ的には、シングル「カモン・エブリバディ」でデビューした頃の、ZEPの亜流とか呼ばれていた頃のイメージが強いんだよな~。

なにせ、その「カモン~」のEPを買ったぐらいだから。今はさすがに手元には残っていないけど。

バンドの結成はなんと68年。当初のグループ名「ホーカス・ポーカス」を「UFO」に改名、71年にアルバム「UFO1」でレコード・デビュー。

当時のメンバーはボーカルのフィル・モッグ、ギターのミック・ボルトン、ベースのピート・ウェイ、ドラムスのアンディ・パーカーの4人。

まずは、日本、フランス、ドイツといった本国以外の国々で人気が出て、72年にはさっそく来日、日本限定発売のライブ盤までリリースしている。

しかし、まだ実力的には低く、泡沫バンドのイメージはぬぐえなかった。

世界的に注目されたのはやはり、74年にミック・ボルトンが脱退、元スコーピオンズの凄腕ギタリスト、マイケル・シェンカーが参加してからである。

74年の「Phenomenon」から79年の「Strangers In The Night(LIVE)」まで約五年間在籍したマイケルのおかげで、グループは大きく成長した。

演奏面でも、曲作りの面でも。

このライブ盤でも、マイケルの遺産ともいうべき、彼が在籍時のナンバーが多数演奏されている。

「LOVE TO LOVE」、「ONLY YOU CAN ROCK ME」、「LIGHTS OUT」、「DOCTOR, DOCTOR」、「ROCK BOTTOM」、そして「SHOOT, SHOOT」。

いずれも、ステージでは欠かせないナンバーとなっている。初代ギタリスト、ミックの曲は1曲もないのにである。

短い期間であったとはいえ、いかに彼がグループにとって大きな存在であったかがよくわかる。

マイケルと訣別したUFOはその後、何回かメンバー・チェンジをしながらも、ライブを中心に活動を続けていくが、セールス的にはジリ貧状態になっていく。

92年当時のメンバーは、モッグ、アーチャ―、ウェイ、エドワーズ。

このライブ盤を発表して一旦活動停止した後、93年黄金のラインナップ(モッグ、ウェイ、レイモンド、パーカーそしてシェンカー)で再結成して95年「Walk On Water」を発表、再び解散。

しかしまた、昨年には二枚組アルバム「Covenant」を発表。何度も不死鳥のようによみがえるしぶとーいグループなのである。

80年以降のオリジナル・アルバムでは、70年代のマイケル在籍時のようなクリエイティビティを発揮することは出来なかったが、ハード・ロック/ヘビーメタルの、完成された「型」を愚直なまでに守り続け、いまだに多くの固定ファンの支持を集めている。

この日本でのライブでも、予想を裏切らないパワフルで安定した演奏を聴かせてくれる。

ファースト・アルバムでボ・ディドリーの「WHO DO YOU LOVE」をカバーしていたことからわかるように、もともと彼らもブルースをルーツに出発、成長して来たバンド。そのあたりは2曲目の「BORDERLINE」を聴くと、よくわかる。

ゴリゴリのヘビメタ・チューンしか演奏出来ない新世代バンドにはない、音楽的な奥行きが感じられるのだ。

コンサートのラストは、デビュー曲の「C'MON EVERYBODY」。

基本的には同じアレンジで、この50年代末に作られたロック・スタンダードを、25年も歌い続けてきた四十代のフィル・モッグ。

その曲のリフレインを、グループがデビューした時には生まれてさえいなかった十代の若者たちも合唱する。

なんとも、世代を越えた見事なコミュニケーションだ。

決してトップ・バンドとはなれなかったUFOだが、ギターといい、ボーカルといい、そのテクニックには実に手堅いものがある。

とにかく、聴いているうちに思わず体が動くこと間違いなし。「TOO HOT TO HANDLE」の曲名そのままに、これでもかの熱演の連続だ。

これを聴いて熱くなれないようなら、ロックを聴いてもしょうがないんじゃないの。

そう言いたくなるような一枚。たまには理性のLOCKを全面解除して、ROCKしてみるべし。


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音盤日誌「一日一枚」#36 ボビー・チャールズ「ボビー・チャールズ」(ビクターエンタテインメント)

2021-12-17 04:06:00 | Weblog

2001年4月28日(土)



ボビー・チャールズ「ボビー・チャールズ」(ビクターエンタテインメント)

きょうの一枚、これもまた隠れた名盤である。とくに、tRICK bAGファンの皆さんにはぜひ聴いてほしい。

ボビー・チャールズについては、ベター・デイズのセカンド・アルバムの項で少しふれたが、改めて紹介しておくと、1938年ルイジアナ州生まれの現在63才。

高校生歌手のハシりみたいなひとで、17才のときにチェス・レコードのオーディションを受け、合格。

チェス社長のレナード・チェスは、チャールズの歌声を聴いて黒人だとばかり思い込んでいたのだが、契約のため来社した彼が白人だと知り、ビックリしたというエピソードが残っている。

というわけで、彼はチェスにおける、白人アーティスト第一号なんである。

さて、このボビー・チャールズ、デビューはしたものの、いまひとつ歌声に華がないこともあってか、しばらくは鳴かず飛ばず、5、6のレーベルを転々とすることになる。

ただ、非常にいい曲を書いていたことが幸いして、ファッツ・ドミノ、ビル・ヘイリーらが彼の曲を歌うようになり、ソング・ライターとして認められるようになる。

71年に、ウッドストックに本拠をおくベアズヴィル・レコードと契約、ウッドストック派(Woodstocker)の仲間入りをする。

ザ・バンドやポール・バターフィールドらとも知り合い、そのレコーディングに参加する一方で、72年にレコーディングしたのがこのソロ・アルバム、というわけだ。

当然、ウッドストック派のミュージシャンたちが全面的に協力、パーソネルに名を連ねている。

ロビー・ロバートスンを除くザ・バンドのメンバー4人をはじめ、ベター・デイズ組のエイモス・ギャレットとジェフ・マルダー、ドクター・ジョン、元バターフィールド・ブルース・バンドのデヴィッド・サンボーンら、実力派が勢揃い。

プロデュースはボビー・チャールズ、リック・ダンコ、そしてジョン・サイモン。収録曲は、すべてチャールズ自身のオリジナル・ナンバーである。

この中では、なんといってもリック・ダンコとの共作「スモール・タウン・トーク」がいい。もちろん、ベター・デイズ、tRICK bAGもカバーしている、あの佳曲である。チャールズ版「スモール~」の歌声は、素朴でほのぼのとした味わいだ。

ちなみに「スモール・タウン」とはウッドストックのことを意味しているんだそうな。

他のナンバーも、ザ・バンドに通じる、土臭くどこか鄙びた、でもリラックスしたムードでいい感じ。

R&B、カントリー、ニュー・オーリーンズ・サウンドなどが巧みにブレンドされ、耳にひたすら心地よい。

たとえば、ファッツ・ドミノと共作した「グロウ・トゥー・オールド」。あるいは「セイブ・ミー・ジーザス」、「テネシー・ブルース」。いずれも何気ない曲のようでいて、耳に残るいいメロディだ。多くのミュージシャンたちにカバーされたのも不思議ではない。

手練れのミュージシャンたちの伴奏に乗って繰り広げられる、イナタい、でもオツなボビー・チャールズ・ワールド。

この一枚をかけつつ、バーボンをオン・ザ・ロックスで飲る。これ以上の快楽はないと思うよ。


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