prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「イーダ」

2017年12月12日 | 映画
1962年、アガタ・クレシャ扮する修道院育ちの孤児のイーダが唯一見つかった叔母(アガタ・チュシェブホフスカ)の元を訪れ、自分のユダヤ人という出自と両親の運命を知っていく。
叔母がどんな仕事をしているのか、連れ込んだらしい男と寝ていたりするから、かなり怪しげな仕事なのかと思ったらなんと判事。しばらくの間、別の人かと思った。
後でわかってくるが、おそらく当時のポーランドの法制度の欺瞞の象徴であるとともに、叔母が人を裁ける人間だとは思えずに自分自身を裁くことになるのが、この判事という設定だろう。

説明を切り捨て描写の積み重ねから次第に状況がわからせて、しかも混乱や誤解をさせないブレッソンを思わせる厳格なスタイル。1時間22分という短さの中に凝集した表現。

ウカシュ・ジャルとリシャルト・レンチェウスキの白黒撮影が素晴らしく、かちっとした構図と微妙な諧調が、イーダがそれまで住んでいた無菌状態のような世界を表現する。
それが叔母と一緒にさまざまな汚辱にまみれた俗界を見て回り、自分が背負っているポーランドの歴史と、そこで生きてきた人間たちのさまざまな罪を知り、西側のジャズ(コルトレーン)かぶれの青年と出会ったりしていくうちに、俗界と無縁ではありえない自分を見つけていく。

俗界を知った目で見ると、禁欲的なような僧院の中で裸を見せないように薄物をまとったまま湯を浴びて身体を洗うような尼僧の身体の線がかえってくっきりと見えたりする。

ほとんど固定ショットの積み重ねで通してきて、ラストで街を急ぎ足で歩くイーダについてカメラが移動するのに続き、田舎道を歩くイーダを後退しながら手持ちのぐらぐらする移動で追っていく演出計算があからさますぎるくらいだが効いている。
イーダは仮に尼僧院に戻っても、これまでのようにイノセントではいられないし、それは避けられないことだとカメラが語る。

エンドタイトルで「惑星ソラリス」でも有名なコラール≪主イエス・キリスト、われ汝を呼ぶ≫ BWV639がかかる。
(☆☆☆☆)

イーダ 公式ホームページ

イーダ - 映画.com



本ホームページ


イーダ DVD

監督 パベウ・パブリコフスキ
主演 アガタ・クレシャ

12月11日(月)のつぶやき

2017年12月12日 | Weblog