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音曲日誌「一日一曲」#272 大野えり「Milestones」(Good Question/日本コロムビア)

2023-12-29 05:58:00 | Weblog
2013年6月16日(日)

#272 大野えり「Milestones」(Good Question/日本コロムビア)





皆さんは、大野えりというシンガーをご存じだろうか。

55年名古屋生まれなので、筆者よりはちょっとだけ年上の、ベテランジャズシンガー。

京都の同志社大学で軽音楽部にたまたま入ったことから、彼女のジャズ人生が始まった。シンガーとして山野ビッグバンドコンテストで審査員賞を受賞。大学卒業後も関西のライブハウスに出演しているうちに、東京からお呼びがかかり、78年上京。翌年、ピアニスト佐藤允彦のプロデュースによりアルバムデビュー。

24才の若さで錚々たるベテランミュージシャンをバックにメジャーデビューしたのだから、当時いかに彼女の才能が注目されていたかがわかるね。

おりしも70年代後半から80年代前半にかけて、阿川泰子、秋本奈緒美、真梨邑ケイをはじめとする若手女性ジャズシンガーがブームとなっており、歌そのものというより、若さ、あるいは容姿を競うような傾向が強かったが、大野の場合、その流れとはちょっと違っていて、もっと「実力本位」で評価されていたという記憶がある。

そしてそのスタイルも、ジャズシンガーの紋切り型といえるロングドレスでも、また、その逆を行くミニスカでもなく、同性のファンにも支持をえられそうな「モード系」の雰囲気が、大野えりにはあったといえる。

きょうの一曲は、80年夏に彼女が自身のバックバンド「Good Question」を結成し、彼らとともに作った81年の4枚目のアルバムより。マイルス・デイヴィスの作品。

そう、ジャズの帝王マイルス、58年のアルバムのタイトル・チューンを、果敢にもボーカルでカバーしてるのですよ、皆さん!

実は大野、デビューして間もないころ、FMのジャズ番組に出演したときのインタビュー(MCは悠雅彦さん)で、憧れのミュージシャンとして「マイルス」をいの一番に挙げていたのである(彼女の表現としては「カッコいい」と言っていた)。このことでわかるように、彼女は歌うことにしか興味がないタイプのシンガーではなく、サウンドやそのたたずまいも含めて、ジャズ・ミュージシャンに憧れをもってこの世界に入ってきたということであり、シンガーとしては珍しくサウンド指向が強いひとなのだ。

そういうこともあってだろうか、歌うジャンルはいわゆるジャズに限らない。83年には、ムーンライダーズの白井良明のプロデュースで全曲モータウン・サウンドのカバーという異色盤「トーク・オブ・ザ・タウン」を発表している。これもなかなかユニークでおススメなのだが、要するに、英語の歌がうまいので、どんなジャンルのものでも問題なくカバーできるということだ。これぞ実力の証明。

「Milestones」を聴いてみると、おなじみのマイルスのアップダウンの激しいフレーズをなんなくフォローしており、とにかくものスゴく安定感に溢れた歌唱という感じ。20代後半にして、これだけ思い切りのいい歌いかたが出来るひとが、いまどれだけいるだろうか。ほとんどのシンガーが、愛嬌だけが頼みの「なんちゃってシンガー」にしか思えなくなってくる。

マイルスがジャズの革命ともいえる「モード奏法」を本格的に取り入れ始めた時期の代表曲を、26才の駆け出しシンガーがひょいとレパートリーにしてしまうなんて、大野えり、ホント、ただ者ではない。

そして、もうひとつ、大野のスゴいところは、大学の軽音部時代からすでにこの思い切りのいい、キップのいい歌いかたを身につけていたということだな。そしていまもそれは変わることなく、さらにスケールアップしているといえる。

こんなスゴい才能の持ち主なのに、約35年にわたってヒットらしいヒットが出ていないのは、本当にもったいない。でも、大野の場合、真に実力あるミュージシャンたち(本場アメリカのも含む)からの支持がハンパでないから、それで十二分に報われているともいえよう。

それなりに固定ファン層も厚く、今後も地道に活動を続けていくであろうが、こういうシンガーのよさがわからないようじゃ、日本人の音楽の感性もまだまだだってこと。ぜひ、ベテランの底力を見せてほしいものだ。

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